第三話 監督の目で見てみよう
「ほう……」
下尾監督は感嘆の溜め息を吐いた。興味深そうに見つめる視線の先は恒例の新入部員歓迎の練習試合だ。
様々な目的や練習効果を見込む試合と異なり、この歓迎試合は新入部員にサッカーの楽しさを覚えさせる為の完全にお祭りのようなお遊びの試合である。
何しろ今日初めてボールを蹴る人間まで参加している試合なのだ。基本的な蹴り方とルールは教えたとはいえ「蹴るときはこの足の内側の土踏まずの所で蹴るとまっすぐ飛ぶぞ、そしてルールは手を使わない・敵を蹴ったり叩いたりしないこと、それだけだ。じゃ、頑張れー」という蹴り方はインサイドキックだけ、ルールはオフサイド抜きといった子供でも理解しやすい簡易版だ。サッカーよりむしろ玉蹴りと言うべきで、これで試合らしき形になる方が不思議とも言える。だが、
「ちゃんとしたサッカーになってるじゃないか」
これまでに監督した経験ではこの歓迎会サッカーでは、ピンボールのようにあっち蹴りこっち蹴りと玉が派手に飛び交いそれを子供達の集団が右往左往して追いかけるという物だった。
だが今年は少し様子が違っている。
その『違い』を生み出しているのはピッチの中央に立つまだ初々しさの残る少年だった。少し長めのくせ毛に鋭い目つきの――率直に表現するならぼさぼさ髪で目つきの悪い――新入部員がゲームメイクをしているのだ。
他の少年達のようにボールを追いかけるのではない。常に上半身を立てて周りへと視線を送りながら空いたスペースを埋め、ボールを持つと逆サイドのフリーの味方へパスを回すといったつなぎを意識した動きをしている。
それだけの試合慣れしたプレイをするのは今までに指導した子供たちにもいた。最近の日本ではサッカーも普及し、小学三年ならばすでにどこかでプレイ経験のある子供もいて当然なのだ。だが、やはり経験はあるとは言っても子供でしかない。これまでの経験者はボールに慣れていてキックが上手い・視野が広いという所までだった。
しかしながらこの新入部員はそれらの基礎的な技術を持ちながら、加えてピッチの外から眺めている監督並みに的確な戦術的動きが出来ている。ボールを追いかけるのではなく、ボールの方が自然と彼を経由したがっているようだ。この年代でここまできちんとゲームの流れを作れる者に彼は出会ったことがなかった。
「ふむ足利 速輝か……」
手元の資料からその少年のデータを探す。だが彼の予想に反して記されている情報が少なすぎた。
傍らで同じようにじっとピッチを観戦しているキャプテンに尋ねる。
「おい、あの足利って奴は今までサッカー経験が無いって嘘だろ。地元のユースとかであいつの噂聞いたことないか?」
「足利ですか?」
と下尾監督がいつも頼りにしているキャプテンは小首を傾げた。その後合点がいったようにどこか面白そうに含み笑いを見せる。
「ユース関係では全く聞いたことのない名前ですが、今日ちょっと話題にはなった名前ですね」
「ほう、なんかやらかしたのかあいつ」
視線は足利に釘付けのまま監督は尋ね返す。
「三年A組の足利ってやんちゃ坊主が「世界一のサッカー選手になる」と宣言したという話です」
「そりゃまた……」
と監督も苦笑を隠せない。子供の微笑ましい夢なのだろうが、世界と日本の現在のサッカーレベルの差を知る彼にとっては「まあ、頑張れよ」としか答えられない。
だが、そんな身の程を知らないはずの少年のプレイを観察しているとだんだんと笑みが薄く真顔になっていく。
「おい、あいつ本当にサッカーの経験がないのかよ」
呆然としたように彼の口は半開きのままだ。
「ええ、多分……」
キャプテンの言葉もどこか呆れた響きがある。
彼らの視線が焦点を結んでいるのは、パス一辺倒からいきなりドリブルを始めるとマルセイユルーレットもどきの技で鮮やかに敵チームの上級生を抜き去る足利の姿だった。新入部員のはずなのに的確にボールの配給をしている足利が目障りになったのか、上級生の一人が激しく前からプレスをかけてきたのだ。気合の入りすぎた上級生の形相に「いかん、熱くなりすぎだ」とホイッスルを吹いてでも落ち着かせそうとした監督だった。だが足利は相手の勢いに怯む風もなく、逆に相手を迎えるように踏み出すと足裏を使ってボールを操り、くるりと体を入れ替わるように抜け出したのだ。
今年の世界最優秀選手にも選ばれた「フランスの新将軍」と呼ばれる個性的な髪型の名MFの代名詞でもあるトリックだ。習得するにも相応の時間がかかるはずで、どう考えても未経験者の使うテクニックではない。だが足利のルーレットはぎこちなさこそ残っているが、ボールの動きに淀みはなかった。ディフェンスも驚いたのか一瞬足が止まって足利に対するチェックが遅れてしまった。それだけの隙があればあの小僧には十分だ、素早く右足を振り抜くとボールはキーパーが反応する間もなくゴールネットを揺らしていた。
――こいつは!
思いがけない素材を発見したと監督はつばを飲み込んで唇を舐めた。なぜ未経験者だと言い張っているのかは不明だが、年齢に比して高すぎるほどのテクニックを持っている。今の時点でこれほどだとどこまで伸びるのかちょっと想像がつかない。もしかしたら「世界最高の選手を目指す」ってのも本人はあながち冗談のつもりはなかったのかもしれん。
気がつけば自分に鳥肌が立ち、冷たい汗が背筋を伝っていた。
足利 速輝か。どんな事情があるのかは判らんが、お前を歓迎しようじゃないか。冗談でも世界一を目指すと言ったんだ、生半可な覚悟でその夢を叶えられると思ってないだろうが、サッカーの厳しさと楽しさをお前に叩き込んでやろう。
審判役の上級生がやや遅れて笛を吹いて得点を認めると、ガッツポーズをとっていた足利がこっちを向いた。おそらく監督の反応を確認しているのだろう。こっちも親指を立てて答えると足利のきつめの顔がほころんだ。笑顔になって彼が年相応の無邪気な表情になると監督もほっとする。なぜか彼のプレイを見ているとどうも大人っぽく感じてしょうがないのだ。勿論、外見からして小学三年の新入部員であるのは間違いないのだが。
ともあれ、有望な新人が加入したのは嬉しい誤算だとしても他の新入部員のチェックも必要だ。監督は残りの試合時間を他の選手の観察に費やすることにしたつもりだがどうしても足利に注目せざるを得なかった。これには前言を翻すのかと監督を責めるのは酷かもしれない。なぜならゲームをしていると自然に足利の所へとボールが集中してしまうのだ。
さっきのようなドリブル突破などの個人技は影を潜めているが、ゲームメイカーとしてパスを正確に左右に配る足利は味方からの信頼をもうとりつけたのかボールを奪取するとすぐに預けられる。さらに敵が攻めて来た時にはボールホルダーではなくむしろ空いたスペースをケアしているのだが、それがまた相手も連携が拙くまだパスが不正確の為に面白いようにカットしている。まるで彼がボールを追いかけるのではなく、ボールが彼に呼ばれ自ら寄って行くような印象さえ受ける。
あの小僧を無視しようって方がよほど不自然な観戦になるか。
そう自分に言い訳して、足利のプレイを分析する事にした。
改めてこのニューカマーを眺めていると、意外なことに身体能力においてはさほど突出していない事に気がついた。この年代の優れたプレイヤーにありがちな典型の一つとしては、周囲と比較して圧倒的なポテンシャルの肉体を持っている場合も多い。例えば千五百メートルを走るだけでも、同じようにしているはずなのにいつの間にか他の選手を周回遅れにしてしまう。そんな破格の素質を持った選手もいるのだ。「ナチュラル」とか「ギフテッド」とか呼ばれる類のアスリートだが足利はその範疇には入っていない。
足利という選手の特筆すべき点は技術とサッカーIQにあるようだな。
まあ、肉体面ではこれからの成長期に期待するとしてどこまで成長するか楽しみな奴だ。
監督はこみ上げる笑みを押し隠すと、試合終了のホイッスルを吹き鳴らした。