第二十二話 得点王を狙ってみよう
俺の足に鈍いずしりとした感触を残してボールが飛んでいく。
この手応え――いや足応えは決して悪い物ではない。すぱっと振りぬいたキレのあるシュートではなく、俺のパワーと体重の全てを受け取った重いボールになるからだ。
ブレ玉はそのボールのスピードが速ければ速いほど、回転数が少なければ少ないほどよく揺れる。
この時の俺が蹴ったフリーキックは自分でも驚くほど揺れてくれた。
試合中のアドレナリンでリミッターが外れていたのか、練習でもここまで揺れた経験はない会心のシュートだ。漫画であれば間違いなくボールが分身したように描かれるぐらいの出来である。
ここまで揺れが大きいと少しばかり距離がゴールまであっても問題ない。いや却って距離があった分沢山揺れるだけの余裕が与えられている。
よし! 上手くイタリアの作った壁を越えてくれたな、後の問題はこれだけブレてもちゃんとゴールの枠に収まってくれるのかという点と――ジョヴァンニだけだ。
そのジョヴァンニはさすがにもう素早くシュートコースに入っている。くそ、他のキーパーの反応よりも確実に一歩は速いぞ。
しかもそこで簡単に飛びついてくれないのが、赤信号とまで言われる彼の安定感のなせる技だ。ブレ玉だけにぎりぎりまで見極めようとして安易な手段を取ってくれない。
だがこれだけボールが揺れるのは彼にとっても想定外だったのだろう、キャッチは諦めたのか引き付けたボールに叩き付けるように強烈なパンチングをする。
ブレ玉に対しては強く弾くのが対処法としては正しい。それによって遠くまでボールが跳んでくれればそれだけゴールから離れる事になるし、ブレたせいできちんと拳に当たらなかったとしても真後ろにあるゴールの枠を外れてくれる可能性が高くなるからだ。
だがジョヴァンニによって弾かれたボールは遠くまでは飛ばなかった。
ここまでボールがブレたのは予想外だったのか、キーパーの上に向けて遠くに飛ばそうとした意図に反してせいぜいがフリーキックで作った壁の辺りまでしか跳ね返らなかったのだ。
そのこぼれ球にいち早く反応したのは山下先輩だ。
とてもさっきファールを受けたとは思えない反応でジョヴァンニの弾いたボールをダイレクトボレーで打ち返す。
しかし、これは運が悪く壁を作っていたイタリアのDFの体にぶつかってしまう。
ボールは落ち着かずに再び跳ねて人の居ないところへ――あれ、いつの間にか人が居るじゃないか。
さっきまではあのスペースには誰もいなかったはずなのに、なんでそこで待ちかまえていたんだよ上杉とジョヴァンニは?
ボールが忙しく行き交う中、一人だけ違ったポジションをとっていた日本のエースストライカーが満を持して豪快なシュートをイタリアゴールに向かって叩き込もうとする。
そして、それを止めようと立ちはだかる大会ナンバーワンキーパー。
行けぇ! 俺だけでなくチームの全員が、いや日本代表を応援している全員がそう叫んだだろう。
――なのになぜ上杉よ、お前は違う事を叫んでいるんだ? 「死にさらせ!」だなんて。
◇ ◇ ◇
足利のフリーキックの軌跡を見つめながら、ようけブレてるなと上杉は感心する。
あれだけ揺れるボールを蹴るなんて彼には無理だ。パワーだけなら足利とは比べ物にならないが、元々が本能でプレイしているので止まっている球を蹴るよりダイレクトで撃った方がコントロールも威力も上がるという珍しいタイプなのである。
だからPK以外のセットプレイでのキッカーの選択肢には上杉は入っていないのだ。
とにかくそのフリーキックのボールとキーパーのジョヴァンニの反応から上杉は自分がどう動くかを決定する。
彼の鋭い反射神経はキーパーが弾いたボールがほぼ正面へ跳ね返るのに反応しかけた。
だがストライカーとしての本能がなぜかそれを拒否し、彼の体を逆の方向へと動かす。
敵も味方もマーカーも全員がこぼれ球とそれをシュートする山下に注目する中、上杉は一人だけ目もくれずにその場から離れるようにやや左へと自分のポジションを移動したのだ。
――あの位置からこぼれ球を争っても間に合わなかった。だがここへボールがくれば……。
上杉のポジショニングが良かったのか、それとも確率を無視したストライカーの嗅覚なのかは不明だ。だがとにかく上杉は山下のシュートがDFの壁に当たり、自分の方へとボールが落ちてくるのを目撃した。
待ってたでと、左肩をゴールに向けて軸を作り右足を引き絞る。
彼がそこまで万全の態勢でボールを待っている所に邪魔者が姿を現した。
またもジョヴァンニが彼の前へ猛スピードでダッシュしてきたのである。
他のDFが上杉の理に適っていない上杉の不規則な移動に振り切られたのに、このキーパーの反応はまた別格だ。
足利のフリーキックを弾いた後、さらにDFが止めたとはいえ山下のシュートにも止める準備していたはずだ。そこからすぐにまた上杉の位置にまで一息で距離を詰めてくるのか。
上杉はこの日本のチャンスをあくまでも邪魔し続ける少年に、どう対応しようか寸時頭を悩ました。
これは前半も似た状況があった、あの時はこいつの横へコントロールしたシュートをしようとして失敗したのだ。
ならループシュートならどうや? 頭に浮かんだその案を上杉は却下する。こっちに向かってくるボールの速度はかなりの物だ。だからこそ他のDFが追いついて来ないのだが、それをダイレクトで柔らかいループで返すなんて器用な真似は彼には無理である。
ならば――これしかない。
「死にさらせ!」
その言葉と一緒に上杉はボールを全力でジョヴァンニの顔面に向けて叩き付ける。
凄まじい唸りを上げて吸い込まれるようにジョヴァンニの引きつった顔へ向かったボールは、寸前で彼の腕によって防がれる。
だがとっさの出来事にさすがの怪物キーパーもキャッチなどはもちろん、しっかりとブロックもできなかったのだろう。脇の甘いブロックでは勢いを殺しきれなかったボールがジョヴァンニの顔を捉えて後方へとなぎ倒す。
「よし、KOや!」
無意識にガッツポーズを取った上杉はすぐさま、これがサッカーだと思い出す。
しくじった、相手を倒してもまだゴールやないんやったな。ボールはどこいったんや?
はっとする彼の目に、ジョヴァンニに当たってまたもゴール前にこぼれて転々とするボールが映る。
あかん、ここからでは届かへん。そう判ってはいても可能性を信じて飛び込もうとするのが点取り屋だ。
だが、上杉よりも早く近い場所で頭から飛び込んだ日本の選手が一人いた。
この試合沈黙していたどころか、実況席ではウィークポイントとして槍玉に上げられていた少年だ。
小柄で俊敏なその体躯を生かし、DFの壁をすり抜けて島津はこぼれ玉へと誰より速くダイビングする。
その島津の額によって角度の変わったボールは、あまり勢いがなくころころといった感じでゴールマウスの中に転がり込む。
審判が得点に笛を鳴らすのと島津が立ち上がって叫ぶのはほぼ同時だった。
一斉に小さな点取り屋に集まる日本代表の選手達。だけどアシストする形になった上杉にとってその輪にはなんだか入りにくい。
これで島津はこのイギリスに来てから二得点、上杉を抜いて日本代表内の得点王になったからだ。
これまで所属したチームで全て――とは言っても中学のサッカー部と日本代表だけだが、上杉はずっとエースストライカーで得点王という主役だったのだ。
試合に勝つためには必要だと理解していても、自分より得点している人間を素直に祝福できない。
まあ、しゃあない。ワイがこれからもっと点をとればええこっちゃ。
一つだけ誰にも聞かれないように溜め息を吐くと、大股で島津へと近づく。
「ようやったな島津!」
そう声を張り上げた上杉によって付けられた島津の背中の紅葉は、真っ赤になるほどでいくらなんでも力が入りすぎていた。それでも島津は同じ点取り屋らしいシンパシーを感じたのか、ちょっとした嫉妬もご愛敬だなと笑っていたのが周りの印象には残る。
どうやら上杉よりもずっと精神的には大人のようである……あのプレイスタイルからは想像できないのだが。
しかし上杉もこのままで終わるつもりはない、チーム内での得点王を奪回すべくこの試合で攻撃のほとんどの指揮をとっている足利にワイへもっとパスを寄越せと要求する視線を送る。
今日のお前なら、俺へ最高のアシストができるはずやと。
だが、その対象となった足利はベンチの方へと頭上で拍手しながら歩み出していく。
え? なんやアシカはもう交代かいな。
決意が空振りになった上杉は拍子抜けの気分を抑えきれず、思わず足利を呼び止めた。
「おいアシカちょい待てや」
「はい、何ですか?」
素直に立ち止まる足利に何と告げるべきか彼は悩んだ。怒るのも文句を付けるのも違うだろう。こいつがこれまで頑張っていたのは判る。
パスが少なかった訳でもない。ジョヴァンニによってシュートを止められただけでちゃんとゴール前に何度もボールを届けてくれていた。
交代なんかするなと言うのも無茶だ、監督の指示の上にこの小柄なゲームメイカーには技術に見合った体力がまだ身についてないのも理解している。残り時間も短いとはいえこれ以上出場し続けろと言うのは酷だろう。
だが、結果的とはいえ自分にアシストしてくれなかった奴をよくやったと褒めるのも上杉のキャラではない。自分をKOしたボクサーを祝福しなければいけないような表現しがたい心境だ。
「あー、なんや」
交代する前に余計な時間はかけられない。上杉にとっては「まあようやったな」と声をかけるぐらいが精一杯だった。
「きょ、今日はこのへんにしといたるわ!」
……あれ? どうも思った通りのねぎらいの言葉が出てこない上杉だった。