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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第三章 代表フットボーラー世界挑戦編

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第七十三話 化物と戦ってみよう

 DFからのパスを受け取ったカルロスは、自分がボールを持った途端に周りにまとわりついてくる複数のマークが鬱陶しくなった。

 ただでさえ暑いピッチの上なのに、これだけ密着されるとサウナにでも入っているようだ。

 だいたい後半早々に三ゴールも連続して奪いブラジルが逆転したのに、こいつらはちっともショックを受けた様子がないどころか更に精力的にプレイするとは彼にとっては予想外だったのだ。

 何とも元気でタフな奴らだと考え、自分の所属していた時代とのあまりの違いに楽しくない思い出が浮かんでしまう。

 オレが居た頃の日本代表は、こんな状況だとすぐオレと監督の顔色を伺ってばかりだったのに、と。


 首を振って昔のチームの面影を追い出すが、相手からのチェックは厳しくなる一方だ。

 おいおいここはまだブラジルの陣内だぜ、そう慌てなくてもいいだろうが。明らかに自分より弱いはずの猟犬に吠えかかられる虎のように辟易しながらカルロスはどうするか一瞬だけ考えた。

 パスを回すか? その思考がよぎるがすぐに却下する。なんで自分が逃げなくてはいけないのかと考えただけで腹が立つ。

 ゴールへ繋がるアシストパスを出せるならば構わない。

 ブラジルまで来て初めて頼りになるFWのエミリオという味方を得て、アシストする楽しみを覚え始めたからだ。彼に出会うまではカルロスのアシストと記録されたのもあまり意識的な物ではなかった。自分がゴールするには敵が多すぎて難しいからと、仕方なくマークの緩いチームメイトにパスを回したら結果的にアシストになったというだけの感覚だったのだ。

 だがエミリオといった希代のゴールゲッターが相棒になり、ゴールを奪うための積極的な選択肢としてパスを選べるようになった。

 自分の能力が高すぎるだけに他者への要求もまたハードルが高すぎたのだろう。現時点でもカルロスの要求を満たせるのはブラジルでも今日すでに二ゴール奪っている小柄なゴールハンターしかいないのだから。


 だがこの場面では彼からエミリオへのパスコースは幾重にも厳重な人の壁に遮られ、空いているパスコースはDFへのバックパスぐらいしかない。

 選択肢を小細工で幾つか消されてしまっているのだ。

 面倒だな、不意にカルロスの中にある残酷で子供っぽい部分がそう囁いた。

 面倒なら、邪魔ならばさっさとオレの進む道にいるこいつら(ジョアン)をどければいいだけか。

 そう判断したカルロスは三人でマークしている包囲網から脱出を試みる。

 彼が抜け出すのに要したのは、僅か五歩であった。



  ◇  ◇  ◇


「アシカ、さっさとパスよこさんかい!」

「判ってますよ!」


 上杉の貪欲な要求に怒鳴り返す。本当に判ってはいるのだ。

 逆転されてしまったのだから俺達日本代表は追いつくためには攻撃するしかない。もともとこのチーム構成は守りには不向きなのだ、途中経過はどうあれ積極的に攻勢でいくしかないのだから。

 今もブラジルディフェンスからのボールをカルロスに持たれたが、即座に三人掛かりで囲みに行く。

 うん、前線からのプレスが効果的に機能しているな。日本全体が前傾姿勢になっているためにまだ敵陣にもかかわらずキーマンを包囲するだけの人数が揃っていたのだ。

 左サイドでパスを受けたカルロスを明智・石田と言った監督から指名されたマーカーだけではなく、左ウイングの馬場までもが加わってたった一人を潰そうとしている。


 よし、あそこでボールを奪えればブラジル陣内の深い位置からのいいカウンターができる。

 俺はその速攻に参加するつもりで自分のポジションをさらに前へ出そうとするが、なぜかその場から足が動こうとしない。動くなと言う体からの警告が冷気を伴い背筋を走ったのだ。なんら兆候が無いにもかかわらずピッチにいる選手全員が俺と同様に寒気を感じたのか身震いしたようだった。

 ピッチの外にいては感じ取れないこの異様な雰囲気は、俺が知る限りではただ一人の少年しか発する事ができない物である。

 つまりは――カルロスが本気になっているのだ。


 カルロスが密着マークの三人全てを振り切るのには五歩しか必要としなかった。

 静止状態からいきなりボールを強くファーストタッチしてトップギアで飛び出す。

 名ドリブラーと呼ばれる選手に多い小刻みなピッチ走法ではなく、長いストライドを活かした一歩でぐいっと進む走りだ。

 いきなりトップギアになるスタートダッシュに、まず彼の後ろをカバーする形だった馬場が置き去りにされる。

 だがカルロスのダッシュはたった二歩で急停止する。

 彼がブラジルの地で成長した一番の能力はこのブレーキかもしれない。スピードだけなら日本に居たころでも十分以上だったが、今は一層磨きがかかっている。そのほぼ最高速度に近い状態からたった一歩でボールごと完全に停止できるだけの強靱な下半身を向こうのトレーニングで手に入れたのだろう、それがこの急ブレーキを可能にしているのだ。

 ここで二人目の明智がそのブレーキについて行けず、たたらを踏みながら芝で足を滑らせ転倒する。

 さらにカルロスは急停止から間を置かずにボールを伴ったロケットのようなダッシュを再開。

 なんとかこれまでの挙動についていった最後のマークであった石田でさえも、その再加速によって置いて行かれた。

 ここまでカルロスが動いたのはほんの五歩。

 ストップ&ゴーというフェイントですらない基本的なスピードの変化だけで、三人のマークが赤子扱いされてしまった。

 サッカー選手としての技術がどうとかいう問題ではない。アスリートとしての身体能力の差があまりにも大きすぎるのだ。


 そのまま前へドリブルを続け、彼は一気にセンターラインを通り越して日本陣内へと侵入する。

 マズいぞ。戦慄で冷や汗が背中を流れるのを感じながら鳥の目で戦況を確認する。

 左サイドの三人を突破されたためにもうサイド守備からのフォローはない。ディフェンスは慌ててゴール前にブロックを作って対応しようとするが、間に合うかどうか。

 唯一の有利な点はあまりにカルロスの駆け上がるスピードが速すぎて、ブラジルも中央にはまだエミリオぐらいしかカウンターを受けようとゴール前に飛び込む準備が出来ている選手がいないことぐらいだ。

 だがそのエミリオでさえも明智や石田といった中盤を守るボランチが全員カルロスについていってしまったので、今は俺が見ている状態である。

 次第に日本の最終ラインとペナルティエリアが近づいてくる。

 これまでの約束事では中央を守るDFにエミリオのマークを受け渡す地点はすぐそこだ。

 しかし、ここでエミリオを最終ラインに任せてしまってはこいつのマークに人数が取られカルロスの突破に備える人間がいなくなる。

 だがこいつを無視するわけにも行かない。これまでさんざん見せつけられてきたエミリオの得点能力を考えると、カルロスからエリア内でフリーのこいつへホットラインが通じるなんて考えたくもないからな。

 

 そんな余計な事に神経を回していたのが悪かったのか、エミリオが一瞬の隙を突いて俺の背後を取るような動きでゴール前に単独で向かう。

 しかもそれに合わせたようなタイミングでカルロスがDFラインの裏を狙うパスを出したのだ。

 ドクン。

 自分の心臓が大きく跳ねるのが自覚できた。

 カルロスのパスはDFがどうするか判断に迷う守備側にとっては嫌な曖昧な位置からだった。DFがエミリオにつくのかラインを上げてオフサイドを狙うのか真田キャプテンが指示する一呼吸前にパスが出されてしまった。

 最終ラインが整わず、俺もこの小柄なゴールハンターを抑えきれていない。

 このままエミリオを素直に突破されてしまえばリードが二点差に広がる可能性が高い。


 ほとんど恐怖に駆られ、俺は自分のプライドを捨てる決断を下した。

 併走するエミリオの肩を掴むとユニフォームを引きずるようにして自分ごとピッチへと転がる。

 ボールがないところでのあからさまなファールである。相手が怪我しないように気をつけていたとは言えイエローカードぐらいは間違いなくもらうはずだ。

 クリーンなプレイが信条の俺がこんな卑怯な真似をするなんて……。

 しかし、それでも俺にはこの状況で失点を免れるには他の方法が思いつかなかったのだから仕方がない。

 一緒に倒れたエミリオの非難の目から顔を背けるようにして審判の方を向く。悪いのは判っているよ、反省もしている、だから早く笛を吹いてくれ。

 

 ――審判はしっかりと俺の反則を目の当たりにして笛を口にしていた。しかし、そこから音は流れない。

 なぜだ? 審判は見ていたはずだし俺もプレイを止めるのが目的だから隠そうとはしていない。なぜ彼が笛を吹かないのか俺には理解ができなかった。

 まさかアドバンテージを取っているのか?

 背筋に再び寒気を覚えて鳥の目でピッチを上から見ても、カルロスのパスを受け取ろうとしてエミリオの後からゴール前に走り込んでいる人間はいなかった。

 いや、いなかったのだ。この段階では。

 ではなぜ審判がアドバンテージを取ったのか? それは次の瞬間に凄まじい勢いでカルロスのスルーパスを受け取ろうと突っ込んできた少年によって明らかになった。


 慌ててDFが作ったラインの隙間から、豪快に屈強な日本DFを吹き飛ばすようにして駆け込んできたのはカルロス自身だった。

 ――パスを出したのも受け取るのも彼一人でやる、一人スルーパスかよ!

 自分の出した鋭いボールをも上回る速度でダッシュしてきたカルロスの前に、決死の表情で飛び出す日本代表のキーパー。

 キーパーの反応も悪くはなかった。

 止められていただろう、相手がカルロスでさえなかったら。

 カルロスが出した鋭いスルーパスに誰よりも早くもう一度触れたのは再びカルロスの右足だった。しかも今度は強烈なキックによるシュートだ。

 その弾丸シュートは至近距離まで必死に伸ばしていたキーパーの手を弾き飛ばしながら、いささかも威力が衰えた様子もコースさえも変わらずにそのままゴールネットに突き刺さる。

 

 うずくまるキーパーを尻目に両手を広げ天に向けて叫びを上げるカルロス。その姿に審判がゴールを認めるホイッスルと担架を要請するアクションが続く。

 今のプレイでキーパーが怪我をしたのか? 俺が半ば呆然としながら倒れたキーパーへ近づくと、審判は思い出したようにイエローカードを俺へ向けて高々と示した。

 ああ、そうか。俺は失点を防ぐつもりで、今となってみればエミリオに全く無駄なファールをしたんだ。

 力なく頷いて素直にカードと注意を受け入れながら、すぐに担架に乗せられピッチから出て行ったキーパーの様子を窺う。

 なんてこった、ドクターが彼のグローブを外した手を一目見ただけですぐに手でバツ印を作り、控えのキーパーが慌ててアップをしているぞ。やはりさっきのシュートでどこか怪我していたようだ。


 はは、口から勝手に乾いた笑いが漏れる。

 カルロスが一回ドリブルしただけでうちの守りは全部ぶち抜かれ、キーパーは怪我させられて俺はイエローカードかよ。

 自分の活躍の余波で巻き起こされた日本代表の怪我人や、俺の受けたイエローカードのトラブルを気にもとめずにカルロスはサンバを踊っている。

 まるでリオのカーニバルのように盛り上がるブラジルのサポーター。その観客席へ拳を掲げて一緒にリズムに合わせて踊る化物から、俺はさっきエミリオによって失点した時の数倍の精神的ダメージを受けている。

 ああそうか、もう笑うしかないってのはこんな場合なんだろうな。

 

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