第二十七話 後は任せて見守ろう
座っている所にチームのメンバーとはいえ多人数がわっと集まってくると結構怖い。特に先頭にいるのが今得点したうちのエース様なのだ。あいつは絶対に心配しているから来たというよりも「後ろの連中の手荒い祝福から逃げたいから」こっちに押しつけたに決まっている。
得点やアシストを決めた時も祝福に集まったりするが、あの時はこっちもちゃんと立っているし山下先輩のように走って逃げる選択だって選べる。だが今の状態は座ったままで右足がつってしまっているので立つのも逃げるのも不可能、座して待つ以外に出来る事などない。かくして自分よりずっと大きい少年達にさらに上から覗き込まれる羽目になったのだ。未だ成長の遅い身長のコンプレックスが強まるから勘弁してくれよ。
「だ、大丈夫です。ちょっと足がつっただけですから。それより早く自陣に戻らないと警告くらいますよ」
そう言いながら痛めた右足を腕を使って伸ばす。ああ、やっぱりふくらはぎの筋肉がはっきりとへこんで固まっている。いてて、前世でもう馴染みの締め上げられて筋肉をブラシでこすられているような感覚だがやっぱり痛い。お尻をずらして楽な体勢にしようとすると今度は逆の左足の筋が悲鳴を上げた。うわ、両足かよ。
まだちゃんと話しができる程度の痛みだから自己診断では大した事がないと判断しているが、さすがにこれでは続行は無理だ。というよりもう交代の選手が副審の隣で足踏みしてるじゃないか。
俺はベンチのメンバーに両脇を抱えられて戻ってくると、交代に入る先輩に声をかけた。
「後お願いします」
「よし、任せろって」
入れ替わりに走って出ていく先輩は元気一杯だ。まあ今日は準決勝も前半だけで俺と代わったからエネルギーは有り余っているみたいだな。
ベンチの隣に横たわると監督が手早く足の状態を確認して、ほっとしたような笑顔で鎮痛スプレーを浴びせる。
「よし、ただ筋肉がつっただけみたいで肉離れとかではなさそうだ。アシカ、こんなになるまでお疲れ様だったな」
「いえ、このぐらいでダウンするとは我ながら情けないです」
「ま、そう言うな。お前を途中で交代させるのは予定通りだったし、かえって俺が引っ張りすぎたかもしれん。お前の攻撃力に頼りすぎたな。お前はちゃんと役目を果たしてアシストしたんだ、胸を張っていいぞー」
そりゃどうもと頷きながらも顔は引きつった。両足ともなんとか筋肉の硬直は解けたがまだ痺れるような鈍い痛みは残っているために、笑顔を作ろうとしてもどうしても苦笑になってしまう。
「たっぷりスポーツドリンクを飲んで水分を補給しろよ。確かビタミンとミネラルが足りないとつりやすいそうだけど、スポーツドリンクで十分に補えるはずだ。でもアシカは食事にも気を使っているみたいだし、今回は限界を超えるまで走り過ぎただけで特に治療はいらなさそうだな」
「はい、もう痛みもなくなってきましたし。明日になればもう大丈夫だと思います」
「明日になっても違和感があれば念の為に病院へ行こうか。たぶん問題なさそうだけどな」
「そうですね。大丈夫だと思いますが、その時はお願いします」
これまで何度もやったことのある感触だから大した事はないと判ってはいるが、監督が俺達の体のケアに気を使ってくれているのが少し心強かった。
◇ ◇ ◇
せっかく祝福の張り手から逃げる為にアシカを囮として使ったのだが、あいつはすぐにピッチから出ていってしまった。
まあ両足がつってしまっては交代するのも仕方ないか。それにしても二試合トータルでもあいつは一試合フル出場に毛が生えたぐらいしか出ていないはずだけどな。鍛え方が足りないのかもしれないな、よしこれから俺の分の雑用もアシカにやらせよう。俺の面倒が減ってアシカは雑用で動いてスタミナがつくって訳だ。
皆が心配そうな顔つきでベンチを眺めているが、誰かと派手に接触したわけでもないし倒れた後もちゃんと話ができていたし大した事はないはずなんだがな。俺にも時々つる事はあるが足が速い奴は特にその回数が多いような気がする。まあ一回もつった事がなくて鈍足な奴よりは、貧弱なアシカの方がまだ役には立つから怪我の影響がなければいいんだけども。ふむ、朝練の相手でもあるし、一応は気にかけておいてやるべきだろう。
さて、それよりもまだ試合中なのだ。ここでチームメイトに気落ちされて、せっかくの俺様の文字通りの決勝ゴールを無駄にするわけにもいかない。エースとしては少し格好をつけておくか。ごほんと一つ咳払いをして喉の調子を整える。
「あー、それにしても俺の雑用係り――違った、可愛い――いや可愛くもないな、えっとにかく後輩のアシカが倒れるまで走ってアシストしたんだ。これで先輩の俺達がそろっていて追いつかれたりしたらあの生意気なアシカに何言われるか判らんぞ。後十分ちょいだ、全力で守りきろう!」
「おう!」
「あ、キャプテン何か一言」
「う、うん。山下がここまでちゃんと味方を鼓舞するとは思わなかったよ。今の言葉に付け加えるのは何もないよ。みんなで一つになって最後まで集中しよう。それと、山下」
「何です?」
「次プレイが切れたらお前も交代な」
「な、何でです!」
「だってお前守備をほとんどしないし……」
キャプテンのちょっと申し訳なさそうな言葉にベンチを眺めると「十番アウト、十四番イン」の札を用意してあった。本当かよ、俺の扱いがアシカとあんまり変わらないじゃないか。
がっくりと肩を落すとキャプテンが「心配するな」とその下がった肩を叩く。
「お前とアシカで取ってくれた一点だ。取り返されたら本気で六年生の面子が立たないからな、まだキャプテン面する為にも絶対に守り切ってみせる」
「……キャプテンやうちの守備陣に心配はしてませんよ。準決勝や俺、ついでにまあアシカといった全国レベルの相手じゃなければ簡単には点は取られないでしょうしね」
「へえ、お前もアシカの事は高く買ってるんだな。ついでに自分もさりげなく全国レベルって断言してるのが山下らしいが……、まあ間違っちゃいない、俺達は全国へ行くんだ。県内予選で終わるチームじゃないんだからな」
力強い言葉に頷く、テクニックでもフィジカルでもキャプテンをとっくに追い越したつもりだけど、ここら辺の頼りがいがまだかなわない。うちのチームにこの人がいてくれて本当に良かったと思う、俺やアシカといった他人の目をあんまり気にしないタイプにはできない気の使い方だ。
じゃあ後は任せてエースは休ませてもらうとするか。
◇ ◇ ◇
「おーし、予定通り先制してあとは逃げ切るだけだ。俺って凄い読みをしてるなー」
腕組みのまま大きく頷いて、こうなるのは判り切っていたとアピールする。実際には偉そうに組んだ掌の中はじっとりと脂汗が滲んでいるのだが、ベンチに座っている限り意地でもそういう態度は見せられない。どっかりと余裕を見せて座り、安心感を選手に与えるのも仕事の内だ。
正直いうと予定外の出来事ばかりだった。相手があそこまでガチガチに守ってくるとは考えてもいなかったし、アシカが足をつるほどに全力で走るとも思っていなかった。あいつは自分の体の調子には細心の注意を払っているからあそこまで行く前に、自分から交代を申し出ると予想していたんだけどな。ま、それでも交代直前に一点アシストしてくれたんだから、さすがは切り札その一だな。
おっと切り札その二のご帰還だ。
若干頬を膨らませて「不機嫌です」とアピールしているようだが、この俺がそんなのを斟酌するとでも思っているのかね。
「おー山下ご苦労だったなぁ。おかげで一点リードできたまま終盤だ。俺の計画通りよくやったなー」
「いや、計画って何です? 俺には試合前はいつも通り攻めろとしか言ってなかったじゃないですか」
「あれ? お前には言ってなかったっけ? 確かアシカにはちゃんと言ってたはずなんだが。ダメだなぁ山下は、人の話を聞かないと」
「いや、俺が知らないとこで話してるのを聞いてないって叱るのはおかしいだろ」
やれやれと俺が首をふると顔を真っ赤にして抗議してくる。しめしめ交代させられた不満はもう忘れてしまっているようだ。こうして違う不平でも素直に口に出させた方が選手の精神衛生上いいはずだしな。
実際口を尖らせてぶつぶつ呟いている山下の顔は上気しているがすでに不満の影はない。「それでどうしたんだ」と水を向けると。ちらりと横目で離れた所で横になってマッサージを受けているアシカの様子を確認すると、そっぽを向いてこほんと咳払いをする。
「えーと、アシカの具合はどうですかね。いや別に心配とかはしてないんですけど、明日の朝練の都合もあるしどうなのかなーって」
「……アシカはもうサッカーができないそうだ」
「ええ!?」
「今日の所はなー。まあ明日になれば復活しているだろう」
「……監督、俺をからかって面白いですか」
「うむ、わりと」
ピッチを見ながらでもこんな会話をできるぐらい戦況は落ち着いていた。やはりどちらかというとファンタジスタ系の二人が消えて、堅実な汗かき役が代わりに入ると守備だけは安定するな。
敵の監督であるあいつも敵のチームを何とかしようと忙しくメンバーチェンジをしたり、ピッチぎりぎりまで近寄って大声を上げて指示しては副審に注意されている。だが、守備に傾きすぎたチーム編成のツケか立て直すのは難しいだろう。だから超守備的なんて柄でもないサッカーはやめていつもどおりに向かって来れば良かったのに。
いや、良くはないか。その場合はもっと苦戦していたかもしれない。
あいつの計算ではアシカや山下がスタミナを使い果す延長戦からが勝負だと読んでいたのかもしれない。そりゃあれだけガチガチに守っていれば大体のチームは完封できる――例外は県代表になれるクラスの攻撃力を持つチームだけだろう。そしてあいつは俺達を抑え切れると考えていたんだろうが、アシカと山下のうちの攻撃陣の二枚看板の成長が予想以上で全国レベルまで進歩していたってのにまでは気が付かなかったんだろう。あいつも得点力がかなり欠けたチームで決勝まで上がってくるのに大変そうだったからな。
それだけに急造でFWを増やしても攻撃はあまり怖いものではない。今のうちのディフェンスが後五分間守りきるだけなら問題なさそうだ――事実、最後まで問題なかった。




