第十一話 防御は捨てて殴り合おう
「上がれ! 上がれ!」
試合再開後、俺はこの命令しかしていない。全員ポジションを最低十メートル前へ移せという乱暴な指示の結果、今の俺達のチームのフォーメーションは一・五・五という狂気に満ちた物となっている。
見たこともない数字の並びで分かりにくいかもしれないが、DFはペナルティエリアの直前に一人だけ、後は五人ずつMFとFWの位置についている。
え? チーム人数がキーパーを含めると十二人いるんじゃないかって? 数が合っていないのはゴールキーパーをペナルティエリアからリベロの位置にまで上げて、DFとして計算するという暴挙を行っている結果であり実質DFはゼロのペナルティエリア内は無人だ。FWがいないゼロトップならともかくゼロバックなんてほとんどギャグだな。
ここまで来るともう防御とか考えるだけでも馬鹿らしい、さあ総員突撃だ。
まずボールを預かった俺はパスの出し所を考える。いくらなんでも前線にターゲットが多すぎるぞ、いったいどこに出せばいいんだこれ? 自分でやった事ながら呆れてしまうが、そんな迷いも一瞬である。何しろ自分で皆にまず「シュートを考えろ」と言ってしまったんだからな、とにかくシュートか悪くてもドリブルで前へ持っていってアシストになるパスを渡さなければならない。
俺が前へとドリブルで進むが相手も混乱しているようだった。そりゃこんな馬鹿なフォーメーションと戦ったことなんかないだろう。FWが五人なんてどうやってマークすればいいのか俺も判らんぞ。
相手はとりあえずマンツーマンディフェンスを選択したのか、五人のFWに合わせてDFと中盤が下がる。ならこっちはつけ込むだけだ。さらに前線の数を増やすのみ。
この時の俺のテンションは最高潮だった。一点負けているのはともかくこれから五点取りにいかねばならない状況が、いけいけの作戦を後押ししていた。
「よし、キーパーもゴール前まで上がれー!」
「オッケー! 喜んでー!」
キーパーもこの狂気のノリに乗っかったのか喜々として敵陣へ突入していく。もううちのチーム全員がハーフウェイラインを越えて敵のサイドに入っている。カウンターを貰ったら一発で終わりだが、このフォーメーションになった以上そんな心配しても仕方がない。チーム一丸の片道しか考えていない特攻である。
これでFWも加えればうちのチームだけで六人がゴール前に集合していることとなった。ほとんどコーナーキックなどのゴール前の混雑さと変わりない。相手もラインを上げたいのだろうが、そうはさせじとタッチラインを深く抉る。
「ゴール前で全員張って、ボールがこぼれたら押し込んでくれ!」
叫ぶとまだ崩れているディフェンスラインを横目にサイドへと全力で突っ込む。ここはテクニックよりも速さで勝負だとばかりに、上体を起こしているいつものスタイルではなく前傾姿勢になった俺の最高速のドリブルだ。タッチは荒くなるがこの方がスピードは乗る。
前方にディフェンスの影が差す寸前に、鳥の目でそれを察知していた俺はクロスを放った。
センタリングのコースはいい。ゴール前のDFの壁を越えて味方FWの頭上へピンポイントで落ちていく。
でも止められた。キーパーがクロスの軌道を予測していたように前へでるとパンチングで弾き返したのだ。うんすんなりとは入らないだろうと覚悟はしていたよ。
やっぱり叫んでからクロスを打つのはやめておいた方がいいな。キーパーにタイミングを盗まれる。
それはともかく、ゴール前のルーズボールが飴に群がる蟻んこのように敵味方を集めている。俺もあそこに参加すべきだろうか? いや、それより幾らなんでも後ろに空けた過ぎたスペースを気休め程度でもケアしておくべきか。
躊躇していると、人混みの中からうちのキーパーが雄叫びを上げ右手を掲げて現れた。我がチームのゴール前に詰めていた奴らとハイタッチを交わしている。どうやら俺の見えない混戦の中でなんとか点を取れたらしいな。しかし、俺よりも得点力のあるキーパーってどうなんだろ?
祝福の拍手を頭上で鳴らしながらも首を捻らざるを得ない。
その時下尾監督が笛を吹いた。
「前半終了ー。お前ら両チームとも後半の十分で四点以上取らないと罰ゲームだぞ」
その言葉に顔を引きつらせたのは明らかに相手チームの方だった。前半終了間際の俺たちの特攻に動揺を隠せないようだ。うん、もし俺が相手チームにいてもこんなノーガード戦術には呆れてしまうよ。まあ、そんな狂った戦術を指示した俺が言えた義理ではないが。
五分の短い休憩を終え、後半開始のホイッスルを待っている俺達の前に立ちはだかる影があった。
相手チームのゲームキャプテンをしている山下先輩だ。
何格好つけているのかと不審に思う間もなく、彼は指を俺に突き付ける。
「目には目を! キーパーレスにはキーパーレスを! こっちも攻め百パーセントでいくぞ」
「え?」
キーパーレスって俺たちがキーパーを上げたフォーメーションの事か。あれは単にマンツーマンが厳しかったから攻め手を増やそうとする苦肉の策だったんだけどなぁ。でも、そっちがそうくるならお出迎えしなければ。こちらも前半終了間際のゼロバックで迎え撃つのみだ。
「そりゃ攻め合えとは言ったが、最近の子供は何を考えるかホント判らんな……」
どこかやさぐれた雰囲気を漂わせ、俺たちの会話を聞く監督を尻目に後半もお祭り状態の試合が開始された。
両チームともキーパーがペナルティエリアより前のポジションにいる異様な陣形だ。
普通ならばいくらなんでも無茶苦茶すぎると止める監督が見て見ぬふりをしているのに、俺達は許可を得たものとさらに調子に乗った。
この試合ではもう何でもありだと全員が判断し、敵味方がやりたい放題なゲーム展開となったのだ。
ワンオンワンの勝負など誰もがフォローに行かず、決着を見守っている。
「おおキーパー同士がセンターサークル内で一対一をやっている」
「どっちが真の守護神か決める戦いだな!」
「……キーパーの戦いってそーゆーのだったか?」
ここまで全力で遊ぶ試合になっては、俺が今更エゴイスティックなプレイを隠す必要もない。ボールを持ったら目の前に出てくる敵を全部抜けるか挑戦だ。
俺も自身の手持ちの中から惜しげもなく高等技術のフェイントを駆使した自己満足気味のドリブル突破をはかる。
「凄ぇ、足利の四人抜きだ!」
「マルセイユ・ルーレット、シザース、エラシコ、クライフ・ターンとどれをとっても高等技術だが、三人抜いた後キーパーまでかわしているのに、最後の締めのシュートは外すなんて落ちまでつけている。真似できねぇぜ!」
「……いや真似したら駄目だろう」
下手をしたらあの歓迎試合を上回るほど素人っぽい戦いを、小学生にしては高度な技術で真剣に行っているのだ。
とはいえお互いディフェンスは無視しているので時折とんでもないシュートが決まってしまう事もあるのだが。
「やばい! キーパーにキャッチされたぞ全員戻れー!」
「ああ、キーパーのクリアがそのままこっちのゴールに」
「まだ間に合う! あきらめるな! 追いかけろー!」
いつものうちのサッカーとは違い無茶苦茶な試合だった。無謀な指示に、前代未聞な戦術、そして自分の技を見せつけるようなプレイ。そんなサッカーが――俺は無茶苦茶楽しかった。
今までのどの試合より走ったが、スタミナ切れよりも大笑いで腹が痛くなるほどだった。
試合終了のホイッスルが鳴り、点の取り合いに興奮冷めやらぬ皆が口々に自慢話をする。
「くそ、二得点止まりかよ。あと五分あればハットトリックを狙えたのに!」
「お前キーパーだろうが、得点王狙ってどーする」
などとくだらない馬鹿話に花が咲く。実際には試合は最終スコアが四対四で終わり、全員で罰を受けることになったのだ。実に僅か後半の十分だけでお互い三点ずつ取り合うというオフェンスオンリーのまるで草サッカーのような試合だった。しかし、罰ゲームであるグラウンド五周走らされるのも全く苦にはならなかった。誰一人罰ゲームに文句を言うことなく今日の試合について熱く語っているのだ。
試合で今までになく熱くなった体はクールダウンしてもまだ収まらない。高ぶりを醒ます為にも軽いジョグで帰宅しようとすると、下尾監督に呼び止められた。
「うん。足利、お前試合前に比べていい顔になったな」
「僕は前からハンサムのつもりでしたよ」
監督に対しても軽口で応える。
そのぐらい今日の試合で高揚していたのだ。そんな俺の顔をしげしげと見つめていたが、何かに納得したのか喜ばしそうに頷いた。そして念を押すかのように俺の肩に手を置く。
「ああ、そうだもう一度聞いておこう。足利、お前最近サッカーしていて楽しいか?」
「――勿論です!」
試合前と同じ質問に今度は一点の迷いもなく答えることができた。俺の返事の曇りなさに監督の口元のしわが一層深くなった。
ああ、まったく、もう。
だから何回やり直してもこの監督にはかなわない気がするんだ。