第四十一話 簡単に盗まないでください
小脇に抱えたボールをセンターサークルにセットし終わると、皆が得点を祝福し頭を撫でてきたり背中を叩いてきたりしてきた。叩かれるのも慣れたが、段々威力が上がってくるような気がするのが少し怖い。このままの上昇比率でいくと、もしも今大会の決勝戦なんかでゴールしたらヘビー級ボクサーのKOパンチ並の威力での祝福の嵐になりそうだ。そうなるともう祝福とかではなくボクシングのラッシュになるな、少しは首を鍛えておこうかと場違いな想像が浮かんでしまう。
ま、そんな騒ぎを起こせるぐらい士気が回復したのはありがたいな。ついさっきまでは交代した俺がカルロスにふがいなく抜かれたせいもあって、チーム全体をどことなく怯えていたような雰囲気が覆っていたのだ。だが今のメンバーの顔付きはちゃんと「戦える」表情に変化している。
これならば、秘密兵器としていたブレ玉フリーキックを公開した効果があったな。
大会用の新ボールは子供用のせいか軽くて反発力がある未来のボールに近いと判ってから、クラブの練習時間の後でずっと試してきたんだ。ブレ玉はこれから先の歴史で流行する技術だから、まだJユースでも馴染みがないだろうと判断していたのがそれは正しかったらしい。
さらにゴールの可能性を高めるために、わざと「俺が撃つ」とキッカーを教えた上で「キャッチしてみろ、代表候補」と挑発し、キーパーの取りやすいコースへと蹴ったのだ。腕に覚えのあるキーパーなら誰だってキャッチしてやろうと行動するだろう。
ブレ玉は不安定に変化する為に、前世ではほとんど世界一流のキーパーでもパンチングで大きく弾くのが定石となっていた。つまり、キャッチするより弾く方がはるかに簡単なのだ。
だからもし初見でも、まだ未完成の俺のブレ玉を弾くだけならば可能かもしれない。その為に万が一の保険として、相手のキーパーがキャッチではなく弾く事を選択しないように思考を誘導したのだ。
ゴールした後も挑発したから、あの少し子供っぽいキーパーならば似たような状況からのキックの時に、俺への反発心からまた無理してキャッチしようとする事さえも期待できる。
その秘密兵器を使ってでも前半の内に一点を返しておく戦略が間違っていたとは思えない。俺にはあのままだったら志気が保つとは考えられなかったのだ。ジリ貧のまま前半終了までは耐えるという監督の作戦がなし崩しにばらばらになって、後半に入ってもリカバリーできないほどの点差がついてしまっていただろう。
だから俺は間違っていない。よし、自己正当化終了。
ただ一つだけ誤算があったとするならば、カルロスが目を輝かせてさっきよりずっと楽しそうに笑っている事だけである。
あ、目が合ったと気が付いたのか口パクで何か伝えようとしているな。ええと『なかなかやるな』か? 後は『本気にさせたね』って……。
前半から反撃するのは、間違っていたかもしれない。カルロスが微笑みを浮かべてウインクしただけで、俺は冷や汗を流してつい先ほどとは真逆の事を考えていた。
◇ ◇ ◇
なかなかやるじゃないかあのジョアン――いやチビ君は。
オレは自分のノールックパスが止められてからの失点なのに、後悔よりも敵を称賛する気持ちの方が強かった。
日本国内では誰も止められた事がなかったのに、まさか自分よりも年下でしかもこんなに小さい奴にパスカットされるなんてな。慢心していたつもりはなかったが、余裕を持ち過ぎたのかもしれない。
ま、所詮オレにとってはこの大会に出場する意義なんてあまりない。元々上のカテゴリーでプレイしていたのに、急に呼び出されて迷惑しているぐらいだ。
このぐらいのレベルならば自分のスピードでどうとでもなるけれど、沢山点を取ったからと言ってオレの評価がこれ以上アップするわけでもないしなぁ。
だから、それほどやる気にもならず毎試合怪我をしないように前半だけで流す予定だったんだが……。
相手にはなにも期待してなかったんだけど、面白い小僧がいたもんだな。こいつ今のフリーキックなんてオレでさえ見たことが無いシュートだったぞ。
あれは確か無回転シュートなのか? 相当なパワーがなければ撃てないシュートと聞いていたが、あの小さな体でどうやって撃ったんだろう。オレにキーパーへ「絶対キャッチできない」との伝言させるぐらいだからゴールするという自信は相当あったんだろうけれど。でも、注目していたおかげであのキックのモーションは記憶した、うん今度試してみようか。
面白いチビ君がいるおかげで、消化試合とおもっていたがやる気が出てきたな。上唇をぺろりと舐めると、向こうにいるチビ君にウインクした。
◇ ◇ ◇
試合が再開されたが、今度の立ち上がりは意外に静かな物だった。一点返された事で俺達矢張SCがやられるだけの獲物ではないと慎重になったのかもしれない。
それにしてはマークしてるカルロスが全く危機感を持ってないように、にやにやしているのが気に食わないが。
それはそうと、やはり俺はカルロスをマークするのは今の作戦のままでは無理だとキャプテンに変更を頼んでいた。別に臆病風に吹かれた訳ではない。それが必要だと客観的に判断したからである。
今までは俺がカルロスに対してまず当たり、それをかわそうとして動いた瞬間にセカンドアタックとしてキャプテンがボールを奪う作戦だった。一人目が囮と拘束役になり、二人目でしとめる対ドリブラーの基本戦術だがこれは不発に終わった。
前を向かれてスピード勝負になってしまうと、多少の有利さがあっても日本最速のカルロスにはどうあがいても勝てなかったのだ。では彼がドリブルに入る前に止めるしかないのだが、体格の差でそれも難しい。
そこで俺はキャプテンに前への進路を塞いでもらって、俺がカルロスへ渡るパスを遮断する事にしたのだ。普通はダブルチームだとマークする人物の前に二人並ぶ物だが、桁外れのスピードを持つカルロス相手にその手は通じない。実際一回戦の相手もカルロスを二人掛かりで止めようと前に並んでいたのだが、ほとんど一人を抜く手間と変わらずにぐるりと回られるだけでかわされて、人数を増やしたメリットが感じられなかった。
だから俺とキャプテンは前後で挟む形にしたのだ。するとこれが想像以上にはまった。ボールを持たない状態のカルロスに密着したキャプテンが進路を塞いでいるために、それよりも前方へのパスコースが制限され。つまりスルーパスが出しにくくなったのだ。そして前のスペースへのパスができないならば足下へ出すしかないが、そこにはパスカットの得意な俺が「いらっしゃいませ」と罠を張って待っているという具合だ。
さすがにJユースだけに何度も俺にカットされる愚は繰り返さないが、カルロスへのパスも本数が減ってドリブルをする機会そのものが少なくなった。
何遍かキャプテンを持ち前のスピードで振りきってはいるのだが、その都度鳥の目を使った俺とキャプテンの指示によって余ったDFを動かしてカルロスへのパスコースを切っていく。俺達のカルロスへの対策は「カルロスにボールを持たせない」に尽きる。止められないドリブルならば最初からさせなければいいという発想だな。その作戦が今は上手くいっている、このまま最後までカルロスが大人しくしてくれればいいのだが……。いけない、今のはフラグか? 俺が脳内で無難に終わってくれと思いを抱いた時、カルロスの動きが変化した。
今まではボールが送られるまではトップ下の定位置で棒立ちになって待っていたカルロスがポジションを下げたのだ。
これについていくかどうか一瞬迷い、キャプテンと顔を見合わせる。
カルロスが下がった事によるメリットは、まずゴールから遠くなった為に危険性が若干薄れた点だ。逆にデメリットは後ろに下がった事によりボランチとの距離が近くなってパスカットしにくくなる点だ。どちらも一長一短あるが、これまで「カルロスにボールを持たせない」のが基本方針だった俺達には、彼にパスが渡るだけで大問題である。
その迷いを見逃してくれるほど相手も甘くはない。俺達がマークする前にカルロスへとボールを渡されていた。
まずい。
体中にドリブルで抜かれた時の悪寒が蘇る。鳥肌を立てた俺を気にすることなく、カルロスがまたドリブルを開始していた。中盤の底からのスタートだから彼はまだセンターラインも超えていない。それなのにカルロスがボールを持っているというだけで、うちのチームの全員がコーナーキックやフリーキックレベルの失点の恐怖を感じている。
どうする? まだ中盤にいる内に数人でプレスをかけにいくか? ノーだ。連携の確認も取っていないこちらからバラバラに動いて、結果としてピッチの中央に広大なスペースを与える事になっては敵に塩を送るのに等しい。
では待ち構えるしか道はない。つい追いかけようとしたキャプテンに「後ろで守備ブロックを組みましょう」と制止する。
慌てて味方にもっとラインを下げるよう指示して自分達もペナルティエリア付近まで下がると、もうすぐそこにカルロスがいやがる。ドリブルしているのに俺達より速く移動してる事実に気が滅入るな。
だが、ここまでDFラインを下げれば抜くスペースは無い。これ以上縦にドリブルすれば、敵味方の密度が高すぎてボールを持っていなくてもぶつからずに走るのでさえ無理だ。ここからはもうシュートを撃つかゴール前にクロスを上げるかしかない。
――そう思い、シュートに備えていた俺の裏をかくようにカルロスは人混みの中に突進する。嘘だろ、いくらなんでもそこは突破できないだろう! 戦慄する俺の耳にホイッスルの音が聞こえる。
あ、やっぱりあいつでも無理だったのか。
ちょっとほっとしたが、倒れているカルロスの顔に浮かんでいる表情に再び肌が粟立つ。こいつ今のドリブルは狙って反則貰いにいったんだ。それが一番手っとり早くフリーキックを貰えると考えて。
邪推でない証拠は身軽に立ち上がったカルロスが、壁へ並びかけた俺にウインクを一つくれたからだ。
審判の示すところにボールをセットしたカルロスが、再び壁に整列した俺をちらりと眺めると力強い助走をする。
これは――彼のフリーキックのキックモーションを観察した俺は叫ぶ。
「キーパー、パンチングしろ!」
その声の直後にカルロスのシュートが放たれる。今までの彼のフリーキックとは異なり、壁の上からゴールの隅へと巻いてくるようなボールではない。むしろ直線的に向かっていくボールである。――まるで俺がさっき撃ったフリーキックのように。
俺の声に反応できたのか、キーパーが目の前にきたシュートを両手で大きく弾こうと突き出した。だが、そのボールの勢いとコースならセンターラインまで跳ね返るのではとの想像を裏切り、キーパーの拳にぶつかった後で前ではなく、斜め後ろへと跳ねたのだ。幸いゴールではなく枠の外に飛び出したので、得点ではなくコーナーキックであったが。しかし、それでもピンチはまだ続くのに変わりはない。
いやそれよりも、キーパーの拳がボールの芯を捉え損ねたって事は、今のカルロスのキックは――。
「俺のブレ玉を見ただけでコピーしやがったのか、この化け物が」
今のフリーキックの感触を確かめる為か、嬉しそうな笑顔で何度も足の振りを繰り返している褐色の怪物の潜在能力に改めて戦慄した。




