第四十話 幻のシュートを撃ってみよう
俺の気合はマックスにまで高まったが、それだけではカルロスを止めるのには充分ではない。あの絶対的なスピードのドリブルをどうするか具体的な対策がまだまとまっていないのだ。
げ、だから今だけは攻めるのは勘弁してくれよ。と俺が抗議しているにも関わらず、またもカルロスへとパスが渡る。こいつが攻撃の中心だからよくボールが回ってくるのは仕方ないが、対処法を考える暇ぐらいは与えてくれてもいいだろうが。
くそ、あいかわらず懐が深いせいでボールをキープされたら奪いようがない。しかも、そのリーチ差をいかしてまたしても軽く前を向かれやがる。
どうする? ここでキャプテンを呼ぶか? とっさに使った鳥の目によるとキャプテンは俺が抜かれた場合のスペースを消す場所に陣取っている。これを動かすと中盤にスペースが空きすぎるか。ならば、少しでも時間を稼ごうと腰を落して僅かに後退する。その瞬間にカルロスがドリブルにいく素振りをした。右か? それとも左か? いやこれは――パスだ。
カルロスが完全にノールックで出したパスを俺が足に引っかけてカットをする。おそらく俺以外ではこのパスを読むのは不可能だっただろう。しかし、鳥の目を持ち上空からの視点でピッチを捉えられる俺にとっては、カルロスの合図とFWのマークを外す動きがシンクロして見えたのだ。ならばそのコースに割り込めばいいだけである。
パスとは思えないほどのスピードにちょっとだけヒヤリとしたが、これぐらいなら奴のドリブルの方がもっと速く感じたな。
とにかくようやくボールを奪ったのだから一刻も早くカウンターを仕掛けねばならない。
カルロスがボールを持つと相手チームのほとんど全ての選手が前がかりになる。これはディフェンスの選手においても言えるのだ。それだけ彼への信頼感が高いのだろうが、今俺達が速攻をかけるには有利な条件である。
「アシカ、こっちだ!」
と久しぶりのカウンターチャンスの到来にボールを要求する攻撃陣の中、俺がパスを出したのは一番ゴールへ近い場所にいるFWだった。俺からのロングボールはつながったが、ゴールへと振り向くことはできない。さすがにしっかりとしたDFだ、隙をついたはずの速攻でもきちんと敵にシュートを撃たせないというディフェンスの鉄則を守っている。
FWも自分では無理だと判断したのか、少し下げてトップ下の山下先輩にボールを回すがこちらもマークが厳しい。さすがにJユースのDFにぴったりとつかれては先輩も自由に動けない。
まずいな。このままでは守備の組織が整う前にシュートするという、カウンターの利点が成立しなくなってしまうぞ。
ならどうすればシュートにまで持っていけるのか? その方法の一つはマークのついていない中盤の後ろから、リスクを承知でオーバーラップしてくるべきだろう――そう、今の俺みたいに。
これまでの試合展開では矢張SCのボランチは一度も上がってこなかったので虚を突かれたのか俺に対するマークが遅れる。そのタイムラグを見逃さず山下先輩がパスをくれた。
ナイスパスだ、やっぱりあんたはセンスあるぜ。先輩に聞かれたら「どこまで上から目線なんだ」と怒られそうな事を思いながらノートラップでシュート体勢に入る。このぐらいの距離ならば俺のパワーでも射程圏内だぜ――前の試合の失敗を繰り返さないように俯いた格好で足を振り上げると、肩へ強い衝撃を受けて俺は横転してしまった。
ちょうど片足を振り上げた瞬間だった事と、ぶつかって来た相手のスピードとパワーが桁外れだった為に見た目は随分と派手に跳ね飛ばされたようだった。即座に審判のファールだと試合を止める笛が響く。
そのショルダーチャージをしてきた相手はカルロスだったのだが、ちょっと俺には信じられなかった。
え? シュートモーションに入るまでもう少し離れた場所に居たはずだよね。瞬間移動でもしてきたのかこいつは。
尻餅をついたままカルロスの規格外のスピードにつくづく感心していると、その彼から手を差し伸べられた。
「すまんな、怪我はないか?」
「ええ、大丈夫です。これから剣ヶ峰相手に逆転できるほど元気です」
ぐいと力強く起こされた俺に「そいつは楽しみだな」と不敵に笑うカルロスは小学生とは思えないほど大人びていた。まあ実際にほとんどダメージはない。受け身もきちんと取ったし、元々は片足の不安定な状態でぶつかられた上に俺が軽量だから派手に転がっただけだ。
おかげでフリーキックはもらえたが、もし飛ばされ方がもう少し控えめだったり、わざとらしかったりしたらファールを取ってもらえなかったかもしれないぐらいの、ほとんど反則とも言いづらいぐらいのチャージだった。でも審判もカルロスにカードは出さなかったし、今回の判定は審判の天秤が俺達にラッキーな方へ傾いたと思っておこう。
「それより、俺にこんな場所でフリーキックを撃たせるなんて失敗しましたね」
「ほう?」
片方の眉を器用に上げてカルロスが探るような視線を投げかける。そりゃそうだ、フリーキックは誰が蹴るのか判らないのがメリットの一つなのに「俺が蹴る」だなんて普通は言わない。何の魂胆があるか迷いをうかがわせるカルロスにもう一つ楔を打ち込んでおこう。
「あのキーパーに伝えておいてくださいよ。例え代表候補のキーパーだとしても俺のキックは絶対にキャッチできないって」
しばらく俺を見下ろしていたが軽く頷くと「伝えておこう」とカルロスは立ち去った。
俺とカルロスが話しているのを遠巻きにしていたチームメイトに笑顔で親指を立てる。その仕草で怪我はないと判りほっとした様子の皆に、ああ心配されてるんだとちょっと安心するな。
ではその皆に恩返しする為にも、スタンドで応援している母さんにここで格好つける為にも、新ボールと練習場を時間外でも使わせてくれた監督の為にもここで一点取り返そうか。
そしてキーパーさんよ、運が無かったな。まだあんたは知らないだろうが、これから一世を風靡する事になる最先端技術を真っ先に味わってみるがいい。
慎重にボールをセットすると、ゴールとキーパーの位置を確認する。フリーキックをもらったのがほぼ正面だったからか、相手の配置も比較的オーソドックスな物だった。
ゴールの真ん中にキーパーがいて、壁は左右のコースを潰すように立っていた。壁役の選手の背は皆高く、このユースでは俺ぐらいの身長ではレギュラー入りできなかったかもなと、相手にとっては理不尽な怒りの炎を燃やしてパワーに変換する。その壁も正面だけはキーパーの視界を塞がないように空いていた。よし、これだけ判れば充分だ。
セットしたボールの正面から走り込み、親指の付け根の少し上をボールの中心に当てる。ここで重要なのは足首は固定したままで蹴ると言うよりは押し込むイメージで足を振り抜く事だ。
鳥の目に頼りきり、ゴールを見ずにシュートモーションでは上半身は伏せる。目標はゴールの隅とかではなくゴールど真ん中のキーパーの体を狙っているのだから、これで枠を外すことも上に吹かすことも無いはずだ。
思い切りキックした蹴り足の膝が鼻に当たりそうになった。それほど窮屈そうに折り畳まれていたと後でチームメイトに言われたフォームだ。
まあ格好など今更どうでもいい。それよりも、ゴールに入りやがれ!
◇ ◇ ◇
アシカって子はゴールの真正面からのフリーキックを力強く踏み込むと、そのまままっすぐゴールへ向かってシュートをしてきた。
あまりにも素直すぎるシュートに拍子抜けしちゃうよ。カルロスからの伝言や一回戦は違う子がフリーキックを蹴っていたりしたから、どんなトリックプレイをしてくるかと期待していたんだけどね。何の変哲もないフリーキックでゴールを奪えると考えているなら、代表候補にもなっているゴールキーパーの僕を馬鹿にしているとしか思えないな。
僕の指示でゴール前の壁はボールの確認の為に隙間を空けておいたんだけど、そのスペースを通ってほぼ正面の顔当たりにボールが飛んでくる。はっきり言って一番キャッチしやすいコースだよね。
何一つブラインドとなる物もないから、僅かにも曲りさえしないボールは軌跡どころか模様まではっきりと確認できるよ。「キャッチできない」だって? こんなボールしか蹴れないでよく大言できるもんだ。お望み通りしっかりとキャッチしてあげるよ!
取った。そう確信して差し出した手の内をボールはすり抜けた。いや、ボールが揺れたとかブレたと表現した方が正しいのかな。とにかく僕の手を避けるようにしてボールはゴールへと突き刺さっちゃったんだ。
何なのあれは? 今までに僕が味わったことのないシュートだぞ。ただの鋭いフリーキックなんか今までに何本も止めている。練習相手がカルロスなんだもん、僕はパワーやスピードだけなら大人のキックにも引けをとらないシュートでさえ慣れているんだ。だけど、今のはこれまでに経験した物とは絶対に違った種類のシュートだ。
ぽかんと口を開けて僕の手をすり抜けたボールを眺めていると、そのボールを拾いにきたアシカって意地の悪い子が僕に対して勝ち誇ったように唇をつりあげる。
「だからキャッチできないって忠告したでしょう。今のブレ玉を止められないなんて、俺よりも技術的に十年以上遅れていますよ」
――十年以上遅れているだって? 君だって三年生ならまだ十歳にもなってないはずだよね! 君が生まれてくる前よりも技術が遅れているって、どーゆー意味? さっぱり訳が判らない挑発してくる、このアシカって子に対して凄く腹が立った。
別にゴールされたからって訳じゃないけど、この子大っ嫌いだ!




