第二十七話 気を取り直し、次の準備をしよう
「では、一回戦で当たるドイツ代表にどうやって勝つかミーティングするぞ」
山形監督は意図的に軽く語り始めたのだろうが、沈滞したままあまり雰囲気は良くならない。
せっかくグループリーグを突破したのにブラジル戦のせいで「やはり世界のレベルは高い」とチーム全体が萎縮してしまっているようだ。特に、絶対に勝つと気合を入れていたにも関わらず完敗したBチームの負った精神的なダメージは大きい。
あの後に練習試合をやっても俺達のAチームに苦も無く捻られてしまった。いつもはもっと手応えがあるんだけどなぁ、完全に自信を失ってしまっているようだ。
だからといって大会のスケジュールが彼らが立ち直るまでの時間を考慮してくれるはずもない。俺や上杉に島津などといった精神的に図太い人間以外はドイツ戦を前にしてもあまりよろしくないテンションのままなのだ。
ちょっと困ったように眉値を寄せる山形監督。そんな悩む表情作ると彼の厳つい顔が怒るよりもいっそう迫力を増すな。
「あーまあ落ち込むのも判らんではないが、切り替えて一回戦に臨まんとドイツ戦で前の試合と同じ目に合わされるぞ」
その言葉にぴくりと空気が変わった。前回のブラジルとの戦いの屈辱の記憶が、まだ強く近いからこそ傷に触れそうな事柄には敏感なのだ。
「へえ、そんなに強いんか? ドイツは」
周囲の雰囲気を察することのないマイペースなうちのエースが質問する。その問いに対する監督の答えはシンプルで短く躊躇いがなかった。
「強い」はっきりとそう断言して、ぐるりと俺達全員を見回す。
「専門家によってはブラジルよりこっちの方を優勝候補の本命にあげている人もいるチームだぞ」
「へえ」
今度は俺の口から思わず驚きの声が漏れた。俺の中の物差しはカルロスが基準になっているので、そのカルロスのいるブラジル以上と言うチームがあるのを信じられなかったのだ。
そんな俺の内心にはお構いなしに山形監督はドイツの情報をチームで共有しようと説明していく。
「ドイツは東西に分裂していた時代からサッカーが強かったのは知っているだろうが、その後に統一してからは当然もっと強い代表になると思われた。だが予想に反し年々成績が低下しているのを重く見たドイツのサッカーアカデミーが、年少の頃からエリートを育成するプロジェクトを立ち上げたんだ。今回はその成功例――というかドイツ史上最高の選手だった「皇帝」の後継者とまで言われる「皇太子」ハインリッヒが出場している。
時代遅れと言われ続けてとうとう変更が予定されていたリベロシステムは、こいつが出現しただけでハインリッヒの能力を最も生かせるシステムだからと続行が決められたといういわくつきの逸材だ。それからハインリッヒが中心となったドイツは、予選とグループリーグでもほとんどの勝利と少しの引き分けで負けはない。掛け値なしの強敵だな」
そうなのか? 俺が調べた時は確かに「皇太子」は目立っていたが、勝ちきれない試合も多くワンマンチームの強さと脆さを併せ持っていたような感じだったが。
「もちろん最注目選手は攻守の要である「皇太子」ハインリッヒだが、こいつはリベロで普段はDFの統率をするポジションにいるんだ。そんな奴にわざわざマークをつけたりするとうちの売りである攻撃サッカーができなくなる、オーバーラップしてきた時に注意するしかないな。だから日本の守備陣にとって警戒すべきそれ以外の人物は、ヨーロッパ予選中に急遽加わったFWの「新型爆撃機」ヴァルターだ。
グループリーグ終了時点ではカルロスやエミリオ、それに他国のストライカーを抑えて五得点で得点王になっている生粋の点取り屋だぞ」
ああそうだった、そんな奴がいたな。どうやら俺は現在進行形の情報を集めるのに一生懸命になりすぎて、逆行する前の同年代の選手をかなり記憶から消去していたようだ。
まあ、以前は存在しなかったはずの上杉とか新たな選手がいるんだから、あまりデータが前回の通りだと鵜呑みにするのはまずいが、もう少し思い出しておかないといけないな。うっかりに顔をしかめていると、俺の隣にいるチーム一の事情通から声が上がる。
「確かヴァルターは監督に嫌われていたせいで中々出番が回ってこなかったみたいっすね。でもハインリッヒの強い進言にしぶしぶ使ってみたら、毎試合得点するもんでスタメンから外せなくなったみたいっす。華麗でオールラウンダーのハインリッヒと違って彼の仕事はペナルティエリア内でのシュートだけ、完全に得点特化型のストライカーっすね」
「……つまり俺と同じっちゅーこっちゃな」
「ま、上杉さんやブラジルのエミリオと良く似たタイプである事はたしかっすね。一回彼らの動きをビデオで確認するのをお勧めするっす。どれだけこのタイプの選手が融通が利かなくて、守備の場面では役立たずで、パスが来るまでは「寝てんじゃないのか?」と間違われるぐらいぐうたらで、そしてペナルティエリア内では頼りになるのか良く判るっすから」
「……お前ワイの事嫌いやろ?」
山形監督が手を叩いて注意を促し、危険な方向へ進みかけた会話の針路を修正する。
「はいはい、上杉よ誰もお前の事を嫌っちゃいないぞー。それどころかエリア内では頼りにしてると言ってるんだからなー。
それよりも話が逸れたが、DFがドイツで警戒するのはまずこの「新型爆撃機」ヴァルターだ。加入してからこいつがドイツの得点の内の約九割を叩き出している。もちろん「皇太子」ハインリッヒにも油断はできないが、常に日本のゴール前にいるこいつを封じ込めるのが、まず打倒ドイツへの第一歩だと思え」
とDFを統率する真田キャプテンにきつく言い渡す。
「ヴァルターには武田が密着マークして気持ちよくプレイさせるな。お前ならそうそうパワーで引けはとらんはずだ。それと、ハインリッヒについてはオーバーラップしたと気が付いたらアシカでも明智でもすぐに大声でコーチングしろ。そしてアンカーの石田がすぐにマークに行くんだ。お前の守る中盤の底より前へは進ませるな、いいな?」
「了解です!」
元気よく石田が返事をする。こいつのマークはしつこさが特徴だからな、俺が一対一をしても腰を落して粘っこいディフェンスをする。そして抜いたと確信しても、その身体能力とスタミナを生かして後ろから再度チェックをかけてくるのだ。時間を稼ぐにはもってこいの人材である。
ハインリッヒが上がった場合でもこいつに一声かければ当座のストッパーにはなってくれるはずだ。
「じゃあ、守備はそれでいいとして攻撃はどうするんすか?」
明智からの質問に、監督が腕組みをして「判ってる」と頷く。
「ドイツのディフェンスはハインリッヒ以外ではキーパーが優秀だな。ドイツ代表のキーパーはこれまで外れがない。そんな、俺達からすれば嫌な伝統があるとはいえ、あの赤信号みたいな化け物染みたキーパーじゃないから安心しろ。それより守備組織がよく整備されているのが問題だ。ハインリッヒの指揮の下、かっちりとしたDFラインを作っている。いくら俺達が、イタリアの赤信号から点を取ったとはいえ簡単な相手じゃないぞ」
「まあでもイタリアのあんなキーパーでないだけ気楽や、いくらワイのKO率が高いとは言っても毎回倒すのは骨が折れるさかいな」
「……お、おう」
いまいち相手のキーパーの能力と上杉のKO率が関係してくるのかが謎だったが、監督もそこには触れてはいけないと華麗にスルーしたようだ。
「ハインリッヒをかわすのは難しいが、あいつはDFの内の一人でしかいないんだ。サイドを広く使って左右に振れ、常にゴール前にいた赤信号と違って釣り出せるんだからチャンスに焦らずにパスを回す方向でいくぞ。イタリア戦みたいにやたらとシュートを急ぐんじゃなくて、シュートチャンスを見極めろってことだな。それと、ハインリッヒが守備ではなく敵がボールを持ってる状態で前へ動いたら誰かが警告すること、これを忘れないように」
「はい!」
攻撃陣も一斉に返事をする。
それにしても次はあの「皇太子」かぁ……確か逆行する以前にテレビで見たのは二十歳でチャンピオンズリーグで戦っていた試合だったよな。若さに似合わない冷静さと技術を併せ持つ、すでに最高級の完成されたリベロだったんだ。
それにあのポジションはもはや絶滅危惧種というより、他にリベロをやっている選手を俺は知らない。たぶんこれから先も出てこないはずだ。
こんな国際大会でリベロをやれるのはDFとしての才能はもちろん、前へ出るタイミングを読むゲームの流れを見る目、攻撃のセンスとアップダウンを繰り返すスタミナ、そして周囲から認められる信頼感と批判をねじ伏せる結果など全てが揃っていなければリベロとなることさえ許されない。
つまり一種の天才しかなれないポジションなのだ。ディフェンスの組織化・近代化もそうだが、その才能を全部持っている人間が希少だからリベロというポジションが衰退していったのだろう。
そんな皇太子と新型爆撃機が相手か。さっきまで忘れてたけど、ヴァルターもドイツの若きエースストライカーって以前の人生で耳にした事があったな。確か怪我をしてしまったのと素行が悪かったとかでマスコミやドイツサッカー協会ともめていたんだっけ。
そのせいか皇太子ほど早く国際的な活躍はできなかったが、こいつも二十前後でフル代表に選ばれていた逸材だったはずだ。
……だからサッカー大国って嫌なんだよな、どんどん世界的に名の知られる名選手が生まれてきやがる。
敵の強大さに内心で罵声を上げ、唇の端がつり上がってしまう。
心境と外見がバラバラだが、これは仕方ない。敵が強いってのは冷静に考えればマイナスしかない。しかし、サッカー選手としては強い相手と戦えるのが嬉しくないはずがないじゃないか!
やれやれ全くもう、勝てば勝つだけより強い敵と楽しいサッカーが出来るんだから、国際大会はたまらないよなぁ。