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外伝 サッカー小僧の出発前夜

「いただきます」


 俺と母に真、もうお馴染みとなった三人の声が唱和して夕食が始まる。

 まるでこう言うといつも三人で食事をしているようだが、さすがに幼馴染みのお隣さんでもそれはない。真まで一緒に食事を取るのは彼女のご両親に急用があったか、それともちょっと特別な時ぐらいだ。

 そして今日の夕食は、俺が明日イギリスで開催されるアンダー十五の世界大会へと出発するための身内での激励会みたいになっていたのだ。

 他の代表メンバーも含めた公式行事の激励会は二日前にあったが、あれは食事よりサッカー協会のお偉いさん達の挨拶がメインだったからな。おかげでご馳走のはずだったのに料理の味なんかちっとも記憶に残っていない。ずっと笑顔で「頑張ります」とばかり言っていたのだから励まされるどころか逆に疲労が溜まるだけだったのだ。


 それに比べると今夜のメニューは素朴だがずっと食欲をそそるな。メインがトンカツと新鮮なお刺身でそれにサラダが一人につきボウル一杯分となっている。その横になにか藁の人形に包まれた腐った大豆があるようなのだが、俺は気が付かなかった。うん、気が付かなかったんだから食べなくてもいいよな。

 ちらちらと眼鏡越しの視線をその藁の人形に走らせて「その藁の中身を察して味見しろ」と無言のプレッシャーをかけてくる幼馴染みにも気が付かない振りをする。そうか、よくいるマンガの主人公みたいな鈍感な振りって役に立つんだな。

 その俺の気が付かなかったんだから仕方がないよね攻撃に対抗してか、真がそっと藁人形をプッシュしてくる。それも俺が視線を外した隙に少しずつだ。だから目に入る度に、自分にちょっとずつ藁人形が近付いてくる光景はテーブルのその一角だけを完全にホラーと変えていた。

 なんで俺を激励する夕食会のはずなのにこうなっているんだろう?

 そんな火花の散りそうな戦いをしていると、母が助け船というか話題を振ってくれた。 


「それで日本代表チームの調子はどうなの?」 

「一言で言うなら絶好調かな」

 

 視界の隅から映るにじり寄る人形を無視するように俺は母へ短く判りやすく答えるが、事実言葉通りに代表チームは全員が良好なコンディションを維持している。予選最後に圧勝したサウジ戦の時と比べても、遥かに個人の体調もチームとしての連携も格段に上昇しているのだ。

 このぐらい成熟したチーム状態で予選に臨めれば楽勝だったよなぁ……。

 激戦のアジア予選を思い返すとそう考えてしまうが、逆にあれだけ苦戦したからこそここまでチームが成長したとも言える。

 個人的にもサウジアラビア戦での毒蛇とのマッチアップは良い経験となり、自分を一つ上のレベルに押し上げてくれたとさえ思っている。もちろんこれは最終的に勝って予選突破した今だから言えることであり、特にアウェーで危険なファールされた時点では毒蛇を呪っていたのだが。

 まあ喉元を過ぎれば熱さを忘れて、苦難を糧として栄養にするとそれを消化して見事に成長した結果だけが残った、と。


「今の状態ならカルロスの居るブラジル相手でもいい試合ができるんじゃないかな」

「あらそうなの? それは良かったわね。でもやっぱり速輝はブラジルに行っちゃった今でも判断の基準がカルロス君なのねぇ」


 どこかおかしそうな母の声に頬をかく。特別意識しているつもりはなかったが、それでも一度しか戦っていないカルロスの印象は鮮烈だった。それこそ強敵とやる時の比較対象がカルロスになってしまうぐらいに。そして毎回「カルロスに比べればまだこいつを相手をする方が楽だ」という結論に落ち着くのである。

 これまでにも強いチームとやるときは何度もそう口にしていたから、確かに母にからかわれるのも無理はないかもしれない。

 

「うん、まあそうかもしれないけどね。今度またあいつと戦えるようになって嬉しいよ」

「あれ? ブラジルと当たるの?」


 驚いたような高い声はこれまで静かにテーブルの外れの藁人形を気配を消して前進させるのにかまけていた真だ。あ、こいつらに予選の相手とか話してなかったかな? 手を箸に持ち替えた彼女にほっとしながら説明する。


「うん、予選で一緒の組になったんだ。他はナイジェリアとイタリアの四カ国で、総当たり戦で戦ってその内の一位と二位が本戦出場になる」

「へー、ブラジルは知ってるけど他の国も割と強そうだねー」

「そりゃ強いよ。イタリアは(カテナチオ)と呼ばれるほど世界中に知られた守備に定評のある国だし、ナイジェリアもアフリカ勢らしく身体能力が超人的な選手が多いそうだ。舐めてかかれる相手じゃない。というより世界大会で相手を格下認定してたらそりゃ負けフラグを立てているようなもんだよ」

「そうなの? アシカはブラジル以外眼中にないのかと思ってたよ」

「そんな「予選の相手はブラジルだけ」とか明らかに予選グループで敗退する雑魚の台詞だよな。俺はどのチームも強敵だと警戒しているぞ」


 ふむふむと、少し行儀悪く箸を咥えながら何やら思案する真。その口から「むー、この予選相手では祭りになるし、また荒れるなぁ」という呟きが漏れたようだが、彼女が行く予定の夏祭りの天気の心配でもしているのだろうか? どうも最近この幼馴染みの思考が良く判んないぞ。


「どうかしたのか真?」

「あ、ううん。何でもないよ。予選でブラジルと当たるって聞いて祭りになるなーって思っただけ」

「うん? まあ注目はされるだろうけどな。なんだ、お祭りの日と重なりそうでテレビで観戦しにくいとかなのか? せっかくの大舞台なんだから応援してくれよ。帰ってきたらどっかのお祭りでなにか一食はおごるからさ」

「え? 本当?」


 途端に眼鏡のレンズが光ったかと錯覚するほど瞳を輝かせる真は、正直言って少しちょろいと思う。このままでは悪い男に引っかからないかかなり心配である。恋愛感情とまではいかないが真とはもう長い付き合いになるから充分に親愛の情は湧いているし、ほとんど妹みたいな身内の感覚である。一人っ子の俺としては真は半端な男には渡したくないというちょっとした独占欲もある。

 前回の人生では別々の高校に進学したり、俺がサッカーを怪我で諦めたりした辺りから段々と気安い関係は薄れていってしまった。だが今回は明らかに前よりもっと親密になっている。なんとかこのまま気の置けない幼馴染みの良い関係を壊さずにやっていきたいものだな。


「ああ、こっちの都合に合せてもらうけど俺も夏なんだから一回ぐらいはお祭りに行きたいしな」

「うん! じゃ、じゃあ色々とこの辺のお祭りを調べておくね!」


 嬉しそうに目を細めて笑う真はどこか子猫っぽい。うん、まだまだ子供扱いで問題なさそうだ、この距離感をキープしよう。たぶん自分に好意を持ってくれているだろう幼馴染みを騙しているような罪悪感で胸がチクチクするのは無視だな。俺はサッカーで精一杯で恋愛にうつつを抜かしている暇はないんだ。

 自分が人間としては少し冷たいかなと落ち込みそうになったが、そこにまたタイミング良く母が声をかけてくれた。


「夏休みの後半を楽しむためには前半にしっかりと宿題と世界大会を頑張らなくちゃね」

「はいはい、了解です」


 首をすくめて答える。正直宿題そのものは難しくはないのだが時間がかかるのがネックだ。こうなれば遠征先にも持っていって空いた時間にちまちまと消化しなくては。手間がかかるが、それでも一番やっかいな自由研究を共同研究ということで真が進めておいてくれるのは実にありがたい。

 その研究内容は「秘密だけど楽しみにしててね!」ってことだがいったい何を企んでいるのかちょっと楽しみだ。お祭りに同伴する時は大盤振る舞いをしてあげなければいけないな。

 ――後に「まさか腐った豆の観察とは……研究課題を確かめておくべきだった……」とうなだれる事となるのだが、それは世界大会が終わってからの話である。


 しばらく近辺の夏祭りについて母がレクチャーしてくれたり、真が「夏バテを防ぐには発酵食品だよ!」と興奮したりしていた夕食会もほぼ終わりになろうとしていた。


「じゃ、俺は明日早くに出発するから真とはここまでだな」

「あ、そうなんだ。飛行機で行くなら見送りに行こうかと思ったんだけど」

「なんだか協会の方で車を回してくれるみたいよ。それで子供達を全員揃えてから空港に向かうみたい」


 この年代はまだ子供と思われているのか、移動に関してはちょっと協会側からも配慮されているのだ。だから出発前にゆっくり二人と言葉を交わせるのはこの機会が最後だろう。

 日の丸を背負って世界と戦うってのは重圧もあるが、ここで「帰ってきたら何かするんだ」とフラグを立てる訳にもいかないし……あれ? さっき食事中に「大会が終わったら一緒に夏祭りに行こう」だなんて約束してしまったがあれは大丈夫だろうか。いや、別に戦場にいくんじゃないからセーフだよな。


「それじゃ、アシカは頑張ってそして怪我しないようにね。あ、これは念のためにもう一個渡しとくよ」

「ああ、サンキューだ真」


 俺より頭一つは背の低い真が見上げて餞別にミサンガを渡してくる。この前付け替えたばかりで当分切れるはずもないが、予備はあっても困らない。白く細い手から受け取るとまるでミサンガが、戦場へ赴く兵士へと送られたお守りのように思えてくる。この応援には応えなきゃいけないよな。

 渡されたミサンガをぎゅっと握りしめ、目線よりも下にある幼馴染みの艶のある黒いロングヘアへと手を伸ばす。そして小学生の頃のように撫でるというよりは軽くぽんぽんと叩いた。 

 うん、相変わらずさらさらした良い感触だ。でもあまり長い間こうしているわけにもいかない。


「真と初対面の時にした宣言が結構早く実現できそうだな」

「え?」


 頭上に?マークを浮かべる真に、できるだけ期待させて心配をかけまいと軽い口調で旅立ちの挨拶をする。 


「それじゃ、みんなとちょっとイギリスまで世界一になりに行ってくるよ。お土産は優勝メダルでいいよな」


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