第二十一話 残った力をつぎ込もう
日本を相手には、引き分けではなくあくまで勝ち点三を目指しているのだろう。イタリアは守備最優先の方針から、攻撃的に戦術をシフトしてきた。
だがイタリアは攻撃的になるといってもむやみに前線を分厚くするのではなく、DFラインと中盤を押し上げてくる作戦を採用したのだ。
これまでは自陣の深いところまで誘い込んでからのカウンターを狙っていたが、もっと前の日本陣内でボール狩りを行ってからのショートカウンターで得点するつもりらしい。
その戦術の変更に従い今までは緩かった中盤でのプレスも、セリエA仕込みの激しい当りでぶつかってくる。
日本代表も中盤の潰し合いに備え、おそらくこの試合で一番走っていたであろうアンカー役を交代でフレッシュな人材に交代させた。
うん、中盤の負担を全部押し付けたこっちを恨みがましい目で見るのならまだいい。だが「後は頼むぞ!」と割に合わない黒子役だった彼から交代間際に純粋に応援されては、俺達も頑張らざるを得ない。
今度のアンカー役はスタメンの彼に比べれば運動量はともかくスペースを埋めるセンスでは一枚落ちるが、残り時間も少ないし島津も一応サイドの守備はするとは言ってはいる。
終了までなんとか中盤の底を支えてくれるはずだ。
「よし、同点に追い付いたからと守りに入るなよ。守備は僕達に任せて攻撃陣はこれまで通り攻めまくれ!」
新たな中盤の番犬の出現で後顧の憂いがなくなった俺達攻撃陣は、真田キャプテンの檄に従って引き分けではなくもう一点を奪いに行く。
だがここでちょっとしたアクシデントが一つ。
まずい事に、俺の足にもう疲労が溜まってきているのだ。
いや前半からずっとアクセルべた踏みのオーバーペースで攻め込んでいたし、強引なドリブル突破も何度もした。足への負担は相当な物だとは思うがこの勝負所で燃料切れかよ。
中学に入ってからスタミナは随分とつけたつもりだったが、国際試合の激しく濃い内容の試合ではこれぐらいじゃまだ厳しいのか。
だからといっても泣き言は言えない。あれだけ後方をフォローしてくれたアンカーから後を託されたんだ。その一分後に「疲れたからもう駄目」と下がったりしたら笑われてしまう。
それに何よりこれだけ楽しい試合で自分から降りたいなんて思うはずがない。
この足でももうドリブルで突破するのは難しいかもしれないが、一点目を決めた俺がいるだけでもイタリアにとってはプレッシャーになるはずだ。
うん、自分から交代を申し出るのはなしだな。
――それにしても、ちらりと山下先輩と馬場に目をやる。この二人は前線で張っている役割なのに中盤の組立にも参加して時にはプレスにも加わっている。よく体力が持つもんだ。
「アシカ、どうかしたか!?」
目敏く俺の様子に気が付いた山下先輩から声がかかる。この人いつの間にか俺の保護者みたいな位置にいるな。精神年齢は俺の方がずっと上のはずなんだが。
「何でもないですよ。ただ問題があるとすれば皆に叩かれた背中が痛いぐらいでしょうか」
スタミナ切れを誤魔化した俺の返答だが思い当たる節があるのかそっぽを向く山下先輩。この辺の仕草は、小学生の矢張クラブで下尾監督に叱られた時と全く同じで成長してないのが微笑ましい。
「まあ冗談はともかく、ゴールを決めた俺へのマークが厳しくなると思いますから上杉さんと先輩のどちらかで得点してくださいよ」
「おう任せておけよ、特に俺にな」
びっと親指を立てて請け合う先輩はこれまで長年の付き合いもあって信頼できる。
正直足の限界が近い俺が、自分でまたドリブル突破からゴールと言うのは難しい。どうしても崩しの段階とラストパスを託す相手には自力でディフェンスをこじ開けてもらわなければならないのだ。
まあ、任せろといったんだから任せるぞ先輩よ。
新しく入ってきた日本のアンカーが、これまで試合に出れず溜め込んだ鬱憤と体力を吐き出すように凄い勢いで走り回りイタリアからボールを奪った。
よし、あれだけ縦横無尽に駆け回ってくれると、こっちとしても体力が温存出来てありがたい。
と、そんな事を考えている最中に俺へパスを寄越しやがった。守備は楽をさせてくれても、ゲームメイクでサボらせてはくれるつもりはなさそうだな。
新入りアンカーの昂ぶりを伝えるように、通されたパスも威勢がいい。軽く引いてトラップしないと懐からこぼれてしまうほどだ。
今の中盤ではそんな些細なミスも許されない。これまではほぼノーマークだったハーフウェイ・ラインの手前でも、ほら背中に物理的圧力を感じる程に敵のMFが当たってくる。
これはイタリアが俺を密着マークしなければならない相手だと認めてくれたって事かね、それはまた光栄な事で。
でも俺はこうして相撲のように体を押し合うのは得意じゃないんだ、失礼させてもいますよ。
ターンせずにまたもヒールで後ろ向きにパスを出す。
今度は股抜きではなかったが、パスを出されたのに気が付いた背中に張り付いていたマーカーが舌打ちして俺を睨んでいる。どうやらイタリアは俺のヒールがかなり気にいらないようだ。
さっきの同点ゴールの取られ方に相当プライドを傷つけられたのかもしれない。
ヒールキックにしては正確で強いボールを蹴れるのが俺の強みである。いや、そうじゃないとさすがにジョヴァンニを相手にシュートまでは撃とうと思わないよ。
とにかく俺が後ろ向きに出したボールはきちんと山下先輩の足元に収まった。
先輩をマークするはずのDFは、ノールックだったために俺からのパスのタイミングを計れなかったのかまだ体を寄せるまでは距離を潰しきれていない。その隙に山下先輩が反転し前を向く。
こうなればドリブルでの一対一の勝負となる。
少しでもフォローしようと俺も萎えかけた足を叱咤すると、マークを引き連れてピッチの中央を駆け上がった。
俺と山下先輩のコンビネーションはこの試合で何度も披露している。当然相手も警戒していたのだろう、先輩をマークしている相手が幾分か俺へのパスルートを気にする素振りを見せた。
そこで山下先輩が俺とは逆のサイドへとキレのあるドリブルでマークを一気に抜き去る。
右サイドから縦への突破かとイタリアのサイドバックが警戒するも、山下先輩のさらに右から島津がタッチライン沿いに爆走してきた為にマークを絞り切れない。おい島津、お前はディフェンスを頑張るってさっき言ってなかったか?
そんなオーバーラップの回数が俺より多いDFにパスを出すフェイクを入れて、山下先輩は内に切れ込んだ。
よしいい展開だ。
だが、もう少しでミドルシュートを撃てるバイタルエリアへ――といった所で先輩は敵DFからユニフォームを引っ張られ転倒する。
げ、危ない!
スピードに乗っていたから派手な転び方になって一瞬ヒヤリとするが、綺麗に体を丸めて芝の上で回転しているのだからきちんと受け身を取ったのだろう。怪我の心配はたぶん無さそうだ。
でもやっぱり最近お世話になりっぱなしの俺が一番に駆けつけなければいけないだろう。
幸い位置が近かっただけに「痛てて」と顔をしかめている先輩に真っ先にたどり着いたのは俺だった。
その表情からも深刻なダメージは負っていないと判断し、少し胸を撫で下ろす。
「怪我はしてませんか?」
「ああ、ちょっと肩と肘を打っただけだ。他は……うん、まあ問題ないな」
山下先輩はゆっくりと体を起こすと、軽く屈伸までして体の損傷を確かめる。すりむいた肘をちょっと気にしているがプレイを続行するのに支障がある怪我はないらしい。
ならここからは俺の出番だな。
審判がファールをしたDFにイエローカードを突きつけているのを眺めてはっきり告げる。
「このフリーキックは直接俺が狙います」
この位置からなら俺の得意なブレ玉のフリーキックでゴールが狙える。
もちろんあのジョヴァンニから簡単に得点できないのは覚悟の上だが、ブレ玉だけはどんなに優秀なキーパーでもキャッチするのがほぼ不可能なボールだ。いくらあいつでもボールをこぼす可能性が高い。
そこからルーズボールを押し込もうとする作戦は十分にありだろう。
同じくフリーキックが得意な明智や今倒れたばかりの山下先輩を制して、俺が少し遠めのここから直接狙わせてもらう。
正直俺の体力は限界が近いのだ。
これ以上だらだらとプレイをするよりもこのセットプレイで得点をして、勝ち越ししておかないとスタミナがもたないかもしれない。
日本のベンチではいつものように俺の交代要員がアップをしているから、監督も俺の燃料切れはお見通しのようだ。
だからこそ、このフリーキックに残った全ての体力をつぎ込む!
審判が指示した場所にボールを置くと、丁寧にボールの空気穴を自分に向ける。これをキックする時の目印にするとよく入るという小学生時代からのジンクスだ、どうか今日も上手く揺れてくれよ。
そうボールに頼みながら、視線は一切上げない。
イタリアはゴール前に作った壁の位置をちらりと確認した後は、ずっとボールを見つめたままの俺の姿を不気味そうに眺めている。こら、見えてないと思っているみたいだが、ちゃんと把握してるんだからな。
こうしてキッカーである俺が顔を上げないと、選手間の意志疎通の重要なトリックプレイではなく直接ゴールを狙ってくるのは嫌でも伝わってしまう。
だが、それでも視線や仕草でジョヴァンニにシュートコースまで読まれるのは避けたかったのだ。
いくらブレ玉が予測不能の揺れ方をするといっても、予めコースに入られて待ち構えられていたら分が悪いからな。
そんな集中している俺を助けるように、明智が抗議して審判が壁に下がれと指示をする。それをどこか遠くに感じるほど俺は自分の世界に入り込み、フリーキックを撃つ事にだけ集中していた。
だから笛が耳に届いた時、無意識に体の方が勝手に動いていたのである。気が付けば俺に出来る最高のキックで直接ゴールを狙ったブレ玉シュートを撃っていたんだ。
――行けぇ!