第二話 決意を表明してみよう
「お、思ったよりも距離があったな……」
小学校の校門前にたどり着いた俺は膝に手を突いてぜーはーと荒い呼吸を整えようとした。
まだこの肉体のスペックを手の内にしてないのにはしゃぎ過ぎてしまった。つい最近まで思うように動かなかった足が、今ではどこまでも駆けて行けそうなほど軽かったのだ。見覚えのある黒猫をなんとなく敬礼で見送った後、つい全力疾走してしまった俺は悪くないはずだ。そして、学校までの距離をうっかり大人の感覚で計算し、子供の足と体力を考えていなかったのも当然悪くない。
よし理論武装終わり。結論としては全ては政府の政策が悪いって事にしておこう。
さて、心の中で内閣不信任案を可決し落ち着いたのだが学校に到着して一つ困った事態に直面してしまった。
俺は確かに自分の通っていた学校の場所ぐらいは思い出せていた。しかしクラスの場所までは記憶していなかったのだ。いや冗談みたいだがいきなり小学三年生の時のクラスに案内せよって言われたらみんなだって少しは迷うだろ?
別に若年性健忘症に罹ったわけではなく小学校の六年間の記憶がごっちゃになり、三年生時の教室の位置が曖昧なのだ。多分俺の過ごしたA組は二階だったと覚えて……いや三階だったっけ? まずい待てよ、そもそも今回も俺はA組なのか? 確認をとってなかったぞと密かな危機に戦慄していると、救いの神がやってきた。
「お、足利 速輝じゃねぇか! 今回も一緒のクラスだったな。また一年間楽しもうぜ!」
と俺の背中を叩いた大柄な少年がいたのだ。「お、おお!」と手を上げて答えながら瞬きを繰り返す。こいつの名前は何だったっけ? 顔は見覚えがあるんだよなぁ。えーと、確かこいつは……か、香川だったかな。
「おーい、足利に徳島。そこで固まってないで早く教室行こう」
そこにまたしても出現したクラスメートらしき少年の手招きに、俺は健忘症かと疑われかねない窮地を救われた。しかし、香川ではなく徳島だったか……、なぜか四国つながりで勘違いしていたようだ。だが、今度は俺達を手招きして呼んだ少年の名前で悩む羽目になった。
しかし、この状況はどうにもやりにくいな。記憶が明らかに混乱しぼやけている。普通に生活する為にはちょっとクラスや学校周辺といった生活に必要な知識のすり合わせが必要だな。
正直言って俺は小学校に通うのは問題ないとなめていた。いくら真面目ではなかったとは言え大学生だった俺の頭脳は明らかに小学生レベルを超えている。だからといって天才とでも間違われて学業に時間を取られるのも面倒だ、できる限りサッカー以外では目立つまいと皮算用していたのだが、逆に悪い意味で注目を浴びそうだ。
とりあえずこの場は、人懐っこいクラスメート達に感謝して自分の教室まで後をつけるとしますか。
そして、彼らの無意識の案内によってようやく二階の左端にある自分の教室である三年A組へ到着した。ああ、うん。たどりつくとなんか「三年の時はここだったなぁ」としっくりくる。
幸い出席番号順に並べられた席順が板書してあったので、自分の席がどこだか戸惑うようなまねはせずにすんだ。俺の足利という名字は名簿ではほとんど一番だし、歴史をかじった事のある日本人なら皆一発で覚えてくれるいい名前だと思う。これで俺の名前で「アシカが流行ってる~」とからかう馬鹿がいなければ最高なのだが。
まあ考え様によっては新学期の初日から第二の人生のスタートを切れるのは幸運だったかもしれない。
もしこれが学期中だったりしたら、自分の教室や席で迷うなんてかなり不審がられるだろう。皆もまだ新しいクラスと雰囲気に馴染みきっていない探り合いの気配がある今こそが、疑われずに自分のポジションを確かめるチャンスだ。
顔なじみが同じクラスになったのを喜んでいるのか、特に女子が集団になって声高に騒いでいる。そんなざわついた教室の中をゆっくりと見回すと、おぼろげに小学三年当時の記憶が蘇ってくる。あの頃の俺も文字通りガキだったんだよな……いや今も肉体はガキなんだが。
周りの風景がセピアがかったような懐かしさと、自分が全く成長していないようなもどかしさという微妙にブレンドされた感慨にひたってぼんやりいると、ようやく担任の先生が現れた。
姿を見せた前回と同じ担任の先生の小太りで薄い頭にほっとする。
俺は小学校の先生達にはいい思い出しかないほどお世話になったので、もし違う先生が担任だったらと不安を持っていたのだ。
「ほらほらいい加減席に座って口を閉じて、鼻も閉じろ」
「せんせー、それじゃ息が出来なくて死んじゃうよー」
「おっとそいつは気づかなかったなぁ」
はははと笑うと一気にクラスの空気が柔らかくなる。うん、やっぱこの先生は子供扱いが巧いわ。
「さてと、冗談はここまでにしておこうか。始業式が始まる前に急いでまずは自己紹介から始めよう。知り合いが多いからって手を抜かずに、自分の名前と好きな物ぐらいは言うようにな。じゃ、出席番号の一番。まあ座席が廊下側になっている方からいってみよう」
先生の言葉に廊下側最前列の俺が立ち上がって自己紹介を始めた。
こいつはいい機会だと気合を入れ直して、勢いよく起立すると深く息を吸い込む。
「俺の名前は足利 速輝だ。嫌いな物は俺の名前をからかう奴で好きな物はサッカー。趣味ももちろんサッカー。そして……」
周りを見回して胸を張る。ここは決意表明しておくべきだろう。
「将来の夢は世界一のサッカー選手になることだ」
このぐらい宣言しなきゃ男じゃないよな。だから、クラスメートからの「ちょっとアレだなぁ」というかわいそうな目で見られるのも覚悟の上だった。これだけ言っておけば俺がサッカーに打ち込むのも納得してくれるだろうし、努力怠ったら「口だけか」と馬鹿にされるだろう。退路を断つという意味とやり直しの人生において他人を気にせずやりとげるという俺なりの宣言だった。
「……うん、まあ夢があってよろしい。皆も足利君が夢を叶えられるよう応援しようか。じゃ次の人」
木枯らしが吹きかけた雰囲気をフォローするように、次の自己紹介を促す担任。うん、あんたやっぱり頼りになるぜ。
すでに立って喋っているのは後ろの席の奴に変わっているのに、まだ俺は生暖かい視線を集めていた。
大丈夫、このぐらいの覚悟はしていた。と言うよりそんな事を気にしていられる程器用ではないのだ。
前回の短すぎたサッカー人生のおかげで自分の才能は大体把握できてしまっている。世界のトップレベルと比較すると何もかもが不足しているのだ。スピード・パワー・スタミナ・テクニックとどれも今から計画的に伸ばしていかなければ間に合わないだろう。唯一アドバンテージを持っていると思えるのは前回から持ち越した精神面、つまり経験や諦めの悪さなどといったアピールするには判りにくい物ばかりである。自分が世界に通用するプレイヤーと認めさせるまでの道は長く、壁は高い。
他人を、ましてや小学生の子供を気にしていられる状況ではないのだ。
「早く終われ」
口の中でそう呟く。学校が終わったらサッカークラブへ行ける。もう一度サッカーが出来る。
学校は極力手を抜いて、サッカーに集中できる環境にしなければならない。その為にはここで「こいつはサッカー馬鹿だ」という印象の楔を打ち込んでおくのは悪くない選択だ。「だから早く終われ」もう一度心の中でそう唱えた。
グラウンドには三年生の新入部員がたむろしていた。ちらちらとお互いを伺い合うようなぎこちない雰囲気だ。だが集まっている皆はサッカー好きだとお互いが理解してるせいか、新しいクラスよりはまだ連帯感がある。その分、「こいつらどのぐらいサッカー巧いんだろうか?」という探るような空気も混ざっているのだが。
俺もその中にいるが、皆とおそろいの真新しいユニフォームとシューズに身を包むと、つい口元が緩んでしまう。シューズはともかくユニフォームの方は成長を見越してか、かなり大きめなのだが動きに影響は無い。
新しい服にわくわくするなんて何年振りだろうか。俺の場合は事情が複雑だから一概には言えないが、以前にこんなにやけ面になったのもユニフォームにレギュラー番号がついた時以来だったはずだ。本当にサッカー以外には彩に乏しかったんだな前回の俺って……。
まあそんな些細な事を思い出したぐらいで、今の最高潮にまで上がった俺の機嫌が落ちる訳もない。
もうすぐまたサッカーがプレイできるんだ……。
ざわつきが大きくなったと感じた時、俺が加入したサッカークラブの監督が姿を現した。どちらかというと細身でインドア派な見た目で優しげな雰囲気を漂わせている。だがその外見と異なり中身はかなりの熱血漢だというのも後に発覚していたな。
だけどもよかった、ここでも前回と同じ下尾監督で。しかも、この下尾監督は俺にサッカーの魅力を教えてくれた恩師とでも言うべき人物なのだ。もし会えなかったらショックは大きかっただろうからとりあえずここまでは一安心だな。
「みんなよく来てくれたな。うちの矢張サッカークラブへの入部歓迎するぞ。
今日は軽いウォーミングアップをした後は、軽い練習試合をしようか。上級生達と一緒にプレイしてサッカーを楽しもう。明るく・楽しく・怪我無くプレイしてサッカーを好きになるのが今日の目標だ。みんなこれから頑張ろうな!」
「はい!」
監督の歓迎の言葉に俺達新入部員全員の声が綺麗に揃った。