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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第一章 小学生フットボーラ―立志編
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第三十八話 「本物」と戦ってみよう

 ピッチに入ると同時に急いでカルロスへと走りよる。

 交代したボランチとポジションも役目も大体そのままなのだから、当然ながら俺に与えられた指示の最重要項目はカルロスをマークして自由に動かせない事なのだ。年代別とはいえ日本代表のエースとマッチアップできるなんて贅沢な話だよな。

 他にも後半から俺に期待していた攻撃参加なんかも「もしできたらやれ」と実にあの監督らしいアバウトかつ欲張りな命令だが、俺にとってはありがたい願ったり叶ったりな指示である。

 つまり、カルロスを押さえ込んで逆転までしろって事だよな。

 与えられた命令を思い切り恣意的に略すと、無意識の内に笑みが浮かぶ。監督が聞けば「そんな事は言ってないぞー」と文句を言いそうだが、日本どころか世界でも通用する才能と真剣に対決できるなんてサッカー選手にとってはこんなに燃えられる展開はそうないぞ。


 カルロスは近づいてくる俺を見ると一瞬小首を傾げ「小さいな」と小声で呟き鼻を鳴らした。別に聞かせるつもりはなかったのか小さな声だったが、あいにくと俺は耳がいいのだ。その言葉からしておそらくこいつは、さっきまでマークしていたボランチの先輩みたいに大柄な相手とばかり戦ってきたのだろう。

 そりゃ五年生なのにとても小学生とは思えない程背の高いカルロスなら、対抗してマークする相手も大きくないといけないと今までの敵の監督は判断したんだろう。そのでかい奴らとの戦いに打ち勝ってきたとすれば、カルロスの尊大な態度も判らなくはない。だが、大きいだけのパワータイプの奴と比べると、ずっと素早い俺に対しても同じように簡単に勝てるとは思わない方がいいぞ。


 それにしてもピッチに立って気がついたのだが、カルロスにはカリスマというのかちょっと異常なまでの存在感があるな。近くに寄っただけで二・三度気温が上がったようでうっすらと汗をかくのに、肌にはなぜか鳥肌が立っていく。そんな経験は一度もないのだが、野生の黒豹なんかの猛獣と接近遭遇したら、こんな空気が重くなった異常な感覚を覚えるのかもしれないと思わせる独特の雰囲気だ。


 俺が交代してから初めてカルロスにパスが送られてきた。パスカットが得意な俺だがカルロスへのパスは遮断しにくい。まずトップ下のポジションにいる彼に入るパスは基本的には後方から前へ送られる為に、カルロスの前に立ちゴール方向の進路を切っている俺からすれば、奴を挟んでちょうど逆方向からのボールとなるのだ。これではちょっとカルロスに渡る前にカットするのは難しいな。

 かなりのスピードで送られたパスにカルロスがトラップ失敗したのかと思った。それほどボールが受けた足から弾んで彼の体から離れたのだが、そのまますんなりと彼の足元に収まった。え? 今のはミスじゃなかったのか。あそこまで離れたボールをコントロールできるなんてどれだけ足が長いんだよ。

 別に自分の足が短いと思った事はなかったが、感覚的には足のリーチが俺の二倍はありそうだな。向こうが今しているみたいに、体を壁にして俺を抑え込んで伸ばした足でボールを踏まれたりしたら、ちょっとスライディングしたぐらいでは届かないかもしれない。


 そんな軽いファーストタッチだけで彼我の体格差に戦慄している俺を、まるで無視するかのようにカルロスは前を向いた。

 ボールの方へと一歩体を引いただけで俺の二歩分近い距離を稼げるから、それだけのシンプルな動作で振り向くだけのスペースを作れたのだ。マークしている相手にボールを持ったままここまであっけなく反転された経験はない。あまりに簡単に前を向かれた俺は必死で動揺を鎮めようとする。

 ――大丈夫だ。ディフェンスラインはしっかりしている。ファイブバックにしているおかげでDFの数はあまってゴール前でフリーになっている敵はいない。スルーパスを出そうにもゴール前にスペースはなく、FWにもマークがぴたりとついている現状では無理である。

 こいつにはバックパスという発想はなさそうだし、もししたとしてピンチにはなり得ない。だとすればここからの攻撃手段で警戒するべきはカルロスのドリブル突破の一択となる。


 鳥の目を使って彼がドリブルしようとするコースまで推測する。トップスピードのあるカルロスはできるだけ広いスペースを使いたいはずだ。ならば俺の左後ろにフォローするキャプテンがいるコースより、右に抜いて進もうとするに違いない。

 たぶん彼の突破力を生かそうとする相手チームの約束事としてカルロスの前方は出来るだけ空けるようにしているのだろう。その為だろうか相手もこの右後ろのスペースには踏み込んでこない。ならより確実にするため、俺が左を気にしている振りをして、右に隙を作れば……。


 そこまで思考して僅かに重心を左に乗せるとカルロスが動いた。彼の上体が左へ傾き足も左へと動く。

 いや、これはフェイントで右へ抜きに来るはずだ。――予想通り左へはボールをまたいだだけで、右へアウトサイドでボールを押し出すようなタッチでドリブルを始めた。


 ビンゴ! 読み通りの動きに笑みが浮かぶ。カルロス、お前はすでに罠にかかった猛獣なんだよ。

 一歩・二歩・三歩ここだ!

 そう俺が牙を剥いてボール奪取の為に差し出した右足は空を切った。予想してタイミングを計っていた俺の足より数十センチは先をボールはすでに通過していたのだ。

 え? なんで? 空振りした足から視線を上げると、すでにカルロスは俺の右脇を抜けかかっていた。おい、ちょっと待てよ。思わず伸ばした手でさえユニフォームに届かせる事さえできずにこちらも空振りした。

 その二つの空振りによりバランスを崩して尻餅をついた俺の頭は真っ白になっていた。

 カルロスを止めるどころか彼の体に触れる事さえできなかったのだ。

 読みが外れたのならまだいい。次は動きを当てられるよう観察の精度を高めるだけだ。

 フェイントに引っかかったのならまだましだ。次はそのフェイントに釣られないよう注意すればいいのだから。

 だが来るコースもタイミングまで判っていて、なおかつ触れもしないスピード差ってどういう事だよ。


 尻を芝につけたまま呆然と眺める俺の目に映ったのは、カルロスの凄まじい速度と技術を現すゴールシーンだった。フォローしようとするキャプテンをトップスピードの違いで振り切り、パスする素振りも見せずDFラインまで一人で突破する。

 その後キーパーとの一対一もキックフェイントで相手を先に動かすと、芝の上に横たわったキーパーをあざ笑うかのようにかわして悠然と無人のゴールへボールを軽く蹴り込むカルロスの姿に観客席から爆発するような歓声と拍手が響く。

 あいつは今度のゴールではほとんど誰にも接触していない。にも関わらず、俺とキーパーにDFの合わせて三人もの敵が勝手にバランスを崩して芝の上に倒れていた。

 

 審判の笛の音で我に返る。

 あ、そうかまた点を取られたんだ。これで三対ゼロか。時計に目をやってもまだ俺が入ってから四分しか過ぎていない、前半の十一分だ。やけに平静にそれらの事実を理解した瞬間、今まで呆けていた頭にカルロスにあっさりと抜かれたショックが甦り、体中の毛穴から冷や汗が吹き出す。


 鳥の目を使ってコースを読んで罠を張り、経験からくる誘導によって俺の利き足である右でボールを取りにいける位置へとドリブルさせたのだ。

 それらの罠がまるで無かったかのように簡単に突破されてしまった。


 体の中の深い所から軋む音が聞こえる。今までに一度だけ――いや前世で医者から二度とサッカーが出来ないと告げられた時にだけ聞こえた音だ。誰でも一度で充分だと感じるだろう、不快で心が軋みつつ折れていく不協和音が再び俺の中で鳴っている。


 カルロスという「本物」の持っている暴力的なまでのスピードによって奪われたのはゴールだけではない。技術や経験に特殊能力など俺が拠り所にしていた物と今までに積み上げてきた全て、それらはプライドごと完全に叩き潰されてしまったのだ。



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