第十七話 監督を比べてみよう
「さて、山形監督率いるヤングジャパンの前半戦は、残念な事にリードされて終わってしまいましたが松永さんはご覧になっていてどう思われましたか?」
「そうですね」
デスクの上に肘を突いて口元を組んだ手で隠しながら松永が答える。テレビで撮影されているのに随分と礼儀がなっていない傲慢な態度のようだが、そうでもしなければ彼の口元の笑みは隠しきれないのだ。
「いやぁ、実に残念な結果になったと思いますよ。だいたい島津をスタメンで起用した段階で私はバランスが崩れないかと危惧していたんですよ。実際に試合の開始前にもそう言いましたよね? 戦術と選手達が攻撃的に傾き過ぎていると。そこを突かれてのカウンターからの失点ですから、完全に作戦負けです。この敗戦の全ては監督の責任と言わねばなりません」
笑みをテレビ画面に映らないように注意はしていう。だが、以前率いていたメンバーがまだ数多く在籍している日本代表が不利にもかかわらず、どこか松永前監督が現代表の苦戦に満足気に舌なめずりをしているような雰囲気は隠し切れていない。
対するアナウンサーの表情は微妙である。この日本がピンチに陥っているのに上機嫌な松永のノリについていっていいのか判断できないのだろう。何度もちらりと画面の外で指示を出しているディレクターへ助けを求める視線を投げかけている。
だが、そこにそっと示されるカンニングペーパーにも「頑張れ!」としか書かれていない。何か問題が起っても自分に非難が向かないようにと考えた処置だろう。
残念ながらどこからもアナウンサーに救いの手は差し出されないようだ。この実況席の中に自分が責任を取ろうという男気のある人物とアナウンサーの味方は誰もいないらしかった。
「え、ええと、さすがは前代表監督ですね。自身が経験したからこそ監督としての指揮でミスだと思われる部分がよく判るという事ですか。ですが先ほどの松永さんの発言を一つだけ訂正しておきますと、まだ前半が終了しただけで試合は終わっていません。ですから日本代表の敗戦というのは先走りすぎですね」
「あ、いや、まだ負けてませんでしたか!? これは失礼しました。ではこの敗戦ではなく苦戦の責任は監督にあると言い直しておきましょう」
松永は失言したのに悪びれた様子は全くない。開き直ったのか、これまで散々やらかしたのにお咎めがなかったのに増長したのか堂々とした態度である。
謝罪と訂正をしているはずなのに、背筋はピンと伸ばして頭を一ミリたりとも下げる気配はなかった。
代わりに隣のアナウンサーの冷や汗が酷い。一刻も早くこのハーフタイムが終わって試合が再開されないかを願っているようだ。まだ試合実況の方がこの松永とのやり取りを続けるよりは彼の胃へのダメージは少ないからだろう。
「で、では日本が後半に逆転するためにはどうすればいいとお考えですか? 松永さんが監督だった時はこんな場合はどうされていたんでしょうか?」
「ふむ、そうですね。もし今のチームを率いているとすれば、島津を交代させて右サイドの守備にテコ入れをします。その上で、攻撃はまあ何とかするしかないんですが……イタリアのキーパーであるジョヴァンニが健在であればなかなか難しいですね」
「そうですか。松永さんが監督だった頃はこんな場合どう対処されたんでしょうか?」
そうですねぇ。そう呟いて顎に手をやり首を捻る松永は記憶を掘り起こそうとしているようだった。
「私が監督だった時は――カルロスに任せていたので、彼が万全ならリードされるような問題はありませんでしたね。
ただ、前回の十二歳以下の世界大会で彼が体調不良で欠場した試合は意欲的なフィジカルコーチが「これが最善です」と言ったので彼の意見を採り入れましたが、結局上手く機能せず敗退してしまいましたからね。やはりいい選手といい監督が前面に出て手を組まないとチームは勝てないと痛感した苦い記憶があります。国際大会のグループリーグという高いレベルで勝ち抜くには、どうしても現役時代の実績を含めたいい監督とフィジカルに優れた選手達が必須でしょう。
あ、ちなみにその時の私はカルロスを擁してグループリーグを突破、本戦へ駒を進めましたから」
松永はフィジカルコーチに任せたと言う時は、いかにも裏切られたと言いたげに首を振りながらそう告げて溜め息を吐いていた。その後に自身のアンダー十二でのベスト八までいった経歴を話した時はまたご機嫌になっていたようだが、彼を取り巻く周りの空気は冷ややかだった。
松永はグループリーグ突破の危機に陥っている山形監督の現代表と違い、自分の時代のチームは本選まで勝ち進んだんだと誇らしげだったがその彼は白い目で見つめられている。
この実況席にいるのは少なからずサッカーに関わりがある人間が多い。皆声に出しては言えないが、突っ込みたくて仕方ないようなのだ。
それって攻撃面はカルロスに丸投げしてただけじゃないのか? そして彼が怪我でもしたら今度はコーチの責任? じゃあ監督のあんたには責任が少しもないとでも考えているのか?
……こいつ役に立たねー。という無言の声が実況席を埋め尽くしたようだった。
◇ ◇ ◇
リードされてのハーフタイムはどうしても重苦しい雰囲気になる。ましてやそれが国際大会の重要な試合で、先制された相手が鉄壁の守備を誇るイタリアであればなおさらだ。
しばらく、居心地の悪い沈黙が続いていたが、やはり一番気の短い少年が爆発した。
「くそ、何やねんあのキーパーは!」
叫びと共にロッカールームの床に転がっていたタオルを上杉が蹴飛ばす。それでもまだ収まらないのか、ふーふーと荒い息を吐きながら他に蹴る物がないか室内を物色している。ただタオルなんかの布類だけを狙って、周囲に被害が出そうな固い物は避けている分冷静さはのこしているようだ。
それにしても彼はPKを失敗しただけでなく、これまでのシュートを全て止められているためにだいぶフラストレーションが溜まっているみたいだな。
「落ち着いてくださいよ上杉さん」
「はぁ? ワイは冷静やっちゅーねん。ワイは今まで頭に血が上った事なんか一遍もないのが自慢なんや」
……俺が知る限り最も短気で好戦的な少年の台詞だと思うと、どこから突っ込めばいいのか判らない。だがそこに監督が落ち着いた声で「おい」と話しかけると、さすがに上杉も誰とも視線を合わせない様に少しばつが悪そうな態度になる。
「前半で上杉の打ったシュートはPKも含めて六本で無得点か……」
「な、なんや。確かに今日はまだ入っとらんけど絶対にもうちょいで――」
「少なすぎるな」
交代でもさせられるのかと焦った上杉の言い訳を監督の言葉が遮る。
でもちょっと意味不明な台詞である。前半で六本撃ったなら単純計算で一試合通せば十二本だ。プロでも一試合で十本シュートを撃つエゴイスティックなストライカーは少数である。
さらに時間が前後半を合わせて六十分とプロのフルタイムより三十分も短縮されたこの大会では、前半だけで六本もシュートを撃っているのは明らかに異常な数字のはずなのだ。それが少ないだって?
そんな驚きをよそに監督は上杉だけでなく、日本代表の俺達全員へ語りかける。
「前半の出来はそれほど悪くなかったぞ。イタリアのカウンターへの対処とキーパーのジョヴァンニの実力をちょっと見誤っていただけだな」
「負けてるのに?」
俺のかなり皮肉っぽい言い方にも動揺せず、しっかりと頷く。
「ああ、今は負けているが試合が終わった時点で勝利していれば何の問題もないだろう」
そこで一つ息を吸い込むと、作戦の細部の変更を言い渡した。
「リードしたイタリアがカウンター戦術を変える理由はない。おそらく守備を更に堅くするぐらいの変更しかないはずだ。だからこっちはもっと強引に攻めていくしかない。
この試合で負ければ次のブラジル戦はさらに不利な状況下での戦いになるかもしれん。何としてもこの試合で得点を奪って最低引き分けに――いや違うな、逆転するしかグループリーグ突破の道はないと思った方がいい。
その為にも完全に守備はスリーバックに移行して、もうこの試合は島津はDFに戻らないでゴールを狙いに行け。最初からお前を計算に入れない方が守備は安定する。後は、攻撃陣の方だが……」
島津を下げる気はないと明言した監督が、俺の顔を眺めて「フィニッシュにまでは持っていけるんだがなぁ」と溜め息をつきながら中盤の組立には問題がないと認めてくれた。そう、イタリアのディフェンスを崩す段階までは何とかクリアできるのだ。問題はその先、ゴールを守っているあのジョヴァンニの存在である。
だが、あいつには明確な弱点という物は見当たらない。長身だけにハイボールにも強いし、前へ飛び出す度胸もある。キャッチングの技術はこれまで見た同年代のキーパーの中では一番の上、反射神経も読みも鋭い。
こんな奴どうしろって言うんだよ。
――って決まっているよな、弱点がないなら力ずくで粉砕するしかないのだ。
俺と同じ結論を出したような山形監督が真剣な表情で攻撃陣に話しかける。
「どんな扉でもノックを続ければ必ず開くはずだ。諦めないで上杉達はシュートのノックを撃ち続けろ」
「それでも開かなければどうするんすか?」
明智からの茶々入れに、監督は力強く断言する。
「その扉は壊れてるって事だな、ノックする力をどんどん上げていってイタリアの誇る閂を扉ごと叩き壊してやれ」
「おお、それは実にワイ好みのやり方やな」
あまりにも乱暴な言い方だが、そのどこかが上杉の琴線に触れたようだ。ハーフタイムが始まった当初の、PKを外したせいで鬱屈した陰が彼の表情から綺麗に拭われたみたいになっている。
赤信号を攻略する具体論はでなかったが、それでも精神的なリフレッシュには成功したようだった。
こういった選手の感情に対するコントロールも監督に必須な技術なのだろう。
「外してしまったとはいえ、PKを得るぐらいまで攻め込んだのは確かだ。これまで以上に攻めれば必ず突破口は開くはずだ。失敗した場合の責任は全部俺がとるから、前半よりもっと自由に振る舞え。焦りのせいか攻めが直線的になりすぎている傾向がある。
お前がいつも通りにプレイすれば抑えられる相手がいるはずないんだからな。頼んだぞアシカ」
「……そこまで信頼されたら任せてくださいとしか言えませんね」
肩をぽんと叩かれてそう激励されると、山形監督の褒めて選手を伸ばすコントロール術に俺もたやすく転がされてしまう。
うん、おだてられているのは判るが、日本を代表して戦っている試合でここまで頼りにされると体の奥の闘志に点火されたのが自覚できるんだ。
こうなると周りの都合や思惑なんてどうでもいい、早く全力を振るいたくて我慢できなくなりそうに熱くなる。
そう、リードされたからといって落ち込んでいる暇なんてないぞ。これから日本代表は逆転するために忙しくなるのだから。