第三十一話 爆撃を受けてみよう
日本が先制し、ドイツボールでの試合が再開される。
するとここでドイツのDFと中盤がじりじりとラインを上げ、前よりも攻撃的な構えになってきた。
フォーメーションそのものはダブルボランチの四・四・二のままで変わりはない。だが、明らかに前線はそのままなのにそれを支える中盤とDFラインが上がってそこまでの距離が縮まっている。いや、この場合はDFでありながらゲームメイカーでもあるハインリッヒの位置が前目になった方が重要か。
再開されてから俺は皇太子の動きに気を配っていた。どう考えてもドイツ代表のキーマンはこの少年だ。
キーになるというならばもしかしたらヴァルターもそうかもしれないが、あいつは敵のゴール前で真価を発揮するタイプだ。そこは日本のDFに任せるしかない。俺が自分の力で何とかできるのはこっちのハインリッヒを相手にした場合だろう。
それに深い位置からでも正確に前線へとパスを届けられる皇太子とゴール製造機の爆撃機の距離が前半よりもさらに接近するなんて、どう考えても日本にとって碌でもないことしか想像できないじゃないか。
爆撃機ヴァルターについてはきっちり武田がチェックしているようだが、それでも相手はふらふらとオフサイドラインの向こう側など不規則に歩いていくために姿を見失わないように苦労しているらしい。
上杉もそうだが、生粋の点取り屋というのはどうにも他のポジションの人間からすれば理解しがたい。効率とか基本をすっとばしてストライカーとしての本能で動く傾向があるからだ。
上杉にパスを出す俺でさえ時々「なんであいつあんな場所にいるんだ?」と首を傾げたくなるのだから、マークする相手としては最悪だろうな。そういった本能を持ち合わせていないDFをスピードで振り切るのではなく、気が付けば姿を消して仕留めてしまう根っからのゴールの狩人達だ。
だが、心配ばかりする必要もない。何しろ現在リードしているのは日本なのだから。それに、こっちにも点取り屋としての嗅覚では負けていないはずのストライカーがちゃんといる。
ただ、その爆撃機に引けを取らないはずの上杉は、またも日本の得点だが自分ではない奴がゴールした事でちょっと頬を膨らませているのだが。
でもそんな不満はこいつにとってゴールへの飢えを募らせるスパイスにすぎない。まるで歴戦の兵士のように殺気を漂わせている背中を軽く叩きこう告げる。
「ドイツが点を取り返しに来ました。厄介なあの皇太子も前へ出ていますし、上杉さんがゴールするにはいい状況だと思いませんか?」
電流を流されたように体を小さく跳ねさせて、飢えでぎらついた目でこっちを向く上杉に「これからはドイツの爆撃機と上杉さんのどちらが早くゴールするかが勝負を分けます」と囁く。
「という事はワイにボールを集めるっちゅーこっちゃな?」
「ええ、向こうがラインを上げて来たのなら日本にもシュートチャンスが必ず来るはずです。それを逃さないでゲットしてください」
「ああ了解や、そやけど……」
不意に肉食獣染みた表情から、不安そうな少年の顔に戻って「今日はあいつに何遍もパスカットされてるけど、大丈夫なん?」と質問する。
一瞬だけ俺の手足が凍りついて動かなくなったが、うん大丈夫だ。今の質問にショックを受けたのは誰にもばれてない。できるだけ余裕のありそうな笑みを表情筋を動かして作る。
「……できないのならわざわざ上杉さんに声をかけたりしませんよ。パスを届けるのは俺の仕事です、上杉さんはそこから先のゴールにボールを叩き込む事だけ考えてください」
「お、おう」
上杉はすぐに頷くと、何かにおびえたようにそそくさとドイツ陣内の奥深くへ足を進める。きっと早くゴールしたくて気が急いていたのだろう。
全く、面倒をかけさせないでほしいものだ。こっちだってあの皇太子の読みをどうやって外すか頭をしぼっている最中なのに。
その頭を悩ませる対象のハインリッヒがドイツの守備陣で回していたボールを、今度はロングボールをすぐに蹴らずに持ったままでポジションをすっと上げてオーバーラップしていく。
ちぃっ、少しぐらいあんたを相手にする時には考慮時間をいただけませんかね皇太子殿下。
「ハインリッヒが上がったぞ!」
そう大声を出して味方に警告し、その彼の前に立ちはだかる。すると相手は軽く横パスと同時にダッシュ、俺の体を力付くで押し退けるようしてすれ違いざまにリターンパスをもらおうとする。基本的だがスピードとキレのある壁パスだ、でも俺をそのぐらいで抜けるつもりなら考えが甘い。
体勢を崩しながらもスライディングのように必死で足を伸ばして、ボールを奪おうとする。
技術が高く懐の深いハインリッヒから直接取ろうとするより、パスカットを狙う方が成功率が高いと考えての行動だ。しかし、その足が後僅かな所で届かない。スライディングの体勢に入った俺の肩を、最後の一押しとばかりハインリッヒが押したせいで伸びが足りなかったのだ。
バランスを崩しはするがファールにはならないぎりぎりの力加減である。
それでも前回の皇太子が俺のパスをカットしたプレイを繰り返すように、今度は俺の爪先にボールが触れる。
しかしそのコースが乱れてなおかつしかも俺が触ったせいでおかしなスピンのかかったパスでさえも、敵味方の集う中盤の狭いスペースで難なく足下に押さえてしまうハインリッヒ。
その目がボールから日本ゴールへ移された時、俺は尻餅をつきながら日本の守備陣に「頼んだぞ!」と叫ぶしかなかった。
明智や石田といった日本の中盤で守備を任されている仲間が来るより速く、皇太子の右足からまたもシュートと見間違えるくらいに鋭いパスが放たれる。
この時点での日本のDFである武田のとろうとした行動は間違ってはいなかった。
まずボールの軌道を予測し、次に自分がマークするべき対象の「爆撃機」ヴァルターの位置を確認してからボールを渡さないように動く。
ゴール前のヴァルターにパスを通さないようにするのが第一で、そのためには彼とボールの直線上に自分の体を割り込ませる。そうすればヴァルターは武田をファールででも倒さない限りボールを奪えないからだ。
だがその予定通りに事は進まない。
ボールの落下点近くへ移動し、そして爆撃機の姿をもう一度確認しようと武田が振り向いた時にはすでにヴァルターの姿は消えていたのだ。
ぎょとしたように居たはずの場所を二度見し、その後に慌てて左右を見回す武田だが、馬鹿そっちじゃないんだ! 相手のヴァルターはパスが出る直前に、お前の背後を回り込むようにしてオフサイドの位置からDFラインの後ろへ戻っているんだ。
あの爆撃機はこれまでにぼーっとしているようだったが、武田がマークする際の行動や振り向くときの回転方向やなどのプレイする際の癖を全部チェックしてやがったんだな。
それでどう自分が動けばディフェンスの死角に入るのかを、誰にも邪魔されないオフサイドの位置でチャンスを待ちながらじっくり準備していたのだろう。
「武田、後ろだ後ろ!」
近くにいた真田キャプテンが声をかけると、ようやく慌てて振り向いてマークすべき相手と向かい合うがこの時はすでにヴァルターは皇太子からの速いパスを受け取った後だ。
最も警戒すべき敵の姿を見失い、気がつけばそいつにボールが渡っている。
パニックになっている武田が止めるのは無理と見て、真田キャプテンが急いで抜かれた場合に備えDFラインの裏へのケアに行く。
だが爆撃機は強引に武田を突破しようとはしなかった。
目の前の混乱したDFであれば無視しても構わないと判断したのかそのままシュートを撃ってきたのだ。しかも上半身はほとんど微動だにせず、下半身――いやほぼ膝から下の動きだけで強烈なシュートが日本のゴールを襲った。
マーカーの武田はいきなり消えたかと思った相手をようやく見つけた瞬間にシュートされたのだ、反応できる訳もない。
真田キャプテンは武田が抜かれた場合のフォローしようとダッシュしていたのでこっちも防ぎようがない。
唯一の止められる希望のうちのキーパーでさえ、ほとんど予備動作の無いくせに威力は十分の爆撃機のシュートには飛びついてはみたものの触れる事さえもできなかった。
ゴールに入ったボールに向けて満足そうに頷くと、何一つ特別な事は無かったかのようにのっそりと自陣へ引き上げていく爆撃機ヴァルター。
日本のDFは手玉に取られた武田も含め、声もなくその鈍重そうなストライカーを見送る。
あいつはどんなひいき目でも凄いフットボーラーらしい雰囲気は漂わせていない。
だが実際にはほとんど独力で、しかも爆発的なスピードや高度な技術を使ったのでもなく気が付けば日本のゴールを簡単にこじ開けていたのだ。
どこか高慢な雰囲気の皇太子を含めて真面目そうなドイツ選手達から無邪気にそして手荒く祝福されるのを、むしろ面倒そうに手を振って応える爆撃機というドイツにとっては特に深い意味を持つあだ名を頂戴した少年、ヴァルター。このぐらいはあいつにとっては特別喜ぶような事じゃないのかのようだ。
そのいかにも得点して当然と言いたげな姿を、この大会が始まってから刻んだスコアの上では圧倒的な差をつけられている日本代表のエースストライカーがじっと睨み続けていた。
安心しろ上杉、お前の出番は俺が後半ちゃんと作ってやるからな。
これまで皇太子に得意のゴール前へのスルーパスを封じられた俺は固く誓う。俺と上杉のホットラインがこの試合程機能しなかったのは初めてだ。だが、ヴァルターが時間をかけて日本ディフェンスを観察していたように、俺だってドイツディフェンスの攻略法を考えていたんだ。後半もずっと同じだと思うなよ。
その内心の声が届いたはずもないが、タイミング良く審判が前半終了の笛を吹き鳴らした。