第二十六話 凄いあだ名に冷や汗を流そう
「……えっと三対ゼロでの敗戦と大変残念な結果に終わってしまった今日の日本対ブラジルの試合でしたが、松永さんはどうご覧になりましたか」
「そうですねぇ」
口の端をひくひくさせて今にも笑い出したいのを我慢している素振りの松永が、モニターで自分の表情をチェックして慌てて手をデスク上で組み喜悦に歪む口元を隠す。
「こほん、やはりブラジルの方が地力が上だったという事ですね。特に今日の日本が採用した堅く守ってからのカウンターなどは強豪相手にとられる手としては常套戦術です。ブラジルなどはそれに恐ろしく慣れている――しかもカウンター戦術においてはより習熟していて日本の上位互換とも言えるイタリアを破っているのですから、カウンターで戦うと選んだ時点で山形監督はこの結果は予想していなければなりませんでしたね」
表情に反して意外にまともな解説をする松永に、アナウンサーもテレビの前で身構えていた視聴者も肩すかしである。あれ? こいつこんな普通の事を喋る奴だったのか? そんな疑問が浮かぶ前に、さすがは我らの松永前監督である期待にたがわずやってくれた。
「まあ、三点差で収まったのは運が良かったですよ。なにしろ今回は私が育てて常に試合で使っていたブラジルの十番でエースのカルロスが出てませんでしたからね!」
日本が敗れた直後にも関わらず思いっきり満面のドヤ顔である。うざったいことこの上ない。
「え、ええ確かにカルロスは欠場してましたね。でも試合に出てないのは松永さんが育てたと公言している足利選手なんかもそうですが」
「は? ああそう言えば出てなかったですね。まあ同じ出てないにしてもカルロス程の影響は無かったはずです」
もう開き直ったのか、松永もアナウンサーもお互いに交わす会話には棘がある。
一応視聴率は取れているので、今大会の終了までずっと松永の解説の座は譲らないと決定はしている。しかしこれだけ日本代表を応援する視聴者の反感を買って、この先松永はどうするつもりなのかがほとんど敵対関係の他人事なのに心配になってくるアナウンサーである。
だが、ここで追及の手を緩めるわけにはいかない。
「残念ながら今日は欠場したカルロス選手にブラジル戦の前にインタビューが出来たんですが、彼も日本での思い出を懐かしそうに語ってくれました。特に今代表に定着している足利選手と山下選手のいた矢張との試合は印象深かったみたいで「ブレ玉はあの試合で初めて見て驚いた」とか「アシカはあの頃からヒールが多かったから、イタリア戦のゴールはブラジルのチームメイトと一緒に大笑いした」などと答えてくれました。
でも代表チームの監督だった松永さんに関しては「あのチームに監督って居たのか? 覚えてないな」とそっけない返事でしたよ」
「は、はははカルロスはサッカーだけでなく冗談も上手くなりましたねぇ」
一瞬ぴきりと松永の挙動が固まったが、大量の冷や汗を流しながら張りの無い笑い声を上げて誤魔化す。
「ちなみに足利選手にインタビューした時も「松永監督? 誰ですかそれ?」と答えていたようですね。いやー、松永さんが指導して育てたと豪語している選手は揃いも揃って冗談が好きなんですかねぇ? それとも――」
「今日の試合に話を戻しましょうか! 少なくとも今の日本の選手達でのカウンターチームではここまでが限界だと結論が出てしまいましたね。ですから、前回の私が率いていたチームが敗退したのも仕方がないと批判されていた皆さんも納得できたのではないかと思います。やはり、これ以上のレベルに挑戦するにはまず世界で通用するカルロスのような個人が生まれないと厳しいんですよ」
何かを誤魔化すように大声で前回の大会の敗退は不可抗力だと主張した後、続けてマイクに入らないぐらい小さな声で「ほれ見ろ誰が監督してても勝てないのに、文句ばっか付けやがって」とテレビ向けではない乱暴な口調で吐き捨てる。
松永のような人物でも精神的にダメージを負うぐらいカルロスが抜けた後のぼろぼろになったチームの崩壊と惨敗は批判されたらしい。まあ監督なんだから敗戦の責任を追及されるのは仕方ないとはいえ、未だにその恨みが残っているようだ。
「そうなんですか? ……確か今日のメンバーを選出して前のチームを作ったのも松永さんだったはずですが……。責任は松永さんのやり方を踏襲した山形監督にあるという訳ですね。
では、もし山形監督が新しく作り直したこの日本代表が決勝トーナメントで勝ち進めば、松永さんの全てはカルロスが急に抜けたから難しくなったんだという前大会後の言葉は覆されますね」
言質を取ろうとするアナウンサーの言葉にしばらく渋い顔をしていた松永だが、ゆっくりと首を振る。
「いや、日本代表に期待したいのは山々ですがちょっと無理でしょう。グループ二位になってしまったために、トーナメントの一回戦であの「皇太子」が率いるドイツとぶつかることになってしまいましたからね」
◇ ◇ ◇
黒く長い髪に赤いフレームの眼鏡をかけたいかにもインドア派の少女が「うーん」と小動物のような可愛らしい顔の眉を寄せ、パソコンを睨みながら腕組みをして頭を悩ませている。
この少女――北条 真が困っているのは、もちろん昨日行われた日本対ブラジルの試合のせいだ。
この試合は彼女の知り合いである足利は出場していなかった、だからその結果についてはさほど興味がない。この辺は幼馴染みがいないとなると割とドライな少女である。
だが日本のいいところが全く出せずに敗れたその試合後に、松永が「カルロスが出てなくて運が良かった」などと圧勝したにも関わらずブラジルは本気ではなかったと発言したために、初めて無得点で終わった事と併せて日本代表への期待感が一気にしぼんでしまったのである。
「むぅ、ここまで急にブームが冷えるとは思わなかったなぁ……」
真としては別段マスコミの扱いが小さくなったからといってダメージは全く無い。だがサッカー馬鹿の幼馴染みの事やブラジル戦後に勢いづいた「ここまで勝ち上がったのは山形監督じゃなくて、松永が育てたカルロスやアシカが凄かったんじゃねぇ?」とする論調が問題だ。
せっかく育てたカルロスをブラジルに強奪され、壊さないように大切に育てていたアシカは体が出来上がるのが間に合わず、といったストーリーで松永を悲運の名将扱いして擁護する意見が多くなったのがちょっと気にかかるのである。
都合がいいことに、こんな意見の人はアシカからもカルロスからも松永は「誰それ?」と忘れられていた存在だったのはノーカウントにしているのだ。
これでは松永から冷遇されていたアシカはたまったものではないだろう。
「まあアシカの事だから次の試合が始まって、ボールを蹴っていれば勝手に機嫌は直るだろうけど……」
そう独り言を呟きながら真はパソコンで日本代表の今後のスケジュールを確認する。
この時点で大会に残っているチームは僅かに十六ヶ国の代表しかいない。トーナメントだから後四回勝ちさえすればこの年代のみとは言え世界一の称号を得られるのだ。ただこれから先は当然ながら強豪としかぶつからない。
二位でグループリーグを突破した日本代表は、次は別のグループリーグを首位で通過してきたドイツと戦う事に決定している。
「ドイツかぁ、うーんくじ運がわるいのかな。日本代表の戦う相手ってどこも強そうって、ああ違った。世界大会なんだから敵が強いのは当然ってアシカも言ってたっけ」
でもまだにわかファンの域を超えていない真でさえも、ドイツがワールドカップで何度も優勝している強豪国であると知っている。それぐらい決勝トーナメントまでは勝ち上がってきて当然レベルのチームである。いくらいつかは当たると覚悟していたはいえ初戦の相手としては厳しいだろう。
実際にざっと真が調べた限りでは日本対ドイツの対戦について、下馬評では圧倒的にドイツの有利と報じている記事が多い。
特に今回出場してきたドイツの代表チームは、時代遅れと笑われながらもこれまで固執してきたリベロを使ったシステムの完成形と言われているらしい。あまりにも偉大すぎた西ドイツ時代の皇帝からようやく次の皇位継承者が生まれたとまで紹介されている。
その結果リベロであるキープレイヤーについたあだ名が「皇太子」。偉大な「皇帝」の後継者であり、いつか必ず頂上を極め世界一の座を戴冠するだろうと少年への期待が込められているあだ名だ。よほど将来を嘱望されていなければドイツでこんな呼ばれ方をするはずがない。
イギリスのブックメーカーでは大会前にブラジルのスピードスター「超特急」カルロス、スペインが誇る「無敵艦隊の船長と酔っぱらい操舵手」フェルナンドとドン・フアンの中盤のダブル司令塔、イタリアの閂「赤信号」ジョヴァンニそしてドイツの「皇太子」ハインリッヒの中で誰がMVPを取るかで賭が成立していたほど次に当たるドイツの主将の評価が高いのだ。
ハインリッヒはただ傑出したDFというより第一にサッカー選手としてのスキルが高いのである。
元々はトップ下でゲームメイクをしていたMFだったが、そのパスのキック力と精度が段違いだったために、どこまで深い所からアシストが出来るかとだんだんポジションを下げていくと、最終的にはDFラインから攻撃の指揮をとるようになったという変わり種のDFだ。
もちろんディフェンス能力もチーム随一であった為に、トップ下の選手を削り彼に守備も攻撃も任せた方がチームとして機能するようになったのだ。
恵まれた資質と強靭な精神力を併せ持ったドイツ国内ではすでに彼が「皇帝」の名を継ぐのは既定路線になっている少年である。
「うーんもしかして次、やばいのかなぁ」
調べれば調べるほど出てくる皇太子ハインリッヒへのサッカー関係者からの賛辞に、真も心配になってしまう。
いくら世界大会を盛り上げる為にマスコミが煽っているとはいえ、この年代になぜか「十年に一人」クラスの有望なタレントが集まっているような気さえする。
この中でアシカはどのぐらいの所にランキングされているのか真は想像しようとしたが、中々上手くいかない。
どうにも彼女の中でのアシカという存在はどれだけテレビで試合を見ても、真剣に戦っているというより笑ってボールで遊んでいる印象が強すぎるのだ。他の一流選手と客観的に比較できる訳がない。
「まあ、いくらドイツでも有名な選手が一人だけだったらアシカが何とかしてくれるよね!」
この真の推察は正しい。だが、前提となる条件が間違っていたのだ。
彼女は知らなかったが今回のドイツは新しい「皇帝」候補だけでなく、新型の「爆撃機」候補までも揃えていたのである。