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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第二章  中学生フットボーラーアジア予選編
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第四十三話 やる気を取り戻そう


「はあ、学校に行くのが面倒になってきたな」


 代表チームがアウェーでのヨルダン戦に引き分けた翌朝、登校するための身支度をしながらもついため息混じりのぼやきが漏れる。朝練は怪我の影響もなくなってきているのでほとんどいつもの練習メニューに近いものになっているから、一回シャワーで汗を流してから学生服に着替えないと汗臭いのだ。そのためにいつもより少しだけ時間がかかる。

 もそもそとシャツに袖を通し、教室で交わされる会話を予想してみる。


「どうせまた昨夜のヨルダン戦についていろいろ言われるんだろうなぁ」


 これまでも学校は面倒だと思った事はあったが、それは小学校時代に感じた「以前やったことをもう一度やる」という繰り返しが面倒だっただけで、今回のように人間関係がやりにくいと感じるのとはちょっと違う。

 でもこんな特殊な事情を人に相談する訳にもいかないしな。

 キャプテンと久しぶりに会った朝はあんなにすっきりしていたのに、たった数日でえらい違いだ。

 せめて母に心配をかけるわけにはいかないと、冷たい水で顔を何度も洗って表情筋を柔らかくマッサージして笑顔を鏡に映す。よし、これでいつも通りの表情だな。


「おはよう、母さん」

「あら、速輝おはよう」


 うん、テーブルに着く前ににこやかに挨拶ができた。母も何一つ俺の態度がおかしいと感じてはいないみたいだな。安心して果汁百パーセントのジュースに手を伸ばす。


「あ、速輝が眉の間にしわを作っている原因を解消できる記事が朝刊に載ってたわよ」


 うわ、油断していたせいで危うく口にしていたグレープフルーツジュースを危うく吹き出す所だったじゃないか!

 ごほごほとむせながら涙目で睨むと、母は配膳の手を休めて「何を慌ててるのかしら」と首を傾げている。いかん、俺が表情を取り繕っていたのに母を欺くどころか、何でもない様子の演技していたのに気付かれさえしなかったようだ。


「ほら、スポーツ面の日本対ヨルダン戦の隣に小さいけど中国対サウジアラビアの結果が速報で入っているわね」

「え?」


 慌ててその記事が載っているスポーツ面を探してめくる。するとそこにあったのは嬉しい記事だ。


「日本と同グループの中国対サウジアラビアが一対一のドローで終わった、か。終始中国に押されていたサウジだが、得意のカウンターから先制点。しかしホームの大声援を背に中国は激しいプレスと攻撃を続け、エースである楊のヘッドで同点に追いついた、だと。なんだか日本のヨルダン戦と似た展開だったんだなぁ」


 読んでいる内にだんだんと体が熱くなっていく。これは練習でほてった熱さの残滓でも初夏の気候のせいでもない、自分の内側にある萎えかかっていたやる気という炎が大きくなったのだ。


「これで勝ち点差が三、得失点差はまだ日本が上だ。次の中国戦とサウジの直接対決で勝てば逆転できる!」


 そう、これで自力でグループ首位になれる目が出てきたのだ。さっきまでの無力感と眠気が一気に吹き飛んだ。くそ、しまったな朝練を流すんじゃなくてもっと気合い入れてやるべきだった。

 現金かもしれないが、これまではどうしようもなかった運命が、自身の手でどうにかできる可能性がでてくるとなると心構えや見える景色でさえも違っていく。

 ああ、俺は本当に馬鹿だ。それも重度のサッカー馬鹿だ。自分の力で予選突破できるかもと想像しただけでこんなに力が湧いてくる。学校や人間関係が煩わしいとかそんなのは些事じゃないかと全然気にもならなくなっていく。

 俺はまだ高いレベルでのサッカーに参加できる権利が残っているんだ。いちいち細かいことを気にして時間を無駄にはできない。

 絶対に予選の残りである中国とサウジアラビアの二戦は勝利して、世界へと羽ばたくんだ。その為にはまずやるべき事は一つしかない。


「母さん、朝ご飯お代わり!」


 腹が減っては戦ができないよな。



  ◇  ◇  ◇


「こんにちは!」

「お、アシカ久しぶりじゃないか。もう練習の許可がでたのか?」


 俺がユースへ顔を出すとコーチの一人が声をかけてくる。俺はサウジ戦以降は通院と軽いリハビリのような練習メニューのためにこっちの方の練習には参加していなかった。まあ怪我の具合は連絡していたから大した事はないと把握しているだろうが、やはり顔を見ると安心できるのかこのコーチもほっとした表情をしている。

 ああ、そうか。ユースのスタッフならあの試合を見ていた人も多いだろうし、こんなにも周りの人やスタッフに心配をかけていたんだな。改めてリハビリの最中は自分の怪我の事しか意識に上らなかった自分の薄情さが浮き彫りになる。


「ええ、思ったより経過が良好でほとんどの練習には参加していいと言われています」


 これは本当だ。特に瞬発力を使うトレーニングだけは、一応大事を取って様子を見ながらやった方がいいと回数制限をされているが、他のランニングや軽いコンタクトの練習試合までなら問題ないとの見解だ。もちろん俺もドクターのその見解を支持する。つまり本格的な練習の解禁だからだ。

 担当医の今週末までに間に合わせるという言葉が信じられる回復具合である。 


「まあアシカは練習に熱心だからサボるとかいう心配よりも、いきなりハードにやりすぎて怪我を悪化させる方が怖い。無理だけはするんじゃないぞ」

「了解です。怪我からの復帰メニューについてはエキスパートですからね、俺は」

「嘘つけ。お前は大きい怪我したの今回が初めてだろうが」

「え、ああそうでしたね」


 いかん、また練習ができると舞い上がってちょっと緊張感が薄れていたようだ。しっかりと気を引き締め直さないと、また練習でも怪我しかねない。プレイ中の怪我は事故であり、サウジ戦のような故意のラフプレイ以外では仕方のない側面もあるが、練習での故障に関してはしっかりとアップをする事と違和感があった場合はすぐフィジカルコーチに相談することでかなりの確率で防げる。

 逆に言えばそういった設備――特にフィジカルコーチやスポーツ専門医――を有し、すぐに相談できるのがユースの強みの一つだろう。普通の中学などでは例えスポーツに力を入れている私立でもこうはいかない。少しぐらいの痛みや違和感なら、たぶん大丈夫だろう……と素人考えで無理をしてしまうのがまだ一般的だ。だから俺の今の環境は凄く恵まれているんだよな。うん、これで頑張らなかったら嘘だ。


 昨日の朝刊でサウジが中国と引き分けて日本に自力突破の可能性が出たと確認してから、ずっと俺のテンションはこんな風に高い。

 今まで軽く考えて流していたことでさえモチベーションをアップさせる材料にしている。

 早く戦いたくて、代表のチームメイトに会いたくて、何よりもサッカーがしたくてたまらない。

 足の怪我の影響もあり、体の調子は万全とは言えないが、精神状態はもう準備万端だ。


 ユースのロッカールームで手早く着替えなどの練習の準備をすませると、すぐにピッチへ駆け出しては声をかけてくる知り合いと挨拶をしながらアップを始める。

 そこに俺にはお馴染みになった声が弾むように届いた。


「アシカ、もう復帰できるんだな!?」


 山下先輩は慌ててこっちに向かってきたのか少し呼吸が荒い。だが疲れを見せずに嬉しそうに俺の肩を叩いてくる。得点した後に叩かれるのと同じくらいの強さなのだが、いつもはそれが痛くて逃げ回っているにもかかわらず今日に限ってはなぜか心地よい……あくまで今日だけだからな? 変な性癖に目覚めた訳じゃないぞ。


「ええ、もう八割以上オーケーです。週末の中国戦には間に合わせますよ」

「うん、そうかぁ。うん、うん。いや助かるぜ」


 バシバシと背中を叩き続ける山下先輩にちょっとだけ嬉しく、そして鬱陶しく感じる。


「じゃあ、ちょっと別メニューがあるんで」

「おう、無理すんじゃねーぞ!」


 誰も彼もが俺に「無理するな」とアドバイスしてくる。そんなに無鉄砲に見えるのかな。ならば少しは自重しないと。そんな事を思いながらゆっくりとしたスピードで足下のボールをドリブルしながら移動する。

 うん、悪くない感触だ。サウジの一戦は酷い結果に終わってしまったが、あの逆境が俺の中に何かこれまでとは違った感覚も残してくれていた。

 ボールをタッチする場合、これまではボールの表面を触っていたのだがサウジ戦以降はボールの中心――コアとでも言うべき部分――を感じたボールタッチが出来ているのだ。今みたいにゆったりとしたドリブルでもボールを蹴って動かしているのではなく、まるでボールの芯を足で掴んで移動させているようなしっかりと安定したボールコントロールができる技術である。

 うん、確かに悪くない。


 ――この感覚を試合で試してみたい。ああ早く中国戦がこないものか――

 今の俺は間違いなくいつものボールを持ったにへらという表情よりも、ずっと凶暴な笑みを浮かべているという自覚があった。




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