第四十話 バスケットボールに進路を変更させよう
「というわけで次の敵はアメリカだ」
「なにがというわけなのか判りませんが、とりあえず次の対戦相手がアメリカだという事についてだけは了解しました」
ミーティング開幕での監督の色々と省略しすぎた言葉にとりあえず一言突っ込んでおく。なぜかこのチームでの突っ込み役は俺だと皆に思われてるせいか、俺がやらないとくだらないボケがスルーされたままでの微妙な空気が長引いてしまうのだ。
年齢的には自分より遙か下の選手に突っ込まれたはずの監督が妙に嬉しそうだからまだいいが、本来の俺のキャラとは違ってきている気もする。
なんで最年少の俺がそんな役目を担っているのか真田キャプテンに尋ねた事もあるが、その返答は「ほらアシカって監督や年上相手でも物怖じしないし、知識はあるし、最年少だし、アシカだし」といったあまり要領を得ないものだった。大体アシカだしって表現は、このチーム内では通用しているようだが本当にどういう意味なんだろうな?
だが、以前に俺が突っ込みを怠って居心地が悪くなるほどミーティングの会話の流れが滞ってしまった事があったので、仕方なく今も俺がその役目をやっているのだ。
あの時「よし、行くぞ! 中国を倒しチャイナ!」とボケた監督と、静まり返った周りのチームメイトの「お前の出番だぞアシカ」といった救いを求めるような目は忘れられない。あれだけ人が集まっているのに秒針の動く音どころか、誰かの鼓動が聞こえそうなほど物音一つしなかったのはさすがにかなり怖かったぞ。俺に助けの手を求めるなんてのは、せめて強敵相手の試合中だけに限定してほしい。
この代表チームに合流してから、なんだか周囲の俺に対する認識と自分の理想像とが少しずつずれてきているな。
ま、でもこの山形監督は選手に言葉を挟まれるのが苦にならないタイプの指導者だから色々と助かってるんだよな。考えてみると俺と相性がいい指導者は小学生時代の下尾監督といい、どちらかというとそんな寛容なタイプの放任型が多い。
規律に厳しく選手を縛るタイプの松永前監督なんかは相性がどうこう言う以前の問題だったが。
とにかく俺からの言葉は監督の期待していたタイミングでの突っ込みだったのだろう、厳つい顔を綻ばせてミーティングを続ける。
「うむ、アメリカはスポーツ大国だが例外的にサッカーだけは世界の流行から外れていると思われていた。だが近年サッカーが盛んな国からの移民や、若年層でのプレイヤーの増加さらにはプロリーグの復活などによって侮れないレベルにまで急浮上している。元々科学的トレーニングに関するアプローチなんかではあの国は最先端だしな……いやでもさすがに今大会でイングランド代表に勝つまで急成長するとは思わなかったが」
「ええ、そうっすね。僕の予想でもイングランド有利は動かなかったんすけど、ホームで戦ってるイングランドでさえあのFWにほんの一瞬の隙を突かれてカウンターで失点してたっすね」
明智が補足しては鏡に映したようにそっくりな体勢で腕を組み、同時に首を傾げる二人。だが、俺からしたらそんなに悩む問題ではない。敵としてみれば各ポジションに名のある選手を揃えていたイングランドより、まだ番狂わせで勝ち上がったアメリカの方が戦いやすい相手のはずだ。
ただ今の二人の会話で気になる点があった。
「あのFWって誰なんです? アメリカに有名なFWっていましたっけ?」
前の人生の分を合わせても俺の記憶には同年代に有名なFWはいないのだが。
またも監督と明智が顔を見合わせたが、どちらかというと説明好きな明智の方が買って出たようだ。
「今話に出たジェームスって選手はアメリカでは有名なんすけど、それって他のスポーツで有名なんすよ。アメリカは素質のある子供は一人で何種目もスポーツを掛け持ちするのは多いっすけど、このジェームスって奴はバスケットでかなり鳴らした奴っすね。年齢別とはいえそっちの方でもオールアメリカンチームの一員だったそうっす。
それが他のスポーツもして運動能力を伸ばすクロストレーニングって名目でサッカーをやり始めたみたいっすね。それですぐに代表に選ばれるんだからどれだけの化け物っすか、まさに才能と運動神経の塊って噂っす。そしてサッカーでは無類の空中戦の強さでついたあだ名が「スラムダンカー」っすね。実際バスケットではチャンスがあれば常にゴールにダンクで叩き込んでいるスタープレイヤーだそうっす。
黒人でバスケットの選手という事は当然ながらかなりの長身の上、全身のバネとジャンプ力もとんでもないっすからヘディングの強さは今大会ナンバーワンじゃないかって評判っす。まあ、中国の楊クラスの空中戦の相手と思ってください。
ただまだ本格的にサッカーをやり始めてから日が浅いので、テクニックはまだ未熟みたいっすけどね。付け込むとしたらそこっすね」
明智が待っていたとばかりに喜々として自分の集めた情報を開示する。
「お、おう、そこまで詳しい情報を調べているとはな……」
「ちなみにジェームスがサッカーをやり始めた切っ掛けはアメフトをやろうとフットボールクラブに参加したら、それがアメフトではなくサッカークラブだったとかいう笑い話があるっすね。それでもやらせてみたらあんまり才能が有り過ぎてサッカーもやるように懇願されたのが始まりだったとかいう話っす」
明智の情報収集能力にちょっと監督も退いているようだ。そりゃ一介の中学生のはずが、協会のコネクションもある自分よりデータが豊富だったら驚くよな。
だが、さすがに次の試合が気になるのだろう、すぐに体勢を立て直し俺達を激励する。
「とにかく次のアメリカ戦は真っ向勝負だ、そんな半分素人のいるチームには負けるわけにはいかん! 守備の堅さでは今大会でも有数のイタリアから二点、ドイツから三点取ったうちの自慢の攻撃力を見せつけてやるぞ!」
「おお!」
俺達日本代表の全員の心は間違いなく「絶対に次のアメリカ戦も勝つ!」という意志で統一されていた。
もちろん相手のアメリカ代表やスラムダンカーについて警戒心が足りなすぎたと後悔するのだったが。イングランド代表を破ったのがフロックだとつい自分達に都合の良いように受け取ってしまったのである。
俺なんかもぼんやりとスラムダンカーなんてあだ名だったら、そのジェームスって奴がバスケをしている時は逆にフットボーラーとかダイビングヘッダーとか呼ばれてるのかななどと暢気に考えていた。
そしてこの時点では誰も気がついていなかったが、最もアメリカを甘く見ていたのが監督の山形だったという事が日本代表にとって洒落にならない事態を引き起こすのだった。
◇ ◇ ◇
「では次に日本代表とアメリカ代表の試合への展望をお願いします」
アナウンサーから明日に迫ったアメリカ戦について質問を受けた松永前監督が、画面の中で気持ち良さそうにその舌を回転させていた。
「アメリカはスポーツ科学が発達して運動能力が高い選手が多いのは、オリンピックでのあの国のメダル獲得数を思い出せば納得できるでしょう。そこから考えてもアメリカ代表のメンバーは全員の成長が早い為に体格が大きく、運動能力でも上をいっています。対戦相手が強豪のイングランドではなくアメリカになったとしてもやはり日本の不利は覆せませんね」
「日本代表はここまでアジア予選やグループリーグさらにはドイツ戦でも、平均身長などではかなり上回られているチームにも技術とチームワークで対抗して勝ってきました。それでもやはり不利なんですか?」
アナウンサーからの疑問に、はぁーといかにも人を馬鹿にしたような大きくため息を吐く松永。彼はアナウンサーを「気合いと根性があればどこが相手でも負けるはずがない」という妄言を吐く重度の精神論者であるかのような哀れみの目で見つめる。
「体格以上に身体能力の差は一番大きく勝負に影響しますよ。例えば……そうですね、より顕著にフィジカルの差が表れる女子でのサッカー日本代表――最近ではナデシコジャパンなんて呼ばれているようですが、外国人とのその身体能力の差はちょっと埋めがたい物があります。そして今女子サッカーで一番身体能力と実力が上で世界ランキング一位なのは、ブラジルやイタリアといった技術をベースにしたサッカー大国ではなくアメリカなんです。
おそらくナデシコがアメリカなどの体格や運動能力で大きく上回られているチームに勝つのは後数十年、いやそれ以上かかるかもしれません。目標と掲げているワールドカップ制覇などはまあ今のところ夢のまた夢でしょうね……っと、話が少し逸れましたがスポーツをしている限りは身体能力が上であれば圧倒的なアドバンテージがある事は間違いないんです。いくら今の代表が私が基礎を作ったチームといった点を加味しても良くて五分のどちらに転ぶか判らない勝負になるでしょうね」
なぜか元々の日本代表チームとは関係が薄く、女性差別になりかねない意見を平然と口に出した。
この松永による「日本の女子サッカーは世界で通用しない」発言のVTRを保管していた後のある指導者が、数年後の女子ワールドカップに優勝することとなるチームのメンバー達に見せた所凄まじい発奮材料になったという真偽不明な噂が流れるのだった。
そしてこの大会において数々の物議と話題を作り出した「当たらない松永の解説」はサッカー界で囁かれるあの男に褒められないように気をつけろという警告と一緒に長い間都市伝説として残るのだが、それはずっと未来の別の話である。
実際にリアルタイムでこの放送を目の当たりにした足利の幼馴染みである北条 真などは「大丈夫、大丈夫。松永が吠えれば吠えるほどアシカと日本代表が有利になるんだから……それに、これまでの予想に比べたらまだましな方だし」としばらく自分で小刻みに震える自分の肩を抱きしめるようにしてじっとしていた。
だが「うがー、やっぱり我慢できないよ!」と叫びつつパソコンのキーボードをとんでもない勢いでタイプし始めたのだ。彼女がどこに書き込みをしたのかは……まあ想像がつくだろう。
真だけでなく他の女性達やサッカーファン達も同じように感じたのか、松永のブログは即座に炎上した。だがそんなファンの行動とは逆に、彼が解説する試合の視聴率はアップするというおかしな現象がまたもや起こってしまったのだ。
こうして自分から油をまいて焼身自殺してるんじゃ? というぐらいの勢いで松永の炎上商法は成功し、彼の出演するスポーツニュースや解説する世界大会の視聴率はクレームの数が増えるのに比例するように好調に高く推移していく。
世界大会で勝ち上がっている足利達日本代表は自分達の奮闘による得失点の多い試合の面白さだけでなく、それに加えピッチ外での実況席から巻き起こされる騒動などでネットだけでなくテレビでも話題になった。
そんな、ちょっとサッカーの本筋から離れた野次馬的な興味によるものまで加わりますます山形監督の率いる若き日本代表は注目を集めるようになっていくのだった。
それがいいのか、悪いのかは別として。