第十四話 世界のレベルを実感しよう
開始直後の上杉のシュートはさておき、とりあえず両チームとも一回ずつ攻撃し合った。
そのおかげでどちらのチームもある程度、お互いのチームの力量がどんなものか試合前に調べたデータだけではなく肌で感じ取れたのだ。
イタリアについて俺が抱いた印象は、キーパーとDFの守備は鉄壁。カウンターは前の三人だけを警戒していればいい、だけど全員が相当なスピードの持ち主なので油断は禁物といったところか。
これは試合前の事前情報とあまり変わらない。だからいくら向こうのチームがわざと隙を見せてこちらを誘導するのが上手いと判っても、簡単にはシュートをどんどん狙う作戦も変更できないのだ。
だが、事前の情報よりも予想以上だったのはキーパーの能力の高さと、攻守の切り替えの早さだ。俺のシュートを軽々とキャッチして、その十秒後には日本のゴール前まで逆襲されてるってのは尋常じゃない。
相手は細かい技術よりも、カウンターの破壊力は速度に比例すると割り切って前線の選手をスピードスターで揃えてきたようだ。
対するこっちは攻撃的なチームだから自分から踏み込んでいかないと戦力を生かせない。しかし、攻め込むと剃刀のようなカウンターを覚悟しなければならなくなる。
そしてあのキーパーのジョヴァンニから普通の攻めで問題なく得点できるとお気楽には思えない。
このままでは日本がボールをキープしているのに、なぜか押し込まれた雰囲気になってしまう。
よし、と俺は決断した。
ここは多少無理にでも上杉にゴール前でシュートを撃ってもらおう。なんだかんだ言ってもあいつはうちのエースストライカーだ。あいつが撃てばチームも盛り上がるし、なにより爆発的なキック力の持ち主だからそうそうキャッチまではされないだろう。
ならば入らなくてもカウンターが行われるまで時間がかかる。少なくともさっきのような短時間での日本ゴール前の攻防にはならないはずだ。
中盤ではプレッシャーをかけられないことが判っていたので、俺はセンターサークルまで戻ってボールを受け取りに行く。
このエリアで簡単にプレイできるってことは、まだ相手はこの時間帯は勝負をかけていないという意味なのだろう。だったらそれを利用させてもらうぞ。
振り向いてイタリアゴールへのルートを探るが、肉眼ではそんな物はほとんど見つけられない。
ならばと鳥の目で上から観察しても、整然と配置されたDF陣がゴールへのルートとスペースを潰している。
これがイタリアの基本的な布陣なのだろう、なかなか完成されていて崩すのに手間取りそうだ。
これを論理的にカットされないような安全なパスのみで攻略するのは容易ではない。強引な個人の力によってある程度は守備隊形を壊さなければならないな。
考えてみればブラジルはカルロスを始め、個々の力量でマークの一人ぐらい感単に外せる人材が揃っていたからあれだけ攻めっぱなしにする事が出来たんだな。
普通のチームならフィニッシュに持っていくずっと前の段階で、イタリアにボールを奪われてカウンターの餌食になっているぞ。
そこで俺は今度は個人突破ではなく、右サイドから人数をかけて崩していこうと考えた。
各自が持ち場を守るゾーンディフェンスと一極集中の攻撃は相容れない。こちらが右サイドに俺と山下先輩に島津までもが集まって攻めれば、どうしても他からDFを借りてこざるを得ないのだ。
そこでDFがポジションを変えれば必ず守備陣にズレが生じるはずだ。そのギャップを上杉に突かせると、よし、それでいこう。
考えをまとめた俺は右手を後ろに回して島津に上がれと合図をしようとしたが、すでに彼は山下先輩と並ぶぐらいの場所にまでポジションを上げていた。今日の試合においてはほとんど守備に戻っていないな、こいつは。
明らかに俺よりも敵陣内にいる時間が長いというのは如何なものだろう。
でも攻撃に関して察しがいいのがこの少年だ。いちいち指図してから動かれるよりはタイムラグが無くて済むからいいか。
俺が右サイドへ寄っていくと守備のブロックも当然右へ傾く。だが、そのタイミングで中央へ明智がボランチの位置から押し上げると右へばかり警戒をするわけにはいかない。
ナイスフォローだ明智。
ここでまた一旦山下先輩にボールを預け、リターンパスをもらってリズムとタイミングを計り直す。
よし、いくぞ!
俺と山下先輩、それに島津の三人が号令されたように、息を合わせて互いに斜めに交差するような進路で右サイドを制圧に走り出す。
イタリアのDFはここでちょっと混乱を起こした。
普通攻撃はスペースを使う――つまり誰もいない空間をつかうのがセオリーだ。だが、俺達は過剰なぐらいの戦力を右サイドの一点に集中し、きちんと揃っているはずの守備の人数を飽和させようとしている。
しかもその三人がまっすぐ縦へ上がるのではなく全員が左右に交差してポジションチェンジを繰り返しながら突破しようとするのだから、マークしていたDFも一瞬誰に付くべきか判断に迷う。
その一瞬があれば十分だ。俺は山下先輩へと短く速いパスを出す。
受け取った先輩は僅かな守備のほつれからサイドから中央のゴール前へと切り込んだ。さすがは先輩と感心させる切れ味の鋭いドリブルだ。
危険な位置にまで潜り込んだ先輩へ敵のDFがどっと集まってくる。さすがにその混戦ではフィニッシュにまでは持っていけない。
そこでサイドに残っていた俺へのリターンパスだ。幸いここら辺のDFは全部山下先輩と島津がゴール前に引き連れていってくれたので、俺はマークがいない状態でボールを受けとることが出来た。
ここからならばコーナーキックのようなマイナスへ折り返す形になる高いセンタリングも上げられるが、俺は低く速いボールをゴール前へ蹴り込んだ。
さっきのイタリアの速攻からのボールと似た状況だが、今度の方が俺がピンポイントで狙いを定められる時間があっただけにクロスの精度は高い。
誰を狙ったかって? 攻める前に言ったはずだろう、うちのエースストライカーへだ。
山下先輩と島津という新たなペナルティエリアへの闖入者が起こした混乱の隙にあいつは動いていた。彼らをDFに捧げる生贄の羊にして手品の入れ替わりのような手際の良さでマークを振り切ると、上杉はニアサイドへと自身のポジションを変えている。
そこへ俺がライナー性のボールを送り届ける訳だ。
これならば蹴るというより当てて角度を変えてくれれば十分……じゃないぞ! いつの間にかジョヴァンニが上杉の前にまでダッシュしてあいつのシュートを防ぐには絶好のポジションを陣取っている。
赤信号は大きな体をしているのに、DFでさえ振り切られた上杉のゴール前の不規則な動きにここまで機敏に反応できるのかよ。
これはただ普通のボレーで足を当てただけでは、間違いなくキーパーにぶつかって止められてしまう。
とっさにミートするだけではなくブロックされない狭い角度へボールをコントロールしてゴールに流し込もうとする上杉。
これだけ速いパスに対し反射的にシュートアクションを変更できる上杉も凄いが、さすがにそれには無理があった。
ジャストミートしそこねたボールが枠を逸れてポストの右側へと外れてしまう。
溜め息が日本のベンチのみならず、ピッチを囲む観客席の全てから響いてきた。
上杉がシュートミスするなんて滅多にない。いや、今のはミスではなくジョヴァンニのポジショニングによって防がれたと解釈するべきだろう。
並みのキーパーならば今のタイミングでの、速く低い弾道のクロスへいきなり飛び込んでくる上杉には反応しきれないはずだ。
少なくとも今までに対戦した相手はそうだった。だが、その自信を持った攻撃がこのイタリア人キーパーには通用しない。
ぞくりと背筋に冷たい物が走り肌が粟立つ。胸の奥に小さな火が灯り熱い物が湧き上がってくる。思考より先に体の方が勝手に敵の強さを認め、それに対抗するための準備を始めているのだ。
――これが世界標準って奴か。
ボールを持った時とはまた違う形に唇をつり上げつつ、ゴールを外した少年の背中を「ドンマイ」と軽く叩く。
「上杉さん、ぼけてないでまたがんがん攻めますよ!」
「……ああ、そやな」
うん? 何だか反応が鈍いな。
疑問に思うが様子を窺うより早く島津や山下先輩もこっちに集まってきた。本来ならカウンターに備えなければいけないのかもしれないが、イタリアのゴールキックで再開されるので速攻で日本の守備が崩される危険性は薄い。
うん、やっぱり無理矢理にでもフィニッシュまで持っていくのはいいカウンター対策になるな。
一旦プレイが途切れるからその分守備を整える余裕ができるので、パスカットされてその場から速攻をくらうよりずっとリスクが小さくなる。
下手に腰の引けた展開よりも逆に強引に攻め込んでシュートするカウンターの封じ方がうちのチームの性にも合ってるもんな。
そんな風に考えていると、元気を無くしたように俯いていた上杉が「くくく」と含み笑いを洩らした。
周りのメンバーがぎょっとしていると落ち込んでいるかと思われたエースストライカーは牙を剥きだして笑いだした。
「くくく、なるほどなぁ。これが世界レベルっちゅーもんか。爺がようけワイに「そんなもんは世界行ったら通じんぞ」と怒っとった訳や。ボクシングもサッカーでも戦ってみないと世界の広さってのは実感できへんもんやな」
嬉しそうな上杉に思わずどん引きしてしまう。他の二人もそうかと思いきや、何やら納得したかのように深く頷いていた。
「なるほど、それなら俺も一度体験してみなきゃいけないな。そーゆー訳でパスくれアシカ」
「うむ、ならば俺もぶつかってみなければなるまい。良いボールを期待しているぞアシカ」
……うん、カウンター対策云々じゃなく、もうこいつらに渡しさえすればとりあえず勝手にシュートまでは持っていってくれるよね?
高い山ほど登り甲斐があると、ゴールできなかったにも関わらず満足気な点取り屋達に少しだけがっくり来る。
何でかって? いや、だって俺もあんなキーパー相手に点を取りたいと燃えてきたのにこいつらが頑張ると出番が少なくなりそうだからだ。
なお付け加えるとこの時話し合っている俺達の後方では、すでにゴールキックから反撃が開始されていた。
ほら、真田キャプテンやアンカー達がイタリアのFWを相手に体を張ったディフェンスを展開しているぞ、本当にご苦労だなぁ。
心苦しくはあるが、試合前に俺は攻撃へ重心を傾けたプレイを監督からも指示されているのだ。イタリアがボランチの押し上げでもしない限りはあんまり手伝えないんだよ、残念ながら。
断腸の思いでせめても応援に「頑張れ」DFラインに手を振る。
なぜか敵FWを見るより怖い視線で守備陣から睨まれるのが不可解だな。いや、たぶんこれは手を振る仲間に島津が入っていたせいに違いない。
島津も「く、助勢できないのが無念で堪らない」とか言って激しく手を振らないで、遠慮せずに守備に戻ってかまわないのだがそんな心づもりは全くないようだ。
とにかく攻撃陣と一緒に日本のディフェンスの奮闘を見ながらも、次にどうやって赤信号を攻略するかに俺の頭の中は支配されていた。