第三話 日本からイギリスへ応援しよう
「さあついにアジアから巣立ち、世界へと羽ばたき始めた若きイレブンがここイギリスで表舞台に立って自分達の力を発揮しようとしています。思えば今回アンダー十五に選ばれた年代の選手達と代表チームはその初っ端から波瀾万丈の旅立ちを余儀なくされました。
この年代の代表のエースであり大黒柱と考えられていたカルロスの突然のブラジルへの帰国と彼の国でのフル代表を目指すという発表。そのハプニングにも関わらず今日も解説していただく松永さんが懸命に指揮をとってのアジア一次予選通過。しかし代償として激務のあまり松永さんが体調を崩してしまいました。
そこで日本サッカー協会は海外で活躍していた山形監督を急遽招集。まだ若い彼にこの代表チームの全権委任するという柔軟で懐の広い対応を取ります。そして協会のバックアップを得た山形監督の下で短期間の内に攻撃的なチームへと改革し、タレント不足と嘆かれていた選手達が見事にその才能を開花させてアジア予選を突破しました。松永さんも自身が率いていたチームが世界へ進むのを見ると感慨深いんじゃないですか?」
いささか興奮気味に顔を赤くして早口でまくし立てるアナウンサーに対し、逆にダークスーツをきっちり着こなしたいでたちのせいかこれまでの放送よりも落ち着いた印象を与える松永がゆっくりと答える。
「そうですね。私が大切に育てていた選手を上手く使って山形君はアジア予選を突破してくれましたね。日本代表が世界大会まで来るのはノルマでしたが、これ以上はボーナスと考えて多くを望まずに無欲でぶつかっていくべきでしょう。この大会はあくまで選手達に経験を積ませて成長を促す為のもので、無理に勝利を求めればまだ将来のある少年達が潰されかねませんからね。私が慎重に見守るだけで決して試合に使おうとしなかった足利選手なども、今回のアジア予選で一つ間違えれば選手生命の危機になりかねない怪我をしました。海外の少年などとは成長速度が違います、代表選手であり将来を嘱望される彼らの今後も考えるとあまり無茶な選手起用は控えて欲しいですね」
言外に――というよりはっきりと山形監督の選手起用を批判しているコメントにアナウンサーはしばし固まった。だが、はっと画面の外に視線を走らせて視聴者からは見えない位置にあるディレクターからの指示を読みとったのか咳払い一つで気を取り直す。
「そ、そうですか、中々に厳しいご意見ですね。つまり松永さんとしてはまだ伸びる余地の多いこの年代では今回の大会で無理に勝利を目指すよりいい経験にした方がいいと」
「そうです。正直言ってグループ分けがよくありませんでした。まず私が育てたカルロスを擁するブラジルが一抜けするのは確定で、残り一つの椅子を日本とナイジェリアとイタリアが奪い合うのですが、やはり二番手争いでは強豪国であるイタリアが有利です。今回はタレントの数でブラジルに劣るとはいえ、他のグループなら首位通過してもおかしくないチームですからね。非常に残念ながら日本にはチャンスが少ないと考えるべきでしょう」
なぜだか松永は日本が不利になるという予想をする時だけ声に喜色が混じっているようだが、被害妄想だと言われれば反論できない程度の物だ。それでも不穏な空気を察したアナウンサーが早口で問いかける。
「日本にとっては死のグループと呼ぶべき厳しい予選グループに入ってしまったと言う訳ですか。いやーこれは若きイレブンには相当頑張ってもらわねばなりませんね」
「私がアンダー十二を率いていた時はグループリーグは突破して本選へ進みましたが今大会は難しいでしょう。何しろ強豪国が二つにフィジカルに優れたアフリカの代表国、どの国も戦力的に充実していますからね。特にブラジルはカルロスをはじめ、エミリオにフランコにクラウディオとどの国でも中心選手になれそうな名手が揃っています。どう戦うか山形監督のお手並み拝見という所でしょうか」
どうにも松永からは自分の時の代表以外では前向きなコメントが取れないとアナウンサーは対応に苦慮しているようだ。その彼の表情がピッチ上の変化に僅かに生気を取り戻した。
「そ、そうですか、山形監督の手腕に期待しましょう。あ、今両チームの選手が入場してきました。それにスタメンも発表されましたね。えーと、日本はアジア予選最終戦のサウジアラビア戦と変わっていません。これが山形監督の考えるベストメンバーなんでしょう」
「うーん、初戦は手堅く入ると予想していたのでサイドバックである島津のスタメンは意外でしたね。彼の攻撃力を生かすのならばむしろ得点が必要な時にスーパーサブで出した方がいいように思うのですが。緊張する初戦のゲームの序盤からリスキーな選択をしていますね。これはどうなんでしょうか、私なら絶対に取らない作戦ですね。島津が上がった右サイドをウィークポイントとして狙われかねません。
ただでさえ日本は予選の全試合で失点している唯一の出場チームなんですから、もっとディフェンスに気を配るべきでしょう。こんな攻撃偏重では日本代表の攻撃と守備のアンバランスさを皮肉った「ミサイルを装備した紙飛行機」というネット界隈で話題になったちょっと不名誉なニックネームは外せませんよ」
もう失う物がないとばかりに日本のマイナス面だけを伝える松永に、さすがのアナウンサーも困惑の表情を隠せない。どこから探したのか妙なあだ名まで日本代表に貼り付けようとしている。放送席にいるスタッフ全員が「もしかしてそのあだ名はあんたが名付け親なんじゃ?」と突っ込みたそうだったが、生放送の最中にそんな事が言えるはずがない。
「と、とにかくもうすぐキックオフです。苦戦が予想されるグループリーグの初戦、なんとしても白星が欲しいところです。日本の皆さんもイギリスまで応援を届けてください。それではコマーシャルの後、いよいよ試合開始です」
◇ ◇ ◇
「アシカはこんな大きくて強そうな人達と試合して大丈夫かな……」
テレビに映ったナイジェリアの選手達の姿を見て、不安そうに眼鏡越しの大きな瞳を曇らせる真へ足利の母は笑いかける。アフリカ系の選手はすでに少年ではなく青年のようで、見た目だけで日本のまだ幼さが覗く選手達よりも強そうだとプレッシャーを与えられるのだ。
「大丈夫よ。安心しなさい真ちゃん」
さすがに年の功といった所か、まだ年長の方がずっと落ち着いて観戦している。彼女は自分の息子に直接的な危害が加わらなければ意外と冷静なようであった。
「でも、やっぱり世界大会って言うとアジア予選で戦った国なんかより強いチームばっかりだろうし」
「だから真ちゃんは速輝が怪我をしないように願いを込めてミサンガを贈ってくれたんでしょう? だったら心配いらないわ。ほら深呼吸して落ち着きなさい」
うんと頷くと、一旦目を閉じた真はすーはーとラジオ体操のように両手を開けたり閉じたりする身振り付きで深呼吸をする。それで落ち着いたのかやや上擦っていた声がいつもの彼女の物に戻った。
「そうですね。大丈夫に決まってますよね! 昨日だってナイジェリアを相手にしてゲームで対戦したときは私の操作する日本代表が圧勝しましたし、今回も勝てますよ!」
一気に安心した様子の真の姿に言葉を飲み込もうとした足利の母だったが、自分の息子と同じで突っ込みの属性を持っているのかその衝動を抑えられなかった。
「ねえ、真ちゃん。それってゲームでの話よね? もしかして真ちゃんの操作が上手かっただけじゃないかしら? しかもゲームに出てるってたぶん日本も相手も選手達はフル代表なんじゃないの? それってこの試合に関係あるかしら?」
疑問系の突っ込みの嵐である。いつの間にか真が「すいません」と部屋の隅に移動して小さくなっているのに気がついたのか、慌てて手を振って「言い過ぎたわね、ごめんなさい」と謝罪する。
「でも、真ちゃんじゃないけれど私も速輝が勝つと思ってるのよね」
「へえどうしてですか?」
真はさっきの「ゲームで勝ったんだから現実でも楽勝理論」を否定されたせいか、ちょっと好戦的だ。
「速輝はサッカーを始めた頃から毎日ずっと楽しんで練習を続けているもの。凄く嬉しそうにボールを蹴っているからサボるとかそんなの一日もなかったんじゃないかしら。むしろこの前みたいに怪我してるのに練習したがるのを止めるのが大変なくらいよ」
「はあ……」
話の結末がどこに行くのか見当がつかない真は生返事をする。
「世界大会なんだから速輝より才能がある子がいるかもしれない、速輝よりもっと厳しいトレーニングをした子もいるかもしれない。でもね、速輝よりサッカーを楽しんでる子はいないと思うの」
画面に映る我が子を見守る視線は優しい。
「好きこそ物の上手なれと言うでしょう? だったらうちの速輝が世界中の誰とでもどっちがサッカー好きかを比べ合ったって負けるはずないわ」
部屋の隅での体育座りから話の途中でなんだか黙ってフローリングに両手をついた姿勢に変化してしまい、長い髪で顔が隠れてしまった真を気遣う。
「どうかしたのかしら真ちゃん?」
「いや、なんだか二十は年上の方に女子力で負けたような気がして……」
何とか立ち上がるとテーブルに置いていた自分が大切にしている人形を両手でぎゅっと握りしめる。「ヒロイン枠は私のはずだもん……この人にも最近アシカをちやほやし始めたクラスメイトにも負けないもん」と呟いて、画面の足利に向かって語りかける。
「私だってアシカが勝つって信じているんだからね!」
――真がヒロイン枠を狙っているのなら、まずはその握りしめている藁人形をどこかに置こうか。藁人形を手に「信じているよ!」と言われても傍目からは応援ではなく呪っているようにしか見えないんだが、といつもならば親切に突っ込んでくれる幼馴染みは残念ながらこの場にはおらずイギリスのスタジアムのピッチの上にいるのだった。