第二十八話 皇太子と爆撃機に挑戦しよう
「さあいよいよもうすぐ決勝トーナメントの一回戦、ドイツ対日本の試合が行われます。これまで厳しいアジア予選、そしてくじ運悪く強敵ひしめく死の組分けに入ってしまったグループリーグ。そのどちらの試練も乗り越えてきた若きアンダー十五の代表イレブンが挑む新しい壁は「皇太子」ハインリッヒ率いる古豪ドイツ代表チームです。
ドイツは予選・グループリーグとも一度として敗戦がない安定した戦いぶりでここまで勝ち上がってきました。専門家からも優勝候補の一角と評価の高いこのチームを相手に我らが日本代表はどう戦うのか、遠い日本からテレビでご覧の皆さんもぜひとも応援しながら観戦してください!」
テレビの画面からもうすぐ始まる試合を盛り上げようと実況するアナウンサーの声が響く。
リビングでこの日本対ドイツ戦の開始をじっと待っている北条 真も足利の母親も、この実況アナウンサーについては結構好感度が高い。ただそれはもしかしたら本人の態度ではなく、この大会で彼の傍らにいる人物に対する評価が酷いために相対的にアナウンサーの株が上がっているだけなのかもしれないが。
ほら、現に今だって「今日の試合はあのブラジル戦の二の舞にならないことを代表に期待したいですね」とさりげなく……いや、あからさまに解説者の松永は毒を吐いている。
それに対し「いやー前戦とはスターティングメンバーもフォーメーションも違いますし、誰かと違って山形監督はチームの建て直しが得意だそうですからきっと今日は大丈夫ですよ」とやり返すアナウンサー。
こっちも暗にカルロスがいなくなって代表を無様に崩壊させた松永を揶揄しているようだ。
お互いに「いやぁ、楽しみな一戦ですね。はっはっは」と無駄に白い歯を見せて冷たい瞳のまま表情筋だけで笑顔を作っている。
――スポーツ中継のはずなのに実況席ではサスペンスドラマのような雰囲気が漂っている。だが「このギスギスした空気がたまらない!」と固定ファンがついているのだから、人気とは判らないものだ。
一方の日本の一室では心配そうに画面をのぞき込む大小の女性の姿があった。
「速輝を見てると、試合前の方が心配してしまうのよね。なんだかいつも最初は真ん中に行って目を瞑っているから、あの子本当に大丈夫かしらって」
「あ、それ判ります。私もアシカがピッチの中央で寝てるんじゃないかってドキドキしちゃいますから! もうちょっとしたら試合中なのにニコニコしだすから安心するんですけど」
二人が夢中になってほんの少しだけ信用できない少年について話し合う。足利少年は実力とこれまでに残してきた結果は申し分ないはずなのだが、その特異なプレイスタイル故か基礎にうるさい頑固な指導者のみならず身内からも信用が不足しているようだ。
「あ、ほら日本とドイツ代表が出てきましたよ」
「うーん、なんだかドイツの子達って年代のカテゴリーが日本よりが一つ上なんじゃないの? 速輝や真ちゃんの中学にはこんなに体格のいい子いないでしょう?」
「身長だけならバスケットとかバレーなんかの運動部とかの先輩にもいます。だけど、なんだかドイツの選手達ってJリーガーみたいに筋肉がむきむきで、日本の中学生と違って体が出来上がっている感じですよね」
真が指摘する通り日本の選手達とドイツの選手達には体格差がある。しかも身長差より横幅の差が目立つのだ。日本でドイツのメンバーと比べてぱっと見で遜色無いのは、真田キャプテンと武田という体の強さを買われているセンターバックのコンビぐらいだろうか。
意外に思えるかもしれないが上杉は元ボクサーだったせいか、細く引き締まっていて単に見た目ではドイツ選手より頼りなさそうに感じるほどだ。
その日本代表の中にあってさえ頭半分近く低く、傍らのドイツ選手に比較すると華奢にすら見えてしまう足利は判官びいきもあってか、何度もテレビカメラが映している。
そして中継されている画面はすらりとした長身の彫りが深くハンサムなキャプテンマークを巻いた少年と、少し肉付きが良すぎるサッカー選手と言うより砲丸投げなどのパワー系のようなどっしりしたドイツの少年の二人組へと変わった。
「キャプテンマークを巻いているのが、ドイツの「皇太子」と呼ばれている注目の選手ハインリッヒです。その隣にいるのが……ええとヴァルター選手ですね。予選途中に急遽参戦した「新型爆撃機」とドイツ国内では呼ばれているFWです。彼についてはあまり資料がないのですが、グループリーグで五得点の荒稼ぎにより現時点で得点王に輝いている日本にとっては怖いFWですね」
「あー、ハインリッヒはアスリート能力と高い技術を兼ね備えた良い選手ですよ。私が育てたカルロス程でないにしても、十分大会の主役になってもおかしくないだけの実力があります。
ですが、隣のFWのヴァルターはどうですかね。画面越しにも体を絞り切れていないようですし、得点シーンも華麗なゴールより体のどこかにぶつかって偶然入ったようなのばかり。もちろんごっつぁんゴールを否定はしませんが、正直彼についてはそれほど恐れずに、皇太子へのマークを厳しくした方がいいでしょう」
松永の解説に思わず頷いてしまう真と足利の母親の二人。皇太子は雰囲気があるというかオーラみたいなものが漂っているが、隣のヴァルターにはなぜかまったくそういった物が見当たらない。だからこそ却って松永の言葉にひやりとする物を感じてしまう。
「まあ、専門家が怖くないって解説してはいるんだけど……」「松永が大丈夫って太鼓判押すのなら逆に……」
不安そうな顔を見合わせて、同時に口に出す。
「嫌な予感がするわね」
と。
◇ ◇ ◇
俺はセレモニーが終わるといつものようにピッチの中央付近で、目を閉じて体の調子と鳥の目を確認する。
うん、今回も問題なし。
試合を一回飛ばして休みをもらったおかげで心身ともに好調時のコンディションに戻っている。
鳥の目にしても、世界レベルの試合をするごとにピントが合い見える範囲がどんどん広がっていくような気がする。小学校時代はここまで広範囲をフォローできなかったように思うが、まあ成長に伴って便利になっているんだから文句を付ける筋合いはどこにもない。
さて自身が万全だとすると、次に気にかかるのは敵の様子だな。
どの情報源からもドイツ代表は強いと伝えられているが、実際はどんなものなのだろうか。
入場する際に、並んで歩いただけで体格面での不利は避けられないと悟ってはいる。だが俺にとっては体格面での不利など今更の話だ。というか、俺より小さい選手はこの大会に入ってからアジア予選を含めてもほとんど遭遇していない。
他の選手はどうか知らないが俺は端からパワー勝負を挑むつもりがないのだから、この体格差はそれほど気にする必要がないのである。
俺にとっての問題は……と今回の日本の攻撃に対する壁になるだろう「皇太子」を探す。遠く向こうのゴール前でキーパーと話し合っているようだったから、鳥の目で居場所をチェックしただけだ。
それにしても長身でハンサムと身体面では文句がない上に、サッカーの才能まで溢れんばかりに恵まれている、か。
他の事はともかく、せめて今日の試合ぐらいは勝たないとやってられないな。
そう嫉妬混じりに考えていたら、なぜかハインリッヒが眼光鋭くもこっちを睨み付けている。
あいつも日本の攻撃を操る俺を警戒していたのか? それとも――あいつ俺から鳥の目で観察されていたのに気がついたとでもいうのか? まさか、そんなはずはないか。
どちらにしろ皇太子の感覚が鋭いのは判った。それにあのイタリアの赤信号同様に一筋縄ではいかない独特の空気を纏ってやがる。
だが、俺達はなんとしてもこのリベロを攻略しなければならないのだ。確かに一人でゲームメイクと守備の柱の両方をこなせるのは凄いが、この試合においては攻撃のセンスなんか発揮させずに守備に忙殺してもらおうか。
こっちもあんたを倒すためにわざわざ幾つか作戦を練ってきたんだ。
皇太子と新型爆撃機の同居しているドイツチーム相手に手の内を隠して勝つとか、次の試合に向けて体力をセーブするとか出来るはずがない。
先の事は考えずこの一戦に全力をつぎ込む。惜しみなく用意してきた全ての手を使わせてもらうぜ。
ま、それより先に、まず俺達が最初にやらなければならないのは会場のムードを日本に持って来ることだな。なにしろドイツはこの年代であっても有名な選手がいるのだ。日本もイタリア戦で名前を売ったとはいえ知名度ではヨーロッパの強豪の方がここイギリスの会場では圧倒的なのは仕方がない。
だからドイツに勝つためには日本のサポーターだけでなくイギリスの観客に「おやドイツだけでなく相手も強いじゃないか。よし、頑張っている日本を応援してあげよう」と思わせて日本への声援を引き出さなければいけない。
そうすれば前戦の敗戦を引きずって多少まだ空気が固いうちのチームへのかっこうの景気づけになる。だからまずは試合開始直後に一発大きな花火を上げる事が必要だ。
これまでずっとセンターサークルから相手ゴールを睨んでいる上杉の背中をぽんと一つ叩く。
「では、ちょっとぶちかましましょうか」
それだけで俺が何が言いたいか察した彼の顔がぱっと輝く。いつもはやんちゃで鋭い目つきなのに笑みを見せると猫のように目が細くなるんだな上杉は。
遠く離れているはずなのに俺達のやりとりに不穏な物を感じたのか、山形監督がベンチから立ち上がる。だがもう遅い、ようやく今待ち望んだ審判の開始の笛が鳴ったからだ。
ドイツ対日本の戦いは、今大会二度目となる上杉のキックオフシュートから始まった。