第十話 食事のことは大目にみよう
ナイジェリア戦で勝利した次の朝、ゆっくりと遅くまで睡眠を貪った俺達日本代表はホテルでバイキング形式の朝食を摂る。
フル代表は専属の料理人が遠征先にまでついて来て調理してくれるそうだが、俺達にはまだそこまでの特別待遇は与えられていない。いや、こんな高級ホテルに宿泊できているし旅費なんかも全て無料で外国へ旅行できているんだから文句はどこにもないんだが。
ただ、イギリスに到着してから食事時になると、なぜかいつもチームの誰からともなく「フル代表には専属のシェフが……」という話題になり「くそ、意地でもフル代表にまで昇っていくぞー!」という叫びが上がるのだ。
ここは広い部屋の立派な調度品などからもかなり高級なホテルなのだろうが、それでも食事の度に皆がげんなりとした顔を隠せなくなっている。
パンにサンドイッチやスコーンにスープやサラダといった軽食でも済ませられる朝食はともかく、しっかりと量を取りたい昼と夜にはどうしても愚痴が出るのだ。
ある意味有名なイギリスの料理には誰一人期待してなかったのだが、それでも俺達はぶつぶつ文句を言っていた。そのあげくに成長期の為に空腹には耐えきれず、味は無視してマナー違反にならないぎりぎりの速度で「舌には触れさせずに喉の奥に放り込むんだ!」とかき込む有り様である。
不味いとかいう問題ではなく、たぶんイギリスの方は日本人とは味覚が異なっているんだろうな。
いくら料理が口に合わなかったとはいえ、失礼な上に騒々しくてすいませんホテルの関係者さん。
さて、試合の翌日である今日は休養日であり体を使った練習はほとんどない。夕食後に次のイタリア戦へのミーティングがあるぐらいで各々が自由に行動していい日なのだ。
控えの選手はエネルギーを持て余しているのか観光に行こうぜなどと誘い合っているが、俺はパスだな。ただでさえチーム内でも一・二を争うほど小柄な俺はエネルギーの貯蔵量が少ないのだ、休める時にしっかり体を休めてまた試合に備えないと。
という訳でこれから軽くジョギングとストレッチで体をほぐした後でマッサージを頼むとしようか。
俺がトレーニングウェアに着替えてジョギングへ出かけようとしていると、日本代表に与えられた少し大きめのミーティングルームの扉が開いているのを見かけた。
何事かと思わず覗き込むと、そこで椅子に座り携帯を熱心に覗き込んでいる少年に出会った。
「ん? 明智さん何を見てるんですか?」
「ああ、アシカっすか。ちょっとこれで日本での昨日の試合の評価や関連ニュースなんかをチェックしていたっす」
「へえ、それは面白そうですね」
俺が興味を示したのが嬉しかったのか、明智は画面をこちらに向けながらその携帯が海外でも問題なく日本と同じようなネット環境で使える便利なツールである事を得々として喋る。
なんだかこんなデータマンとか解説役って漫画でもそうだがお喋りが多いよな。
いや、まあ話してもらわないとストーリーが進まないのも確かだが。っといけない、この時期ではまだ携帯からスマートフォンになったばかりである。確かにこれはネットなどを使用するには役立つのだが、その先の進化した機種を知っている俺は明智の言葉をただの自慢だと聞き流してしまった。
まだ日課である朝のジョギングをしていないから頭と体が目覚めておらずに集中できていないのかもしれないな。
ここはさっさと俺の方から話を切り出して本題を尋ねよう。
「それで、俺達の昨日の試合は日本でどう評価されているんですか?」
「うん、まあ、そのっすねぇ」
いつもはきっぱりとした話し方をする明智がなぜか急に口ごもる。俺が首を傾げると慌てたように「あ、俺達代表チームは勝ったんすから、悪くは言われてはないっす」と顔の前で手を振る。
じゃあいったい何があったんだよ?
俺の疑惑の眼差しに明智が「えっーとっすねぇ」と頭をかくと何か諦めたような表情で口を割る。
「俺達の試合に関係して、松永前監督のブログが大炎上っす」
「……は?」
一瞬何を言われているのか判らなかった。なぜここで松永が出てくる? それにあの人はブログなんてツールを使って世論操作でもやってるの? など幾つも疑問が浮かぶがとりあえず一番知りたい事を尋ねる。
「な、何で炎上したんですか?」
「どうもブログ上で僕達代表にいきすぎた批判をしたのと、昨日のテレビの解説での反日本的な言動が原因みたいっすね。確かブログに納豆少女というハンドルネームの書き込みで「松永は代表に新加入した選手を育ててなんかいない、むしろ邪魔してた」とか「新任の山形監督の仕事の邪魔までしている」とか「ヒロイン枠は渡さない。夏休みの課題は女子力アップだもん」なんてのがあったようっす。後半は良く判らないっすが、前半の書き込みは代表の内部情報も結構詳しく書かれていて協会内からリークされたんじゃないかって評判になってるっす。慌ててその書き込みは削除されたようっすけど、ネット上では祭りになって俺達代表への注目度もアップしたみたいっすね」
何だと? ネット上で松永に対してそんな地道な批判をしている人物がいるのか。
俺はその納豆少女とやらがどんな奴か想像しようとしたが上手くいかない。どうしても納豆というと俺にとっては真のイメージが強すぎて他の映像が浮かばないからだ。
でもまあ協会内部の人間らしいって話だし、きっとハンドルネームで少女と名乗っていてもそれは偽装で本人はきっとごつい元フットボーラーとかに決まっているよな。
ま、俺とは何のしがらみもない善意の第三者だ。自分には何の利益もないだろうにご苦労さんだったな。
「じゃあ、これであの鬱陶しい松永前監督ともお別れですか。いやー、そうなると寂しいなー。代表の試合を録画するとあの人が解説しているから、見返す時にはいつも音声をオフにしているぐらい嫌いだったけど、これで顔を見られなくなるとつい踊りたくなるぐらい悲しいなー」
悲しさの余りスキップして口笛を吹いちゃいそうだぜ。
「い、いや棒読みで華麗なステップを踏みながら悲しがっている振りをしているアシカには残念なお知らせっすけど、お別れとはいかないっす」
「え、なんで?」
意外な言葉に首を傾げると、明智が力無い笑顔でちょっとマスコミのおかしな事情を話してくれた。
「いや、なんだか松永前監督の言動が話題になっちゃったせいで、逆に今話題になっているあの人の解説を前面に押し出した方が視聴率が稼げそうだとテレビ局が判断したみたいっす」
「なんだよそれ……」
余りの下らない事情に二の句が継げない。明智も同感なのか、力無い笑みのまま頭をかいている。
いや、あの松永前監督もブログが炎上している最中にそんな仕事受けるなよと言いたいが、オファーを出すテレビ局の方がおかしい。俺達一応は日の丸背負った日本代表だよ? 少しはこっちの味方してくれても良くない?
「……マスコミと松永についてはスルーの方向で。それより俺達が勝ち上がる方法を考えましょう。とにかく結果さえ出してしまえば外野がどうこう言う口実は無くなるはずです」
「そうっすね」
明智も真剣に頷く。マスコミ関係は直接俺達が手出しする訳にはいかない問題である。俺達はピッチの上で結果を出して、プレイで自分達の価値を証明するしかない。
ここからは遠い日本の地でどんな風に報道されるのかは気掛かりではあるが、俺達はサッカーに集中するのが正解のはずだ。
ちょっと他力本願だが、誰だか知らないが納豆少女って奴が頑張って俺達に都合の良い方向へ持っていってくれないかな。
そんな儚い願いを託し、俺と明智のゲームメイカーコンビはイタリア対策に頭を捻る事とする。とりあえず日課のジョギングなんかは後回しだな。
「まず基本的なデータを押さえておくっすけど、イタリアはブラジル戦でみせていたように堅守速攻のカウンターチームっす。ただそれだけだと俺達が今まで戦ってきたナイジェリアやサウジアラビアと同じようっすが、はっきり言ってこれまでの相手とはレベルが違うっす。ヨーロッパ予選でもほとんど相手を完封、二失点以上したのは昨日のブラジル相手が初めてっすね。
特にあのキーパーのジョヴァンニはやばいっす。この大会以前の他のトーナメントの話になるっすけど二試合続けてのPK戦になった時、六本連続で止めて結局相手は一本も入れられなかった事があるとか。その時「赤信号」のニックネームがついたそうっす」
「……本当なら凄ぇ」
いくら年少の方が精神的に未熟でPKを外しやすいとはいえ、そのストップ率はちょっと異常だ。
PKは敵味方が交互に撃って勝敗が確定すれば終わりだから、味方のキーパーが三本止めてこっちが三本入れればそこで決着がつく。だから二試合のPK戦を六本止めてシャットアウトするのも理論的には可能だが、そんな試合を続けてやってのけられる奴がいたのかよ。
PKなんて力量以上に運の要素が強く、そしてほとんどのキックは入ると相場が決まっているはずなのだが。
「本当らしいっすよ。負けた相手チームの選手なんか「PKはあいつが相手じゃ蹴る前から入る気がしなかった」って言ってた子もいるらしいっす」
「いくら俺達の年代でも仮にも一国の代表が言っていい台詞じゃないよね、それ」
「ええ、その選手も「負け犬が」って相当叩かれたらしいっすけど、他のキッカーになった選手もこの赤信号が守ってるゴールは攻めにくいって口々に洩らしているらしいっす」
そんな冗談みたいなキーパーが次の相手かよ。
これぞ世界大会って事だな、今までの日本ではいなかったタイプの強敵と立て続けに出会って戦うんだから。
収集したデータから窺われる相手の困難さに、顔をしかめている明智へあえて笑って話しかける。
「いいキーパーって言ったって、絶対にゴールできない訳じゃないですよね? 実際ブラジルなんか二ゴールしてますし。上杉の言うようにバンバンシュートを撃つ事をまず考えましょう。そうすればきっと何本かは入りますよ」
「そうっすね! 考えすぎずにいつも通りの攻撃サッカーをした方が建設的っすね」
――この時俺達二人が具体的な対策を立てず下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると思考停止したのは、後から考えるとたぶん現実逃避の一種だったのかもしれないな。