第三十二話 後半へ向けて作戦を練ろう
「よしよし、前半の出来は悪くなかったぞ。確かに終了間際の爆撃機の一発を喰らったのは余計だった。でもな、お前らは優勝候補の一角のドイツと互角にやれて、同点で試合を折り返しているんだからそれで悪いはずがないだろう? 自信を持つんだ! この日本代表は優勝候補とも対等に戦える、いや勝てるチームなんだと!」
山形監督がまだ僅かにチーム内に残っているブラジル戦惨敗の暗い雰囲気を完全に払拭しようと、大声を張り上げて味方を鼓舞している。
これは実際ピッチで戦っていたスタメンより、どちらかというと見守っていたベンチメンバーのBチームに向けての言葉だろう。それにプラスして爆撃機にしてやられたディフェンス陣にも効果がありそうだな。
実際、監督の演説を聞いている内に前半の最後という最も警戒が必要で痛い時間帯に失点してしまったショックから徐々に解放されているようだしな。武田や真田キャプテンなどDF陣の強ばっていた表情が柔らかくなっている。
さてここまでは士気を上げるための言葉で、ではどうやってドイツ代表に勝つかの具体論が続く。
「前半のセットプレイからの得点は良かったぞ。もう一回チャンスがあれば、今度も山下が狙うと見せて次はアシカか明智のどっちかが蹴ってもいいだろう。その場の判断で誰をキッカーにするかは任せるが、下手な小細工より直接ゴールを狙うという方針は変えるんじゃないぞ。
ああ、それと有効だからってもちろん無理にファールをもらいには行くのは禁止する。この大会の審判はダイビングなんかのスポーツマンらしくない反則には判定が厳しいし、第一ファールされるのは覚悟していても危ないからな。痛い思いせずに得点できれば一番いいんだ。敵DFの中に突っ込んだって、それで全員抜いてゴールができれば最高に決まっている。セットプレイでの得点はそれが出来ない場合の次善の策でしかない」
そう心配そうに付け加える山形監督は以前から判ってはいたが、勝敗よりまず選手の体を気遣うタイプの監督だ。勝負師としてはどうかと思うが、まだプロではない成長期の俺達みたいな選手としてはありがたい。
特に俺のような変わったプレイスタイルの上に体力が無くて途中交代が多いタイプは、監督によって使われ方が全く違う。これが俺みたいな選手を全試合フルタイムで酷使したり、「負けている試合の残り時間十五分限定のジョーカー」に役割を固定しているような監督だったらここまで活躍は出来なかったからな。それどころか怪我や体調を崩してもおかしくない。
まあ、そう言う訳でこの山形監督が代表監督を降ろされたら俺も困る。できるだけ協力してやるべきだろう。
微妙に俺からの評価を上げた山形監督が、拳を握りしめて顔を赤くして力説する。
「それとあのハインリッヒは運動量もポジショニングも読みも鋭い。DFとしてのあいつの能力は厄介極まりないが、そこが弱点でもある。何でもできるから自分で何でもしようとする傾向が強いんだ。
得点に関してはヴァルターに一任しているようだが、それでも攻撃のタクトを振るっているのはボランチやサイドアタッカーではなくあの皇太子だからな。攻撃でも守備でも大黒柱なんだからこそ、かなり負担も大きいはず。そこで極端に言えばあいつのリズムさえ崩せればドイツチーム全体ががたがたになる」
「でもあいつはそう簡単に崩れそうにないっすよ」
明智から容赦ない突っ込みが入る。うん、ピッチで直接対峙する俺達が誰よりもあの皇太子の隙の無さを痛感している。ちょっとやそっとで崩れるような柔なメンタルの持ち主には見えなかった。
それは監督も理解していたのだろうさすがに「何とかしろ」と丸投げはせず、攻略の糸口を指示する。
「ああ、さすがはドイツの皇太子様だけの事はあって崩すのは難しいな。だから……あいつには自分から崩れてもらおうか」
◇ ◇ ◇
「前半を終えて一対一の同点ですが、これは強豪で優勝候補にも挙げられているドイツ相手に大健闘と言って良いんではないですか? 試合内容もほぼ互角、いやひいき目かもしれませんが日本代表の方がきちんと中盤を作ってビルドアップしていたようでしたね。皇太子ハインリッヒからのロングパスで攻撃のスイッチが入ると決まっているドイツよりも、ずっとモダンな戦術のサッカーをしているようでした」
アナウンサーの言葉に欧米人のようにオーバーアクションで肩をすくめ首を振る松永解説者。彼の言動はテレビ映りを気にしているのか、段々と派手になっていくようだ。
「サッカーの戦術に古い・新しいは関係ありません。その戦術で勝てるかどうかだけが問題なんです。そしてドイツのリベロを使ったサッカーは確かに今の時代の潮流からは取り残されていますよね。ではなんでドイツのサッカー協会がこのシステムを認めていると思います? 勝てるからですよ。
ハインリッヒとヴァルターの二人がいればこの大会で優勝を狙えるだけの自信があるから、二人を最もいかせるこの時代遅れの作戦を採っているんです。偉大なドイツの先人もこう言っています「勝った方が強いチームだ」とね。その意味でこのドイツ代表は確かに強いチームですよ。ちょっと素人目で見たぐらいで、日本が中盤でのパス回しが上手くいってるからどうこうと判断してほしくないですね」
相変わらず実況席の二人の意見は噛み合わない。アジア予選から世界大会のグループリーグを経て、このアナウンサーと解説役の松永は協力するのではなくほとんどライバル関係になっていた。
もうこの番組の視聴者も慣れた物で、ある意味プロレスの実況のような感覚でこの二人のバトルを楽しみにしているファンも多いのだそうだ。真面目なサッカーファンは解説や実況の声がない会場の音声のみの副音声で試合を観戦しているらしいのだが、果たしてそれでいいのだろうか。
露骨に「素人め」と馬鹿にされたアナウンサーが額に青筋走らせながら、言葉は穏やかに語りかける。表情や感情がどうであろうと口調が乱れないのは訓練の賜物だろう。
「なるほど……しかし松永さんが試合前に酷評していた新型爆撃機ヴァルターが活躍しましたが、それについて何かご意見は?」
「ええ、そうですね。彼があれほどの選手だったとはこの松永の目を持ってしても見抜けませんでした。ですが、もしもマークしていたのが武田ではなく真田だったらもう少し何とかしたかもしれません。パワーと高さなら武田の方が上ですが、駆け引きに関しては真田の方が遙かに上手いですからね。私の頃からキャプテンを続けている彼の力を信じずに爆撃機のマークをさせなかったのが失点原因でしょう」
松永は自分の目が曇っていた事は認めても、依然として山形監督のやり方が悪いとの意見は頑なに変えない。別に山形監督の悪い点をあげつらっても彼の株が上げるはずがないのだが……。それなのになぜか松永の監督としての評価が上がるという摩訶不思議な事がまれにマスコミやネット上で起こっている。
ピッチ上での駆け引きよりも複雑怪奇な戦いがサッカー協会を中心として行われているのだろう。
それを不愉快に思っても、松永ほど自由裁量を持たないアナウンサーはかろうじて皮肉めいた会話をするしかない。
「……前半途中まで爆撃機のことを「私ならスタメンにいれない」とまで断言していた解説者とは思えない、相手のFWを最大限に警戒していたかのような貴重なご意見をありがとうございます」
「はっはっは、「確かに彼の体が重そうですね。爆撃機は重量オーバーですか」と同意してくれたアナウンサーから褒めてもらえるとは光栄ですよ」
――この二人はテレビで生中継されているというのを忘れているのではないだろうか? スタジオの皆がそう危惧し始めるとその淀んだ空気を読んだかのようにピッチ上に選手達が現れた。
もうすぐ後半戦が開始する為に軽いアップをしようと出てきたようだ。
実況席の二人も不毛な争いに嫌気がさしたのか目を互いからピッチへと移す。
「さて、では松永さんに後半戦の予想と注目選手をお伺いしましょう」
「そうですね、やはり注目選手では前半に得点したヴァルターと山下の二人は外せないでしょう。それにドイツの攻守の柱として皇太子ハインリッヒ、彼をどうにかしないとセットプレイ以外からの得点は難しいですよ。
それを前半はゴール前へのラストパスがことごとく皇太子にカットされてしまった、足利と明智の二人のゲームメイカーがどうするかが後半の見ものですね」
松永は彼にしては順当な予想を組み立てる。アナウンサーも松永にしては珍しく納得できる意見なのか「なるほど」と頷く表情には拍子抜けだと書いてある。
「ではずばり勝敗の予想は」
「もちろん日本を応援しているのは確かなんですが、足利と明智と言ったゲームメイカーが抑えられていますからね。攻撃と守備のバランス面で考えるとどうしてもドイツが有利なのは否めません。前半の最後になってエンジンがかかってきた爆撃機を始め、皇太子などの戦力を考えるとドイツが二対一か三対一での勝利が妥当なところでしょうか」
日本の国内ではそんな松永の言葉を聞いた途端、頭に血が昇るよりも「ほっ」と胸を撫で下ろす人間の方が多かった。こういう予想に関しては「日本に有利な予想だけはしないでくれ」と逆の方向で妙な信頼を得てしまっている松永だったのだ。