第十三話 全国大会に備えよう
「アシカ、後ろ来てる!」
鋭い声で警告されるが大丈夫だって。俺の持つ鳥の目は、真後ろから忍び寄るディフェンダーをはっきりと捉えている。この鳥の目という常時発動型のレーダーを装備しているおかげで、不意を撃たれることは俺にはない。それよりも最近チームメイトが俺のことをアシカと呼ぶ風潮をどうにかしなければならないな。親しみを持たれているのか、からかわれているのか判らんぞ。
そんな雑念を抱きながらも、パスを受け取る際にも敵との距離を見極めて最適な位置にボールをトラップする。基本的には敵とボールの直線上に自分の体をいれるのだ。さすがにゴール前などの敵が多すぎる場面ではそう上手く行かないが、中盤ならばよっぽどパスが乱れていなければマイボールとして確保できてロストする事はまずない。
ディフェンダーを背負いながらもターンしようとすると、そのターンする方向へ相手も体を置いてくる。素直に回転すれば俺が苦手な接触プレイとなりボールを奪われてしまう可能性が高いので、軸足の後ろにボールを転がして逆回転で抜け出した。
はっ、この程度の緩いマークじゃ今の俺は止められないぜ!
自分でもキャラが変わってるなと自覚してしまうほど最近の俺は調子がいい。
今日は敵チームであるキャプテンが、俺がフリーになったと見るや猛然とダッシュして潰しにくる。さすがは我らがチームの誇る中盤の番犬だな、少しでも危険な香りを嗅ぎつけるとすぐ噛み付きにくる。だがわざわざそれにつき合う義理もない。彼のパワーは毎朝の練習で嫌と言うほど思い知らされているのだ、接近戦を挑むのは御免だよ。
まだ一足で飛び込まれる前の間合いでシュートモーションから右足を鋭く振り抜く。ボールとの衝突を予期してか体を硬くしているキャプテンの頭上を柔らかな放物線を描きボールが通過した。キックすると見せかける動きとスピードは変えずに、足首の跳ね上げだけでボールを宙に浮かせるチップキックだ。
反射的に防御行動をとってしまったキャプテンは脇を抜けていく俺に反応できない。うん、キャプテンをこんなに綺麗にかわせたのは初めてじゃないかな。
誰にもばれないようほくそ笑みながら再びシュート体勢に入る。相手はキャプテンの守備力を信頼していたのか俺の決定力の無さを信じているのか完全にフリーにしている。幾らなんでも舐め過ぎだぜ、ここからなら外さない!……はずだ! たぶんだけど!
自分でもまだシュート能力を完全には信じ切れていないが、ペナルティエリアのすぐ外からシュートを放つ。
ノーマークだったせいか速度と精度を持ったシュートはゴールの右上隅に突き刺さった。え? 本当に?
うおおー! ミニゲームとはいえ一か月ぶりぐらいのゴールじゃないか?
ほら、やっぱり決定力はちゃんと上がってきてる。うん、例え一月で一得点でも、完全にフリーだったからでも、相手キーパーが補欠だったからでもとにかく自信を持たなくちゃいけない。
口々に「ナイスシュート!」と祝福してくれるチームメイトに応えながら、少なくとも「決定力が無い」から「決定力が悪い」ぐらいにまでは改善されたかなと口の端をつり上げた。くくく、最近はミニゲーム中でも顔が綻ぶ事が多いぞ、それだけ余裕を持てるようになったのだろうがいい傾向だよな。
ミニゲームが終わり、ドリンクを飲んでいるとキャプテンが軽く肩を叩いた。少し行儀が悪いがボトルをくわえたままで振り向く。
「足利は最近調子がいいじゃないか。昨日よりは今日、朝練よりはクラブのゲームと一日の間にも成長しているみたいだな」
「ぷはぁ、ありがとうございます」
この人に対しては素直にお礼が言える。別にチームメイトで唯一キャプテンだけが俺を「アシカ」と呼ばずにいてくれているからではない。小学六年という年齢ながらキャプテンとしてきちんとチームをまとめているからだ。うちの下尾監督はどちらかというと放任主義に近いタイプな分、キャプテンの穏やかな人柄とピッチ上での献身的なプレイがチームの皆からの信頼を集めている。
「たぶん今度の大会でも僕達がコンビを組むはずだ。お互い頑張らないとな」
「ええ、もちろんです。キャプテン達の最後の大会に花を添えてみせますよ」
そう、今度の大会が終わったらキャプテン達六学年はクラブから卒業することになるのだ。夏休みに卒業とは早いかもしれないが、公式戦に出られるのが最後だからと決められたそうだ。したがって俺達は秋と冬の大会は六年生抜きで戦う事になる。このクラブはJの下部組織とかではなく、小学生育成の為の地域クラブだからその点ではあまり融通がきかない。
「でもクラブを卒業しても顔を出してくださいよ」
「ああ、そのつもりだ」
頷くキャプテンにも嘘をいっている様子はない。この人なら中学に上がってもサッカーを続けるだろうし、コンディション維持も兼ねて中学に入学するまでは結構な割合で練習に参加してくれそうな気がするな。
「でもまあ全国大会まで勝ち進む予定ですから、先輩方の引退はもう少し先の話になりますね」
「足利はずいぶん自信があるんだな」
「ええ、キャプテンは無いんですか?」
「いや……足利や山下、それにうちのメンバーがいればどことやっても負ける気はしないな」
「ええ、そうですよ。実際に負けませんしね」
俺の言葉にキャプテンは少し驚いたように口を開くと、目を閉じて薄く笑った。
「ああ、きっとどこにも負けないな」
そんな会話をした練習の後のミーティングで、監督による次の全国大会の県予選への説明がされた。
「……で来月の頭から県予選が始まる。これからの練習もそれを目標にしたものに変えるぞ。とは言ってもうちはミニゲームが中心だから、レギュラーメンバーを固定してあとはセットプレーなんかの約束事を確認するだけだな。
個人練習なんかは今まで通り自分でやれよー。それとスタメンは完全に決定じゃないし、上に行くと一日二ゲームの強行日程になるから、ベンチ入りの二十人はまず確実に出番があると思っておけ。わかったな」
「はい!」
全員の揃った返事に満足そうに監督は頷いた。
「ではスタメンの発表だ、FWから……」
とメンバーを読み上げ始める。この時間はいつも胃が痛くなる。一月前の途中出場だった対外試合とは異なり、俺ははっきりと実力をアピール出来たはずだ。ミニゲームだって監督が戦力均衡のため俺がキャプテンや山下先輩なんかとかぶらないよう気を使っているほどだ。うん、間違いない。俺は実力が認められている。スタメンにもきっと選ばれているはずだ。
「……MFは山下、キャプテン、アシカ……」
その希望通り俺の名前が耳に入った。いつの間にか監督からもアシカ呼ばわりされているが、今だけは文句がない。同じMFの中に当然ながらキャプテンと山下先輩もメンバーに入っている。まあ、順当なのだろうか、クラブの誰も文句を言わないし不思議そうな顔もしていない。若干の上級生が俺の名前に眉を顰めたようだったが、そのぐらいはもう誤差の範囲内でやっかまれるのは覚悟している。
周りには俺は冷静なままに見えたかもしれない。だが、俺は心臓の鼓動が急に大きくなったように感じていた。腹の底から熱く得体の知れないエネルギーが血管を通って体中を駆け巡る。今体温を測れば通常より一・二度は上昇しているんじゃないだろうか。早く試合をしたくてたまらない、手足の筋肉が動かす許可を待ちかねてピクピクと小刻みに震える。もう肉体の方は試合に向けてアイドリングをし始めたようだった。
――後一ヶ月。この期間を長いとみるか短いとみるかは人それぞれだが、俺にとっては長すぎるが同時にまだ時間が足りない。個人的感情であれば今すぐにでもオーケーだ。チームの一員としてならば連携の熟成にもう少し時間をかけたい。特に俺の場合はFWとのコンビネーション、つまりスルーパスと裏への飛び出しのタイミングを合わせる時間が必要だ。こういったのは練習だけでなく、ミニゲームとかの試合形式で煮詰めなければもっと厳しい本番では通用しない。
まあ、大会までの一ヶ月退屈する暇はなさそうだ。チームとしての総合力を高めるだけでなく、俺の個人能力もアップさせなくてはならない。俺が今までやってきた事がどこまで通用するかようやく公式試合で測れるのだ、大きな期待と僅かな不安は胸を躍らせ肌を粟立てていた。