第五十八話 実況席では落ち着こう
「よしよし、前半の出来は最高だった。だけどこれで守りに入ろうだなんて考えるなよ! うちのチームはこれから先、攻撃の破壊力と得点力で世界と戦っていくんだ。残りの時間はそのためのいい練習だと思って攻めて攻めて攻めまくれ! スタミナが切れて走れなくなった奴はこっちで代えてやるから、体力の温存なんて気にせず全力で走って戦い抜け! いいな?」
という山形監督の熱い檄からハーフタイムの作戦会議は始まった。
その弾む語調が示すとおりにスコアは三対一でホームの日本がリードしている。しかも逆転しなければならないサウジアラビアはどちらかといえば守備的に偏ったチームで、攻撃に関しては比較的カウンターが強いというレベルでしかない。
ここまでは山形監督と俺達代表の全員が試合前に「こうなればいい」と思い描いていた理想に近い展開だ。そして、ここから先もアクシデントさえなければ逆転される可能性は少ないだろう。
なぜならばうちのチームのメンバーは――特にFWの連中は油断するどころか、監督の言葉に全員が目をぎらつかせていたのだ。
「あと一点でハットトリック……くくくワイの実力がようやっと世間に知れ渡るっちゅう事やな」
「監督の要望だ、これで攻め上がっても誰にも自分勝手とは言わせない。超攻撃的サイドバックの看板を背負っているのに無得点でいいはずがないんだ」
「あれだけ前半はアシカのフォローをしたんだ。人間の心を持っているなら、少しは先輩を労おうとアシストパスを送りたくなる心情が湧いてくるはずだな」
「あの……僕も前線に居るのを忘れないでくださいよ。え? お前は誰だって? 馬場だよ、左サイドのウイングの! え? 忘れてなかった? 今のは冗談だって? 本当だよね? あ、いや僕の事を忘れてなければいいんだ。うん、覚えていてくれたら満足だよ、別にもうパス寄越せとか無理は言わないよ」
我が代表の前線を彩る四人の反応は極端だった。うん、さっきFWの連中とひとまとめにしたがその中になぜかDFが入ってたり、控えめな馬場選手が逆に目立ってたりと色々あったが、それでも気を緩めるのではないかという山形監督の心配についてだけは無縁である。
ほとんど全員が「俺が試合を決めてやる」という気合の入っている表情をしているのだ。
全くなんて目立ちたがり屋な奴らばかりなんだと、普通のチームの司令塔ならば頭を抱えたくなるだろう。だが、その攻撃陣を操る俺と明智のダブルゲームメイカーは笑ってFWの我が儘を許容するだけの余裕がある。
「あんな事言ってるっすけど、僕達がパスを出さなきゃ攻撃は始まらないっすよね。僕達がパスを出しやすくするために前線のみんなは頑張って走るっすよー」
「ああ、一応山下先輩と馬場さんの事は気にしておいてあげましょうよ。俺は山下先輩には前半お世話になっていますし。それに馬場さんは前半ほとんど一人で敵陣の左サイドからトップ下のスペースまでのケアをしてくれたのに、パスがこなかったせいで攻撃面では目立てませんでしたしね」
……いや油断してるんじゃなくてこんな会話を交わすぐらいに余裕があるだけだって。性格が悪いんじゃなくてチームをコントロールしている感覚に酔っているだけなんだって。
とにかくそんなさらに攻撃を後押しするようなハーフタイムでの話し合いを経て、俺達日本代表は後半戦へと突入した。
◇ ◇ ◇
実況席ではこのアジア予選をテレビで観戦している視聴者にはすでにお馴染みになった真面目そうなアナウンサーが、大柄だがどこか神経質そうな硬い雰囲気を持った中年男性に会話を振っている。
「さあ解説の松永さん、前半を振り返ってここまでの試合展開はいかがでしょうか? 三対一でリードと攻撃的な日本代表の好調さを示すようなスコアになっていますが」
「……ちょっと予想外でしたね。世界大会へのチケットがかかってるんです、もう少し厳しい試合になるだろうと予想していましたから」
なぜか沈痛な面持ちの解説者が顎の下で組んでいる手がプルプルと小刻みに震えているのは、アナウンサーを含めてこの実況席にいる誰もが見なかった事としてスルーされた。この松永というアンダー十五代表の前監督は奇行が多いのでいちいち気にしていては仕事にならないのだ。
「そう言えば松永さんの秘蔵っ子と噂の足利選手ですが、大活躍じゃないですか! 最年少の、しかも故障明けの彼がここまでやれるとは期待通り、いやそれ以上なんじゃないですか?」
「ええ……最初の点が入った時には思わず「やってくれたなアシカ!」と歓喜して叫んでしまいました。これならば私の期待に答えてくれると信じていたのですが……」
言葉だけなら足利という少年の活躍を褒めているようだが、なぜか残念そうに首を振る解説者の組んだ手と喋っている言葉の震えはさらに大きくなっている。
その挙動にも気がつかないかのようにアナウンサーは言葉を続ける。ハーフタイムの今はチャンネルを変えられてしまう事が多い為、できるだけ早く興味のある話題を繰り出して視聴者を繋ぎ止めなければならないという使命が彼には課せられているのだ。
「ほう、そこまで彼に期待していたんですか。松永さんに将来を嘱望されるとは足利選手も幸せ者ですね。それに私のような素人は日本の初得点はFWの上杉のゴールに対する意欲溢れるプレイが素晴らしかったように思えるのですが、専門家の方はやはり見る目が違うのですね。その一つ前の足利選手からのパスに注目するとは……。
それに日本が得点を奪った時も落ち着いていましたし、監督経験者の言動は現場を知っている重みが違います。むしろ松永さんはサウジの初得点の時の方がなんだか興奮していたみたいでしたよね。先制された後にも関わらず「やってくれたなアシカ!」と叫んだ後は「よしよし。これで大丈夫だ、安心しろ。心配いらないぞ絶対に勝てる」と隣の私にも聞こえないぐらいの小声で自分に言い聞かせるような激励に、失点ぐらいでは揺らぐ事のない日本代表に対する深い信頼と愛情が隠しきれていませんでしたよ」
「ええ、彼らを信用しています。だからきっと、私の期待に応えてくれるはずです。それに試合はまだ決まっていませんからね。後半が丸々残っているんですから、日本も油断していたらあっというまに同点どころか逆転されてもおかしくはありませんよ」
手の震えを止めて「そうです、まだ日本代表は逆転されてもちっともおかしくないんです」と自分の発言に何度も頷く。
アナウンサーも「おっと油断大敵という事ですね」とその発言を冷静に受け止めた。
「なるほど松永さんの厳しいご指摘の通りですね。確かにここで油断して試合をひっくり返される様なことがあってはいけません。ヤングジャパンは後半はサウジの鋭いカウンターに注意して守備にも気を使ってバランスよく戦えという事でしょうか」
「いや……そうですね、むしろ正面からの打ち合いを選んだ方がいいですね。DFの島津もずっと上げてしまってより攻撃的に行けばいいんです。そうでないともうチャンスはないですからね、日本が守りに廻ると難しいです」
松永のどこか歯車がずれたような解説にアナウンサーは首を傾げる。
「という事は松永さんは日本が攻撃的な姿勢を貫くべきだと? そうでないと必死になったサウジのディフェンスから得点するチャンスはないとお考えですか。いやー私なんかはもう後半は守って時間潰しをしていればいいんじゃないか、なんて思ってしまいますが」
「そんな事をして良い訳がない」
ドンと松永がテーブルを叩く。
「そんな事では勝てなくなってしまうじゃないですか!」
顔を赤くして「守備的なシステム変更など許さない」と憤っている前監督をアナウンサーは呆然と見つめた。そして自分達を映しているカメラの隣のスタッフが手に持った「後五分で後半戦開始します」とのフリップに生放送だとはっと気を取り直す。とにかく場をつなげなければ。
「な、なるほど。このアジア予選ぐらいで攻撃的なシステムから守備的に変更してしまえば世界の舞台では勝てなくなってしまうという事でしょうか。この試合だけでなく先を見据えての提言ですね」
「……オ、オー。ソノトーリデース」
不意に何かを思い出したかのようにエセ外国人っぽく片言で答えた後、必死に誤魔化すように「その通りです、私は厳しい愛情で接しているだけで代表を応援してるんです」としきりに頷いている松永に、アナウンサーは彼の行動を理解しようとするのはやめた。
局の上の方から「前監督で現役ではスター選手だった松永を解説に据えれば視聴率が取れる!」とこの人事を押し付けられたのだ。確かに視聴率は想像以上に取れたが、おそらくそれはエキサイティングな試合内容のおかげであって、松永の解説はどこがとは指摘しにくいが間違っている印象が強い。
だが現場で実況をしているアナウンサーにキャスティングの権限がある訳がない。下手に文句をつけると自分がこの大会のメインアナウンサーから締め出されかねないのだ。
だから保身の為にも必死で様子のおかしい松永のフォローをこなす。
「松永さんもここで気を緩めるな、サウジのカウンターに腰を引かずに最後まで攻めの姿勢を貫けと厳しくも温かい激励の言葉をかけています。
若き日本代表はその期待に応えられるか? 後半戦を戦い抜いた末には世界への道が続いています! 頑張れ日本! CMの後は後半戦が始まります。テレビの前の皆さんも日本代表へエールを送ってください。それが彼らの力になります!」
「そうです、頼んだぞ日本代表のみんな! 是が非でも私の期待に応えてくれ!」
日本代表が圧倒的に有利な状況のはずなのに、どこか悲痛な響きと再び震えの混じった松永前監督の言葉を最後として、とりあえずハーフタイム中の実況は終了したのだった。