第十七話 後ろ向きでも役に立とう
キャプテンの言うことに間違いはないな。
それが三回戦を迎えた俺がまず感じた印象だった。対戦相手と対峙しての感想としてはややずれているかもしれないが、キャプテンの言った通りだというのが正直な俺の思いであった。
なぜなら試合開始直後から密着マークが一人ついてきたのだ。俺専用のマーカーとは敵さんから脅威と認められたってことか、やっぱりまだどこか面映ゆいな。頬をぽりぽりかいて山下先輩の方を伺うと、こちらも想定通り先輩にもマークが影のようにくっついている。
まあ、このぐらいは朝練でのシミュレーション内である。ただここで問題になるのはこのマーカーがどれぐらいの実力の持ち主かだよな。試す意味で少し揺さぶってみようか。ボールを持っていない状態だが、素早く二・三歩ダッシュしてマークを引き剥がそうとしてみる。
ふむ、なかなかいい反応で遅滞なく追いついてくるな。
俺をマークしているのは背番号が二十番で細身の少年だ。ほとんどゲーム展開には目もくれず、俺の動向に注意を払っているようだ。うん、どうやら対人マークの専門家っぽい感じだな。ボールテクニックは判らないが身体能力は高そうだ。
だがいくら俺にだけ神経を集中していても、仲間とのコンビネーションまでは気が回らない。俺を前に向かせないのには一生懸命だが、DFラインから廻されるパスは比較的楽に受け取れた。
ボールを持ったままバスケットのゴール下のように背中で押してもそれ以上の力で押し返された。ターンしようとすると回りたい方へと体を寄せられる。ここまでべったりと張り付かれるとちょっと厄介だな、テクニックを披露する前に圧力で潰されそうになる。軽く舌打ちして一旦ボールをキャプテンに戻す。
背後からの圧力がすっと消えた。ボールのない所での接触プレイはこの年代では厳しくファールを取られる、その対策のためにボールを持った時にだけ激しくプレッシャーをかけるのだろう。
よし、大体判ったな……。それじゃ始めようか。
マークを引きつれたまま十メートルほど前へ進む。このボールを持ってない段階でゆっくり歩くスピードでポジションを上げる俺を止める手立ては相手にはない。ボールを持っていれば厳しいチャージやタックルができる。走っているなら「ついうっかり」足をかけてしまう事もあるかもしれない。
だが散歩のようにのんびり進む俺に対してはマークについた二十番が何か問いたげな表情でくっついて歩くだけだった。そりゃそうだよな、マークしている相手がにこにこ笑いながら歩いて自分達のゴールへ向かったら何を企んでいるのか気になるよな。そうなるようにあえて満面の笑みを浮かべているんだから不安に思ってもらわなければ割りに合わない。
マークマンがどこか怯えた雰囲気を漂わせ始めた時「勝った」と俺は思ったね。だが、試合後のチームメイトによると「噛み付きそうに牙を剥いたアシカが相手の喉笛の辺りを見ながら歩み寄っているように」見えたらしい。俺ではなく相手に同情していたようだ。普段はへらへらしていると指摘されるのに、作り笑いはどうにも苦手だな。
それはともかく俺は本来のポジションの一つ上――つまり山下先輩の隣辺りまで上がって来ていた。ここまでくるとマークしていた二十番だけでなく、他のDFからの視線も厳しい。
その最中俺はFWの二人に良く見えるよう右手の人差し指と中指を突き出した。相手チームからの視線がいぶかしげな物に変わり、FW陣は合点と頷く。
FWが了解したのを確認した俺は後ろを向いて「キャプテン」とボールを要求する。上がったせいで若干距離のあいた位置からでもさすがキャプテンである、正確で早いパスが俺の足下にもたらされた。ここでも二十番はボールを取りに来ないのは予想通り。背後にくっついて前を向いてプレイさせない事に全力を注いでいる。ここまで一つのプレイを潰すのに専念されたらいくら俺でも前は向けない。
だから俺は一切前を向かずにヒールでDFラインの裏にスルーパスを出した。パスを受けるトラップでワンタッチ、即ヒールキックのツータッチでゴール前に出したのである。FWの位置など確認していない、ノールックというのもおこがましい山勘頼りのプレイとしか敵には思えなかっただろう。
だが俺には前線のポジションを全てチェックできる鳥の目があったのだ。味方であるFWの位置は勿論、敵DFの並びまでもが正確に脳裏に映し出せる。ヒールキックという点以外は普通のスルーパスを通すのと大差ないのだ。
そこで問題となるのはタイミングだけだが、これも事前に指を二本立てて「ツータッチでスルーパス」と知らせておいた。おかげでFWは俺がトラップした瞬間にダッシュをかけて、パスが出るぴったりのタイミングで最終ラインを破っていた。
後はゴールに流し込むだけだ。俺が振り返った時には全てが終わり。点を取った先輩FWが雄叫びを上げて走りよって来るところだった。それじゃ、また祝福にいきますか。先輩の頭や背中を公然と叩けるいい機会だしね。
先制点を取られた相手は一層マークを厳しくしていた。とはいえ人数は同じ十一人だ、俺と山下先輩に過剰なプレッシャーをかければ他の所に穴があく。ほら、この場合はサイドだな。
中盤の底を支えるボランチの二人とDFまでが俺達を包囲しようとしてくるのだ、外が緩くなるのも当然だろう。次に俺にボールが渡ったらサイドMF――すでにウイングと呼ぶべきポジションにまで上がって来ている――にまたしてもヒールでパスを出す。
サイドの深い場所で俺からのボールを受け取ったMFには、ディフェンスが追い付いてこない事もあり、中央をよく観察してからセンタリングを上げるだけの余裕があった。
その間に俺もニアサイドであるゴール正面よりもセンタリングを上げるのに近い方へと駆けつける。これももちろん鳥の目によって一番守備の人数が手薄なポイントだと判断しての行動だ。だが、少しそれは甘かったらしい。俺が絶好の地点にたどり着いたが、ダイレクトでセンタリングは上がらずに一拍おいてから蹴られたのだった。その直後に息を荒げてマークする二十番とDFに囲まれたのだ。
ち、まずったかな。一番のウィークポイントだったはずなのに、一気に人口密度が高くなってしまった。同じ場所でヘディング争いになったら背の低い俺では勝つのは難しい。
ちょっと悲観していたら狙いを定めたのかセンタリングが上がっていた。それはニアにいる俺と守備陣を通り越して、ファーサイドにいるFWにピタリと合った。キーパーまで俺につられてこっちに来ていたので、うちの長身FWは随分と余裕を持ってヘディングを地面に叩き付けて今日二ゴール目を記録した。
よし! チームメイトに従って俺もガッツポーズをとるが、目の前にセンタリングでアシストしたサイドMFが駆けて来たので「あの、ちょっと」と呼び止めた。
「なんだ、ほらあいつの頭叩けるの今ぐらいなんだから早く言えよ。ったくあいつは俺を差し置いてあんなに背ぇ高くしやがって」
「あ、すいません。あの……ディフェンスに囲まれる前、一拍早いタイミングならノーマークの俺に出せましたよね?
何で俺に出さな……いや目を逸らさないで、なんですか「すまん」って? 「アシストが欲しかった」? どういう意味……「逃げるんじゃない、あいつの頭を叩きに行くんだ」って先輩……」
まずいな。ゴールに浮き立つ我がチームとはまた別に、あまりに得点能力がない自分のプレイスタイルに対しチームメイトからどう思われているか不安を感じ始めていた。
それと同時に自分をマークしている選手の焦りに満ちた視線にも気がつく。
ホイッスルが吹かれ、ゲームが再開された。二点リードしている俺達としては三点目を取って止めを刺しておきたいところだが、相手側としてはハーフタイムまでに一点でも返して折り返したいだろう。
当然攻め合いになる――かと思いきや意外に静かな展開になった。
相手も負けているからといって無理なパワーゲームを仕掛けてくることもなく、サイドからの突破に戦術を変えてきたのだ。俺の得意なのは中盤でのスペースを利用した駆け引きである。サイドの攻防はそれらよりもむしろスピードとスタミナが要求されるのだ。もともとうちは三・五・二のスリーバックであるために、四・四・二の布陣の相手方が中央は諦めてサイドのMFとDFだけに攻撃を任せたら守るのは難しい。
しばらくは左右のサイドラインでボールと選手のアップダウンが繰り返されていた。俺も右サイドバックが上がってくればケアしにいくが、それ以外ではボールになかなか触れない。
前半終了が近づいてくる中、俺はじっとチャンスを伺っていた。おそらくそれはずっと背後についているマーカーも同じだろう。俺はパスでチームに貢献しているからまだしも、後ろの少年には目立った活躍がない。実際は結構「邪魔だなぁ」と俺のプレイに妨げにはなっているのだが、傍目からは余り役に立っているとは見えがたいだろう。ここらで一発仕事をしたいところだろうと推察している。
よし、その時好機が訪れた。サイドを縦に突破出来なかった敵チームのMFが無警戒なバックパスでボールを戻そうとしたのだ。こんな目的意識のないふわっとしたパスが俺の大好物だ。気配を消して忍んでいた俺は全力でダッシュして、そのボールを手に入れた。パスの受け手のはずだったDFが急いで取り返しに来るが、その前にいつの間にか後に控えていたキャプテンへボールをはたく、こんなフォローを試合中ずっとこなすキャプテンは本当に頼りになるぜ。
ボールを手放すとサイドから一息で中央に進出する。斜め前への全力疾走だ。俺がサイドへ開くのについて来損ねたマーカーが必死な顔で追いかけてくる。そこへポンとキャプテンからボールが配給され、まだマーカーに追い付かれていない俺はダイレクトで山下先輩に流す。さらにワンタッチで返されたボールを持ってペナルティエリアに侵入しようとすると、ここで二十番が追い付いてきた。エリアの一歩手前で進路を遮る焦った表情の二十番に、にやりと笑みを見せつけると半回転して背を向けた。
またもヒールか! と反応しかけた相手に対し俺はそのまま一回転してマーカーをかわす。単に意味もなく一回転しただけだが、ここまでさんざんヒールでスルーパスを通されてる相手にしてみればルーレットで抜かれたような錯覚を覚えたかもしれない。
脱出成功、あとはキーパーとの一対一だ。俺はこの有利な状況でのゴール率が極端に悪いのだが、今回は外す気がしない。なぜなら、そら来た!
後方からのタックルに合わせて、足を宙に浮かして蹴られるダメージを最小限に抑える。ただ倒れ込むのではなく受け身を使って肩から着地し、ぐるりと回転して倒れる衝撃を逃がす。
ホイッスルが鳴り、審判がペナルティ・スポットを指さした。よし、PKゲットだぜ。
しばらく体を横たえていたが、キャプテンの差し出した手にすがって立ち上がる。ファールされる準備をしていたおかげで刈られた右足に痛みはなし、ほとんど「押されたような気がする」程度のダメージだ。左もオーケー、受け身でぶつけた肩も問題ない。よし大丈夫だ。
立ち上がった俺に全員がよくやったと頭を撫でる。さすがに倒れた奴の頭やぶつけた肩を叩く常識知らずはいないようだ。
ベンチを振り向き右手の親指を立てると、ほとんどのメンバーが同じ仕草で返す。ただ、監督はあまり嬉しそうには見えなかったが、俺が怪我してないか心配してるのだろうか?
さて、俺がもらったPKだとペナルティエリアに入るが、そこにはすでに山下先輩がいた。
「あれ? うちはPKを取った人が蹴るんでしたよね」
「ああ、そうだが……」
と蹴る山下先輩のみならず他の先輩方もばつが悪そうな表情をする。どうしたんだろう? はっきり言ってくれればいいのに。皆が顔を見合せていっせーのと声を揃えて返事をした。
「アシカがPK蹴ると外すから」
「……」
「あ、いや足怪我してないか? 心配だからちょっと休んでろよ」
そうなんですか。あ、監督が呼んでるから俺下がりますね。急にテンションが落ちた俺はベンチの交代の指示に従いとぼとぼとピッチを後にした。
微妙に納得がいかない点もあったが、とにかくこれが俺の三回戦出場記録だ。