第三十三話 下手な推理はやめておこう
ここまでの試合経過は一対一の同点だが、あまり点数に意味はない。お互い初出場同士でばたついていた所で仲良く一点取り合っただけである。両チーム共に頭の冷えたここからが本当の試合といっていいだろう。
さて、冷静になって相手を分析すると、さっき俺が罵倒した「俺達の方が戦力は上」という下尾監督の言もあながち間違いではない。FWとDFには怖い選手がいるが中盤は割と緩いのだ。鉄壁のディフェンスに自信を持っているのか、どうもMFのプレスが微妙に遅れているのだ。これならば簡単にピッチの中央でパス交換ができるはずなのだが、何か違和感があるな。あれ? 今、俺の鳥の目におかしなポジションの小さなボランチが映ったぞ。誰かをマークするでもなく、スペースを埋めるでもない。だが、この微妙な位置にいられると……。
「キャプテン、駄目です!」
俺の言葉は一瞬遅れた。すでにキャプテンの右足はパスを山下先輩へ出した後だったのだ。そのパスコースにすっと割り込む小さな影が一つ。鳥の目でポジションがおかしいと目星をつけていたボランチで背番号が十五番の奴だ。こいつ、間違いなく今のは狙ってパスを誘導してカットしやがったな。守備において俺の得意なプレイの罠をしかけるやり口である。そういえばさっきのドリブル突破の時も妙にFWへのパスコースが空いていたようだったがあれも誘いだったのかもしれん。
そうかい、そうかい、なるほどな。俺ぐらいのディフェンス能力を持った奴がごろごろいるのが全国大会か。監督も中盤の守りの要であるだろうこの十五番の事なんて一言も注意しなかった事から考えると、もしかしてこれぐらいできて当たり前なのが全国レベルって奴か。
でもこいつはなんか小柄だし年齢も俺とそう変わらないだろう、だとしたら……。
俺の胸の中から熱い物が溢れだし、唇の端を勝手につり上げる。こんな気持ちをなんて言うんだっけな。嬉しいんじゃない、楽しいとも少し違う。ああ、そうか俺はワクワクしてるのか。
◇ ◇ ◇
僕は目の前でいきなりにやりと笑う三十九番に後ずさりした。この子は身長は僕と変わらないぐらい小さいのに妙な迫力があるんだ。目つきもちょっと怖いし、笑うと尖った八重歯が覗いてまるでうちのシロが牙を剥いているみたいだ。
でもビビっちゃ駄目だぞ。監督さんにも「サッカーは気合いだ」と言われてるし、僕だってちゃんと気合い入ってるもん。
だからこの子を無視してゲームに集中しても逃げた事にはならないよね?
「おい」
「ひゃい!」
せっかく無視しようと僕なりに頑張っているのに怖い子が話しかけてきた。えっと、でも試合中には乱暴されたりしないはず。存在感が無いとよく言われているけど、僕だってサッカーの最中には気合いで負けたりなんかしない。きっと表情を引き締めて睨み付ける。
「な、なに?」
「……君何年生?」
「さ、三年だけど……」
僕が答えると「俺と同じか」と呟いた。なんなのこの試合中に自己紹介しなきゃいけない空気みたいなのは? そんな風に思っているとよく判らない名前を幾つか尋ねられた。外国人の名前みたいだけど、みんな僕の知らない人ばっかりだ。歴史上の偉人か何かなのかは知らないけれど「俺はこんなに頭がいいんだぞー」って自慢されているみたいで気分は良くない。しかもその後に「お前は前世って信じるか?」という質問だ。間違いない、この人電波さんだ。
でも勝手にここから逃げると後が怖いので、視線を逸らして「あ、キャプテンが呼んでる」とわざと三十九番に聞こえるように口走ると、すぐにこの場を立ち去った。
――この時の僕は三十九番をただの変な子だとしか思っていなかった。それが間違いだった――いや変な子だってのは間違ってないけど、ただのではなくとんでもなくサッカーが上手い変な子だったと気が付いたのはもっと後の話になる。
◇ ◇ ◇
ふーむ、逃げられたか。あの罠を張るプレイスタイルに同じ小学三年生という年齢。もしかして俺みたいに十年ちょっと逆行してきたんじゃないかと思ったんだが、どうやら考えすぎのようだ。「前世を信じるか?」といった質問や、確かめる為にこれからビッグネームになるはずの数年後のバロンドール受賞者の名前を言ってもまるで反応がない。前世ではサッカーに興味があれば誰でも知っていたような有名選手なのだ、それでもぽかんとしているのであれば未来の歴史を知らないと判断していいだろう。となるとあの十五番はただの早熟かつ接触プレイを嫌うタイプと考えた方がいい。DFであればタックルなどよりオフサイドを狙う方に分類されるだろう。あれだけの素材でも無名とは日本のサッカー界の底辺も広がっている。
さて同類がいないと判ると少し安堵の感情が湧く。本来であれば仲間を見つけたと喜ぶべきかもしれないが、俺の持つアドバンテージを奪われそうで僅かに恐怖心も抱いていたのだ。やり直してサッカーが出来るだけで充分だと考えていたはずなのに、随分と欲張りになったものだな。まあそのぐらいではないと世界一の選手になろうだなんて野望は持たないか。
夏の熱気がこもった空気を深く吸い込むと肺が空っぽになるまで一気に吐き出す。それだけで今までの雑念を全てシャットアウトして今やっている試合に集中し直す。今日のこのゲームは集中を乱す要素が多いせいかなかなか百パーセントの力を出せなかったが、ようやくいつもの自分が戻って来た。……先制点取られた後もそう言っていたような気がするが、これからは試合が終了するまで一切気を緩めずにいこうか。
改めて敵陣形を鳥の目を使って観察すると、どうもあの十五番もわざと罠を張っているのではなく、中盤の綻びを取り繕うのが上手いのだと理解できた。ならばあまり罠を注意しすぎると勢いを削ぐ事になるな。あいつは存在感が薄い上に、ボールを持った人間の死角に入るポジションをとっているのだが鳥の目を持つ俺には通用しない。ならば俺が前へ出て積極的にゲームを作るべきだろう。
……なんだか最近理由をつけては前線へ出るようになっているな。試合が終わったらキャプテンや監督とも俺のプレイスタイルについて相談しよう。
そんな事を考えながら少しずつポジションを上げていく。どうも俺は一つ一つのプレイにだけ集中するよりも全体的な戦術を思考しつつ行動する方が性に合っているようだ。試合開始直後のふわふわした取り留めのない考えではなく、鳥の目によって現在の戦況を把握しつつどう優位に持っていくかを追求するマルチタスクだ。
いわゆるサッカーIQが高い選手という事だが、今ここでそのIQが導き出す答えはやはり前へ出て自分と山下先輩とゴールの距離を近くすることだ。
戦力はこっちが上かもしれないがほぼ互角の状態ならば主導権を持っておきたい。
俺が前へ出れば中盤のプレスや罠をかわしてシュートで攻撃を終われる自信はある。例え入らなくても相手に「中盤の罠は通じない」とメッセージを送り、新たなプレッシャーをかけることが出来るだろう。
しばらく試合の流れから切り離されていた俺を無視するように、ゲームはサイドでの攻防になっていた。うちのチームは三・五・二のフォーメーションを採用しているためにサイドは一枚で薄い。ここは俺がフォローに行くべきだ。
サイドMFはディフェンスに手間取ってドリブル突破もアーリークロスも上げられないで、どうすべきか迷っていたのか俺の接近にほっとした顔をする。だが俺はすぐボールを渡しそうな先輩を手で制し「まだパスを出すな」と止める。
なぜならそのパスコースが十五番に狙われているからだ。バックパス気味に出そうとしたタイミングですっと俺の前に入ろうとしやがった。なるほど、これだけパスカットが上手ければ三年でレギュラーに抜擢されるのも判るな。でもそれだけで俺達矢張SCの攻撃をストップできると考えていたなら甘すぎるぞ。
十五番を追い越すように前へ走ると慌てたようについてくる。その時ようやくサイドMFがパスを出した。俺ではなく、その後ろのポジションをとっていたキャプテンへと。中盤に網をかけていた蜘蛛の巣の主である十五番は俺につられてサイドへ流れている。空白になったスペースをキャプテンのインサイドキックが一直線に切り裂き、前線のFWへとつながった。
あいにく密着マークがゴール方向を塞いではいるが、ちょうどいいポストプレイとなりペナルティエリアのすぐ外でボールを保持できた。もう一人のFWや山下先輩などの二列目もギアを上げてゴール前へ集結する。
そんな中、俺はあえてゴール前の混雑から少し離れた位置に陣取る。体格に劣る俺があそこに突っ込んでも動きが制限されるだけで利益はない。
そう考えて外で張っていた俺の所にボールがこぼれてくる。よし、こんな時の為に鳥の目で一番ボールが来そうなスペースで待っていたのだ。
――となると当然次の展開はこうだよな。俺はボールをトラップするよりも、こぼれ玉を奪おうと割り込んできた十五番を肩と腕で押さえつけるのを優先する。
俺と似た感覚を持つお前との競り合いになると予想していたんだ。大柄な上級生ならともかく、同程度の背丈しかないしかも同年代ならば俺はぶつかり合っても負けはせんぞ。歯を剥いた俺の形相に「ひっ」小さく声を漏らして十五番が引いた。相手が引くならこっちは強引に押しとおるのみ、邪魔なんだよ、どきやがれ!
十五番のマークを引っぺがすのに成功すると、そこはぽっかりと空いたエアーポケットのような場所だった。ゴールまではやや距離があるが、その分キーパーからはゴール前の密集がブラインドになって俺のモーションは見えていないはず。
そこまで瞬時に判断すると、よく狙いをつけてパワーではなく、コース重視でシュートを放つ。
……あ、やべ。目をつぶらないし俯いてボールも見ないで「よくゴールを狙って」シュートを撃ってしまった。まだプレッシャーが解けずに緊張しているのだろうか俺は。
反応が遅れたキーパーがシュートを防ごうとジャンプしたのを見ながら「入れ!」と念じる。だが誰よりも自分の決定力を信じていない俺の足は、すでにこぼれ玉に詰める為にダッシュを開始しているのだった。




