第五十一話 クラスのみんなと仲良くしよう
「暑い……こんな中でサッカーなんてよくやるなぁ」
「そーゆーアシカはもっと暑い中試合やってるし、今も頬が緩んでるけど気がついてる?」
珍しく黒く長い髪をポニーテール風に後ろで結わえている真に腕組みで指摘されて、慌てて手で自分の頬を触り確認すると確かに勝手に笑顔を作っている。いやまあいいじゃないか、今は学校の体育の時間だがまさかサッカーができるとは思わなかったのだ。
夏休み前の最後の体育の授業になるのだが、一学期のカリキュラムは全て終えて成績まで付け終わったという体育教師が自由時間にしてくれたのだ。水泳だけは他のクラスがプールを使用しているために駄目だが、他はスポーツなら何をしてもいいとなったので自然発生的に男女混合でのサッカーになったのである。
体育教師曰く「怪我だけはするなよー、俺の責任になるからなー」とのことだが、本音を堂々とさらけ出すこの放任主義の教師は結構慕われている。
このクラスには俺は別としてもサッカー部に入っている奴も多いし、アジア予選をテレビで応援してくれるクラスメイトもいるからたとえ一過性でもクラス内でサッカーが流行っているせいだろう。まあ疲れるのが嫌な奴は参加しなければいいだけだしとすんなりとやるスポーツは決定された。
すると「真剣勝負じゃないのならやってみようか」と意外に多くの参加者が出て、男女合わせて三十人も参戦することとなったのだ。時間がもったいないので十五人ずつの二チームに編成、授業終了のチャイムが鳴った時に多く点を取っていたチームの勝ちというルール。負けたチームは使った道具類の後始末、という妥当な軽い罰ゲームつきである。
俺の入った方のチームはサッカー経験者は俺を除けば小学校までやっていた男子が一人だけ、後は体育の授業や草サッカーを遊びでやった事があるぐらいの初心者ばかりだ。加えて女子の人数もこっちのチームが多いな。
うちのクラスのサッカー部員は全員が敵のチームにいってしまった。これは別に俺が嫌われている訳ではなく、対決して代表の一員である俺の力を感じたいみたいだ。
とりあえず十五人のチームメイトを集めて適当に作戦を練る。この時当然だが現役の選手である俺がゲームキャプテンとなってこっちのチームをまとめる事となった。だがチームのほぼ全員が初心者だ、複雑な作戦など出来るはずもない。簡単で判りやすい作戦にしないとな。
「ボールが足元にきたらまず敵のゴールに思いっきりシュートしよう。それが駄目ならゴールに向かってドリブルしよう。もしそれも敵がいて無理だと思ったら俺か味方にパスをしようか、後は俺にまわってくればこっちが何とかするからな。
それにサッカーするんだから突っ立ってボールが来るのを待っていても楽しくないだろう? とりあえず、味方からパスが来たらゴールを狙いに行く。敵が来たらボールを取りに行く。その事だけをみんなで全力で取り組もう。そして一番大切なのは、俺も最初に教わった事だけど楽しみながら怪我にだけは注意してプレイすることだ。いいな?」
小学生時代の矢張サッカークラブに入った時の試合を思い出す。あの時の下尾監督もこんな微笑ましい気分だったんだろうな。という訳で矢張伝統の「明るく・楽しく・怪我なくプレイ」しようと決めただけだ。
そうして試合が開始されたがやはりこっちのチームはなかなか上手くボールがつながらない。ポジションも俺ではなく各自が適当に自分がやりたいポジションに決めたのだからまともにはなっていない。向こうはサッカー部員であるFWとMFにDFの三人が軸としてそれぞれのポジションをまとめているようだ。
対するこっちは俺がセンターバック――いや攻撃の組み立てもするのだからリベロである。守備はザルなんだからと諦めて、俺が止めるからクラスメイトは前へ行けと指示したのだ。そうするとほとんどのチームメイトが前線に行ってしまった。素直すぎるぞ、お前ら。
そう抗議したら「いやアシカ君の試合を見てたら、サイドのDFもセンターのDFもどっちも攻撃に上がってたよ?」とこっちがおかしな事を言ったような目で見られる。島津に武田め、お前らの悪影響が広がっているぞ。
そのせいで守備をしているのが俺とキーパーにもう一人だけなのだが……。
「ねえアシカ。キーパーの場合ものすごく大きな麦わら帽子とか手の大きさの百倍もある手袋とか付けちゃダメなのかな? 面積が大きければ止める確率も上がるはずだよね?」
……あまりDFとしてはあてにならない真がディフェンスの相棒である。俺一人に守備をさせるのは可哀想だからと残ってくれた心意気だけは感謝しておこう。そして後ろのキーパーも走るのが面倒だからとキーパーに立候補した奴だ。俺が頑張らないと何点取られるか判らないな。
いやこれまでも何点分もの失点を防いでいるんだけどな。
おっと、またお客さんだ。サッカー部のFWは今度も遠目からシュートを撃とうとはせずに俺を抜いてからゴールしようとしているな。
正直後ろのキーパーはロングシュートを止められそうにないから俺と勝負してくれると助かる。
でも、なんというか敵の動きがぎこちなく感じる。この相手もサッカー部では期待のルーキーのはずだが、スピードが遅いんじゃなくて一つ一つの動作のつなぎが荒くてキレが悪いようなのだ。だから、ほら。フェイントと本命の抜こうとするプレイの差がはっきり判ってボールを簡単に奪い取れてしまう。
よし、久しぶりに前へ行こうか。
確保したボールを前のスペースへ転がすと、歩幅の広くタッチする回数の少ないドリブルを開始する。細かく触るより大雑把なほうがスピードは上がりやすい。
相手もチェックに来るが、いくら何でも素人には止められない。運動部の奴でもサッカー未経験者だと、反射神経は良くてもころころフェイントに引っかかってくれるので、つい相手のバランスを崩すのが楽しくなって相手が尻餅をつくように仕向けてしまう。むしろ困ったのは女子が相手の場合だ、詰め寄られても接触を一切せずに抜こうとするので気を使って難しいのだ。
おっと、ようやく向こうもサッカー部のMFがマークに来た。初心者なら手加減するが、こいつらならそんなのはいらないだろう。
随分と上から目線だがドリブルで突破する事に決めた。
実はこいつは俺が一周目この学校のサッカー部に入部してた時にはよく部活の練習でマッチアップしていたんだよな。あの当時はスッポンみたいにしつこいディフェンスで対峙する度に抜くのに苦労させられたものだ。
さて今回はどんなもんだろうか。まずは半分フェイントのつもりでアウトサイドに一回ボールを動かして様子を見るが、反応なしだ。あれ、見破られたかな? いや、今重心が動いた。その瞬間にインサイドでボールをタッチして変形のエラシコのように切り返す。なんだかそのままするりと抜けてしまった。あっさり突破できてしまったが罠じゃなかったのか?
そして敵を抜き去った後でも妙にフォローが遅い。素人ならばともかくサッカー部のDFは何をしているんだ? このままならタッチライン沿いにどこまでも侵入してしまうぞ。
お、来た来た。よし、このタイミングなら、一・二・三・ここだ。
横へ併走しかけたサッカー部のDFの股の間を通して低くて速いアーリークロスを上げる。
相手ディフェンスの裏へ飛ぶとそこから戻ってくるような感覚で曲がって狙った相手に渡る。
よし、うちの俺以外では唯一の経験者であるFWにパスが通った。そこでシュートだ! ……ああ上空高くシュートを吹かしてしまった。
「ドンマイ、ドンマイ。次またパス出すぞー!」
俺の言葉になぜか味方より敵の方が過敏に反応し動きが強張る。ん? どうした。
「はあはあ。えーと、アシカが上がると試合にならないからやりすぎるなって事」
ポニーテールをなびかすというよりぴょこぴょこと上下させて走ってきた真がこっそりと耳打ちしてくれた。う……確かにドリブル突破は大人げなかったかな、少し自重しよう。しかし、真は俺みたいにスピードを上げて走った訳でもないのにここまで来るのに息を切らせ過ぎだ、運動不足だな。
「うるさい、この体力馬鹿」
「え? 俺代表ではスタミナを強化しろって言われてるんだけど」
「そんなレベルと一般中学女子を比べないでよー」
すまん、比較対象が悪かったのは確かだな。納得する俺に小さく真が囁く「それにサッカー部の人の事も代表と比べちゃってるんじゃない? あの人達ちょっとへこんでるよ」その言葉に慌てて見回すと確かに敵チームのサッカー部員三人が少し元気をなくしている。
いかん。無意識の内にあいつらをアジア予選に出てくる相手国の選手だと思ってプレイしていたな。困惑して頭をかくとそこで自分の中の目盛りがどこか狂っていることに気がついた。
俺にとって普通の選手とは練習する時に周りにいるユースか代表の選手達が基準になっているのだ。そりゃプロを目指しているユースや年代別とはいえ日本の代表と部活動の部員を比べて「反応が遅い、どうしたんだ?」と思っちゃいけないな。
ここはちょっと空気を切り替えるためにも、よし。
「じゃあ、俺はキーパーをやろう」
「え? アシカってキーパーやったことあるの?」
「ふふふ、高校一年の時お遊びで一試合やったことがある」
「面白くないよ、そのジョーク」
真ははぐらかされたと感じたのか頬を膨らませるが、この後の試合は楽しい展開になった。
俺がキーパーのくせに時々ドリブルでセンターラインまでオーバーラップするものだから、敵味方も大混乱で大騒ぎだ。そして敵ゴール前やサイドで待っている味方に、できるだけ偏らない様にパスを配給しては自分のゴールへ戻っていく。その間に敵がカウンターを仕掛けてくれば即失点というスリリングな試合である。
ゲームキャプテンでキーパーの俺が「ふふふ、止められるもんなら止めてみろ! あ、しまった止められた」とか言いながらどんどんボールを持ったまま上がるものだから味方のどちらかというと後ろにいた連中も上がらざるえない。いや上がらないとドリブルしているキーパーの後ろ十メートルで自分一人が取り残されてオフサイドラインを形成しているという意味不明の事態になったりしたのだ。
こんなのでまともなサッカーになる訳がないが、それでも敵も味方もピッチ上にいる全員が笑って楽しそうにプレイできているんだから合格だろう。
でもちょっとだけうずうずしてきたな。
俺はぶるりと体を震わせると久しぶりに戻った自陣のゴール前で大声で叫ぶ。
「よし! 点を取りに行くからパスしてくれ!」
「それ、キーパーの台詞じゃないよね」
最近真のツッコミが冴えてきたようでちょっと怖い。これ以上成長してほしくないな。……いやまあ小学生並のスタイルには成長の余地があるだろうが。
「な、何かなその目は? いったいどこを見てるのかな!」
「こほん、すまん。お、ボールが来たな、いっくぞー!」
「え、ちょっと待てー!」
敵のゴールへ向かっての一直線に進む中央突破。
この試合最後に俺は十六人抜きという離れ業を達成することになる。なお敵チームが十五人しかいなかったにも関わらず抜いた人数が増えているのは、まず突破した一人目が味方のはずの真だったという理由による。
試合後に俺の評価が「素人相手に大人げない奴」と「さすがに代表選手は上手い」に二分されたが、今更気にはならない。何しろ代表戦の特にアウェーの後はもっと酷い批判が色々あったからな。
試合にも負けてしまったが、勝ったチームの奴らも結局後始末を手伝ってくれて「今度の試合に応援に行くからなー、絶対勝てよー」と声をかけられた。
クラス内にあった微妙な空気はとりあえず一緒に汗を流して笑い合った事で払拭できたようだ。単純かもしれないが、これがスポーツとぎりぎり子供に入るこの年代のいい所だよな。
それよりもサウジアラビア戦を二日後に控えていい気分転換になった。試合に向けてぎりぎりまで張りつめていた緊張が少し緩み、改めてサッカーは楽しくて大好きだと再確認してリラックスした状態で大事な試合に臨める。うん、心身がベストに整いつつあるな。
ああ、それにしてもサッカーが終わったばかりだが、やっぱりこう思ってしまうのが俺の救いようのない所である。また早く次の試合をしたいものだ、なんてな。