第十一話 実況席では仲直りしよう
巨大なスタジアムに君が代が流れる中、ピッチに整列した日本代表の選手達は皆、胸のユニフォームの日の丸に手を当てたまま目をつぶって歌っていた。
そのスタジアムの客の入りは三割ほどだろうか、自国の代表であるイギリスではなく外国の少年達の試合としてはかなり入った方だ。尤もやはり客席で目に付くのはイタリアと日本の国旗が振られている姿なのだが。どうやら半分近くは地元のイギリスではなく対戦国である両国のサポーターのようらしい。
演奏が終わると日本代表のイレブンはすぐに小さな輪になって全員で声を掛け合う。
テレビ画面越しにはその交わし合う声までは拾えないが、どうも円陣になり肩を組んでの「シュートをガンガン撃つぞ」「おう」「カウンターに注意」「判ってる」といった短い会話のようだ。その後青いユニフォームのメンバーは一斉にピッチの各々の持ち場に散らばるとそこでまた体を暖め直す。
中にはセンターサークル付近でなぜか目を閉じたままぼうっと突っ立って笑みを浮かべている小柄なMFもいるが、日本代表のチーム全体からこれから厳しい試合が始まるという緊張感が満ち溢れていた。
そこで軽快なBGMが流れて、一旦画面が切り替わる。前回のナイジェリア戦より若干広くなった実況席に置かれたデスクで、並んで座るスーツ姿の二人が揃って頭を下げた。
「さあ、大好評につきリニューアルした実況席から、いつものようにアンダー十五の日本代表の試合をお伝えします。とは言ってもこの実況席でのメンバーは代わらずに実況は私と、解説は最近何かと話題の松永前代表監督の二人で「これまで通り仲良く」日本代表を応援していきたいと思います。それでは松永さん今日の試合もよろしくお願いします」
よろしく、との声が交わされ再びアナウンサーが簡単に日本代表のこれまでの経過と、これからの展望をまとめて視聴者へ説明する。
「初戦のナイジェリア戦の勝利で見事に勝ち点三を手にした日本。このグループでは同じく初戦を終えて勝ち点三のブラジルを得失点差で抑え、なんと現在は暫定一位に輝いています。二位までが突破できるグループリーグでの、おそらく最大のライバルになる今日のイタリア戦もまた若きイレブンはやってくれるのではないでしょうか。松永さんはどう思われますか?」
視聴者の知らない内に和解したのか、アナウンサーが水を向けると松永も柔和な表情のままで頷く。
「ええ、今大会のブラジル代表の実力は明らかに別格ですから、最終的に彼らが一抜けするのは確定でしょう。そうなると日本のグループリーグ突破のライバルはこのイタリアという事になります。すでに一敗して後の無いこの堅い守備を持つ伝統国と日本がどう戦うかのか楽しみですね」
「なるほど、ちなみにここイギリスのブックメイカーの賭け率では大会前の時点ではグループリーグ突破の本命はブラジルで、対抗が「赤信号」のジョヴァンニ率いるイタリアでした。日本はナイジェリア以下の八倍という最も倍率が高かったのですが、これは下馬評では日本が不利で大穴だと思われていたんですね?」
イギリスは何でも賭け事にするせいかブックメイカーの質は高く、そのオッズはかなり正確に世間一般からの評価を写し出している。その事から考えると日本の力はグループ内で最も劣るという意見の人間が賭けた連中の中では多かったのだろう。もちろん初戦のナイジェリア戦を勝利で終えた後は日本のグループリーグ突破の倍率は急激に下がったのだが。
「そうですね。カルロスがいなくなった後、日本には国際的に名前を知られた選手がこの年代にはいませんからね。それにアジア予選で最終戦までもつれ込んだのもマイナスに影響しているでしょう。他のチームはとっくに出場が決まった後でやっと出られることになったわけですから、どうしても印象は悪いに決まっています」
「……それは日本代表チームというよりアジア予選のスケジュールの問題のような気がしますが」
もし予選突破の順番で強弱が決まってしまうのなら、こんな大会を開く必要はなく突破したその順番に従って先着順で優勝チームを決めればいいのではないかというアナウンサーを松永がなだめる。
自身のブログの炎上が何らかの精神的な成長を促したのか、今日の松永はすぐ情緒不安定になりがちないつもの彼とはひと味違うようだ。
「確かに予選は突破さえすればその順番は関係ありません。しかし予選の内容は大いに関係があるんです。強豪ひしめく南米予選やヨーロッパ予選を余裕たっぷりに通過したチームと、アジア予選でぎりぎり生き残った日本ではどうしても後者に点が辛くなるのは仕方ありません。これらの評価を覆すには直接対決で勝利するしかないでしょうね」
もし勝利できるとしたらの話ですが、と付け加えるあたりやはりどこか微妙に日本代表に対する棘が抜けきっていない。だが、松永の言っている内容には間違いはない。
いやこの時代ではお世辞抜きならば、世界からの日本サッカーへの評価はもっと厳しいかもしれない。例を上げればチャンピオンズ・リーグなどが行われる現在の世界のサッカーシーンの中心であるヨーロッパでは、自分達の地域と南米まではチェックしてもアジアにはまだ一顧だにしないクラブも多いのだ。
国際大会などで結果を出し続けねばアジアが軽視される傾向は今後も変わらないだろう。
「なるほど、そう伺うとなおさら今日の試合の重要さが増すようですね。グループリーグ突破とブックメイカーから日本代表の実力を侮られたお返しがこれからの一戦にかかっています。是非ともこのイタリア戦で勝利して勝ち点六まで伸ばし、最終戦のブラジルとの試合前にトーナメント進出を決めたい所です。では、松永さんにこれから戦うイタリア代表の簡単な説明をお願いしましょう」
促された松永はさっと手元の用紙に目を走らせて確認するとイタリア代表について語り出す。
「イタリアはご存じのようにセリエAという世界でもトップクラスのサッカーリーグを持っています。当然十五歳以下の代表に選ばれるのはそのユースで頭角を現してきた少年ばかりです。
ですから皆がプロ予備軍なんですが、その中でも特に注目すべき選手がゴールキーパーでありキャプテンでもあるジョヴァンニですね。赤信号のニックネームと共にPKストッパーとしても名高く、まだ一軍デビューもしていないのにイタリアのサッカーファンの間ではすでに「未来のイタリアの守護神」と期待されています」
「そんなに凄いキーパーなんですか!」
松永の言葉に大仰にアナウンサーが驚く、そのタイミングの良さからこのイタリアについての会話は事前に二人の間で何か打ち合わせでも行われていた可能性が高いと思われた。
つまり彼らはいつの間にか冷戦状態を修復したのだろうとテレビに映らない部分での実況席の空気は安堵の雰囲気に包まれる。
二人の仲が険悪なのを懸念した現場のディレクターがどちらかの変更を具申しても、局の上層部が「気にするな」とごり押ししたキャスティングだからだ。
照明までが明るくなったんじゃないかと誤解しそうに雰囲気が良くなった中、快調に松永が持論を展開する。
「ええ。私が監督をしていた時も、彼のいるイタリアはどの大会でも必ずベスト四までは勝ち上がってきましたからね。当時のカルロスを擁する私の日本代表でもなかなかゴールを奪えなかったものですよ。はたして今の山形監督のチームがあの赤信号が守るゴールから得点できるか高みの見物――をすることなく応援しなければいけませんでしたね、ええ」
「……ほほう、つまりこの試合は日本が攻めてイタリアが守る展開になると?」
一瞬黙り込んだ後で作り笑いを再構築したアナウンサーが合いの手を入れると、その通りだと言いたげに松永が頷く。
「イタリアがグループリーグ突破するためには日本戦で勝ち点三が必要です。しかしそれは無理に攻めようとするのとはイコールでないんです。守備に自信があるイタリアのようなチームであれば狙うのは一点だけでいい。そしてイタリアは最少得点であればブラジルが相手でも奪えるだけのカウンターの駒は揃っています。しかも相手の日本はこれまで全ての試合で失点している攻撃優先でディフェンスの薄いチームなんですよ。ロースコアでのワンミスが命取りになる展開になれば、そんな緊張感のある試合を多くこなしているイタリアにペースを握られているとみていいでしょう」
どうしてもこの解説者の意見は「日本が不利」という結論から動かないようだ。
「では松永さんは日本はどういった作戦でいくべきだとお考えですか?」
「やはりこれまで予選を通じて無失点の試合がない守備をしっかり立て直すべきでしょう。前回も話しましたが島津のような攻撃特化の極端なタイプのDFより、どんな場面でも一定の力を発揮できるタイプの方が攻守共に役立つのではないでしょうか。まして相手は相当なレベルでカウンター攻撃を行って来ます、ディフェンスに穴があればそこを徹底的に突いてきますよ」
相変わらず松永はDFなのに守備では全く役に立たない、ある意味融通のきかない島津が嫌いなようだ。同じ攻撃専念の選手でも上杉などはFWだからまだ大目に見られて批判が少ないのかもしれない。そう思わせた瞬間今度は批判の矢が上杉の方へ向く。
「ですから上杉などもパスをもらったらすぐシュートを撃つのではなく、もっと周りを見てプレイした方がいいんですよ。とはいえ今日の相手はイタリアが誇るキーパーの赤信号ジョヴァンニです。彼は存在感が凄いですからね、ゴール前に居るシューターには凄いプレッシャーがかかります。さすがに上杉もこれまで通りの傍若無人な行動はできないのではないでしょうか」
「……なるほど、攻撃的な日本代表でさえ攻めあぐねるのではないかと予想されるほどイタリアのディフェンスは強固――特にキーパーのジョヴァンニ選手の与えるプレッシャーが強いというわけですか。
……あ、そろそろ日本ボールからのキックオフですね。松永さんからの興味深いお話でしたが、果たしてヤングジャパンはその強固なイタリアディフェンスを相手にどう戦うのでしょうか、注目の一戦です!」
「大事な試合ですからね、落ち着いた玄人好みの立ち上がりを期待できると思いますよ――あ!」
画面が試合開始の笛が吹かれたピッチへと切り替えられたが、音声は実況席からのアナウンサーの叫びが響いた。
「上杉のキックオフシュートだー!」