第二十話 美味しいお弁当を頼みます
「へー、それで今度の土曜日は二試合あるのね?」
「うん、午前に準決勝で午後に決勝だよ。だからお弁当お願いね」
速輝は鯖の切り身をお箸で綺麗に食べる合間に週末の準備を頼んできた。まあお弁当を作るぐらいは何でもない。ユニフォームが汚れるのも、どうせ試合がなくても練習で汗をかいて洗濯する羽目になるのだから気にはならない。
それよりも速輝のお箸の使い方と食事のマナーが良くなったのに笑みがこぼれてしまう。ちょっと前まではお魚は小骨が食べにくいってぶつぶつ言ってたのに、三年になってサッカークラブに通うようになってからは、スポーツマンとしての自覚がでてきたのかすっかりお兄ちゃんになっちゃった。母としては少し寂しいけれどこの子の成長を喜ばなくちゃいけないわね。
最初は本当にうちの子かしら、誰かが化けているのではなんて馬鹿な事まで考えちゃったものね。でも二・三日も観察していれば間違いなく自分のお腹を痛めた息子だってちゃんと判るわよ。無意識に出るのだろう細かい癖とか納豆を食卓に出した時の絶望的な表情とかでね。今になってみるとサッカーを始めたせいで反抗期が凄いスピードで終わっちゃって、大人っぽくなっちゃったから私がついていけなかったのかしら。
本当にあのサッカークラブには感謝しなくちゃいけないわ。三年生に進級した朝なんか、悪い夢を見たって私に甘えて涙ぐむような子だったのに、最近では顔つきまで子供じゃなく精悍な男の子って印象に変わっちゃった。せっかく成績もアップしたんだから、もう少しサッカーの熱が冷めて勉強に力を入れて欲しいものだけど、やっぱりそれは欲張りすぎかしら?
他のサッカークラブのママ友に聞かれたらきっと「贅沢な!」って怒られるわね。
できれば完全に大人になる前に、もっと速輝が喜ぶような事がしたいのだけど……そうだ。
「今度の土曜日お母さんも応援に行こうか?」
「え? いやいいよ。忙しいんでしょう」
「馬鹿ね、一日ぐらいなら大丈夫よ。それにもし優勝したら全国大会に行けるんでしょう? やっぱり息子が頑張ってる姿をこの目で直に確かめたいじゃない」
「あ、そうなんだ。うん、じゃあお願いしてもいいかな」
「もちろんよ。二試合とも観戦するの楽しみにしてるわね」
遠回しな応援に「二試合……うん、全国に行かなきゃ意味がないか」と速輝が顔を引き締め小刻みに頷いている。あれ、ちょっと発破をかけすぎちゃったかな? 準決勝で負けちゃったら落ち込みそうね。
「えーと、そうだ。速輝はその日のお弁当はどんなのがいい? せっかくの大切な日なんだから豪華なのでもいいわよ」
と真剣になりすぎそうな息子に話しかけて注意を逸らす。この年代の男の子でご飯の話題に食いつかない子はいないだろう。実際速輝も普段は果物を多くしてくれだとか、朝は野菜ジュースとヨーグルトが必須だとかちょっとした我がままを言ってくる。まあ一年生の時は給食なんかでさえ「野菜は牛や豚が食べて、その肉を俺が食べているから大丈夫」と野菜についてだけはハンガーストライキをしていたのだから、そのころから比べたら可愛い物だ。
速輝はちょっと宙を睨んで考えていたけれど「いや、運動前になるから軽いのでいいよ。サンドイッチとかおにぎり二・三個ぐらいで」と素っ気なく答えた。
「そう……」
それじゃ腕の振るいようがないじゃない。ちょっとしょんぼりしかかった私の心を浮上させたのは速輝の、
「その代わりに夕食を豪華にしてよ。県大会優勝のお祝いに」
というどこか悪戯っぽい笑顔だった。
「――任せなさい!」
ああ、昔聞いたことのあるサッカーは少年を男にするって名言は本当なのねぇ。試合前なのに私の方が元気づけられるなんて。さてと、そうと決まれば美味しいサンドイッチと豪華な夕食を今の内から考えておきましょうか。
◇ ◇ ◇
「……ふむ、次の準決勝は矢張SCだったか」
疲れた目を指で押さえて呟く。ワシの目も最近どうもかすむようになってきおったの。
矢張……はてこの名はどこかで聞いた覚えがあるな……ああ去年もうちのチームと戦っておったのか。どれどれと書類をめくる。
ほう、その時の結果は三対一か。うちから一点でも奪ったとは中々健闘したようじゃな。そして、矢張SCの今大会の成績にざっと目を通す。うむ……思ったよりもやるようだ、スコアが実力を証明しておる。全ての試合で二点差以上つけているというのはうちのチームも同様じゃ、一点差では「間違い」が起こる可能性があるからの。
なぜか最近では「二点差は危険」とかいう認識が広まっているようだが、ワシに言わせれば二点差もつけて心配するようなら開始直後のゼロ対ゼロの時はどんなにビビってるんじゃと聞きたいわ。うちのチームではある程度のレベルの相手には二点差をつけたらそれ以上は強引な攻めは控えさせておる。あまりに点差をつけると試合を諦めた相手チームが悪質なファールをしてくることもあるからの。まあ、ワシなりのマナーと護身、それに敵への敬意のようなもんじゃ。
それにしても、本当であれば専門スタッフの撮影した敵チームの試合のビデオ映像も欲しいところじゃが、いかんせん人手が足らん。父兄が撮影してくれたビデオはどうしてもボールの行方を追ってばかりで、ゲーム全体を俯瞰する事はできんしの、参考程度にしかならん。むしろ書類上のデータと試合を見ていた知り合いの寸評で相手のイメージを固める方が役に立つ。
ふむ、前年度と変わらず攻撃は十番の山下と防御はボランチのキャプテンを中心にまとまっておる。向こうの二枚看板は健在のようじゃな。攻守のバランスがとれた好チームではあるが、うちとは層の厚さが違う。総力戦になれば一人一人の力の差がじわじわと出てくるもんじゃ。一人や二人うちのメンバーに匹敵するエースが居たところで結果はひっくり返せやせん。無論油断をするつもりはないが、次の決勝も見据えて疲労がたまらないようローテーションを組まねばならんの。
なんじゃ? 他に注意事項としてルーキーの名前が挙がっとるの。ふむふむ……ここまでの数試合で十もアシストを稼ぎおったか、ほとんどが途中までしか出場してないにしては立派な数字じゃな。じゃが正直そこまで警戒すべき相手かどうかはこれだけでは判断できん。予選クラスならば格下の相手にだけは滅法強く、得点を荒稼ぎするようなチームもある。この足利という小僧本人が得点したというわけでもないみたいじゃし、どこまでやるのか判らんの。
まあ一応注意はしておいた方がいいじゃろ。では、こいつのプレイスタイルの印象をどんな風に書いておるんじゃろうか?
まず基本技術がしっかりしたボランチとな、攻守ともに秀でておる、か……。一方で弱点としてはフィジカルが弱いせいか接触プレイを嫌がる傾向にある、シュートが入った所は見たことがない、よく後ろを向く、ボールを持つと顔がにやける……こやつ本当に注意が必要かのう?
若干の疑問を持ちながら矢張SCのビデオを流し見る事にした。なに、こういうのはざっと目を通しておけばいいんじゃ。もし本当に警戒すべき物があれば嫌でも注目してしまうからのう。
別のブロックの準決勝で当たる二チームの資料をぱらぱらとめくりながらも、矢張SCのビデオを確認する。
やはり素人さんのとったビデオは判りづらいのぅ。別段プロカメラマンのように撮れとは言わんが、もう少しロングで全体像が映るようにしてくれんとポイントが見えてこんわ。
ぶつぶつと口の中で愚痴りながら早送りを連打していた指が止まり、手にしていた別のチームの資料を邪魔じゃと机に置いた。
「このチームは……かなり厄介そうじゃな」
なるほど準決勝まで出てくるだけの事はあるか。攻守の柱とする二名とまだ正体の判らんジョーカーが一人おる。
これは次の決勝を見据えてメンバーを考えるのではなく、この一戦に全力を傾けるべきかもしれんのぅ。何、買い被っておったのなら点差が開いた時点で主力を引っ込めればいいだけじゃ。
「ほっほっほ、まだまだ全国を知らん輩に負ける訳にはいかんしのぅ」
それでも、矢張の三人はなかなかのものじゃ。今大会が終わってからうちに来んか打診してみようかの。こいつらもプロとつながりのあるクラブのほうがええじゃろうしな。




