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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第三章 代表フットボーラー世界挑戦編
197/227

第五十九話 拙い言葉を教えあおう

 ロスタイムに今にも突入しそうな時間帯で、こっちのリードが二点となる駄目押し弾はなぜかDFの島津によって生まれた。

 ピッチに立つ俺達日本代表の誰もがもう勝利を確信していた。とはいえこれは別段油断しているわけじゃないぞ。むしろその逆である。

 こうなればたとえ納得できない判定によってPKを取られたとしても勝敗は動かない。そんな心の余裕がチーム全体の精神状態と組織的な守備を安定させているのだ。

 各々がもう負けはないんだからと、焦りをなくして自分の仕事に打ち込める環境となっている。

 

 反対にスペインは大変だろう。

 優勝候補と呼ばれ、今日だって前半までは優勢に勧めていたのにかかわらず、現在は二点もリードされたこのスコアである。そして、すでにもうそろそろどんなタフな精神の持ち主でも敗北を認めざるえない時間へと差し掛かっているのだ。

 さすがに経験豊富なメンバーが多いのかまだしっかりと顔を上げて普段と変わらないようにプレイをしているが、明らかにお互いがかけ合っている声どこか陰を帯びて刺々しくなっている。

 うちでスペイン語が理解できるのは明智だけだが、他の日本人選手にも話の内容ではなくその口調で相手の焦りと苛立ちが垣間見えるのだ。

 そのささくれだった敵の雰囲気がより一層俺達日本代表の「勝てる」という気持ちを堅固な物にしている。

 

 余裕が出てきたおかげで、急いで前へ進めようとしてくる敵の素早いパスワークにもこれまでのようにバタバタと追いかけるのではなく、どっしりと中央とゴール前の危険なエリアだけに絞って腰を落として待ち構えていられる。

 無理にボールを奪いに行こうとせず、安全にそしてできるだけ時間を使わせようとする俺達のディフェンスに、攻める側のスペインも時間がないという焦りからかプレイが次第に雑になっていくのだ。

 これならば抑えきれる。

 そう確信を抱いた時、なぜか不意に敵の攻めのテンポが跳ね上がった。

 いや正確にはスペインのチーム全体がではない。積極的に動こうとしない俺達の守備には相性が悪いと見切ったのだろう、チーム全体で行う華麗なパスワークを捨てて酔いどれと船長の二人だけのコンビネーションと個人技で強引に突破を仕掛けてきたのだ。

 どちらも今大会屈指のテクニシャン、しかもドリブルもパスも共に超一流のコンビだ。それが併走するようにボールを交換しながらディフェンスを切り裂いていく。


 マンツーマンで酔いどれについていた俺までも、また彼の個人突破だと騙されてしまった。このコンビがタイミングと距離を見計らってのドリブルからの綺麗なワンツーパスで丁寧に抜こうとされれば止めようがない。

 というかこの二人組が同時に突っ込んで来るのを、俺一人でどうしろって言うんだよ! 

 パスもドリブルをしてもほとんどスピードを落とさない二人の切り込みに対し、スペインが誇るパスワークを警戒してDFのラインを上げていた日本の守備網は上手く機能できなかった。

 それこそあっという間にゴール前までの侵入を許してしまったのだ。

 試合終了間際にまだあいつらはこれだけの足が残っているなんて、外車のエンジンは燃費が悪いんじゃなかったのかよ。

 文句を言いながら必死に酔いどれに追いすがる。これ以上こいつを活躍させてたまるもんか。

 その決意をあざ笑うかのように軽快で複雑なステップを踏む酔いどれ。

 そのリズムが一瞬止まったと俺がボールへスライディングしようとする寸前、上体を微動だにさせない膝から下だけの動きでパスが出された。


 とてもそんな小さな動きで生み出されたとは思えないぐらい強く正確なパスの行く手には、スペインのFWがペナルティエリア内で陣取っている。

 そこからならマークが甘いDFを押し退けてシュートまで持っていけるだろう。

 やられたか! そう思ったがなぜかFWは自分で撃つのではなくダイレクトでのリターンパス。

 ここまできても焦って無闇にシュートを撃つんじゃないとは。より確率の高い所へ繋ぐ自分達のパスサッカーを貫き通すその姿勢は、たぶん頑固でも意地でもない。チーム全体を貫いている信念とか伝統という奴なんだろうな。

 そのスペイン伝統のパスワークの最終地点にはキャプテンである船長が現れて、彼による強烈なミドルシュートによって締めくくられた。

 

 日本ゴールの片隅で弾むボールに溜め息を一つだけ吐く。

 失点してしまったが俺達の守備にはミスらしいミスはなかったのだから、今の敵の攻撃は止められなくても仕方がない。これは「一点差に追いつかれた」ではなく、すぐに「試合終了間際でまだ一点リードしている」と精神状態を切り替えて虎の子の一点を守りきらなければいけないな。

 あ、そういえばロスタイムは後どのぐらいだ? 日本ベンチに残り時間を確認しなくては。

 そう思ってベンチを見ると、山形監督やベンチメンバーが審判に時計を見ろと左手首を差してアピールしている。ああ、あんなジェスチャーをしているところからすると、もうほとんどゼロなんだろう。


 ゴールしたばかりのスペイン代表の船長が急いでボールを抱え上げて、一刻も早く再開させようとセンターサークルへ駆けていく。

 向こうももう残された時間が僅かだと判ってはいるのだろう、それでも最後の一秒まで諦めようとはしない。いや、一国の代表に選ばれた時から試合を諦めるという贅沢は許されなくなっているのだ。

 だがその不屈の少年の足が止まり、手にしていたボールをピッチに落とすと天を仰いだ。

 審判が長い笛を吹き、準決勝の終わりを告げたからである。

 

 よし、と小さく拳を握り締める。右拳からは前半に爪を立てた際の傷が小さな痛みを伝えてくるが、勝利の喜びがそれをかき消してくれる。

 最後に一点返されるなどちょっと締まらない部分や精神的に押されかけた点もあったが、反省は後日にして今はただチームメイトやピッチに入ってきた監督なんかと抱き合って喜びを分かち合おう。

   

 最終スコアが四対三という点の取り合いの幕切れは、お互いのサポーターからもイギリスの観客からも大きな声援で迎えられた。

 勝利した日本だけでなく敗れたスペインのサポーターさえもブーイングではなく、全力を尽くしたピッチ上の選手全員に素晴らしい試合だったと拍手を送ってくれているのだ。

 もし負けたのが、スペインのフル代表であればここまで寛大な態度ではなかったかもしれない。だが、まだ今日戦っていた選手の皆は若いのだ。これからの前途への期待料も込めているのだろうが暖かく優しい行為には違いない。

 敵とか味方とか関係のない戦っていた俺達全員への賞賛と尊敬の込められたスタンディング・オベーションに、日本代表のメンバーの動きがぎこちなくなる。

 俺も観客席のほぼ全てが立ち上がって拍手してくれるなんて思っていなかった。

 日本のサポーターへの応援感謝だけをすればいいかと考えていたが、これでは会場中に手を振らなければならないじゃないか。

 面倒だなと隣あった上杉なんかと憎まれ口を叩き合いながらも、日本チーム全員の顔には自然と笑みが浮かぶ。

 うん、敵チームのサポーターやサッカー発祥国の観客から試合の後でこんな風に受け入れられるなんて悪くはないな。ゴールした後の腹の底から沸き上がってくる高揚感や歓喜とはまた違う。拍手がまるで冬の寒い日にあたる焚き火の熱みたいに、外から鼓膜ではなく内蔵や骨に染み込んでくるように暖かく感じられるんだ。

 手を振ると歓声が大きくなるものだから、ついつい止め時が判らずに腕がだるくなるまで両手を掲げてしまった。明日は足だけでなく腕まで筋肉痛だな、こりゃ。  


 一通り観客の声援と試合後のスタンディング・オベーションへの感謝がすむと、今度は戦っていた相手とのいつもの儀式だ。日本とスペインの選手がばらばらに混ざり合って握手をしては「いい試合だった」「お前ら優勝しろよ」と肩を叩く。

 このぐらいは言葉がなくても通じ合うってのは、やっぱり一試合を戦うってのが濃密なコミュニケーションだからだろう。相手が何を言いたいのかおおよそ判断できるのだ。

 それに、お互いフェアプレイを心がけていたおかげで選手間には遺恨はない。おそらくスペイン代表には敗れた悔しさがあるだろうが、それを表に出さないで日本を祝福するだけの心の余裕が残っているようだ。

 両チーム共に卑怯な手を使わずに戦っている場合に限るのだが、相手への尊敬というかもっと単純に漫画でよくある河原で喧嘩した後の不良同士のような「なかなかやるじゃないか」「お前こそ」といった憎むべき敵ではなくて尊敬すべきライバル同士のような心情が生まれるのだ。


 俺も酔いどれに近づいて青いユニフォームを脱ぐ。ちょっと汗臭いがそれはお互いだと勘弁してもらおう。

 童顔に戸惑った表情を浮かべていたが、俺が彼の十番を指差すとどうやら俺が交換したがっていると気がついてくれたようだ。すんなりと応じて小さめのサイズであるユニフォームを渡してくれた。

 未来のスペイン代表にもなり世界に名を轟かせる選手だ、いつかこのユニフォームもお宝になるかもな。俺がそうにんまりしていると、酔いどれもどこか悔しさだけではなく少し興味深そうな表情で俺が渡した日本代表のユニフォームを眺めている。

 だが、俺が見つめているのに気がつくと表情を引き締めて手を差し伸べてきた。

 こっちは逆に頬を緩めてその手を受け取った。

 試合中とは違い今度はどちらとも無理に相手の手を締め上げようとはしていないごく普通の、だがしっかりとお互いの掌を握る握手である。

 そして、酔いどれは去り際に俺がこの試合で初めて覚えたスペイン語を呟いた。


「ブエナ・スエルテ」


 その言葉は前回彼に言われた時とは異なり、すんなりと胸に染み込んできた。

 ――ああ、判ってるって。言われなくて頑張るに決まってるだろうが。

 でもこっちばかりがスペイン語を教わるってのも面白くない。

 酔いどれにも一言だけ日本語を教えてやろう。短い単語なら覚えられるだろうし、これからきっとこいつとは何回も顔を合わす事があるに決まっているからな。

 ええとどんな単語がいいだろうか? やはり「頑張れ」と言い返すべきか、それとも「幸運を」がいいかな。いや単純に「さよなら」も捨てがたい。

 だが結局俺が選んで酔いどれに対して口にしたのは別れではなく、再会を約束する言葉だった。


「またな」


 いつかこいつとまたピッチで戦い、そしてお互い「またな」と言い合って別れる。それは俺にとって想像するだけでも楽しくなる未来予想図だ。

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