第四十五話 長距離砲を撃ち合おう
後半の始まりを前にしてピッチへと両チームの選手が駆けだしていく。
その中でもやはりカルロスは別格の存在感を放っている。何をするわけでもない、ただピッチに姿を現しただけなのに観客が一斉に息を飲み、次の瞬間歓声が沸き上がったのだ。
観客達もカルロスが前半だけで引っ込んでしまうのではないか、そんな心配してたのかもしれない。それが後半も出場するようなので胸を撫で下ろしたのだろう。現金なもんだよな、俺がピッチに出たときも同じぐらいどよめいてくれてもいいのに。そう内心で愚痴っていると、その注目を一身に受けている人物が近づいてきた。
「よ、アシカ。さっき言った通り後半も遊んでやるぞ」
何だか前半より挙動が「軽く」なっているような気がする。ハーフタイム中に何か良い事でもあったのだろうか? それはマズイ、こいつに気持ちよくプレイさせるなんて自殺行為だ。少しでも集中を妨げるよう挑発をしてみるか。
「遊ぶだなんて、随分とまあ上から目線ですね。逆転されても遊んでいられるか楽しみですよ」
「……そうだな、真剣になってほしければ、せめて同点に追いついてみるんだな。さもないと負け犬の遠吠えだ」
言葉を交わすごとに俺達の間の雰囲気はぎすぎすしていくのだが、なぜかお互いの表情は返って笑みが深くなっていく。
「いやぁ、そうですか。カルロスの無駄に高いプライドと鼻は、俺が両方ともへし折りやすくするためだったんですね。ごっつぁんですよ」
「……アシカがチビなのもオレが叩き潰しやすくするための親切設計なんだな」
満面の笑みだがお互いに視線は外そうとしない「ふふふ」「ははは」と俺達二人の笑い声が、なぜか不自然なまでに周りだけがぽっかり空いたピッチ上に響いた。
「あ、あの君達もうすぐ後半始めるよ」
「ああん?」
空気を読まないで俺達に声をかけてきた男を睨みつける……やばい、審判だ。笑みの形に硬直した表情筋をすぐに戻して、真面目な表情を作りだし深々と頭を下げる。
「すいません、お手数かけました。すぐに位置につきます、では」
「う、うむ。気を付けてね」
俺の豹変ぶりに驚いたのか審判の反応は鈍かった、すぐさま言葉通りにこの場を離脱する俺は、こっちを睨んだままのカルロスに軽いウインクを一つ残して自陣へ戻る。「あ、おい。ちょっと」と呼び止めかけるカルロスは審判から「小学生でも君は日本代表なんだから、もっと自覚を持って……」と説教をされ始めている。
しかし、カルロスを挑発するだけのつもりだったのにうっかり自分まで熱くなってしまった。ここまで薄々と自覚はしていたが、精神年齢が肉体年齢に引っ張られているような気がするな。気を付けないと、このままではやり直しで得た精神的なメリットを失ってしまいそうだ。
自陣に帰ってくると、皆が何か怖い物を見るような態度だった。でもキャプテンが「遅いよ足利」と軽くたしなめるのに「すいません」と素直に頭を下げて謝罪すると、雰囲気がハーフタイム中の「逆転するぞ」という熱気に満ちた物へと戻った。
さあ後半だと俺も気合いを入れ直して敵チームを窺うと、カルロスがどこかじとっとした暗い表情で見返している。あの後、彼は審判にちょっぴり絞られたようだ。まだ子供なら逃げる要領が悪くても仕方がないだろうな、でも俺は脱出に成功したぞと「ふふん」という鼻息を混じえた見下した視線を放つ。
うん、どこか「ぷつん」という音が聞こえそうなぐらい切れてるな。これで冷静なプレイは出来ないだろう。もしかして怒りが予想以上の力を出させるかもしれないが、後半を開始して五分も防ぎきれば対処できるレベルまで落ちてくれるのではないかという希望がある。
百メートルで最速の男がマラソンでは勝てないように、スピードのある選手はスタミナがない傾向が高い。俺もその一人ではあるが、ましてカルロスは百メートルで優勝するほど速筋が発達した選手だ。体が出来上がっていない小学生の段階では、まだフル出場が不可能――少なくとも試合の最後まで高いパフォーマンスは発揮できないのではないかと推測、いや期待したのだ。
審判が笛を高らかに鳴らし、後半が始まった。
さて、初手は向こうのボールからだ、ハーフタイムにどんな指示が出てどんな変更があったのか……。
いや、ちょっと待て。いきなりのカルロスのあのモーションは――。
「キーパー、ロングシュートだ!」
カルロスによるセンターラインより後ろからのキックオフシュートが放たれた。小学生離れした長身から生み出されたパワーが余すところなく発揮され、鈍い爆発音のようなボールを蹴る音が響いたかと思うと、ボールは唸りを上げて矢張SCのゴールを強襲する。
俺の声が間に合ったのかは判らないが、まだDFに陣形の指示を出していたキーパーが慌ててバックするとジャンプしてシュートに手を伸ばす。だが、彼が必死に伸ばした指先は僅かに届かない。
万事窮すかと思われたが、シュートはキーパーの手をかすめるようにしてクロスバーを直撃した。ピッチの半分以上を踏破したロングシュートのはずなのに、直撃したバーが細かく震えていた。
た、助かった……。じゃないだろう! カルロスの奴がいねぇ。一体どこに行ったんだ? げ、もうこっちの陣の奥深くまで上がって来てやがる。
「キーパー、ぼーっとしてないで早くキャッチしろ! カルロスの奴が狙ってるぞ!」
俺からの恐怖のこもった叫びにキーパーが高く飛び上がって、バーに弾かれて宙に上がっていたボールを両手で確保する。そのキーパーから顔がはっきり確認できる位置にまでカルロスは詰めてきていた。最初から自陣にいた俺よりもすでに深い地点にまで入ってきて、キーパーがボールを掴んだのに舌打ちしている。
さっきのシュートもずいぶん強引だったし、こぼれ玉を押し込もうという貪欲さも前半の彼の攻撃のバリエーションにはなかったはずだ。
これは――異様な熱気をはらんでいるようなカルロスにそっと近づいた。ただ立っているだけなのに彼の体から陽炎じみた物が立ち上っているようだ。
近づいてくる俺に気が付いたのかカルロスが視線を合わせてくるが、今までと桁違いの物質的な圧力を感じて軽く仰け反ってしまう。浅黒い顔つきも引き締まり、口はへの字にきつく結ばれている。
こいつは間違いない。
「カルロス、怒っているのか?」
すぐには返答しようとはせず、注がれる視線の圧力がさらに増していく。冷や汗をたらし、顔を背けたくなるのを我慢しているとボソリとした答えが返された。
「怒ってはいないが、遊ぶのはやめだ」
褐色の彫りが深い顔が前半よりも紅潮しているようだ。こいつほどのタレントでも怒りで興奮しているのだろうか。だが、続いての宣言には俺ではなく周りにいた両チームの選手が驚いて動きを止めた。
「遊ばずに、叩き潰す」
……ああ、やっぱり強敵ってのはこうでなくちゃ。
小学生のはずなのにカルロスが絶対の確信を込めて発言すると、裁判官が死刑判決を下す時のような相手の抵抗を無くす力がある。周りの選手達も一瞬停止した後は、無意識なのかもしれないがじりじりと俺達から距離をおいている。
だが俺だけは反応が違う。こういう化け物と戦えるなんて俺はなんて幸せ者だろう、鳥肌を立て冷や汗を流しながらも俺は思わず運命に感謝していたのだ。
生理的な脅えの反応を表面上に出さないようにして、カルロスを睨み返す。さらに後ろ手で山下先輩に指示し、最後にぐっと強く拳を握りしめる。そして後ろに隠していた手を上げてボールを呼び込んだ。
この間ずっとカルロスの瞳から視線を外さない。相手も俺から眼を逸らさないどころか、瞬きすらしていないようだ。
その対峙したままの姿勢で、DFから送られたパスを一瞥もせずにダイレクトヒールで前へ流す。
そこに待っているのは万全の体勢を整えて、ピッチのど真ん中にもかかわらずシュートの為の助走をしている山下先輩だ。
「叩き潰すのはこっちの方ですよ」
センターサークル内からの超ロングシュートを放つ山下先輩の姿に、一瞬カルロスの視線がそちらに動く。うむ、目を逸らさない合戦に勝ったな。勝った意味があるのか判らんが。
山下先輩のシュートは惜しくもキーパーに防がれてしまったようだった。ま、オーケーだな。今のはカルロスからの挨拶に対するカウンターで、威圧感に飲み込まれそうだったうちのイレブンに対する気付けだ。入ってくれればそれに越したことはないが、それでも残念がるほどでもない。
最後にカルロスに向けてこれだけは言っておこう。
「カルロスは強い。だけど俺達矢張SCはもっと強いぞ」




