夫が死んだ
戦争が激しくなり、軍人だった夫は戦地で死んだ。
骨も残らなかったらしい。
ただ、その知らせの紙切れ一枚が私の手元に届いただけだ。
アウルと結婚したのは、私が彼の勤務する詰所の近くに配達に行ったのが縁だった。
「あ、ごめんなさい」
「いや、君こそ大丈夫?」
軍人なんていばってばかりで、怖いとばかり思っていた。
この国の戦いは何十年にも及び、生活は苦しく敗戦の色が濃くなっていく。
私の両親も空襲でやられ、なんとかこんな田舎の遠い親戚の家に転がり込めた。
新聞では連日、大げさな勝利が掲載されても、もう誰も信じない。
私達は知っていた。この戦いは、まもなく終わるのだと。
だから軍人と関わりたくなかった。
彼らは死ぬ為に戦場に行く。
アウルは優しかった。
配達でぶつかった私を怒鳴る所か、心配してくれた。
あげく、潰したパンを弁償してくれ、世話になっているパン屋の叔父さんに頭を下げて謝罪してくれた。
そうだ、この人たちも同じ人間なのだ。
私は一目ぼれだと告白された時に、私もだと打ち明けた。
彼の勤務が終わる度に、隠れて二人で愛し合う。
初めても捧げたし、これでもかというほど愛された。
幸せの絶頂だった。
「生き別れの弟がいるんだ」
彼も苦労人だった。
彼の胸に体を預けながら、小さなベッドで重なり合う。
「家が貧しくて、弟を手放したんだ。両親を養うために軍人になった」
私の亜麻色の髪を指で梳きながら、彼は優しく笑う。
「両親はもう死んだ。今は俺だけ。だから、ずっと寂しかったんだミコ」
「アウル、私がずっと側に居るからね」
結婚しよう。
私は勿論、頷いた。
小さな教会も予約した。安物だがドレスも用意した。
新たな新居も準備して、中古だがしっかりした家具も運び入れた。
「安い給料だけど、貯金しておいて良かった」
アウルの笑顔を見たのは、それが最後だった。
私達を引き裂くように、戦地への命令書が彼に届く。
泣いて引き止める私を慰めて、彼は振り切るように戦場に向かった。
「必ず戻って来るから」
彼は約束してくれた。
だから、私は新たな新居でただ一人、彼をひたすら待ったのだ。
格安で購入済みの新居を修繕しつつ、昼は以前と同じく親戚のパン屋で働かせて貰った。
夜になると不安で寂しくて、胸が張り裂けそうになる。
そんな時は引き出しから、彼の書いた結婚届を取り出した。
これを私一人で役所に出せば受理される。
だけど、二人で出したいのだ。
朝が来て、またいつもの一日が始まろうとしていた。
けれど、その日は何かが違う。
近所の者たちが騒ぎ立て、聞けば戦争が終わったのだと叫んでいた。
「終わった……?」
「そうだよミコちゃん!あんたの旦那も帰って来るさ」
私はその言葉に、両手で顔を隠して自宅に舞い戻った。
勢いよく扉を閉めて、ズルズルと座りこむ。
すでに両目から涙が零れ、手を濡らすばかり。
声をあげて泣き、私はあと少しで夫が帰ると、心待ちにした。
けれど、届いたのは一通の紙だった。
何度も字を読み返し、折りたたんではまた広げた。
息が上手く吸えない。
これは何?死んだ?どういう事?
アウルが死んだ。砲弾が直撃したので何一つ残らなかった。
難しく書かれても、内容はシンプルだ。
ガクガクと大きく震え、私は部屋の中をグルグルと回る。
あの配達人が配達先を間違えたに違いない。
同じ名の男と間違えたか、これは夢だ。
――だって、アウルは帰ると約束してくれた。
私は、それからどう過ごしたのか覚えていない。
空白の時間に、何人もの知り合いが心配して家に来てくれた。
私を、病院に連れて行こうとしてくれた人もいる。
けれど、私はアウルが戻るからと仕事も拒絶して家に閉じこもった。
どれだけ経っただろうか?
新たな客が、玄関をノックした。
私は今度こそアウルだと、急いで扉を開けた。
何度も期待しては裏切られた。
でも、違う。今度こそと期待を込める。
そこにいたのは、少し形の違う軍服を着たアウル。
溢れ出る感情と共に、アウルが口を開いた瞬間に、その体に飛び込んだ。
「アウル!アウル生きていたのね!やっぱり生きてた!」
慌てたアウルは、飛び込んだ私の腰に腕を回して支えてくれた。
懐かしい香りも、戦場にいたせいか少し違った気がしたけれど、きっと私は泣いて鼻もおかしくなっているんだ。
何度も、何度も私は彼の首にしがみ付いて、もう離れないとばかりに彼に愛を告げた。
「愛してる!愛してるのアウル!死んだって聞いた時は、私も死のうと思ったの!ああ、生きていて良かった」
驚く彼の顔に、私はグシャグシャの顔で笑いかけた。
「約束を守ってくれて、ありがとう」
「っ……ミコ」
「アウル、愛してるわ」
私から踵を伸ばして、高い背の彼に口付けをした。
硬直した彼の体は、唇と共に震えていたが、私はただ生きていてくれた事に夢中だった。
こうして彼は戻ってきてくれた。
ほら、やっぱり誤報だったのよと、私は安心するように、彼の腕の中で気絶した。
***
目覚めた時に、ずっと手を握ってくれていたアウルが目の前にいた。
夢じゃないのを確かめたくて、私は何度もほっぺをつねると、苦笑いして頬を撫でられた。
相変わらずの優しさに溶けながら、私はアウルにお願いした。
「じゃあ、今度こそ結婚届を出しに行きましょうよ」
「結婚届?」
少し目を細めたアウルだが、以前に記入した紙をみつめて少し思案した。
そして、彼は言う。
「この国は負けた。軍人である僕もただの人になる。少なくとも、この街ですら元軍人の監視は厳しくなるだろう。だから、田舎に行こうと思ってる」
「素敵ね。私はアウルと一緒なら、どこでもいいよ」
即答した私に、なぜか彼は寂し気に笑う。
彼は、書類に間違いがあり訂正が必要だからと届を自らのポケットに入れた。
「すまない。後処理が残ってる。また来るから、待っててくれるかい?」
「勿論よ。今夜はアウルの好きなチキンのシチューにするわね」
私の言葉に、なぜか喉をヒクリとさせたアウルは仕事に出て行った。
近所の人たちは、誤報だった事を一緒に喜んでくれた。
「良かったわね。旦那様が生きていて」
「それでミコちゃん。田舎で暮らすのかい?それはいいかも知れないね」
「ところで、旦那さんって、少し顔つきというか、雰囲気が変わった?」
私は相槌を打ちながら、笑って答えた。
「前線にいたんだもの。苦労して人相が変わっても、私のアウルなの」
再び手に入れた幸せを、私は今度こそ手放す気はなかった。
仕事から戻ったアウルに、白紙の結婚届を渡された。
私は二回目の名前を記入すると、彼は告げた。
「急がせて済まないが、明日にはここを出たい。行先は確保してあるから、荷物をまとめておいてくれないか?」
「わかったわ」
突然の出来事であれ、今度は私も共に行けるのだ。
「この届は、僕が出しておく」
「うん、お願いねアウル。ところで、どうして自分の事を俺じゃなくって、僕って言うの?」
私の言葉に、なぜか彼は顔を青ざめて絶句した。
その日から、彼は自分の事を昔のように「俺」と言うようになる。
彼の宣言通り、慌ただしく私達は旅立ち結婚届の提出も済ませて、夫婦となった。
大きな鞄二つに、小さいのが一つ。これが私達の全て。
けれど彼は、ちゃんと向こうに最低限用意してあるし、自分にも蓄えがあると胸を張る。
「家を買った時に、使い果たしたんじゃなかったっけ?」
「あっ、あの家の買い手がついたのと、戦争慰労金も入ったから」
難しい事はわからないが、私はガタガタ走る安物の馬車の中で、ずっと彼に寄り添っていた。
最初は身を固くしていた彼の身体が、私に馴染んだように柔らかくなっていく。
夜になると宿に泊まり、私達はただ抱き合って何度か夜を過ごし、馬車は辺境の果てに辿り着いた。
そこは以前の家など比べものにならない、しっかりとした一戸建てだった。
すでに使い込まれた家具も揃い、生活道具は全て整っている。
彼曰く、以前の住人の生活道具をそのまま置いて貰ったのだと言う。
ここで、新たな夫婦生活が始まった。
彼は以前と違い無口になった。
それでも、私が何度も話しかけると答えてくれる。
好きだった物が嫌いになったり、少し性格が変わるのも戦場帰りだと良くあることだそうだ。
昼間がどれだけ幸福に包まれても、夜になると次第に私は落ち着かなくなっていく。
愛されているのになぜ?何か言い知れない不安と悲しみが襲ってくる。
何かに気づきかけ、夢から覚めたくなくて目を瞑る。
その度に、夫は私を抱いて誤魔化すように愛してくれた。
彼と過ごして一年。
見た事もない男が現われ、夫を見た瞬間に敬礼をした。
「ラウル・クロッケン大佐!探しました!至急お伝えしたい事が……」
全てを言い終えない男の手を引き、顔色を変えた夫が見えない場所に連れ出した。
私は聞き覚えのない男の名前を、何度も心で呟いた。
浮かぶのは、私の夫。そして、共に暮らす今の夫。消えるのはどちら?
まもなく戻った夫は、只ならぬ表情で私を見つめた。
すでに時刻は夜となり、夕食すらとれていない。
だが暗闇の中、ランプすらロクに点けず夫は告げた。
「君に大事な話をしたい」
「聞きたくありません」
拒絶した私に一瞬目を見張ったが、彼は再度大きく息を吸う。
「僕は、アウルじゃない。アウルの弟のラウル・クロッケンだ」
「っ……」
失くしていたパズルがハマったかのように、カチリと心の隙間が埋まっていく。
「戦場で兄と会った。そして君の事を知った」
「アウル……アウルは死んだの?」
自分でも驚く冷たい声に、彼は静かに頷いた。
上官として、部下となった兄を死なせてしまった罪悪感から、私に会いに来たのが始まりだ。
けれど、私は彼をアウルにした。私が彼を殺して、夫にしたのだ。
「ごめん。償いのつもりだった。でも、いつしか手放させなくなった」
「うっ……」
頬に涙が伝う。彼は手を伸ばして躊躇った。
「君を騙した。だけど、僕は君を愛してしまった。だから、許して欲しい」
「アウル……じゃない。ラウル?」
「それと、もう一つ。僕は戦争の責任をとって出頭しなくてはいけなくなった」
言葉を失くした私に、彼は軍人の顔に戻り淡々と告げた。
「短くて数か月、長くて数年。蓄えも、ここの財産も妻である君に全て譲る。済まないが、留守を頼む。それと……」
少しためらった彼は、小さく微笑んだ。
「帰った来たら話し合いをしよう。君が望むなら離婚も受け入れ……」
「馬鹿言わないで!」
私の叫び声が部屋に響く。
「ちゃんと戻って来てよ!お腹の子はどうするのよ!貴方の子なのよ!」
「えっ?」
私は彼の手を無理やり掴み、自らのお腹にあてた。
「戻って来て!私とこの子の為に」
「俺の子……」
「あなたが父親に決まってるでしょ!」
私が叱ると、彼が泣いた。月の下で座り込み、私のお腹に顔を当て泣いた。
私はそんな彼の頭を撫でながら、告白した。
「確かに誤解した私も悪いの。だけど、ここに来て私を愛してくれたのは。貴方よラウル」
「愛してる、ミコ」
「うん、だから帰ってきて」
私達はやっと本当の夫婦になれた。
瞬く星空に、なぜかアウルが祝福してくれている気がして、私も結局泣いてしまった。
夫が首都に出頭して一年目、私は男の子を出産した。
名をつける期限ギリギリの三か月目に、やっと待ちかねた父親が帰宅した。
私を抱きしめ大量の口づけを降らせると、今度は初めて見る我が子をみて歓喜した。
「それで、父親である貴方に名をつけて貰いたいの」
私の言葉に、彼は幸せそうに言った。
「決まってる。名前はアウルだ」
誰よりも愛しい名を授けられた我が子に、私は小さくお帰りなさいと告げたのだった。
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