第四十九話 とにかく士気を高めよう
たとえどんなに化け物だろうが、今は無邪気に踊っているだけの相手をずっと睨み付けていても始まらない。
俺達日本代表は気を取り直し、お互いを鼓舞するために大声を交わし合う。
正直今の失点は交通事故みたいなものだ。これからはさらに長距離からのシュートにも警戒しなければいけないが、誰が悪いという訳ではない。反省をするのは試合後にして、酔いどれから受けた衝撃は忘れてしまうのが上策だ。
だからこんな時に叫ぶように大声で話し合うのはストレスを発散するガス抜きにもなり、さらに仲間の声が耳に届くと「一人で戦っているんじゃない」という安心感が生まれる。
劣勢の時には、俺も自分のキャラクターには合っていないかもしれないが雄叫びを上げることもあるのだ。今も酔いどれ一人に重苦しくさせられた雰囲気を変えるために、味方に対してすでに彼らも承知しているはずの指示をもう一度繰り返す。
「酔いどれのマークは俺が受け持つから、ディフェンス陣はいきなりのロングシュートに対してだけ注意してくれればいい!」
「僕は船長に付くっすから以下同文っす。ラインを上げるのとロングを防ぐのは大変っすが、後ろの方の守りはDFと石田さん任せたっす!」
「了解だ。いつもの無茶ぶりに比べればそのぐらいは軽いぞ!」
「あ、石田さんには中盤のスペース消しだけでなく、万一僕達が抜かれたらそのフォローもお願いしてるっすね。その上でそれ以外の選手がロングを撃ちそうになったら、そっちの方もなんとかしてくださいっす」
「……うん、善処するよ。まあ、そのぐらいの追加業務は覚悟していたしね」
苦笑して頷く中盤の守備の要である石田。どうも彼は厳しい仕事を無茶振りすればするほど輝くタイプみたいだな。よし、だったらこれからもどんどん彼に仕事を割り振ろう。
なぜか悪寒を感じたようにぶるっと身を震わす日本のアンカー役が頼りになるのを再確認できたな。ディフェンス陣がまだ落ち着いているのに少しだけ安堵の感情が湧き、心拍数の落ち着いた俺は改めて自分の戦うべき相手を見つめる。
自分より小さい――つまりこれまで対峙してきたライバル達よりはずっと小さいはずなのに、それ以上の威圧感が漂ってくる。
間違いなくこの「酔いどれ」ドン・ファンが本物って事だよな。
失点直後で場違いかもしれないが俺の唇は引き締めていたつもりが勝手に綻びる。いつものボールで遊ぶ時に自然と湧き上がってくるような微笑みだ。
怪我をしてサッカーが出来なくなった後、諦めきれずに同年代で活躍しているこいつのプレイ動画を嫉妬混じりに何度も見直したりしていた。そして、やり直してまたサッカーができるようになってからは、記憶にあったこいつのプレイをさんざん真似したり技術を盗もうとして試行錯誤していたものだ。
その憧れていた相手の「酔いどれ」ドン・ファンが目の前に立っている。この少年が贋物なんかではなく倒しがいのある敵で本当に良かった。
そこまで思考を進めてまた両手で己の頬を叩く。今はそんな感傷に浸っている場合じゃないだろ!
もう審判が再開しようとしているじゃないか、しゃっきりしろ!
「すぐに逆転するぞ!」
「おう!」
俺が景気付けに吼えるとそれに応じる上杉と山下先輩に島津といった攻撃的メンバー。
彼らには気落ちした様子は全くない。うん、こいつらがいればきっとスペインの攻撃力にも対抗できるはずだ。
……まあいつの間にか島津が攻撃的な面子の中に混じっているのはもう気にしないでくれ。少なくとも俺は気にしていない。なぜならほら、今も島津に「お前も上がるのか!?」と指摘した石田が「ええ、気にかかるならば俺の後方のフォローも頼みます」と新たな任務を追加されたからだ。
石田が順調に貧乏くじを引き続けているのに、酔いどれとの対戦を控えている俺まで首は突っ込みたくない。
一名だけ顔を引きつらせている人間がいるが、とりあえず日本代表の攻撃陣は活力を取り戻した。守備側はというと……真田キャプテンが手を叩いて声を張り上げ、必死に皆を鼓舞しているな。
うん、彼に任せておけば大丈夫だろう。
それにここだけの話、うちのディフェンスは点を取られるのに慣れて免疫がついてるしな。いくら開始直後のスーパーゴールとはいえ、先制されたぐらいで今更ショックは受けないだろう。
DFの誰かに聞かれたら怒られそうな感想を抱きつつ、俺の精神状態はまた戦闘モードへと切り替わった。
敵の守備の特色についてもう一度思い出す。
ここまでの試合でスペインはほとんど失点していない。だから強力なDFを揃えているかと言えばそうでもないのだ。
ではなぜ点を取られないのか? その秘密にもおそらく今大会随一の質を誇る彼らの中盤の仕業が関わってくる。
まず異常なまでに自分達がボールキープする事に拘っているために、ボールを支配している時間が長い。イコール敵に攻められる回数が少ないという訳だ。
次に積極的に前の方からプレスをかけ、中盤ではさらに激しく人数をかけて組織的なプレッシャーとパスカットの網を広げている。そのプレスの仕方はイタリアやアメリカ式の体力やパワーに任せたものではなく、速く・上手く・規律正しい技術的なものだった。
これまでの試合では通用していた、のろのろとしたパスや不正確なボールなどは全てスペインに奪われてしまうのだ。
その厳しい中盤を飛ばそうとしてのロングパス一辺倒では、相手の攻撃も単調にならざるえないためにスペインデイフェンスも警戒するポイントが絞りやすく守りやすい。
つまり「中盤で主導権を握っている」のがスペインの攻撃にも守備にも好影響を与えているのだ。
――ならば、日本の中盤を預かる者としてやることは決まっている。
世界一の中盤を叩き潰して、こっちが世界一の中盤になるしかないって事だよな。
◇ ◇ ◇
「酔いどれ」ドン・ファンは再開された後も、笑みを絶やすことなくこの試合の展開を楽しんでいた。
それは試合開始直後の超ロングシュートが決まったからではない。失点したから追いつくためには仕方ない面もあるとはいえ、日本が得点するために攻撃的な戦術で真っ向勝負を挑んできてくれたのが嬉しいのだ。
元々スペイン代表は強豪だった。しかも彼が加入してからはヨーロッパ予選を通じ勝ちまくっているのだ。そんなチームと真剣勝負の場でリスクの高い攻撃的な戦術を取ってくる相手はほんの僅かしかいなかった。
少なくとも酔いどれが試合した中ではまともにやり合った感覚があるのは二・三チームしかなかったのだ。その数少ない場合でさえも彼がまだ遊び足りない内に、どの相手もスペインの中盤とのあまりの実力差と次第に開いていく得点差に耐えかねて早々に攻撃的な作戦からの変更を余儀なくされていたのである。
だから実力はともかくとして、前半の半ばを過ぎたこの時間まで自分達に正面から懸命にかかってくる日本のチームには敬意を払っている。彼にしてみたら、からかうのにはちょうどいい元気で負けず嫌いな遊び相手を見つけたようなわくわくする気持ちになってしまうのだ。
「こら、ドン・ファン。にやにやするな」
「いや、でも嬉しくてさー」
スペインのミスからボールが外に出てしまい、珍しく日本からのゴールキックで再開されるまで少し空白になった時間ができた。
こうした凡ミスが起こる事自体が、日本が少なからずこちらへプレッシャーをかけ返しているという証明ではある。
その僅かな間を使い、スペインの要であるフェルナンドがドン・ファンに近付いてきた。
キャプテンであるフェルナンドが注意しても、酔いどれの緊張感のないにやけ顔は収まらない。それどころか、せっかく遊べる相手が来てくれたのに無愛想な歓迎では失礼じゃないかと一層笑みを深める。
「大丈夫、油断なんかしないよ。こういう日本みたいなチームが好きって言うのは、じっくりと楽しみながら潰せるから好きなんだよね。特にあのアシカみたいなテクニック自慢の奴は大好物。ストリートじゃ毎日あんな生意気な相手の子供を泣かせてたからなー。今日も、これまで通り生意気そうな相手を尻餅つかせて泣かせちゃお」
「……俺にはお前の方がずっと子供っぽく見えるんだがな」
はしゃいだ様子で「ここなら相手を泣かせてもその親から怒鳴られたりしないしねー」と拳を固めるドン・ファンにフェルナンドがぼそりと呟く。
「一対一でお前が引けを取るはずがないが、油断だけはするな。それとあのアシカって奴を抜いた後でも手を緩めるなよ。そのままきちんとゴールまで繋げるんだ。また予選の頃みたいなDFを抜くだけ抜いて後は知らんといったふざけたプレイをしたら許さんぞ」
「了解、船長」
びしっと敬礼して片目を閉じる酔いどれに、何かを諦めたかのようなため息を吐いて首を二・三度振ったフェルナンドが念を押す。
「この試合が終わっても、また次にはたぶんカルロスって遊び相手を用意してやれる。だからできるだけ真面目に頼む」
「うん、判ったって! 日本のチームとアシカを真面目にきちんと叩き潰せばいいんだね。さっきはシュートコースが空いてたからついうっかり撃って入れちゃったけど、今度はちゃんと誰の目にもアシカより俺の方が上だと見せつけてからゴールするよ」
「……そうだな、頼むぞ」
仮にも準決勝へ勝ち上がってきた相手に「ついうっかり」であんなロングシュートのゴールを決めてしまう酔いどれに、さすがのフェルナンドも少し退き気味だった。