第十三話 敵の力を試してみよう
イタリア代表はキーパーが凄いのも守備組織が整っているのも判った。
だったらカットされるリスクのあるパスを繋いだりするより、まずは個人の技術でゴールへのルートをこじ開ける方がいい。
自分の力でぶつかっていきたい衝動を、そんな後付けの理屈を組み立てて正論に仕立て上げた。
さあ、これで良心に恥じる事なしと、俺は体内のリズムをどんどん高速にしながら敵陣へとドリブルで突っかける。
一人で守備陣を粉砕したカルロスとまではいかないが、俺だって日本国内では例え相手の年齢が上のカテゴリーの選手達でさえ切り裂けるだけの鋭さを持っている。
スピードだけなら山下先輩や島津の方があるかもしれないが、小刻みなタッチで足に吸い付かせたようなボールコントロールだけは自慢できる。
このファーストアタックでイタリアの守備がどれほどのものかチェックしてやろう。
俺の上から試すような思考に気がついた訳もないが、イタリアの守備的MFが厳しい表情で前へと立つ。無理にボールを奪おうとするのではなくこれ以上の侵入を拒む、前を切るといったポジショニングだ。
他のディフェンスは寄ってこないところをみると、明らかに人間に密着マークするマンツーマンではなく個人個人が責任を持って自分のエリアを封鎖しようとするゾーンディフェンスだ。
ブラジルとの試合ではカルロスやエミリオにはマンマーカーがついていたようだったから、きっとあいつら相手には特別な対応をしていたのだろう。そして、今のこのゾーンで守る姿がイタリアの最も基本的なディフェンスの形のはずだ。
ただ、まだアタッキングゾーンには入ってはいないとはいえプレッシャーが少ないのが妙な感じだ。どうも一時期イタリアのセリエAから爆発的に広まったゾーンプレスの戦術のイメージが強くて、そこの代表はもっとガツガツと積極的に当たってくるかと想像していたのだが。
これではむしろ弱小国のような――ふとここで思い当たった。
こいつらブラジル戦の影響で微妙に腰が退けてるんじゃないのか? ヨーロッパの予選ではほぼ無失点だったのに、終盤に猛攻を加えられての逆転負けだ。
あのキーパーはともかく他のディフェンス陣はカルロスなんかにもよく突破されていた。その感覚が残っていればそうそう簡単に自分達からは積極的に動けないだろう。
とりあえず今だけは感謝しておくぞカルロス。
俺が躊躇い無く踏み込んでくるのにやや虚を突かれたのか、相手が立ち後れる。
その動揺したタイミングを逃さず小さく右・左とボールを動かして、最後にボールを跨いで動かす振りをしただけのシザースフェイントの後でバランスを崩した相手を抜いた。
普通はこの順番が逆で、ボールを動かす振りをして跨ぐシザースを相手の体勢を崩すフェイントとして使い、最後に大きくボールを動かす。効果が少ないからかその手順を逆にするような奴はあまりいない。
だからこそこの技は初見の相手はよく引っかかる、小刻みなタッチを得意とする俺のちょっとした隠し技だ。
何とか一人を抜いてもここはすでに相手の守備陣が網を張っているエリアだ。しかも一人目にフェイントを多用したせいで時間をロスしてしまった。これではもう相手に次の対応を取られてしまうな。
うん、やっぱりすぐにイタリアの二人目が立ち塞がってくる。しかも後ろからは今かわした相手が挟み込むように接近してくるのだ。
どうする? 敵が張り付くまでの短時間で、鳥の目を使って敵陣の様子と味方の配置から最良の行動を探る。
そして俺は右斜め前にゴール前から戻ってきた山下先輩へと目を付けた。
さっきまでは彼も点取り屋の二人に負けまいと、急いでイタリアゴール前のオフサイドの場所に集結していた。
だが、俺の行動を見ていつのまにかフォローするポジショニングへ移行してくれたようだ。これは彼が精神的に成長したのか、それとも点取り屋としてのエゴイズムを忘れてしまったからなのか。願わくばこの行動を起こした理由が成長だといいのだが。
とにかく、ゴール前から戻ってくる山下先輩へついているマークは彼が縦へ突破するのを警戒しているために、こっちへ向けたパスコースは空いている。
新たに俺の前方に立ちはだかろうとするイタリアDFを避けるように、右斜めへパスを出すと同時に左前方へダッシュする。
山下先輩も心得ていたのだろう、すぐにダイレクトでリターンパスを返してくれた。基本的なワンツーリターンという壁パスだが、攻める選手もパスもまっすぐ縦でなく斜めに角度をつけて進路をとるとディフェンスは止めにくい。
ワンツーで一瞬だけ俺の前が空いたが、それでも警戒の厳しいゴール前へのパスコースだけは閉じられている。
くそ、上杉も島津もいるはずなのに、そこへたどり着くルートはきっちりと潰されていやがる。
あの二人の内の長身の方の上杉でさえイタリアDFに比べると小柄だから、しっかりブロックを作られるとイタリアのユニフォームでその姿は目では姿が確認し辛いほどだ。
ならば隠されているゴールへと俺が強引にシュートしてきっかけを作るしかない。
ここからは相手のキーパージョヴァンニの姿も見えないが、逆に向こうもボールを確認できていないはず。ならばいきなりのシュートで虚を突けるかもしれない。
ブラジルだってゴール前でこぼれ球を押し込んで得点したんだ。こっちにもごっつぁんゴールが得意なやたら得点には鼻が利くゴールハンターが二人もいるんだ。枠内に強いシュートを撃てばビッグチャンスに繋がるはず。
DFがゴールを隠すように壁を作っているが、俺はいつものように俯くと脳内のイメージを信じて足を振り抜く――ん? なんだか今キックする直前に嫌な感覚がした。
物理的な物ではない、はっきりとしない何かぼんやりとした嫌な感覚が俺のメンタルに影響したのだ。
とはいえシュートそのものは申し分がない。カルロスや上杉のような豪快でパワフルなシュートではないが、鋭くゴールの隅へとコントロールされた練習通りのシュートだ。
――行けぇ!
俺のシュートにピッチがざわめく。イタリア語は判らないがおそらくはキーパーへの警告の叫びだろう。
それとなぜか「ワイへのパスやな!」「いいえ、俺へのです」といった味方のシュートについての論評とは思えない日本語までもが聞こえてくる。
俺が周囲の雑音に直前の違和感などは忘れて顔を上げてボールの行方を見守っていると、イタリアのキーパーのジョヴァンニが急にシュートコースへ割り込んでがっちりと胸でキャッチする姿を目撃する。
嘘だろう? 今のはゴール右隅への狙いすましたシュートだぞ?
俺はこれまでミスでシュートを外した事や弾かれた事はあっても、キャッチされた経験はほとんどないのだ。それぐらいぎりぎりのコーナーを突くか、強烈なシュートを撃ってきたのだ。だからこんなにも事も無げにキャッチされたのは初めてだ。
その驚きで思わず大きく口を開けてしまう。だが、その口を閉じる前に今自身に問いかけていた答えが出た。
俺はイタリアゴールの隙に撃ったのではなく、キーパーや守備陣からあそこにシュートを撃つように誘われていたんだ。
だとした次に来るのは――まずい!
「カウンターが来ます! 気を付けて!」
俺の叫びとほぼ同時にジョヴァンニがパントキックをする。
滞空時間の長いロングキックが狙うのは、もちろんそこを守る担当のはずの人物が彼の目の前にいる場所だ。
サイドバックにもかかわらず、そこに居るはずの者がなぜか上杉とコンビを組んで「くそ、ワイへのパスなのにボールをこぼさんへんかったか」と華麗にタップダンスのような地団駄を敵のペナルティエリア内で踏んでいる日本の右サイドに他ならない。
くそ、あいつら何してやがるんだ。
いつの間にか上杉の地団駄が洗練され、島津とも妙にシンクロしているようなのが気に障る。まさか二人でそんなくだらない動作を合わせる練習なんてしてねぇだろうな。
怒りの炎を燃やしながら俺も慌てて自陣へ戻り、中盤から上がろうとするMFをけん制する。
でもちょっとゴール前のディフェンスには間に合わないな。シュートが狙えるエリアまで踏み込んだ為に、日本のゴールまでが遠いのとイタリアのカウンターが高速だからだ。
ここで言う高速の意味はほとんどボールが寄り道をせずに縦に日本のゴールへ向けてしか動いていない事を示している。
今回はアンカーの必死のカバーも間に合わず、右サイドでキーパーからのボールを敵のFWに拾われてしまった。
こうなればディフェンスの方には選択肢があまりない。クロスボールに備えてゴール前を固めて、さらにサイドのドリブラーへチェックに行くぐらいだ。
だが、それよりも早くサイドを駆け上がったFWは一息付く間も与えずに、日本のゴール前へアーリークロスを上げた。
ヘディング争いをさせようとする高いボールではなく味方の体のどこかに、あるいは日本のDFに触れて角度が変わればそれがゴールにつながるというほとんどシュートに近い鋭く速いボールだ。
ジョヴァンニが俺のシュートをキャッチしてから、まだ十秒ほどしか経過していないのに、もう日本をピンチに陥らせている超高速のカウンターである。
イタリアのFWと攻撃的MFの二人はキーパーがパスしてからこのゴール前へと一瞬も足を止めずに、そのまま上げられたボールへとダイビングしていく。
よし! なんとか真田キャプテンが身を投げ出すようにしてFWの前に体を割り込ませてヘディングでクリアしてくれた。ナイスディフェンスだ、さすがキャプテン。
だが、素早く立ち上がった真田キャプテンがこっちを向いて吼える。
「お前ら、中途半端な攻撃はカウンターの餌食だって話していただろう! シュートを撃つのはいいが、もっとしっかり頼むぞ!」
これはたぶん直前にシュートを撃ってキャッチされた俺へ対しての言葉なんだろうな。
「判りました。それとキャプテンナイスディフェンスです!」
「お、おう。判ってくれればいいんだ」
俺が怒鳴り返すどころか、褒め言葉を返したのでキャプテンもそれ以上は小言は続けられない。
しかし、さっきの俺のシュートだって悪くはなかったぞ。きっちりコーナーを狙っていたし、威力だって捨てた物じゃなかった。そりゃパワー自慢のシューターからすれば一段落ちるかもしれないが、あれを止めるだけならともかく、完全に読まれて捕られるとは思ってもみなかった。
要するにちょっと意表を突いたはずのロングシュートぐらいじゃあのキーパーの掌の上って事か。
どうする? もう少しゴールまで接近しないといけないのか? でもそうなるとDF達の壁が突破する邪魔になってくるし、マークも当然厳しくなる。
そこでちょっとでもミスすればボールを奪われ、即あの高速カウンターの流れへとご招待だ。
だからといってこのまま点の動きが少ないプレッシャーのかかる展開では、イタリアが得意なロースコアの流れになってくる。
……くそ、以前この赤信号と戦って「シュートが入る気がしなかった」って弱音を洩らした奴の気持ちが判り始めたぜ。