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外伝 とりあえず蹴ってみよう

「よくここまで来たな。またアシカと戦えて嬉しいぜ」


 浅黒く精悍な引き締まった顔にどこか喜んでいる声と表情を乗せて、カルロスは握手しようと手を差し伸べてきた。

 試合前にお互いのチームが一列になってする、ほどんどすれ違いながらに近い握手での事だ。俺に返答する時間はなくじろりと彼を睨むだけにしておいた。


 「ここまで」か、言葉にすれば短いが俺達にとっては本当に遠い道のりだったんだぞ。

 カルロスの軽い喋り方に「こっちの苦労も知らずに」と額の血管がぴくっ引きつるようにと反応してしまう。

 今いる舞台はオリンピックの準決勝だぜ? ブラジル代表を率いているお前にとってはここまでの道のりは舗装されたハイキングコースのような物だったかもしれないが、俺――いや俺達日本代表にとってはエベレスト登頂に近い過酷な旅だった。

 ホームはともかくアウェーでは技術よりフィジカルとハートの強さを試されたアジア予選。それをなんとか突破したと一安心していたら、オリンピックではグループリーグの組分けからして「地獄の」と冠された厳しい組へと入ってしまったのだ。

 

 ロンドンでオリンピックの開催式がまだ行われる前、初戦でぶつかったイタリアの赤信号を相手にした試合では見事に相手の堅守速攻策に嵌ってしまった。

 何しろ枠内シュート数では二十対一で圧倒したにも関わらず敗北を喫したのだから、イタリアのお家芸である典型的なカウンターサッカーの餌食になったと言われても弁明できない。

 元々実力は認めていた鬱陶しい相手キーパーが当たりに当たりまくったせいで「イタリア制の赤信号は九十分輝き続け、日本の攻撃陣は全てが通行止めにさせられた」と日本のマスコミでは報道されたそうだ。唯一の失点にしても、前線へ出すパスはオフサイドかカットしてばかりで抑え込んでいたイタリアのファンタジスタがただ一本だけ針の穴ほどの隙間を通したアシストに屈した悔しい敗戦である。


 初戦を落としたせいでグループリーグを突破するために必勝を求められた俺達代表は、いつもの馴染んだスタイルであるノーガードで得点をもぎ取りに行く戦術へと戻った。

 その二戦目になる対南アフリカ戦は敵味方とも攻撃重視の姿勢が噛み合い、両チーム合わせて三人のハットトリッカーを生むという大馬鹿試合となっての六対五で勝利。

 明智経由で知らされたが、このオリンピックではあるテレビ局のサッカー担当にまで復帰していた松永解説者曰く「六分の五で弾がでるロシアンルーレットで互いに向けて何度も引き金を引き合ったら、たまたま南アフリカの方に弾が出なかっただけ。つまりは運が良かったにすぎない」という日本にしても些か前のめりすぎてバランスを欠いてしまった反省も多い戦いだ。


 グループリーグ最終戦は南米の雄であるアルゼンチンと、勝った方がトーナメントへ進出できるというトーナメントに近い状況での試合となった。

 それが悪かったのか荒っぽいアルゼンチンディフェンスのペースに巻き込まれ、「終了の笛が鳴った時にはピッチ上に生き残っていた選手は十八人」というレッドカードが三枚乱れ飛び負傷による交代または退場が五人という凄惨なサバイバルの様相を呈した肉弾戦になってしまったのだ。

 この試合でのMVPはゴールとKOの数を飛躍的に伸ばした上杉で、南アフリカ戦に続き二試合連続のハットトリックと誰もが認める大活躍だった。彼がいなければサッカーのスコアでも倒した選手の数でも勝利するのは難しかっただろう。

 それだけゴールした上で、彼へ執拗にマークしていた二人がいなくなるほど暴れたにも関わらず自分だけはカードを貰っていないのだから、明らかにオランダへ行ってから上杉の攻撃は質が良くなっているがタチは悪くなっている。

 普段も頼りになるのだがこういった厳しい荒れた展開になればなるほど光を放つのだから、どうにも評価に困る奴である。


 そして問題が起こったのはなにもピッチ上だけではない。

 なぜか日本代表の持ち込んだ食料が夜の内に消え、全ての食料がハギスとウナギのゼリー寄せと納豆にすり替わっていたという難事件が勃発。

 しかも食料を置いていた場所には「ふはは、食料は全部明日まで預かったっす! イギリスに来たからにはわざわざ準備したこれを食わないといけないっすよね。それと今回は用意しなかったもう一つの名物フィッシュ&チップスはどこでも買えるっすし、食べたい人は自腹で食うといいっす。あ、でもこの納豆がイギリス名物にいつから紛れ込んでいたのかはマジで判んないっす」と書かれたカードが残されていた。

 ……次の日にはまた失われたはずの食料が忽然と現れたので、おそらく犯人は誰だかチームの全員が判っていながらも「酷いイタズラをする奴がいるもんすね~」と何食わぬ顔をしている明智を糾弾する事はできなかった。

 ちなみにロンドンのチームに所属し、土地勘もイギリス名物を食べさせようとする動機も揃った真犯人の疑いが濃い明智も、混ざっていた納豆についてだけは「納豆に関しては絶対にノータッチっす!」と本気で慌てていた。だとするとあの藁人形二号君が混じった迷惑な贈り物は一対誰がやったんだろう。

 まさかとは思うが……。

 いや、証拠がないのに自分の彼女を疑うのは止めなければ。

 俺がオリンピックに出発する前に見た真は、一仕事終えたような爽やかな顔をして「ロンドンへ行っても好き嫌いしちゃ駄目だよ」と快く送り出してくれたじゃないか。うん、そうだ。真を信じるべきだよな。

 

 他にも日本の勝利に対し挑発的な態度で接近してきたフーリガンへ、彼ら以上に嬉々とした態度でバスから降りてまで迎え撃とうとした上杉の「ワイの得意なんはカウンターや」事件。抑えるのに真田キャプテンが苦労して俺達へ「いいか、敵FWやフーリガンよりまず上杉を止めるんだ!」と叫んだのが印象的だったな。

 それだけにとどまらず大会関係者からかけられた迷惑もあった。

「島津のポジション表記が間違っています、至急訂正してください」

「あ、DFで間違ってないですよ」

「舐めてるのか貴様! 書類のミスがあったとしてペナルティを与えるぞ!」

 といった連絡や書類に関する問題など、ある意味試合以上に代表スタッフを疲れさせる小さな事件が頻発したのだ。

 それら大小のトラブルをくぐり抜け、今俺達は準決勝に臨むピッチに立っている。これは日本代表が一過性ではなくどんな時でも常にいい成績をキープできるだけの実力が付いたって事だろう。

 ……そのトラブルのほとんどが身内から起こされているようなのは気のせいにするべきだな、うん。



 さて一瞬でこれまでに至る波瀾万丈の記憶を蘇らせた俺は、回想で上がりすぎたテンションを落ち着かせるためにもいつものように目を瞑り自分の状態を確認する。

 手足は軽いな。体調は若干興奮で鼓動が速くなっている以外は問題ない。

 ドイツに移籍する前から続けている連戦でも疲労を残さないようにトレーニングしてきた効果がようやく実ってきたようだ。鳥の目もこの巨大なスタジアムの隅々まで見渡せそうなぐらい視界がいい。

 マスコミに復帰していた松永も、この試合はブラジルが圧倒的に有利だと日本代表に悲観的な予想を立てていたのもこっちにとっては好材料である。

 ちなみに松永がマスコミへ復帰した契機となったは、彼の発信しているJリーグでの勝敗予想を参考にするとトトカルチョがよく当たるとネットで噂になったからだそうだ。

 誰も松永の予想が当たったとは言わないし調べてみても彼の勝敗予想の正当率は一割にも満たないが、なぜか彼の勝敗予想を聞いてからだと耳にした人間の的中率が跳ね上がるらしい。一部の人達からは「松永が予想すると当選者が増えすぎてトトカルチョの配当が一桁下がった」とまで崇められているそうだ。

 そんな彼に「ブラジル有利」と予想されたのだから闘争心も燃え上がるってもんだぜ。

 よし、心身共にベストコンディションだ。


 万全だと自分の調子を確認してから日本代表チーム全体に目を向ける。

 このチームはさっき何人か名前を出した時に判っただろうが、以前優勝したU―十五のメンバーをベースにしているために俺の知り合いが多数揃っている。しかもそのほとんどが海外のクラブで揉まれているいわゆる海外組だ。

 クラブは違うが俺と同様にドイツでプレイしている真田キャプテン。彼は高さと強さに磨きをかけ、ここでもキャプテンマークを左腕に巻いている。敵の攻撃と味方の暴走を止められるのはやはり彼しかいない。

 スペインにいるのは自慢だったオーバーラップの鋭さと決定力は更に研ぎ澄まされ、守備力は更に鈍化したポジション偽装疑惑のある島津。

 向こうではサイドバックにも関わらず、昨シーズンはチーム内で最多得点と最多シュート数に最多オフサイドにかかった選手として記録され名を馳せている。……DFとしては明らかにおかしい記録を作るなよ。現地では「さすが日本人は凄い。神風や特攻や忍者の末裔なだけはある」と大人気のようだけど、これ以上おかしな日本人のイメージを植え付けないでくれ。


 オランダからはキック力とパンチ力が飛躍的にアップし、試合中マッチアップする相手DFをKOする率までも高まった上杉だ。「ワイは前にアシカと会った時より倍は強くなったで」って、それサッカーについてだよね? ずっと向こうでサンドバッグを叩いたり、リングに上がっていたんじゃないよね? そう尋ねても笑って答えてくれなかったのだけが気がかりだ。

 お次はイギリスで「パパラッチ以上にサッカー界の裏側を知る男」と恐れられるほど情報収集と分析に実績を積み、ダブルオー機関から勧誘があったと噂される明智。あ、ちなみにこのダブルオー機関に関する噂は自分から流したそうだ。

 彼曰く「端で眺めているより渦の中心にいる方が情報は入手しやすい」そうだが、別に俺にスパイの心得を伝授されても困るぞ。

 ……あれ? なんだかこいつらは頼りになる仲間と言うよりアウトサイダーの集団のような気がするな。

 

 これならばドイツで「ピッチ上の道化師」だけでなく「皇太子の宮廷道化師」や「後ろ向きのマイスター」に「笑うゴールへの運び屋」などといったあまり格好の良くない異名が増えただけの俺なんか可愛いものだ。 

 他と違って判りにくい「後ろ向きのマイスター」など妙なあだ名もあるが一応由来はある。

 ドイツのデビュー戦では敵が皆俺より大きいためになかなか前を向けず、苦戦したものだ。そこで開き直った俺が「前向けないなら、向かなくていいや」とヒールキックでパスをしたところそれがブンデスリーグでの初アシストへと繋がった。

 それ以来「アシカは前を向いた時より後ろ向きの方が怖い」と噂されるようになってしまった。これが「後ろ向きなマイスター」と命名された経緯だな。

 今では俺が敵陣深くの位置で前を向くと敵・味方チームの両方のファンがうめき声を上げるほど浸透してしまっている。いや、敵はともかく味方やファンは俺が敵ゴール方向を向いたらチャンスだと喜べよ。それほど俺を後ろ向きにさせたいか?

 嫌な思い出をぷるぷると首を振って追い出す。これから試合なのにテンションを下げてたまるか。


 さて紹介したように世界各国へ赴き一層キャラが濃くなった日本代表の個性派が揃うと、単にキックオフするだけで大もめになる。

 切っ掛けは上杉の「じゃ、まずワイがピンポンダッシュしてみるわ」という言葉からだった。

 ここで「ピンポンダッシュ?」と首を捻った俺達は悪くないはずだ。

 上杉は溜め息を吐くと、


「とりあえずキックオフシュートをワイが撃って、ブラジルにご機嫌伺いをするっちゅー事やな」


 皆が「ああ、いかにも上杉らしい」と納得しかけたが、猛然とそれに反論したのは意外かもしれないが攻撃的な思考では上杉と並ぶ島津からだった。


「カルロスには開幕で上杉がシュートを撃つかもしれないと読まれているはずだ。スペインでも上杉のキックオフシュートには大笑いしたと言及した事があった。いきなり上杉が撃つのは奇襲にならないぞ。止めた方が無難だな」

「なるほど」


 同じスペインの地で戦っていた島津のカルロスを評する言葉には説得力がある。上杉も反論できずに口元をへの字に歪めている。

 それにしても島津が攻撃面に関して自重を求めるだなんて、やっぱり随分と成長したものだ。

 チームメイトの顔を見回して皆を説得できたか確かめていた島津は満足そうに頷いた。よほど上杉のキックオフシュートを制止できたのがご満悦らしい。

 だからそんなに大人になったはずの彼がこう告げるとは思ってもいなかった。


「そういう訳でカルロスから読まれも予想もされてない俺がキックオフシュート撃とう。これで敵の度肝を抜けるはずだ」

「おい!」


 その場にいる全員が声を揃え、手の甲で軽く島津へ突っ込んだ。

 やけに熱心に上杉にストップをかけていたと思えば自分がやりたかったのかい。ああ、もうそんなことを言い争っている暇はないぞ。


「とりあえず、キックオフぐらいは一旦俺へボールを預けてくれ。ほら、あんまり俺達が話をしているから審判が苛ついている」

「ちっアシカが言うならしゃーないな」

「むう、不服だが従おう」


 完全に納得した風ではなかったが、何とか説得できた。

 さてようやくこれで試合が開始される。心なしか審判まで「やれやれやっと始められるな」と安心したような表情になっているじゃないか。


 ホイッスルが鳴るのと同時に上杉が頬を膨らませて中盤の俺へボールを戻す。

 そこへに向かって全力でダッシュすると最後の左足をぐっと踏み芝を噛む、そうやって下半身を安定させた俺は走って来た勢いを百%ボール伝えるように思いきり右足を振り抜いた。

 足の甲に小気味いい感触を残し、糸を引くような軌跡でブラジルゴールへと飛んでいく。

 開幕早々のシュートに同時にスタジアムから一斉に歓声と怒号に驚愕の叫びが響く。 

 ポルトガル語に混じり「それ、ワイの仕事やろ!」「いや俺がすべき役目だった」「お前ら、特に島津は黙れ!」といった日本語の声がボールを蹴った直後、ブラジルゴールに到達するまでに耳に入る。

 たぶん日本で見ている真や母さんなんかにも松永の「馬鹿なことをするな!」なんて解説付きで実況されているはずだ。

 

 シュートがゴールの枠ぎりぎりのコースに乗り、慌てたようにキーパーが飛びつく。どうだ? 入ったか? 鳥の目を持ってしても混乱するブラジルゴール前の詳細は判らない。だが一層高まるポルトガル語と日本語の絶叫の響くピッチど真ん中で俺は笑っていた。

 ああ、やっぱりサッカーをするのは――特にこのメンバーでやるのは楽しいぜ。

 四方からシャワーのように歓声と罵声を浴びながら俺はたぶん小学三年生で初めて、或いはやり直して再び触れた時と同じように純粋にボールの感触が嬉しくて笑顔を浮かべていた。

 こうやって注目を浴びるのと同等に、いやそれ以上にボールを蹴っているだけで幸せになる自分の単純さは幾つになっても変わらない。

 

「さあ今日もサッカーを楽しもうか」


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― 新着の感想 ―
[良い点] スポーツ小説を読むのはこの作品が初めてですが最後まで読めて本当に良かったと思います。アシカ、真、島津、松永前監督……挙げれば切りがないですが特にこの4人がお気に入りです。 あまりこう言った…
[良い点] とっても楽しく読ませていただきました。山下先輩とアシカの掛け合いが微笑ましくて、好きでした。こんなにも個性的なキャラクターをいっぱい生み出せる作者様を尊敬します。
[良い点] 本当に面白かったです。続編をぜひ読みたいです!
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