第五十二話 美味しい夕食をいただこう
「で、どうだった最年少代表選手様の足利の実力は?」
「ええ、やっぱり全力は出してないみたいでしたけど凄く上手かったのは確かですよ、僕も簡単に抜かれちゃいましたから。それに、よっぽど対戦経験が豊富なんですかね。なんだかサッカー部の僕達がどんなプレイをするのかも、初対決のはずなのにまるで事前に知っていたみたいな感じで一目で見抜かれちゃいました。それで……その試合が終わるとあいつが羨ましくなりました」
「へえ」
尋ねたサッカー部のキャプテンも少し驚いたような声を出す。
今日体育の授業で足利と一緒のクラスの部員がサッカーで対戦したと聞いていたのだが、いくら同じ一年生でも相手が悪い。ユースから代表へ駆け上がったエリートとまだ部活でも控えの一年坊主では勝負にならないだろうなとは思っていたのだ。だが興味はあっても足利とはどうにも年も学年も上のキャプテン達が一緒にサッカーをする機会はなかなかなかった。それでこのルーキーが代表選手にどのぐらい通用するか興味津々だったのだ。
技術的には相手にならないのは想定内である。
だがこの一年のFWは同い年でありながらすでに代表に選出されている足利に強烈なライバル意識を持っていた。だから負けた場合は鼻っ柱をへし折られてしゅんとしているだろうと予想していたのだ。しかしこの反応はちょっと予想とは違う。
あれだけ負けたくないと意識していた相手が羨ましいだと? 何があったのかキャプテンとしても気になる。
「てっきりお前が叩きのめされてへこんでくると思ったんだがな。それが対戦して悔しいとか追いつくのを諦めたとかでもなく羨ましいだと? 一体どうしたんだ?」
「はい、ええとあいつは俺達サッカー部相手にはあまり手を抜いてないみたいでしたけど、サッカーの素人相手には思いっきり遊んでたんです。結構女子やまるっきりの初心者相手にはボールも取られてましたし。結局最後なんかはドリブルで全員抜いちゃいましたが、それまでは敵も味方もそしてなによりアシカの奴が一番楽しそうでした。俺も試合中に声を出して笑ったのなんか久しぶりだったから……なんだかあそこまで楽しそうにプレイしているのが羨ましくて。あんなに上手くなりたいとかよりも、あんなに笑いながらサッカーを楽しめたらいいだろうな、って」
なんだか話を聞く限りでは相手にもならなかったにも関わらず試合の内容を嬉しそうに報告する少年がいつもとは別人のように感じる。こいつは部活の練習などの態度から、もう少し生意気な性格の奴だと判断していたのだが……、あ、生意気といえば確認しておきたい噂があったな。
「足利の性格はどうなんだ? 一時期凄く生意気だとか、周りを子ども扱いするとか、チームメイトの名前さえ覚えないとか叩かれていたが」
「ああ、別に性格は良いとは思いませんが悪くはないですよ。サッカーだけでなく成績もいいのに別に鼻にかけたりしませんし。ただ人の名前を覚えるのは確かに苦手みたいで、あまり親しくないクラスメイトには委員長とかの役職で呼んだり「ちょっといいかな」なんて名前を省略したりしていますね」
「なんだ、その程度か」
キャプテンにとっては完全な肩すかしである。小学生の頃から代表の監督に目をかけられ、怪我しないようにと優遇されていたのなら「俺は一般人とは違うんだ」ともっとエリート意識に凝り固まって増長していても不思議はないのだが。少なくともネット上で叩かれていたほど性格は腐ってなさそうだ。
「だから、ちょっとご相談なんですが。たぶんあいつも出るっていう今度のサウジ戦に応援に行っても良いですかね? ちょうど日曜のうちの練習時間と重なっちゃってるから部活を休まないと応援にいけないんですよ」
「……まあ監督が良いと言ったらうちの部全員で会場まで応援に行くのもいいか。同年代の代表の試合を直で見られるのはいい経験になるだろうし。もし駄目でも試合中継の間だけは視聴覚教室のテレビでリアルタイムに観戦させてもらえるように交渉してみよう」
「さすがキャプテン、ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる後輩に「気にするなって」とキャプテンは応じる。これでチーム全体のモチベーションが上がれば安いものだ。
目標というか越えようとする相手が身近にいるのは幸運である。これでこいつは一皮むけるかもしれんな。他の部員にしても日の丸を背負った選手が同じ学校にいるだけでいい刺激になるだろう。
そのためにも次のサウジアラビア戦、足利と日本代表には是非とも勝ってもらいたいものだ。
◇ ◇ ◇
「いただきます」
三人の声が唱和する。もはやお馴染みになった試合前の激励を兼ねたちょっと豪華な夕食会である。なぜか当たり前のように真が居たり、母が「今月はちょっと速輝の試合が多かったから贅沢に食費を使っちゃったわね」とため息を吐いていたができるだけ気にしないようにする。ごめんなさい、プロになったら倍にして返すからもう少しの間だけは待っていてほしい。
まずはメインの大皿に盛られた唐揚げに手を伸ばして一切れを味わう。うん、皮はさくっとしてながらも中はにんにくとしょう油味のタレが染み込んでいて、いくらでも食べられそう……っていかん。俺が大皿を丸ごと食い尽くしてしまいそうだ、少し勢いを落さなきゃいけないな。
俺が大皿から唐揚げをとっている間は女性達は自分達の分を確保するのは控えていてくれたようだった。運動している成長期の俺と比べたらいけないが、女性ってこんなに小食なのかな。それとも俺の食べる勢いに引いちゃったとか、そうならもっと食事のスピードを落とさねば。俺の手が止まると女性達は自分の分の唐揚げを取るとその上にレモンをしぼる。あ、ちなみに俺は唐揚げにレモンはかけない派である。もしどちらかが大皿に直接レモンをかけてたら戦争だったな。
そんな風に考えた時タイミング良く真が話題を振ってくれた。
「そういえば今日の体育の授業ではアシカはずいぶんと張り切ってたねー。なんだか敵の大軍に単騎で突入するアクションゲームを思い出しちゃったよ」
「あら、速輝が何かしたの?」
若干興奮気味に頬を染めている真と不思議そうに首を傾げる母に対して俺は苦笑して答える。
「体育でサッカーだったからついちょっとね……」
唐揚げからサラダへと箸の矛先を変える。以前は野菜が嫌いだったのに、今は体のことを考えて食卓に出された分はしっかりと噛んで食べるようにしている。慣れれば野菜も美味しく感じられるものだ、いやそれでも肉類が好物なのは変わらないんだけどね。
「十六人抜きはちょっととは言わないよ」
「あらあら、速輝もダメじゃない普通の子供に本気を出すなんて」
「いや、ちゃんと手加減はしたつもりだよ。スピードやパワーで強引に抜いたりなんかしなかったし、女子には体にかすりもしないように気をつけたんだけど」
たしなめるような口調の二人に一応抗議はしておく。ただ単に無双して目立ちたかったらキーパーなんてやらないって。ちゃんと皆が楽しめるように試合中も配慮したつもりだ。
「え? あれ本気じゃなかったんだ。私が抜かれた時には本気でボールが消えたみたいに見えたけど」
真は目を丸くしてる。最後の突破ではこいつには一番気を使って抜いたんだよな。真が眼鏡をかけたままだったから、万が一にも体に接触して転ばせたりしないよう普段より大きくボールを動かして目がついていかないような深い切り返しで振り切ったんだ。
まだアジアレベルでしか実戦投入はしていないとはいえ国際戦でも通用する技術なのだから素人目に判らなくても当たり前だ。「おかしいなぁ、ゲームだったらあのタイミングであのボタン押せば絶対私が止めてるはずなのに」と呟く真が最近ゲームやネットにはまりすぎの気がして怖い。ちょっと外へ出るよう誘ってみるか。
「あ、今度のサウジ戦は二人とも応援に来ないかな? 二枚ならチケットは家族枠でもらえるし、試合会場も近いしさ」
「え、いいの?」
「あら、ありがたいわね」
真も母も嬉しそうだ、二人がお互いの顔を見合わせて「あの不吉な事しか喋らない解説者の声を聞きたくないのよねぇ」「ええ、あの人ってアシカを一回代表から落とした人ですよねぇ」「え? あの人が! 本当なの? 試合中も速輝の怪我が心配だ、まだ出すべきじゃないとかずっと速輝を気遣っていてくれていたのに」とか話し合っている。うん、その解説は間違いなく気遣いとか心配とかじゃないよね。
何にせよこの二人が会場で直に応援してくれるなら俺のモチベーションもさらに上がる、こっちこそありがたいな。
「応援に行くのは全然構わないどころか大歓迎だけど、アシカも前回のサウジ戦みたいなのはもう勘弁してよね」
「ん? ああ、判ってるって。今度は負けない、絶対に勝つよ」
力強く約束する。前回のサウジ戦といえば予選唯一の敗北を喫した試合である。
確かに真と母に限らず、サポーターにもわざわざ応援に来てもらって敗戦した挙げ句に予選突破ならずという屈辱を味あわせる訳にはいかない。何が何でも勝つしかない。
そんな覚悟を決めていると、母が「速輝は全然判ってないわね」と首を振った。
「私も真ちゃんも前みたいに怪我をしないようにって言ってるのよ」
「あ、そうか……」
俺がサウジから足を引きずって帰国した時には涙ぐんで出迎えてくれた二人を思い出す。サッカーの事は抜きにしても、この二人共があんな表情をしている光景はもう見たくないな。
「うん判った。怪我はしないように気をつけるよ……そして絶対に勝つ」
サッカーをやっている限り「絶対に怪我をしない」とは約束できない。もちろんあらゆる手段で怪我をする確率を減らそうと努力するが試合中のアクシデントに関してはゼロにはできないのだ。
でももう一つつけ加えた方は約束できる。というよりも約束できなければ代表のユニフォームを着てピッチに出てはいけない。
うん、そうだ……俺と日本代表は絶対に勝つんだ。
「そうよ、体に気を付けなさいよ」
「うん、アシカがいつも言ってるみたいに明るく・楽しく・怪我なくやれれば、今日の体育みたいにきっと上手くいくね」
「簡単に思い通りにいく相手ならいいんだけどな。でもそうなるように努力をしないとな」
「じゃ、上手くいくのを願って唐揚げをアシカにプレゼントだ」
「お、サンキュー。これでますます勝つしかなくなったなぁ」
レモンがかけられた唐揚げはいつものより少しだけ酸味を感じさせてさっぱりとしている。うん、意外と悪くないな。これだけ美味しいのをもらったからには絶対に活躍しないと。
――そしてアジア予選最終節、サウジアラビア戦の日がやってきた。