第二十四話 天に向かって叫びだそう
後半も残り僅かになり、ずっと猛攻をしかけていた敵チームの足取りもようやく鈍ってきたようだ。
ここら辺の時間帯がカウンターの機会かもしれないな。そう決意してキャプテンがサイドにボールを振るのと同時に俺も前線へと駆け出す。
このタイミングでゴール前にクロスが上がればビッグチャンスになるかもしれない。残念ながらマークしている八番をスピードでちぎるのは無理だったが、引き連れるような格好のまま敵のペナルティエリアにまで侵入した。
さてどこにセンタリングがくるかとサイドを確認すると、ボールは味方のMFへ届かずに流れて白線を越える所だった。ああそうか、サイドはずっとアップダウンを繰り返していたから、俊足を誇る先輩MFでももう深いところへのスルーパスに追いつける瞬発力は残っていなかったみたいだ。おそらく前半ならばあの位置へのボールでも十分に間に合っていたのだろうが。気が付いて周りを見回し、味方の表情を確かめても疲労の影がちらついている。そういえば、前半終了時からスタメンは精神的消耗も引きずっていたようだしなぁ。
頼みの長身FWコンビも腰に手を当ててうつむいている。あの二人はFWなのに前半から守備に追われていたんだよな、その上で前線で屈強なDFと体を張っているんだから責めるのも筋違いか。
今のタイミングでもゴール前に詰めていたのは俺以外では山下先輩だけだ、あの人は監督にバレない程度に手を抜くのがうまいんだよな。その先輩でさえちょっと前のカウンターではドリブルの精度が落ちていたっけ、それが疲れからかそれとも敵からのプレッシャーかは判らないが。
どうやら後半からの出場でスタミナにまだ余裕のある俺が――おまけでキャプテンと山下先輩か――なんとかしなくては得点は不可能のようだ。
この試合だけでなく午後から決勝まであることを考えると――いやこの試合に勝つことだけに焦点を当てても、後半の残り五分以内で勝ち越しゴールを決めるしかないと腹を括った。
この先輩達の疲労した状況下で延長戦をやられたらまちがいなく惨敗する。相手もかなり疲れているはずだが、攻めているほうが消耗は少ない。特にパスやシュートでこっちを揺さぶりまくっていたから相手よりもうちのチームの方が遙かに走らされているのだ。強敵と戦うとみるみるスタミナが減っていくものだが、俺達と異なり去年すでに全国大会を経験している相手はそんな試合経験を積んでいるようだった。これが大舞台を知っている者と知らない者の差か……。
向こうのゴールキックに備えて中盤に下がり、忙しく頭を巡らせる。スルーパス一発で得点できるか――ノーだ、FWの動きにキレがない上に俺のヒールなんかのタイミングまで予測するようになっていやがる、現状では難しいと言わざる得ない。ではサイドから行くか――ノーだ、さっきのキャプテンのパスに追いつかなかった事から考えても、ウイングとしてドリブルでサイドを抉るスタミナは残っていないだろう。
チームとしては中央からもサイドからもこの凍ってしまった状況を打破する手がなくなってしまっている。
……だったら俺が個人でやるしかない。
こんな「凍った状況」の氷を壊して試合を動かせる人間を「クラック」と呼ぶんだよな。ファンタジスタと並んで呼ばれてみたい称号の一つだ。
自分の腕に鳥肌が立っているのに気がついた。炎天下なのに――ああ、それ以上に体が燃えていれば外気が冷たくも感じるか。ふふふ、また自分の唇がほころんでいるのに気が付いた。まあ構うまい、これからは存分に俺の牙を見せつけてやるのだから。
相手チームもここらで試合を決めたいのか、じりじりと最終ラインを上げて最後の攻撃の準備をしている。おそらくあと一点取ってさっさと守りに入りたいのだろう。FWがここまで消耗しているのだ、敵が得点した後で完全に守備に専念されてはひっくり返しようがない。矢張SCは交代要員もすでに使いきっている。切れる札はもうすでに全て切った後なのだ。
だから何度も言うように俺がなんとかするしかないのだが……。攻撃に移ろうにもまずボールを奪うのが容易ではない。先刻のカウンターで警戒心が増したのか、より安全なパスルートでじっくりとボールを運んでいる。俺がわざと隙を見せてスペースを空けても、そこを避けるようにして互いの足元へとつないでいく。
しかたない、うまくいくか判らんが出し惜しみしてもしょうがない。幾つかはったりも混ぜて先輩方と罠を仕掛けてみるか。
俺をマークしていた八番がすっと離れて、DFから廻ってきたボールを受けとろうとする。さすがにロングボールを放り込むような雑なプレイをせずに、慎重にパスをつないでいく過程では俺のマーカーだからと一人飛ばして前へ進めるのは難しいようだ。
だからそこにつけこむ。
八番がボールをトラップする寸前に俺は「先輩!」と大声を上げてボールへダッシュしたのだ。散々俺のかけ声に苛ついていたこいつはビクッと肩が跳ねる。明確なミスこそなかったが、少しだけトラップが長い。動揺を押し殺しているのに間違いはなさそうだ。
背後からプレッシャーをかける俺にちらりと目を向けると、前へ進めるのは諦めたのか一旦パスで後ろへ戻そうとした。そこにキャプテンが割って入る。俺が声を上げて注意を引き付けてキャプテンが仕留める簡単なコンビプレイ――だと思ったな?
◇ ◇ ◇
足利の叫びに思わず背筋が伸びて肩がビクッと動く。今まで何度あの「先輩!」という声と共にディフェンスが崩されたことか。俺も聞きたくないが、顎で使われるあのチビの先輩もいい面の皮だよな。
と、いかん。ボールが僅かに体から離れてしまった。足利が近付いて来るのに間違いはないよな。流し目で確かめるとかなりのスピードでプレスにきてやがる。
こいつの体当たりぐらいなら跳ね返す自信はあるが、無理をしてボールを失うリスクを負う必要もない。同じボランチにパスで戻そうとした。ぞくりとその瞬間に寒気が走る、駆け寄る足利が笑っていたのを思い出したのだ。あのチビが牙が見えるほど唇をつり上げていたんだ、単純なチャージでお仕舞いだろうか。
とっさにパスをとりやめると、パスを出そうとしていた方向にすっと向こうのキャプテンが割り込んできていた。危なかったな、あのタイミングで慌てて蹴っていたらあいつにカットされていただろう。
矢張SCのボランチコンビの罠をかいくぐったとほくそ笑み、逆方向のフリーなDFにバックパスする。その蹴った足が何か不快感を感じた。これは直接的なミスキックとかではなく何か見落としている時の肉体からの注意を促すフィードバックだ。
だが一体何を? 自問するまでもなく答えは現れた。
俺がDFに返したボールが途中でカットされたのだ。奪ったのは向こうの十番でMFのくせに最前線にいた奴だ。今まで守備には参加していなかったから無視していたんだが、もしかしてさっきのボランチの奴はフェイクでこっちが「先輩」って呼んだ奴なのか? だとしたら……慌てて見回す俺の瞳に駆け上がる足利の姿が映った。
俺は必死でその姿を追走する。まだ数年でしかないがサッカー選手としての勘がこいつを自由にしてはいけないと叫んでいる。その嫌な予感が当たり十番から足利へとパスが渡った。
もう一人のボランチがフォローに来たが、足利はちらりと一瞥すると左へ視線を流す。
ああ、ダメだ。釣られるな。そいつは顔を上げて味方を探すタイプじゃない。そうアドバイスする暇も無く、足利が視線に向けてボールを蹴った――ようだった。うちのボランチが反射的にカットしようとするが、その相手が動いた逆の右へと足利はドリブルで駆けている。
今のは変形のエラシコか? インサイドで触ったボールをその蹴り足が追い越してアウトサイドで切り返したのだ。一回目のインサイドキックで動いたボールをパスだと重心を移したボランチは見事に逆をつかれてしまった。
チビが一人抜く僅かなロスの間にその前に立ち塞がれたのはラッキーだ、こうなったら正面から体をぶつけてでも……そう決意した時、足利が大きくキックモーションに入った。まさかここからシュートを撃つのか? データではこいつの得点はゼロだって……いや、違う! 得点もゼロだが撃ったシュートは全部枠を捕らえていたはずだ、撃たせるとまずい。だが、今回もラボーナのようなキックフェイントかもしれん。シュートコースを防ぎつつボールと蹴り足に目をこらせ。
足利の右足がボールを捕らえた、キックモーションも空振りではない。来る! 身を強ばらせて衝突を待つ。反射的に目をつぶってしまったが、身構えたタイミングでショックがこない。
俺に当たらなかったのかと思ったが、頭上にふわりという感じでボールが浮かんでいるのを発見するとすぐに真相に気がついた。チョップキックか! 足利の奴はあのシュートの動きのまま足首のバネだけでボールを上に弾きやがったんだ。いけない、このまま抜かれてはこいつをゴール近くで自由にしてしまう。
横を駆け抜けた足利のユニフォームを引っ張るのと、足利が浮き玉が落ちてきたのをボレーでシュートするのがほぼ同時だった。
無理に背後に手を伸ばした為に足利の勢いに俺も引っ張られて倒れるが、その斜めに傾いた視界に足利のシュートがキーパーの手を掠めてバーに当たり、跳ね返ってピッチに戻ってくるのが映った。ざまぁみろ。俺のマークも少しは役に立ったんだ。
これからゴール前に詰めてもすでにうちのDFが二人で塞いでいる。接触プレイの苦手な足利にはもう何もできないはずだ。このピンチはなんとか守り切ったぞ。
◇ ◇ ◇
またかよ。
シュートがキーパーに弾かれてバーに直撃したのにそう呟かずにはいられない。だがこれは俺の決定力の無さだけに原因を求めるのは酷だ。なにしろ八番にユニフォームを引っ張られてジャストミートできなかったのだから。
それにシュートを撃つと決めたときから、どうせ俺はすぐこぼれ玉を拾いに行くんだと覚悟していた。だからボレーが入らないのは想定内だった。想定から外れていたのは八番のファールすれすれのプレイだ。そのおかげでバランスを取り戻してゴール前に詰めるスタートダッシュが大幅に減速してしまったのだ。
このタイミングでは、ゴール前を鳥の目で見ても二人のDFが壁を作っていて俺の入れるスペースはもうない。
無理だな、そう理性は判断を下した。ならばもう足を止めて延長に向けて体力の消耗を抑えるべきだと。
いくぞ、そう俺の体は反応した。難しい事は関係ない、ここはいくべき時なのだと。
体が理性の制御を振り切って屈強なDFの間に突っ込んでいた。もちろん俺のパワーでは二人も相手にして弾き飛ばす事など不可能だ。だが、躊躇なく体当たりしたのが功を奏したのか僅かな隙間が開き、そこに潜り込むのに成功した。
俺がもう少し大きかったらこの間隙には入れなかったし、その前の体当たりでファールを取られていたかもしれない。まだ小柄な体で良かったと一瞬だけ感謝する。
そして、DFの壁に潜り込んだ俺の目に入ったのは転がるボールと集まるDFの姿だ。考える暇も無く、ほとんど脊髄反射に近い感覚でそこに飛び込む。
だがゴール前のボールが安全であるわけがない。頭から突っ込んだ俺の目にはボールとスパイクの両方が映り、意志とは無関係に瞼を閉じてしまった。
「ぐほっ」
腹を地面で顔をスパイクで打たれたせいでうめき声が漏れ、口の中に土と血が混じる。痛いぜ、こんちくしょうと涙目になって開いた俺の瞳には揺れるゴールネットとゴールラインの内側に転がるボールがあった。
審判が長い笛を吹く。これはファールなどではなく得点のときに鳴らされる音だ。俺は上半身を持ち上げて両手を掲げ、下半身は膝をついたままの姿で雄たけびを上げる。
「おおおおおー!」
絶叫する俺の口の中からは土と甘い血とゴールの味がした。
――俺の公式戦初ゴールは前世譲りの華麗なテクニックを駆使したものでも、新たに授かった鳥の目でスペースの駆け引きに勝利したものでもない。
ただがむしゃらに飛び込んだだけの土にまみれたダイビングヘッドだった。




