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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第一章 小学生フットボーラ―立志編
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プロローグ

 ゴールをかすめる豪快なシュートにテレビの中から絶叫に近い大歓声と、興奮で甲高くなったアナウンサーの耳障りな実況が響く。

 俺は止めていた息を一気に吐き出すと、手に握りしめていた缶ビールをあおった。ずっと口を付けていなかったためにすっかり気は抜けて生ぬるくなってしまっている。アルコールに弱い俺にとっては普段でさえ苦くてまずいとしか感じられないビールなのだが、サッカー観戦時にはより一層俺の舌を硬く痺れさせる。

 とはいえ素面では見ていられないのも事実だ。ちらりと画面に視線を走らせると、アルゼンチンの神の子の系譜を受け継ぐ選手がまたスピードに乗ったドリブルで相手守備陣を切り裂いていた。今夜の国際試合でも彼の動きはキレまくっている。

 

「俺だって怪我さえなければ、あのぐらい……」


 と呟きかけた言葉を飲み込む。

 あれぐらいやれたのか? 本当に? そう自問する声から意識的に考えをそらし、何かから逃げるが如くまた缶ビールを傾けて一息に飲み干す。俺の膝が壊れなくてもこんな活躍ができたとは思えない。だが、チャレンジしたかった。自分の力がどこまで通用するのかプロの舞台で確かめてみたかったのだ。


 叩き付けるように缶を置き、お代わりを探して左手が宙をさまようが、残念ながら手ごたえはなく振った手は全てが虚しくも空振りに終わる。

 いつもよりもペースが速かったのか用意していたビールがもう切れてしまった。

 テレビの中ではちょうど試合は審判の笛でハーフタイムに入ったところだ、今の内にコンビニに行ってビールと一緒につまみも買ってこようか。

 

「よっこいっしょ」


 いつの間にか身についた年よりじみた声を上げながら立ち上がる。くそ、それだけでやっぱり右膝にまるで錘が付けられているように感じてしまう。ただ身を起こすだけの動きが今の俺にとっては一苦労だった。

 怪我をしてからもう四年経つのに一向に違和感は薄れない。この古傷のせいで二度とサッカーがプレイできなくなったと思うと鈍い痛みのみならずやるせなさがつのる。


 舌打ちをして胸にわだかまる黒い感情から目を逸らすと思考を打ち切ろうとする。

 もう精神的には片づけたつもりだったのだが、どうも自分で思っていた以上に俺は未練がましい人間のようだ。自分がサッカーをプレイしていないという現状に未だに慣れる事ができていない。


 すでに闇に染められた外へ出ても胸中のざわつく物は収まらない。せめて何か蹴飛ばす物でもないかと周囲に目をやる。空き缶などは音が大きすぎて人目を集めてまずいだろうが、小石程度なら問題ないだろう。

 キックなどできなくなった自分の足の状態などすっかり忘れて、きょろきょろと八つ当たりの対象を探し首をめぐらす。傍から見ればかなりの不審人物かもしれないが、すでに俺の脳裏には周りへの配慮などはなかった。


 辺りを見渡していると道路の真ん中でうずくまる小さな影を発見した。なんだろう、あれは? そう疑問を浮かべると、その影に二つの光が灯った。

 あれは猫の瞳か?

 どうやら闇に溶け込むほどに小さな黒い猫がこっちを見つめているようだった。野良猫なのか首輪は付いておらず、右の後ろ足は怪我をしているのか宙に浮かせっぱなしだった。

 いくら八つ当たりの対象を探していたとはいえ――これを蹴るのはさすがに人間失格だろう。


 仏頂面のまま黒猫を見つめていると、黒猫もじっとこっちから視線を外さない。

 何でここで猫とガンを付けあってるのか自分にも不明だが、ここで引いたら何かに負けたような気がする……いやまあ間違いなくそんな勝負をしているのは気のせいだとは判っているんだけどな。


 野良猫とにらめっこをするという行為の、あまりの不毛さに嫌気が差す寸前に、俺と猫は横合いから眩しい光に照らし出された。

 強烈なヘッドライトと夜間にも関わらず耳をつんざくようなエンジン音が届く。

 この辺には珍しく暴走族じみた車がやってきたらしい。


 俺がいるのは道路の端だから別に移動しなくても車から身を守るのには十分だが、問題は道路の中央にいる黒猫の方だ。あのままでは轢かれてしまう可能性が大だ。

 あいつはどうも足が不自由らしいし、道路の端に避難させてやるべきだろう。足に怪我している点にシンパシーを感じたのか、いつもの自分らしくない仏心を出して余計なお節介を焼いてしまう。


「ほら危ないからこっちにおいで」


 文字通りに猫撫で声で黒猫を招き寄せようとする。だが黒猫は相変わらず光る瞳を俺から逸らさずに微動だにしない。足が痛いからなのか俺を警戒しているからなのか、いや恐らくは両方なのだろう。

 仕方なしに無理に抱き寄せる事にする、まだ車との距離はあるが急いだ方がいいに決まっている。


「ほらこっち来いって」


 いささか強引に抱き上げると、黒猫は未だ警戒の抜け切らないのか体を固く強張らせたまま小さく鳴いた。あれ、こいつ足だけでなく尻尾まで怪我してるのか? 何だか二つに裂けているみたいだが。

 俺があれこれ観察しても、黒猫は怪我で体力が低下しているのかそれ以上の抵抗は示さなかった。

 まあとりあえず確保完了っと。安堵の吐息をついた瞬間、いきなりエンジン音が大きく高くなり同時にライトが強烈になった。


 まずい。

 頭に浮かんだのはその単語だけだった。どういう事情か判らないがいきなり車がすぐそこまで接近しているのは間違いないようだ。だが、まだこのぐらいなら逃げるのに間に合う……。

 音と光に驚いたのか最悪のタイミングで手の中で黒猫が暴れた、反射的に歩道へ放り投げる。同時に車を避けるために俺もそちらへと急いで走ろうとした。


 ダッシュしようと力を込めた一歩目ですとんと右足が落ちた。古傷が痛いとかそういう問題ではなく、膝から下が抜けたように全く足の感覚が無い。

 まるで最後になった試合中に後ろから反則のタックルを受けた時と同様に、力が入らず動かせもしないという糸が切れたマリオネットの状態だ。

 

 慌てて首だけで振り向くと、真っ赤なスポーツカーがヘッドライトを光らせて接近していた。

 猛スピードだと判っているのになぜか車がゆっくり近づいているように感じられ、運転手の若い大学生風の男が顔をひきつらせているのまではっきりと確認できた。

 もしかしてこれって絶体絶命のピンチでは。

 俺はすでに接触を避けきれない状況にあることを認識すると、とっさに車に対し背を向け右足を抱え込む。

 これ以上右足を破壊されるともう二度とサッカーが出来なくなってしまう。


 俺の背に凄まじい衝撃が走ったと思うと、体が宙に舞い体全体がふわりとした無重力状態になった。

 クルクルと回る視界の中で俺は自分の馬鹿さ加減に思わず笑ってしまっていた。

 何で壊れた右足を庇ってるんだよ。これ以上壊れたらも何も、二度とサッカー出来ないと絶望したのはもうずいぶん昔の話じゃないか。

 自嘲が頬に浮かびかけるが、それより早く体がアスファルトに叩きつけられて強制的に肺の空気が全て吐き出され、顔が苦痛に歪んでしまう。


 覚悟していたよりも落下の痛みは少なかった。だがそれよりも目眩と吐き気が酷い。道路に横たわっているはずなのにぐらぐらと揺れて船酔いをおこしているようだ。

 ぼんやりと自分の被害を調べていると、再び大きなエンジン音が響きここから急速に遠ざかっていく。

 馬鹿逃げるんじゃない。この事故は乱暴な運転をしていたお前も悪いが、俺にもかなり責任はある。

 だが逃げたら反論の余地なくお前だけが悪いって事になるぞ。このままじゃひき逃げになる、早く引き返すんだ。


 そんな俺の願いは届かなかったのか、さらに派手なエンジン音と急ブレーキを繰り返して遠ざかっていく。

 あいつ逃げる途中でまた事故起こすんじゃねぇか……?

 なんだか呑気にそんな事まで想像する余裕があった。何故か判らないが、跳ねられた瞬間に痛みは最大になったのだがその後はほとんど感じていない。眩暈と吐き気が無かったらこのままぐっすり眠ってしまいそうなほど安らかな状態だ。ああ、本当にだんだん眠くなってきたな……。

 

 いっこうに揺れの止まらない視界を瞼を閉じることでシャットアウトする。それだけで船酔いに似た状態は軽くなり体がまるで道路ではなく泥の中へどこまでも沈んでいくような深い眠りへと誘われていく。

 半分意識を失った状態でぼんやりと今までの二十二年の生涯を思い返してみても、やっぱり頭に引っかかっているのはこんな時でさえすでにやめた筈のサッカーの事が大部分を占めていた。


 事故にあったのに痛みは感じず、自身の頭の中ではこれほどゆっくりと人生を振り返るなんて明らかに不審すぎる。さすがに目をそむけていたが、ここまできたら俺が人生の最後の走馬灯を見ているのだと理解していた。

 両親にまた苦労をかけて悲しませるなと反省しているはずなのだが、脳裏を横切っている走馬灯の中身は怪我以来もう縁を切ったはずのサッカー関連で埋め尽くされている。俺の頭の中の動画サイトではサッカー動画がお祭り状態だ。つくづく親不孝の上に諦めの悪い男だったんだな俺って。


 ああ、でも本当にもう一度だけでいいからサッカーをプレイしたかったなぁ……。

 最後まで未練がましい繰り言を唱えていたが、徐々に圧力を増してくる睡魔に耐え切れなかった。

 瞼を落としながらふと時間の経過だけしか解決できない疑問が浮かんだ。俺が次に目を覚ますのはどこだろうか? 自宅かそれとも病院か? いや本当に目を覚ますのだろうか? 


 

 ――意識を失う寸前にどこかで猫の鳴き声がしていた。



速輝(はやてる)起きなさい、いつまで寝てるの!」


 ――懐かしい声がする。

 ああ、母さんだ。きっと俺を心配して来てくれたんだろう。

 記憶が事故から途切れているが、入院でもした俺を見舞いに来て看病や声掛けをしてくれたんだろうな。

 とすると、俺はあんな大事故でも助かったのか。自分でも驚くほどタフな体だな。

 まあ、サッカーをリタイヤする時の怪我にはなんの効果もない程度のしょぼいタフさなんだが。


 苦笑して自分がまだ笑いを浮かべられるのを確認すると、覚悟を決めて上半身を起こす。だが想像していたような痛みが全くない。骨折はおろか打ち身などの鈍痛でさえ感じ取れない。それどころか今までに無いほど体からエネルギーがあふれている感覚だ。 

 

「あれ? 母さん俺って思ったより怪我が軽かったの?」


 寝坊してるんだから全くもう、と両手を腰に当てて俺を呼んでいた母さんが驚いたように首を傾げる。


「あんたどこか怪我してたの?」


 ……何だかおかしい。今の状況が把握できていない。


「いや、だって……」


 説明しようと布団から立ち上がって気が付いた。痛みや目眩などの異常を示す症状はない。

 そしてなぜか、中学時代にはすでに身長は追い越していたはずの母さんを見上げている。

 そして何より……右足に痛みや違和感が全くない。


「は、ははは……」


 すべての疑問は後回しにして右足をブラブラさせてはジャンプを繰り返して笑い出す。気が付けば頬が濡れて、母さんが訝しげな顔をしていたが俺の頭はただ一つの事で占められていた。


 これでまたサッカーができる。

 

 

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