第十二話 自分の力を信じてみよう
あの無茶苦茶な試合を終えた俺は完全に一皮剥けていた。
自分でもそうと判るほど体のキレが増していたのだ。
今までためらっていた場面で躊躇なく前へ出られる。何回もフェイントを入れなければ抜けなかった相手を一発で振り切れる。
自分の体がこれほど軽く動くのかと俺は新鮮な感動を味わっていた。だが考えてみれば走るのもままならない体から、発展途上の幼い体に意識がシフトしたのだ。リハビリのつもりでビシバシ鍛えていても、頭の方が身体能力を把握しきれずに十分に力を発揮できていなかったのかもしれない。
故障のある中古車を騙し騙し運転していたドライバーがいきなり新車を渡されたようなものか。しかもその車がチューンナップされて徐々に性能がアップしてるのに、ドライバーが中古車感覚のまま恐る恐る運転してはレースのタイムが伸びがないのも当然だ。少なくとも一回は限界までアクセルを踏んで、どこまでやれるのか判断するのが必要不可欠である。だが俺はもう一度怪我する恐怖にそれが出来ていなかった。自主訓練でさえまず「怪我しない事」を最重要視していたのだから。
怪我しないように無理は控える、その方針が間違っていたとは思わない。だが俺は「無理を控える」ではなく「無理はしない」人間になっていたようだ。それって普通の大人ならともかく、サッカーのプレイヤーとしてはどうなんだ? と疑問符を付けざるを得ない。
俺が憧れ、そして目標としているサッカー界のレジェンド達は、常人には不可能な試合やプレイを見せてくれたから伝説になったのだから。それらの伝説を目指していながら「無理はしない」だと? 俺は馬鹿か! 怪我には注意しても多少の無理はして当然だろうが!
そう気がついた日から、俺の練習における密度と集中力はどんどん高まっていった。
俺自身の好調と連動するようにうちのチームも調子がいい。やはりあの馬鹿試合を経験し、共に笑い合ったせいか全員に一体感が生まれている。俺などもあの試合前までは「お高く留まっている」「スカしている」というマイナス方面の評価が多かったのが、試合中に弾けすぎたせいなのか「四人抜き、でもゴール抜き」だの「キーパーに点を取らせたがる男」だのからかわれるぐらいには親しみを持たれたようだ。その成果だろう、お互いが信頼しあったおかげでミニゲームにおいてもパスの繋がりやすさ、お互いのポジションの連動などが急速に整っていく。
俺もすでにレギュラー陣と認識されているようで、ミニゲームではレギュラー側で中盤を任されている。キャプテンとのダブルボランチなのだがこれが結構相性がいいのだ。ボランチとしてはフィジカルに難のあるテクニシャンタイプの俺と、恵まれたスタミナと大柄な体で小学生離れしたパワーを持つ典型的なクラッシャーであるキャプテンはお互いを補完するコンビだ。
うちのチームがボールを保持している時は俺がやや上がり目のポジションをとり、前にいる司令塔である山下先輩の攻撃指揮のフォローとアクセントを付ける役目ををこなす。この時キャプテンは若干下がり目でバランスをとっている。
相手ボールの時はディフェンスはあまり真面目にやらない山下先輩がそれでもディレイで時間をかけさせ、キャプテンがボールホルダーをマークして潰す。その間俺はスペースを埋める、あるいは故意にスペースを開けて罠にかけてパスをカットするそういった役割分担がきちんと機能し始めている。ミニゲームでも俺達中盤の三人が揃っていればまず負けることがない為、紅白戦のチーム分けに監督が苦労しているらしい。
監督曰く「お前ら三人の連携も深めたいんだが、三人が同じチームだと試合にならねぇ」らしい。
俺とキャプテンは素直に賛辞を受け取っていたが山下先輩だけはちょっと微妙な表情だった。おそらく彼は自分がスペシャルな存在だと思っていたのが「三人組」でまとめて評価されたのが面白くなかったのだろう。
山下先輩が俺を見る目には僅かに棘がある。まあ試合中はそんなのに関係なくいいコンビネーションを構築できているから気にはならないんだけどね。
とにかく順調にトレーニングは続けられていた。
二ヶ月後に開かれる、日本における小学生サッカー最大の祭典である「全日本アンダー十二サッカー大会」を目標として。
これは日本の少年サッカークラブの頂点を争う大会で、小学生以下ならどこでも出場できる為にJリーグのジュニアユースさえ参加している。当然ながら大会のレベルと注目度は高く、各県一枚の出場チケットを入手するのさえ容易ではない。
あ、わかりにくい人はこれならイメージしやすいかもしれない「小学生フットボーラーにとっての甲子園」だと。そう考えればチームの皆が気合いを入れているのも納得できるだろう。
勿論俺も大会に向けてモチベーションがぐんぐん上がっていた。今回の俺にとって初めての公式試合で、しかも勝ち続ければ全国の強豪と戦える可能性もあるのだ。いや、是が非でも勝ち続けて全国へ行かなければならない。
全国大会でしかも注目度も高いとなれば当然ながらスカウトも大勢が集まるのだ。彼らの目に留まるような活躍をしなければ、海外のクラブへ行くことなど夢のまた夢だろう。
別に俺はこのクラブに不満があるわけではないが、様々なコネクションを持つのは将来において無駄にはならない。
そんな打算もあったが、純粋にこの大会で勝ち上がりたいと思ったのも本当だ。サッカー選手であるならどんな試合でも敗北が気にならないはずはない、それが大きな大会――しかも過去に何もできなかった敗戦だったらなおさらだ。
前回では小学三年当時の俺はスタンドから声援を送るだけしかできなかった、だから県予選の準決勝で破れたチームにほとんど貢献できなかったのだ。しかし今の俺は違う、チームの主力の一人として計算されているはずだ。
俺の力がどれだけチームにとってプラスになっているか証明するチャンスでもある。県の準決勝を越えれば「俺は上手くなって、チームのためにも貢献できた」と胸を張れる。まあ、それらを抜いても個人的な願望として最低でも全国大会の切符までは掴みたいものだ。
この大会で全国に行けばあの男――いやこの時代ではまだ少年か――に会えるかもしれない。もし俺たちが勝ち進めさえすれば試合さえ出来るかもしれないのだから。この場合相手がちゃんと勝ち上がってくるかという心配はほとんどない。なにしろ本来の歴史に従えば優勝するはずのクラブに在籍しているのだから。
まあ取らぬ狸の皮算用はここまでにして、二月の間に自分が上手くなる・強くなる為にやれることは全てやらねばならない。早朝練習にも熱が入るってもんだ。
だから、ここまでは問題がないのだが……。
「おい足利、俺を無視すんなよ」
なぜあんた達が朝っぱらからこの公園にいるんですかね。練習の邪魔をされた煩わしさを軽く頭を振って追い払う。
「別に無視してはいませんよ。おはようございます、キャプテンに山下先輩」
「ああ、おはよう。ほら山下もあいさつぐらいはしろよ」
「……おはよう」
何か用なら早くしてくれ、個人練習の時間が削れていくじゃないか。小学校があるので練習の終わりは動かせない為に悠長に話し合いなどしていたら、組んでいるメニューを消化しきれない。
外に苛立ちが表れない様にしていたつもりだったが、キャプテンがなだめるように声をかける。
「今日から僕達もここで一緒に練習させてもらおうと思ってね」
「え? 先輩方も自分達で自主練習していたんじゃないんですか?」
「うん、だけど監督から僕達を分けないとミニゲームをやりにくいって文句を言われたんだ。だけど中盤のコンビネーションは高めたいし、どうしようかと思っていてね。そこに監督から足利がこの公園で朝練をやってると聞いたんで、ここで一緒に練習しようと思って。ね、山下」
「……まあな」
俺を睨んでいた視線を外してそっぽを向き、頬を膨らませてリフティングを開始し始めた山下先輩と、おだやかな表情で説明するキャプテンの対比に口元が緩む。本来ならば朝は個人練習でテクニックを高め、放課後のクラブで連携を密にする予定だったのだが監督の暗黙の誘導であれば仕方がない。全国大会が終わるまでは三人で朝練に励むのも、まあ悪くないか。ならば、ここは大人の対応をするべきだな。
「判りました、歓迎しますよキャプテンに山下先輩」
「おお、ありがとうよ。ほら、山下も」
「……アシカとキャプテンが誘うのなら、しょうがないな。やってやるよ」
――キャプテンはともかく、山下先輩がもう少しだけ素直になってくれれば簡単なんだけどなぁ。
多少は面倒に思いつつ三人で練習を始める。いきなり連携を高める訓練とかは用意が出来ないので、今日の所は俺の個人練習に二人が混ざる形だ。
俺がやった後をなぞるように二人が取り組むのだが、細い支柱にボールを正確に当てる練習などはなかなかクリアできない。そりゃそうだ、俺はこの練習を毎朝二ヶ月間繰り返してきたのだ。簡単に追随されてはたまらない。
「……急に出来るようになったりはしませんから、適当な所で切り上げてくださいね」
「そうだな、思ったより難しいよ。山下もいいかげんに諦めろって」
「……別にお前等のためにやってるんじゃない。俺が勝手にやってるだけだ」
こんな朝練ではたして仲が良くなるのかどうなのか、ともかくこうして全国大会に向けた準備はちゃくちゃくと進んでいった。