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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第二章  中学生フットボーラーアジア予選編
129/227

第五十六話 ピッチ上でワルツを踊ろう

 

 上杉の雄叫びも観客席からの手拍子もようやく収まり、お互いに一点ずつを取り合っての試合が再開される。

 得点が多く生まれるゲームになれば、そうした正面からの打ち合いになれている日本が有利だ。だが試合が二十分を消化しても同点のままと考えれば、引き分けでもオーケーなサウジアラビアに天秤が傾く。

 まだどちらかが完全にペースを握ったとは言えない状況だ。

 それでも、俺はまだこの時間帯の内にどうしても確かめておかねばならない事があった。

 それは俺の背後に幽霊のようにくっついては、にやにや笑っている浅黒い肌の少年に対して今日の自分がどれぐらい通用するかだ。


 サウジからの再開ではあったが、守備に人数を割いているためにロングボールを放り込むだけの戦術になってしまっている。それじゃあ今の日本のディフェンスは崩せないよな。これまでさんざんカウンターに対して少人数で守ることに慣れたDF達が、単純なロングパス一発でやられるわけはないのだ。そう、俺がくだらないミスをして失点した時のように切り替えが遅れるような想定外の事がなければ。

 俺はまた右手を挙げてまたパスを要求した。その場所はちょうどハーフウェイライン上で右サイドのタッチライン沿い。つまりはピッチの真ん中の右端で何かあればすぐに山下先輩と島津がフォローできるエリアだ。

 ここでボールをもらっても役に立たないのなら、俺はこの試合ではこれ以上何もできないかもしれない。

 

 そんな覚悟を秘めてDFから回ってきたパスを受け取った。同点に追いついたせいか、心なしか先ほどよりもボールを展開するリズムが良くなってきているな。

 俺はボールを持つと真っ向から毒蛇を睨みドリブル突破を試みる。今だけはパスという選択肢は脳裏から消しておく。これは自分の力とプレイがきちんと発揮できるかチェックするために必要な勝負だ。

 ボールの上を二・三度跨いで相手の反応と重心のバランスを見極めながらタイミングを計る。よし、今だ!

 敵の左をすり抜けるようにダッシュする。これには毒蛇も即座に反応した。なぜなら右のタッチライン沿いという事は相手をドリブルで抜けるスペースは左にしかないからだ。俺が左へ動くというのは予想通りだったのだろう。

 だが、俺へと体を寄せた毒蛇はその瞬間にピタリと動きが停止する。なぜなら俺がボールを持っていなかったからだ。

 俺の体は敵の左を抜き、ボールは右から抜くという毒蛇の体の両方を回り込むいわゆる裏街道を通った突破である。


 この技は技術的にはさほど難度は高くないが、自分の体からかなりボールを離すために度胸とスピードが必要だ。だがタイミング良く使用すれば敵の動きを止められる。

 ボールと俺のどっちを止めればいいか判断に迷ったその数瞬で、このワンオンワンの決着は完全についていた。

 ほら見ろ! 毒蛇なんかより俺の方がずっと上手い。

 そう胸の内だけで叫ぶが、同時にぞくりと背筋の毛が逆立つ。

 毒蛇の奴が明らかに追いつくはずもないのに俺の真後ろへと走るコースを変えたのだ。

 まさか、また危険なファールをやる気か!? 動揺にボールタッチ乱れて俺のドリブルの速度が落ちる。チャンスとばかりボールが奪えるはずもない真後ろから接近する毒蛇。

 

 そこで俺と毒蛇の間にカットインしてきたのが山下先輩だった。俺の背後を横切るように右サイドから下がって後ろを守ってくれたのだ。スピードを落とさずに俺へと接近してきた毒蛇と体をぶつけ合うようにして押し合っている。

 サンキューだ山下先輩。守備も接触プレイも苦手なくせに、今日は何度も俺へのフォローをしてくれて感謝の言葉もない。

 あ、押し合ってた二人が一緒にもつれ合って転んだ。と同時に笛が鳴る。


 どうやらサウジボールでのフリーキックで再開となるらしい。

 後から割り込んだ形になる山下先輩がファールを取られたらしいが、まあカードも出ずに二人とも簡単な注意ですんだのだからそれは関係ない。それに敵の陣に入ったサイドで奥深い場所からの再開である。この位置からならばワンアクションでのカウンターにはつながらない、うちのDF陣ならば失点にはならないはずだ。


 それにしても山下先輩には感謝伝えないといけないな。

 審判の前であからさまに「ファールしてきそうな奴を潰してくれてありがとうございます」とは口に出せない。倒れた先輩に手を貸して立ち上がらせると、肩を叩いて「助かりました」と小声で伝えると「俺はお前の先輩だからな」と返ってきた。なんだか、この先輩も大人になってきたなぁ。

 改めて山下先輩ともつれ合うようにして倒れていた毒蛇を見下ろす。

 あれ、こいつってこんなに小さかったか? いや確かに俺よりは少しは長身だが、ただそれだけだ。体の厚みや迫力も武田や上杉なんかのうちの武闘派の方がずっとあるし、背の高さなら中国の楊とは比べ物にならない。

 こいつはマークする以外ではサッカー選手としては突出した物がないな。

 いや、そうじゃない。こいつマークもそんなに上手くないぞ。だって俺はこいつからボールを奪われた事があったか? 今日失点の時に俺のミスで取られた以外はこいつに駆け引きで負けた覚えがない。

 もしかしてこいつはただのラフプレイヤーでしかないんじゃないのか。

 そう思った瞬間、俺の体のどこかにあった力みと緊張がすっと抜けていった気がする。同時にさらに目の前の毒蛇の姿が小さく縮んで感じられた。


 こいつは接触プレイは苦手のはずの山下先輩ともみ合っていてもすぐには振り払えなかった。上杉に一点目のパスを出した時もパワーのない俺を押し切れなかった――なんだやっぱり大したことないじゃないかこの毒蛇は。大体毒蛇ってのも毒を持ってなきゃ蛇の中でも弱くて小さい種類が多いんだよな。

 頭の中が冷たく冴えていく。よしクールになれ、こいつに付き合って頭に血を昇らせる必要はどこにもない。こいつは反則以外では俺のレベルへ到達できない程度のプレイヤーなんだ。思いっきり見下して、翻弄しろ。ラフプレイだけを注意すればいいだけの下手くそなマーカーにすぎないと思い込め。

 なんだか随分と小さく感じられるようになった毒蛇の姿に、少しだけ試合とは異質の思考が横切る。もしかしたら昔カルロスが相手をジョアン呼ばわりして見下していたのは、敵がみんなこう見えていたからかもしれないな、と。


 しばらくは攻め込もうとする日本とその隙にカウンターを狙うサウジの思惑が拮抗し、硬直した状況になってしまった。

 そんな凍ってしまった状況を打破すべくパスを要求すると、今度はすぐにボールがアンカーから回ってくる。どうやら漂っていた俺への不信感は払拭できたようだ。ならば後の仕事はこいつを叩きのめすだけだな。

 ボールが俺に届くのと同時に密着マークした毒蛇の奴が、またこりずに右足首へ爪先で軽く蹴ろうとする。そのタイミングを見計らって、俺は左足でトラップするべき体の左側の場所に転がってきたボールを強引に体を反転させながら右足で触る。

 この瞬間、相手は軽くとはいえ俺の右足を蹴ろうとしていたのが空振りしてバランスを崩した。俺も無理矢理体を捻ってボールをコントロールしたために若干体勢が崩れるが、覚悟していた者と予想外の者とではその後の反応に差が出る。俺は反転させた勢いをそのまま前へのダッシュする力に変えて前進する。


 よし、完全に振り切った。ほら、俺が実力を出せばこいつなんかに止められるはずがないんだ!

 この試合初めて俺の頬が緩み笑みが浮かぶのが自覚できた。いつもは「にやにやするな」と叱られてまで治らなかった、俺のボールを持つと表情がにやけてしてしまう癖がこの試合中はずっと出なかったのだ。自分がようやく笑顔を作れるのを思い出し、やっといつもの自分に戻れた事を実感する。


 だがこの試合では何回も襲われた寒気がまた背筋に感じられる。鳥の目を使う必要もないぐらいはっきりと毒蛇が俺を反則してでも止めようとしているのが判る。

 この場合はどうすべきか計算しようと脳が回転数を上げる。シュートするべきか? いやここではまだ前にDFが邪魔していてゴールを狙えるコースがない。

 ではパスはどうだ? 上杉をはじめ他のFWには全員きっちりマークがついている。引きこもっているため敵のDFの数は豊富なのだ。一旦後ろに戻す選択もあるが、ここまで攻め上がった結果がそれでは意味がない。


 俺は強引な突破を選んだ。

 サウジのDFは上杉へのマークを厳しくしすぎている。だから前にいるこのDF一人でいい、こいつさえ抜いてしまえばシュートを撃てる花道が開くのだ。

 後ろに毒蛇もいるのだから時間も手間もかけられない。ほとんど一回のボールの切り返しだけで、フェイントよりもスピードで突破しようとする。トップスピードに乗ったままのその動きに、完全についてこれない敵の右側を通り抜けようとすると奇妙な既視感を覚えた。

 確かこんな状況をどっかで――。抜きかけたDFに左腕を掴まれる寸前、アウェーでの俺が怪我をさせられたプレイが頭の中にフラッシュバックする。

 後ろからはスライディングの体勢に入りつつある毒蛇の姿が鳥の目で確認できた。 

 左手を掴ませるな!

 悲鳴のような頭からの指示より先に体が自動的に動く。これはフィジカルコーチから教わった対処法だ。付け焼き刃にしかすぎないのだが、こんな土壇場で役に立ってくれるとは!

 

 左腕を掴まれる前に腕を捻りながら自分から突っ込むようにすると、相手は抱え込もうとしていた腕を掴むのに失敗する。逆にそこで俺が深く突っ込んだ手で敵のユニフォームの袖を掴みながらその場でターンを開始したのだ。

 普通の相手をボールから遠ざけるように腕を張りながらではなく、敵のユニフォームを掴んだままで引き込むようなマルセイユ・ルーレット。

 俺はワルツのステップでぐるりと廻る。すると腕を掴まれ強制的に相手役を務めさせられたDFとの位置が完全に入れ替わる。

 廻りながら俺は滑ってくる毒蛇を相手に、思い切り牙を剥くような満面の笑みをプレゼントしてやった。

 そして廻り終えた俺はダンスのお相手のユニフォームから手を離し、相手ゴールへと突き進む。

 後ろからは鈍い衝突音と異国語の叫びが響くが、きっと聞き違いだ。

 まさか毒蛇が俺へ向かって完全に反則な後ろからのスライディングタックルを敢行して、それにサウジのDFが巻き込まれる事なんてあるはずがない。サッカーはクリーンなスポーツなんだからな。


 俺は鳥かごから脱出したばかりの鳥の気分でドリブルを続ける。

 よし、ここからなら十分狙える。他のDFや上杉にくっついて群れていた相手が追いつくまでにシュートを撃つだけの余裕もある。

 サウジのキーパーが凄い勢いで前へ出てくるが、それじゃあ間に合わない。

 顔を伏せて右足をコンパクトに振り抜く。俺はボールを芯でコントロールできるようになってから、小さな足の振りでも鋭いシュートが撃てるようになっていたのだ。


 もっとも今回のシュートはコントロール重視の柔らかい物だが。

 猛ダッシュするキーパーの頭の上をすれ違うように、俺の撃ったループシュートがゆっくりと通過してゴールへと向かっていく。

 ふう。

 伏せていた顔を空に見上げると、一つ息を吐いて雄叫びを上げる。その声に俺の撃ったふわりとしたシュートがゴールネットを優しく揺らす音はかき消された。しかし、俺の叫びに合わせるように審判がゴールを認める笛を吹く。

 この試合の全てのストレスを空に向けて放っていると、空気を読まずにその背中に抱きついてくる少年が一人。


「アシカ! やるじゃねーか、この! できるんなら最初からやれよ。心配かけやがって!」

「山下先輩のおかげで自分のフォームを取り戻しました! サンキューです!」

「お、おうそうか。ま、まあ俺はアシカの先輩だからな」


 あまりに素直に俺が感謝したものだから先輩は驚いたのか飛びついてきた背中から降りてしまった。

 その間に駆け寄ってきたチームメイトから「こら! 矢張の先輩後輩だけで完結するな! 僕は代表の先輩だぞ」「あ、ならワイは年上やけど代表チームでは同期やな」などと俺の背中は祝福の嵐の乱打を受けることになったのだが、高揚してアドレナリンが分泌されているのか痛みがほとんどない。

 背中をバシバシと叩かれながらも笑顔のままでいられる。うん、やっぱり俺はピッチでは笑っている方が絶対にいい結果になる。


 スタンドを振り向いて右拳を大きく掲げると、爆発したような歓声が鼓膜ではなく体を揺さぶる。ここまで大きいと判別できないが、たぶん俺にとって親しく大切な人達も一緒に声を上げてくれているのだろう。

 周りを仲間が取り囲んで祝福し、観客席からは俺の名前が手拍子付きで呼ばれている。ピッチを見渡せば俯く敵チームに、まだ倒れている俺にファールをしようとした奴ら。そして敵のゴールマウスに転がるのは俺の蹴ったボールだ。

 ――ああサッカーって本当に楽しいなぁ。


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