第三十九話 前監督の予想を楽しもう
審判が短く二度鳴らした後に長く笛を吹き、試合の終了を告げる。
その音色に日本の青いユニフォームは飛び上がり、ドイツ代表の白を基調としたユニフォームはピッチへと崩れ落ちた。
長かった。上杉の勝ち越しゴールから三分も無かったはずなのに、たったそれだけの時間を守りきるのがこんなに精神的に疲労するとは思わなかった。
もちろん普通のチーム相手ならここまで苦労はしない。だが相手は皇太子ハインリッヒと爆撃機ヴァルターを揃えたドイツ代表で、そいつらがリスクや後先を考えないパワープレイを仕掛けてきたんだ。僅かな間だとはいっても抑えるのに手を焼いたって仕方ないじゃないか。
だが勝ちさえすればその喜びがこれまでの試合中の疲れを全て吹き飛ばしてくれる。
日本代表のメンバーは、皆が跳ねるような足取りでチームメイトの誰彼となく肩を叩きあってお互いを祝福し合っている。俺のところにも試合中によく絡む相手達が顔を輝かせてやってきた。
「アシカもお疲れ様っす」
「今日はまあなかなか良かったで、ワイも二ゴールを決めたしな。残った課題はこの世界大会でどの試合でハットトリックを決めるかと、後何点とればワイが得点王になれるかやな」
明智はねぎらい、上杉は貪欲にこれから先の展望を語りまた自分の決定力をアピールする。まるで正反対のようだが、これで結構この二人も気が合うしプレイの相性も悪くないのだから不思議なものだ。
苦笑して俺も二人を祝福する。
「明智は今日も俺のフォロー色々としてくれて助かりました。そして上杉さんにはちゃんと一点目綺麗なパスを通したじゃないですか。これからはもっと敵のレベルも上がるんですから、得点王になりたいとかあんまりワガママ言わないでくださいよ」
「なんやて! 別にワイが点を取りたいんやなくて、日本の為にゴールをしたいだけやで。得点王の事なんか一切気にしてへん!」
視線をこちらから観客席の方へと泳がせながら、まるで信用できない言葉を断言する上杉。ついさっき得点王について言及したばかりだろうが、本当にこいつは嘘が下手だなぁ。
俺達が笑顔で「じゃ日本が勝てば、上杉さんは得点できなくてもいいんですね」「え? ワイがゴールせんでどうやって勝つんや?」などと本気の混じりの会話をしていると、そこにドイツのユニフォーム姿の長身の少年が現れた。
何事か身構える俺の顔をじっと見下ろした後、皇太子が何か呟いて手を差し伸べてくる。常識的に考えると、これはたぶん握手なんだろうなと当たりをつけておそるおそる握り返す。
外れていたら恥ずかしいと思ったが、俺の手は想像以上にぎょっと強い力で握られた。その握った手を放した後に皇太子は射るような視線で最後の一瞥をくれて、さらにドイツ語で何か言葉をかけて去っていった。
どうにもいちいち動きが芝居がかっているというか、格好いいなあいつは。でも問題が一つ、皇太子が何言ってたかさっぱり判らない。
「挨拶したのはアシカだけで、ワイらは無視かい」
「まあ主にマッチアップしたのが俺でしたからね。でも結局何が言いたいのか判りませんでしたけど」
ドイツ語で話されてもなぁと肩をすくめる俺に救いの手が差し伸べられた。
「今のは「おめでとう、だが次は負けんぞ」って言ってたっすね」
「へえ、明智はドイツ語が判るのか?」
「はい。英語はもちろんっすが、ドイツ語・イタリア語・ポルトガル語は日常会話程度ならオッケーっすよ」
「ほー、じゃあサッカー強豪国との会話には不自由しないな」
俺が感心すると、明智は得意そうに少し鼻を膨らませて胸をそらす。うん、教養は凄いが態度は子供だ。
すると少しの間、黙って皇太子を見送っていた上杉が「なんや皇太子の奴は負けて一皮剥けたボクサーみたいや。次にやる時は厳しくなるかもしれへんな」と呟いた。それについては全く同感だな。少しだけチームに溶け込んでいなかった爆撃機との仲も改善されたようだし、次に戦う時はまた一段階強くなっているだろう。
だから明智の「その時はまたアシカに皇太子の相手を任せるっす」という言葉は聞き逃せない。
「なんで俺にばかり任せるんですか!?」
「そりゃこのチームの厄介事はお前が引き寄せたのが多いからやないか?」
からからと笑う上杉と「その通りっす。皇太子もアシカをご指名のようでしたっす」としきりに頷く明智に苛立つ。
野性的な上杉はともかく、明智からもそう思われてるのかよ。
正直明智にはサッカー以外でも一目おいている。今回判明した語学力にしても英会話ぐらいで手一杯な俺にとっては羨ましい話だ。そんな奴からトラブルメイカーと思われるのは辛いな。
俺も一応は優等生の端くれだが、正直少しずつ下降線を描いているのは否めない。
圧倒的にサッカーで時間を使うから他の教科は教科書を読んで、授業を聞いているぐらいしかできないのだ。それが昔にした勉強の記憶の掘り起こしと復習になっているから今は成績は目立って下がっていないだけだ。
だからサッカーを熱心にやりながらも何ヶ国語も話せる、素で頭のいい明智は不本意ながら尊敬してしまう。ただ一つだけケチをつけるなら、外国語を学ぶ前に普通に俺達と話す時にあの「っす」という口調を直すのはできなかったのかというぐらいだ。
まあ勉強については今は考えなくてもいい。何しろ俺達日本代表はまだこの世界大会に勝って次へ進めるんだからな!
まだまだ終わらない、世界から集められたサッカーのお祭りに参加し続けられる事に俺は満足していた。
◇ ◇ ◇
実況席の後ろの大きな画面では今日の試合のハイライトシーンとインタビューが映し出されている。
ヒーローインタビューに呼ばれた今日二得点の上杉だが、彼のいつもはつんつんと逆立てている髪は汗に濡れてしまい、きつめの顔立ちは勝利に綻んでいつもの不良っぽいイメージは随分と薄れていた。
だが彼の機嫌に反してインタビューは余り順調にはいかなかった。
「ワイが何で点を取れるかって? それは生まれながらのストライカーだからや!」「なんでワイがボクシングしてたかって? それも生まれながらのストライカーだからや!」といった出てくるのは勢いだけであまり要領を得ないコメントばかりだったからだ。
そんな映像をバックに、解説者である松永前監督とアナウンサーの二人が今日の試合のまとめに入る。
柔和な顔を僅かに勝利の興奮で朱に染めて、アナウンサーが語り出した。
「さて、ご覧のように見事日本代表は三対二でドイツ代表を撃破しました。松永さんによると優勝候補の一つであったドイツを破ったのは大きな自信になるんではないですか?」
松永はどこか面白くなさそうにこめかみの辺りをひくつかせて答える。
「そうですね。思った以上に皇太子ハインリッヒが不甲斐なかったですね。彼ならカルロスにも対抗できるかと思ったんですが、今日の出来ではとてもとても。いくら攻撃も受け持つと言っても三点取られるようでは守備の統率者として失格ですね」
首を振りながらドイツの主将でもある皇太子を責める松永。彼の解説はミスしたり調子が悪い選手を責める傾向が強く、あまり褒める場面はない。特にそれは日本代表が対象の場合は顕著である。
「なんとも厳しいお言葉です。とても試合前にドイツの皇太子を絶賛して、爆撃機ヴァルターを酷評していた解説者とは思えないコメントをいただきました」
もうそんな解説に慣れてきたのか、アナウンサーも皮肉たっぷりに言葉を返す。それにむっとしたのか松永は子供っぽく頬を膨らませて反論する。
「試合前は私の意見に同意していたアナウンサーの自分を棚に置いた態度には負けますよ。はっはっは」
テレビからはBGMとインタビューの続きが流れているのだが、この二人の会話のせいでそれらがかき消されるほど凄まじく白々とした空気になってしまう。
アナウンサーがそんな雰囲気を払拭しようと小さく咳払いをし、無理に明るくこれからの展望を語り出す。
「ま、まあ今日の試合は素直に日本の勝利を喜ぶべきでしょう。ですが、これで日本代表は次にベスト四の座を賭けてイングランド対アメリカの勝者と激突することになりましたね松永さん」
「ええ、おそらくですが対戦する事になるのはイングランドでしょう。やはりサッカーの母国だけあってレベルが高いのは当然ですが、今回は自国開催で慣れたピッチです。しかもこの年代から熱狂的なサポーター――フーリガンとまでは言いませんが強烈な応援が付いてます。これだけの強力なホームコートアドバンテージがある相手にどう日本代表が抵抗するのか実に楽しみですね」
「ふむふむ、松永は次も日本より相手のイングランドが有利と予想しているんだね」
解説者の松永が微妙に引っかかる発言をしても、なぜか真は眼鏡の奥の目を細めている。軽く握った拳を小さな口元にあてて、しきりに頷いている彼女の姿を不思議に思ったのか足利の母が小首を傾げた。
「あら真ちゃんはご機嫌ね。あんまり速輝にとってはいいニュースじゃなかったみたいだけど」
「この松永の解説と予想はよく外れるって評判なんですよ!」
テレビから顔の向きを変えて松永の予想の的中率の低さを説明するが、その真の表情はなんとも複雑だ。幼馴染みの足利と日本代表チームを悪く言われるのが愉快なはずはないが、その一方でイギリスと戦った場合の不利な点を指摘してくれればくれるほど逆に日本が有利になっていく気がするからだ。
「あんまり嬉しくはないけれど、これで次のイギリス戦はもらったも同然だね!」
いつも以上にイングランドの有利な点を並べ立てる松永に、最近は彼に対して怒るより呆れるか生暖かい視線を注ぐようになってきた真だった。むしろ、最近では彼がアシカを褒めたりするとなにか不吉な予感がしてしまうほどだ。
ある意味毒舌をもっと言ってくれとコアなサポーターから願われるという、得なポジションを獲得している松永解説者だった。
――だが真はこの二時間後、イングランド代表をアメリカ代表が破るという番狂わせの報に接し「しまった、今回の松永予想で逆になるのはそっちだったのかー!」と叫ぶこととなるのだった。