第十五話 試合をコントロールしてみよう
昨日の快勝から一夜明け、今日も二回戦の一試合が行われる。
本来は成長期の体を考えてもっと余裕を持ったスケジュールにしたいのだろうが、全国大会となるとそうもいかない。
全国各地から代表を集める為には、どうしても夏休みなどの長期休暇中でなければならない。優勝校ともなると一週間も拘束されるのだからこれは仕方がないだろう。そして、全国大会が夏休みにあると決定すれば、当然ながら地方予選はそれ以前に行われなければならない。そして、小学生は学業優先の建前があるために予選が行えるのは土日だけである。そういった事情を考えれば七月は毎週末に試合が――勝ち進めば午前と午後の二試合――行われるハードスケジュールもやむなしという訳だ。
ま、そんなスケジュールなんかは俺達に関係ない。次の試合に集中するだけだ。昨日の試合では何本か外したシュート以外は全ていいプレイで、その感触は未だに残っている。前半だけで引っ込んだからか疲れも全く残っていない、今日もまたサッカーを楽しむ事ができそうだ。ふふ、これから試合だってのに笑みが漏れてしまうな。
◇ ◇ ◇
ちくしょうが、俺は目の前の小僧を睨み付けていた。こいつさえいなければ――前半残り五分の段階で三対ゼロで負けている分際だが――もう少しはいい勝負ができていたはずなのだ。せっかく小学生としては最後の大会に出場してやっとの思いで二回戦に進んだのに、なんでこんなルーキーが出てくるんだよ!
相手の矢張SCは県下でも有名である。去年のこの大会でも準決勝までいったって聞いていた。だから覚悟はしていたし、エースっていう十番にボールが渡ると俺ともう一人の二人がかりのマークをつけたのだ。だけどこの三十九番までがこんなに上手いなんて聞いてなかったぞ!
攻撃的MFの十番のマークがきついと見るや、この三十九番が即座にポジションを上げて攻撃のタクトを振り出しやがった。こっちは十番にマークを二人も付けているんだ、新しく前線に来た奴に廻す人間なんているはずがないだろう?
こっちのマークが緩いのをいいことに好き放題やりやがって、うちの守備陣は崩壊状態だ。
まだ小柄で幼ささえ残っている小僧――アシカって呼ばれてやがる――ほどやりにくい相手は今まで俺は当たった事がなかった。
何が厄介かって、アシカは同じパターンの攻撃を続けないのだ。普通は得意な攻撃パターンがあってそれが潰されたら、他のパターンや戦術に移すものだろう? こいつ最初の攻撃ではサイドDFの後方にスルーパスを通して、MFのサイドアタックからのクロスで長身FWに点を取らせる演出をしたかと思えば、お次の攻撃は自身のドリブルによる中央突破とDFの裏へのスルーパスで二点目だ。
一点目のサイド攻撃で外を警戒していたとはいえ、中央にスペースを与えたら躊躇なく自身が突っ込んで来やがった。アシカは特別に足が速いって訳じゃない、スペースとタイミングの見つけ方が絶妙なのだ。だから、ドリブルを止められない。またはアシカを止めにいったらよりゴールに近い相手をフリーにしてしまう。まるでこっちの陣形とカバーリングまで丸判りの様な嫌なポイントばかり正確に突いてきやがる。
エースに二人がかりのマークをつけた上で、さらにサイドアタックと中央突破のどちらも止められるだけのディフェンス能力はうちのチームにはない。だからふがいないがズルズルとDFのラインを下げて、カウンターを狙うしか道がなくなってしまった……すでに二点も負けているのに!
だが、ここまで深い防御陣だとさすがにスルーパスは通せない。アシカの攻撃もここまでだろうと心のどこかで安堵する。逆転しようと思う反骨心よりも、これ以上点を取られての惨めな敗戦を嫌がる気持ちの方が強かった。
しかし、かなり腰の引けた深いDFラインを前にしたアシカは、どことなく憂鬱そうな表情でロングシュートを撃ちやがったのだ! いきなり撃たれたシュートに反応できたのはうちのチームではキーパーだけだった。必死の形相でジャンプすると枠の中へ飛んできた鋭いシュートを叩き落とす。
ナイスキーパーの声が出かかったが、すぐさまこぼれたボールを相手のFWに押し込まれて何も言えなくなった。まるでアシカのシュートが入らないのが判っていたかのような機敏な反応で、何人もがうちのゴール前に走り込んで来ていたのだ。アシカがシュートを撃った瞬間にボールウォッチャーになってしまったDFでは勝負にならない。
三点の起点となったアシカだがなぜかあまり嬉しそうではなかった、首を捻り「あれでも入らないのか……、というかあいつら俺のシュート全然信用してねぇな」と舐めた事を呟いていやがる。そうかい、そうかい。俺達みたいなチーム相手じゃロングシュートでも入って当然なのかい!
くそ、腹の底が屈辱で熱い。どうにかしてこいつの悔しがっている顔を拝んでやる。
さっきのシュート関連の時以外は、にやけた表情でボールを操っているアシカを絶対に止めてやる。
唇を噛んで悔しさを押し殺し、アシカの次の攻撃に備える。
点を取られたのだからもちろんマイボールから始まるのだが、残念ながら、もうほとんどが俺達のチームの前線は攻撃の形になっていない。
それもまたアシカと呼ばれる少年のせいだ。こいつが中盤のパスをカットしまくるのだ。
一見してどこを守っているのか不明なポジションにいるのだが、スペースが空いているとパスをすると必ずこいつに引っかかる。ただでさえ向こうのキャプテンが無尽蔵のスタミナでボールを追いかけまわしているのに、やっとプレッシャーから逃れたと思ったら、どこからともなく現れたアシカにボールをかっさらわれているのだ。
こっちはまだシュートすらまともに撃たせてもらえない。中盤でボールを奪われるリスクが多すぎるから自然とロングボールを放り込むだけになってしまうのだ。だが向こうの攻撃にDFラインが下がってしまっている状況では、いいパスも出せずラインの押し上げもままならない。当然ながら攻撃も淡泊になり、すぐにまた敵の攻撃を受ける羽目になる。もうマイナスのスパイラルが止まらない。
だからこそ、この中心となっている三十九番を止める事で流れを取り戻さなくては。
予想通りゴール前に運ぶ事さえできずにボールを敵に奪われた。ボールを保持した敵は素早くアシカへとパスを回す。ふむ、やはりずいぶんと信用されているみたいだな。となればこいつからボールを奪い返してのカウンターが決まれば相手もかなり動揺するはずだ。
是が非でもこの一対一に勝利しなくては。
パスを受けたアシカの肩にチャージをかける。後ろからだがファールにはならない程度に圧力を加え、小柄なこいつが苦手だろう押し合いのパワー勝負にもっていく為だ。
だがそのチャージをアシカの奴は受け流しやがった。まるで後方から押されるのは折り込み済みですよと言わんばかりに、接触する寸前に俺が押す方向へボールを持ったままステップを踏んだのだ。
こうなるとぶつかるつもりだった俺の方がバランスを崩してたたらを踏んでしまう。慌てて体勢を立て直すが、その時にはすでにアシカは前を向いてこっちに近づいて来るところだった。
あれ? ボールは?
一瞬どこに行ったのか探そうとした視界の下にちらりとボールの影が映る。こいつ股抜きしやがったのか! 下を向いて確認しても、もうボールを止められない。せめてアシカを体で止めなくてはと覚悟を決めるが、俺が下を向いている間にもう横を通過してやがる。
止められない。それどころかこんなにあっさりと抜かれるとは。速度ではなく先手先手のタイミングで俺を思うようにコントロールした突破だ。
屈辱に顔を歪めてカードを貰う決意をした。もう退場になろうとこいつをここで止めてやる。
猛然とアシカの後ろ姿を追いかけるとその足に狙いを定める。さすがに後ろから足裏で蹴るのはひどい怪我させてしまいかねないので、タックルでボールではなくすねを思い切り掬ってやる。これなら派手に転ぶかもしれないが打撲ぐらいですむだろう。怪我はしなくともリズムは崩せるはずだ、これも全てお前が頑張りすぎるのが悪いんだ。
スライディングした瞬間にアシカがそれを待っていたようなタイミングでサイドステップした。俺はもう膝がピッチについて座り込んだような状態でここからはまともに動く自由度はない。逃げていくアシカに向かって必死で足を伸ばすがすでに届く範囲から抜け出している。
アシカはちらりと横目で俺を確認すると非難の色を瞳に映し、薄い笑みを口元に刻んでまたドリブルを続行する。
あいつは後ろにも目があるのかよ! 今のは背中の死角から、しかもファール覚悟のタックルだぜ!? どうやって察知したんだよ、俺の気配でも読んだってのか?
呆然と尻餅をついたままでアシカを見送っていると、あいつは十番にパスを出した。ああ、俺がマークを外れたから少しはプレイしやすくなったんだろう。十番が受け取ると同時にすっと手を挙げてペナルティエリアへ進入した。
ただの壁パスのワン・ツーだが、このタイミングだとDFラインを崩す綺麗なスルーパスにもなる。「危ない!」と俺が警告を発したが、事態はそう素直に進まなかった。
パスを返すかと思った十番が強引に自分でシュートを撃ったのである。俺が離れたとはいえもう一人はきちんとついていたにも関わらず、ダイレクトであったがしっかり抑えの効いたパワフルなシュートだった。
やられたと目をつぶるが、耳からは容赦なくネットを激しく擦る音と相手のチームの歓声が届く。
「ナイスシュート!」「やっと目立てたな!」「何で俺に返さなかったんですか?」「さすが十番だ、おりゃおりゃ」
「痛ぇーぞ、やめろって。叩くなって監督も言ってただろうが!」
ここまでか……。相手の無邪気な喜びように紛れて響く前半終了の笛に、やっと半分が終わったのかと呟いた。時間が少なくなるのは追いかける立場としては不利なはずなのに、もう俺は早く終わって欲しいとしか思えなかった。
その後はもう特に語るべき事はない。後半はあのアシカって小僧は出てこなかったのだ。次の試合に向けて体力を温存させるのか、それとももしかしたら俺のラフプレイで壊されないように交代したのかもしれない。だが奴一人がいなくなったからといってここまで傾いた形勢に影響はなかった。結局は総合力の差というべきか、その劣勢を覆せずにずるずると敗戦を喫してしまった。
試合後の握手と勝者への激励の時に――さすがにプロでもなければいちいちユニフォームの交換はしてられない――アシカと呼ばれる三十九番に近づいた。
「悪かったな」
他人には聞こえないようにぼそっと呟く。「ん? 誰だこいつ?」と不思議そうな顔をしていたが、俺の背番号を確認してその鋭い目を瞬いた。
「いいえ、試合中のアクシデント――特にバックチャージでの怪我には注意しているんであれぐらいなら気になりませんよ。ファールだったかもしれませんが、危険なプレイでわざと怪我させるつもりだったとまでは言えませんしね」
と笑顔を作るが瞳の奥は笑っていない。続けて「狙って怪我させる奴は相手が再起不能になったらどうするつもりなんですかね、そんな奴は死んだ方がいいですよ本当に」と低く罵る。どうもこいつにとって良くないスイッチを押してしまったようだ。
「ああ、これからは気をつける」
「お願いしますよ」
「それで一つ教えて欲しいんだが、お前はどうしてそこまで上手くなったんだ? やっぱり才能なのか?」
「いえ、才能ではないでしょう……どちらかといえば諦めの悪さと、後はサッカーをするのが楽しくて仕方のないサッカー馬鹿になれたからですかね」
どうもアシカは本心からそう思っているようだった。これだけの技術を持っているのにおかしな事におごりがない。とても下級生とは思えんぞ。
「そうか、俺もそんな風に楽しくプレイできるよう頑張ってみる。また試合をしようなアシカ」
「ええ、それは構いません……それともう一つだけ教えておきますが、俺の名前は足利です」
「そ、そうだったのか」