第四十九話 勝利した後は喜ぼう
終了の笛を聴くと山形監督はベンチから立ち上がり、交代してベンチに下がって隣に座っている選手達にまず握手を求める。この少年達は重要な試合の途中から外されたとモチベーションを低下させている事もあるから、勝利が確定した瞬間に監督である山形自らが率先して「君達のおかげだ」と握手して彼らの頑張りを認めてまたやる気を回復させるのだ。
明智に山下、それにアシカの代理としてボランチで先発出場した少年、これからも彼らの力を必要とする場面は必ずあるはずだからな。
勝った試合でピッチに最後までいた選手達は、逆に精神的なケアの必要がないぐらいテンションが高く充実感に包まれているはずだ。
そうはいっても試合後の出迎えは重要である。山形は勝利をもたらしてくれたメンバー一人一人と握手を交わし、肩を軽く叩いて労をねぎらう。
特にアシカと武田に島津といった連中には念入りに肩をばしばしと叩いておいた。これは勝手に動いた事への罰じゃなくてつい激励に力が入り過ぎただけだからな。
最後に引き上げてきた真田キャプテンは、少し顔に疲労を滲ませていた。もしかすると今日の試合ではこいつが一番疲れたかもしれない。単に走った距離や運動量だけならアンカー役の方が走っているだろうが、試合で消費されるのは体力だけではない。出国前にマスコミ連中から加えられた精神的な物まで加えると、キャプテンである真田へかかった重圧は山形監督に匹敵するほどとんでもなかっただろう。精神的に成熟が早いとはいえ、まだ十五の少年に背負わせるべきプレッシャーではない。
その上試合中は最後尾で守備をまとめながら楊へのマークをフォローしていたのだ。さらに皆の精神的支柱であり続けるためには、失点した時も武田をオーバーラップさせた際にも一切動揺を表情にも出せなかったのだ。本当に頼りになるキャプテンだ、素人目にはそう映らないかもしれないが今回の影のMVPである。
そして今回最大のサプライズは、後半からの出場で二得点とほぼ一アシストのアシカだ。正直今日のこいつは監督が想定した以上にとんでもなくプレイがキレていた。
もともとゲームメイカーとして期待していたから正確なパスでチームを活性化してくれるだろうと思っていたが、期待以上に活躍してくれたのだ。
パスやアシストにゲームメイクと期待した役割はもちろんスコアラーとしても完全に開花したな。これは上杉という代表チームにおける絶対的な点取り屋が今日はいなかった事から自分で点をもぎ取りに行った結果だろうが……。結果が良ければ全て良しとしておくか。
だが確認しておかなければならない事がある。
アシカと真田、二人の勝利の立役者に向かって山形は問いを発する。
「武田に上がれって指示したのはどっちだ?」
勝ち試合とは思えない監督の厳しい質問に二人の少年は顔を見合わせる。身長差があるためにずいぶんと斜めな視線が少年達の間で交わされ、互いが相手の顔を指さす。
「アシカの指示です」
「真田キャプテンの独断です」
……どっちだよ。監督の心の声が聞こえたように「アシカがDFも上げろと指示したんだろう」「島津さんだけのつもりが何二人も上げてるんですか。あの時点でうちの守備はツーバックでしたよ、自殺志願者なんですか真田キャプテンは」と責任を擦り付けあっている。
そのまましばらくして何やら二人の間で合意がなされたのかお互いに笑顔で頷き合う。
「……という訳で、武田が上がったのはこんなメンバーを集めた山形監督の責任ということになりました」
「さすが山形監督ですねチームの全ての責任をとるとは度量が大きい」
白々しくも監督を褒め称える二人に微かな頭痛と深刻な胃の不具合を感じた。アシカはまだしも、真田よ、キャプテンであるお前だけはこの代表には稀なまともな少年だと信じていたからキャプテンマークを巻かせたんだが。なんだか新加入組に染まってきてないか。
「監督……朱に交われば赤くなるとか、ミイラ取りがミイラになるとか格言を知らないんですか」
「う、うむ」
真剣な様子の真田に思わず頷く。確かに新加入選手、アシカに上杉と明智に島津も山下まで皆が突撃思考の持ち主ばかりだ。そいつらをレギュラーにしていればチームカラーが攻撃的に染まっていくのもある程度仕方がない事かもしれない。真田はひょっとしてその犠牲になったのだろうか。
「いや、監督は他人事みたいに言ってますが俺達新加入選手を集めてきたのは監督ですからね。このチームの突撃思考の大本は絶対に山形監督ですよ」
アシカの言葉に止めを刺された。確かに攻撃的なチームが山形の理想で好みではあるのだが、まさかここまで派手に攻め続けるチームになるとは。
しかし元々彼が仮想敵として構想していたのは南米予選で無敗のまま暴力的な攻撃力で猛威を振るった強大な王国ブラジルだ。中継映像でも判るほどの破壊的な攻撃力と真っ向勝負するために作ったチームに、今更攻めすぎだと文句がつけられるはずもない。
そしてこの超攻撃的な布陣は今日の試合や次のサウジ戦のように「勝つしかない」という場合には最も有効な戦術と選手達なのだ。……そうとでも思っておかないと胃痛が酷くなるから自己暗示をかけているような気がするが山形は深くは考えまいとした。
するとそこにいつの間にか片腕のようになっている若手のスタッフが山形監督に近づく。
少なくともマスコミに情報を漏らしたりはしないという信頼があるので、側近として扱われてチームに同道している青年だ。さっきまでは監督以上に勝利に興奮していたようだったが、その彼がまだ若々しい顔を引き締めて山形監督へ耳打ちしてくる。
「今入った情報によりますと、やはりサウジアラビアはヨルダンをアウェーにも関わらず撃破したようです。スコアは一対ゼロ、サウジの堅守からのカウンターにヨルダンが沈んだとのことです」
「そうか」
覚悟はしていただけに失望は少ない。もしかしたらホームのアドバンテージを生かしてヨルダンが波乱を起こしてくれるのではと、微かな期待をしていたが結局無駄に終わったようだ。
このアジア予選において第五節まで終了した時点で、日本の入ったグループのトップはサウジアラビアで四勝一引き分けの勝ち点十三。第二位につけているのが日本で三勝一敗一引き分けの勝ち点十だ。
幸い得失点差では日本代表がサウジを上回っているために最終戦で日本がサウジに勝てば首位で予選突破が決まる。こんな時は大量に得点を取れるチームで良かったと思う。だが、負けは論外だが引き分けでもグループの二位のまま。他のグループ状況次第だがまず予選の突破は無理だ。
つまりこうなってしまうと、
「日本の最終戦で絶対に勝たなきゃいけないってことか」
厳しい予感に体がぶるりと震える。
その時にまだ 声変わりのしていない子供っぽい声がかけられた。どこから聞いていたのか、アシカの奴が口を挟んできたのだ。
「何を今更緊張してるんですか」
「む?」
あまりに軽い口調に、こいつは次の日本でのサウジ戦に勝たねば予選突破がまず不可能だと気が付いていないのかと訝しむ。そこまで察しが悪い小僧じゃなかったはずなんだが……。
そんな山形の様子に呆れたようにアシカは言葉を続ける。
「勝たなきゃいけないって試合は今日もこなしたばかりじゃないですか。もう俺達選手の方は全員が勝つしかないと覚悟を決めてますよ」
いつの間にかアシカの後ろには代表チームのほとんどが顔を揃えては彼の決意に頷いている。
「そうか。そうだったよな」
山形は思わず笑みがこみ上げてくるのを止められなかった。そうだ俺が作ったこのチームはこんな「勝つしかない」という試合でこそ最高のパフォーマンスを発揮するようにしたんだったじゃないか。
ならばこれ以上緊張も油断もするべきじゃない。
「明日からはまたサウジ対策の練習をするぞ、だから今日だけは皆と一緒に喜んでおこう」
手近にいる生意気な小僧達の髪をぐしゃぐしゃにしながら撫で回し始める山形であった。
◇ ◇ ◇
「さて解説の松永さん。前半終了時に「このままでは予選敗退は避けられない」というご意見でしたが、その懸念を吹き飛ばしての見事な逆転勝利でしたね」
「……中国の意外なフェアプレイ精神に助けられましたね。私が監督だったころはアウェーですともっと厳しい状況だったのですが、今回の選手たちは運が良いですね」
「はあ、そうだったんですか。そう言えばアウェーの洗礼を受けて負傷していた足利選手が途中出場しましたが、怪我の影響を感じさせない大活躍をしました」
「……あれだけ元気にプレイできたんなら怪我も軽かったんでしょう。彼は怪我をしやすい体質なので私の時は代表へ選出しなかったんです。その無理をさせなかった方針のおかげでここまで順調に成長してくれたようで嬉しいですね。彼も私に感謝してくれているのではないですかね。ただ山形監督に酷使されて壊されなければいいのですが」
「そ、そうですね、怪我などせずに大成することを望みましょう。それと……おっと、速報でサウジ対ヨルダンの結果が届きました。やはりこのグループトップのサウジが下馬評通りにヨルダンを下したようです。これで日本は最終戦のサウジ戦で勝てばアジア予選突破、引き分け以下ではおそらく予選での敗退ということになります。ホームでサウジアラビアを迎え撃つ日本、どんなゲームを期待したらいいのでしょうか?」
「とにかくまずはここまで攻撃に偏ってバランスの崩れたチームの修正をしなければなりません。島津や上杉のような攻撃しかできないスペシャリストではなく、アスリート的に優れている控えのユーティリテイ性のある選手を使うのも手でしょう。何にしろアジア予選は日本にとってノルマであり通過点です、これを突破できないと世界とのレベルの差はますます広がってしまいますよ。山形監督とイレブンにかかる責任は重大ですね」
「……ええと辛口の批評の中に、溢れるほどの期待の大きさが垣間見えるご意見でした。それでは時間ですので失礼いたします。来週のアジア予選最終節、日本対サウジアラビアの一戦でまたお会いしましょう」