人の心は梅雨空のように
天雲雨夫は有名人だ。
どうして有名なのかと言うと、無類の雨男だからだ。
雨夫の名前の通り、雨夫がやってくると雨が降る。
天雲家は地方の農村で代々、神社の宮司をやっている。
農家にとって雨は作物を実らせる恵みの雨。
だから雨男の天雲家、特に雨夫は重宝されてきた。
しかしそれは農村での話。
場所が都会ともなれば話が違う。
折角の観光やレジャーに雨が降れば台無しになってしまう。
だから普段、都会の学校に通う雨夫は、仲間内では鼻つまみ者だった。
雨夫は雨男である。
それは本人も自覚していて、友人たちと外で集まる時は、
遠慮して席を外したり欠席することが多い。
雨夫本人は仕方がないと諦めていたが、友人たちは気にしていた。
だから雨夫が参加できるように、集まりは屋内が多かった。
都会で雨男というと、どうしても嫌われがちだ。
しかし雨男が重宝される時もある。
例えば体育の授業のマラソンなどの時は、
雨で中止になれば、みんなから持て囃された。
ある日、いつもの学校の日。
授業が終わって放課後、雨夫は教室に残っていた。
自分が先に帰ろうとして、他の人が雨に振られるのを避けるためだ。
その間、雨夫は宿題や勉強をしていることが多かった。
学校の教室が一種の自習室代わりだ。
これなら教室に残っていることを先生に咎められることもない。
雨夫はいつものように、学校に居残りしていた。
夕日が傾き、そろそろ部活動の生徒たちも帰ろうかという頃。
雨夫も帰り支度を始めた。
そして学校の下駄箱にたどり着いた時。
案の定、雨がぱらつき始めた。
「やっぱり雨が降り出したか。
もう残ってる生徒がいないと良いんだけど。」
雨夫が靴を履き替えて玄関を出ようとした頃には、
雨は本降りになっていた。
傘がなければずぶ濡れになってしまうであろう。
しかし雨夫は自分が雨男なのを自覚しているので、
傘は常に持ち歩いているので問題はない。
問題は、向こうの玄関にいる女子生徒だ。
その女子生徒は傘を持っていないらしく、
雨の降る空を見上げてため息をついていた。
「しまったなぁ。もう少し早く帰っておくべきだったかなぁ。」
それと同時に、もう一人もため息をつく。
「しまったな。もう少し遅くまで残っておくべきだったか。」
雨夫が後悔した時。
一人の男子生徒が前を横切って行った。
その手には傘を持っている。
そして男子生徒は女子生徒のところへ行くと、傘をグッと突き出して言った。
「あ、あのっ!もしよかったら、僕の傘に入っていきませんか!」
男子生徒が耳まで真っ赤なのは遠目からでもわかる。
何せ、男から女への相合傘のお誘いなのだ。
それは雨に濡れない以上の意味を持つ。
それは、女子生徒の方も十分にわかっているようだ。
そのうえで、女子生徒は返事をした。
「・・・私も一緒に入れて貰えますか?」
「うん、うん!」
そうして男子生徒と女子生徒は、
ぎこちなく、しかし初々しく相合傘で下校していった。
それを見て、雨夫は一安心。自分の傘を開いた。
次の日、雨夫が学校に登校すると、何やら生徒たちが騒いでいた。
「お前、昨日帰る時、雨が降り始めなかったか!?」
「え、うん。そうだけど。何か迷惑だったかな?」
食いつくように尋ねる男子生徒に雨夫が問うと、
教室の生徒たちが大騒ぎを始めた。
「迷惑なんてとんでもない!」
「お前、昨日、男子と女子が一緒に帰るのを見なかったか?
二人一緒の傘で。」
「あ、ああ。うん。見たけど。」
「なんとな、それが切っ掛けで、あの二人は付き合うことになったんだ!」
「えっ、そうなんだ。」
「私は前からあの二人はお似合いだと思ってたのよね。」
「付き合う切っ掛けが無かったのが、昨日の雨が助け舟になったんだよ。」
「雨夫くんは恋のキューピッドだね。」
「そんな、恋のキューピッドなんて恥ずかしい。僕は単なる雨男だよ。」
雨夫の謙遜に生徒たちは耳も貸さない。
付き合い出したカップルは別のクラスの男子生徒と女子生徒なので、
雨夫のクラスの生徒たちは、もっぱら雨夫のご利益を祝福していた。
こうして雨夫は、一部の生徒たちからは、
恋の神様として崇められることになった。
それから雨夫は、特に女子生徒たちから恋愛相談を受けることが多くなった。
誰々が好きだから一緒にしてもらえないか。
この日に相合傘をしたいので、雨を降らせてくれ。
頼み事はまるで本当に雨夫が神様であるかのようだ。
実際に神様の格好をさせられそうになったが、それは雨夫が必死に断った。
こうして雨夫のところには、恋に悩む男子生徒女子生徒たちがやってくるが、
その誰もが特定の相手と結ばれたい、とお悩み相談にやってくるので、
本人である雨夫自体は、特に女子生徒に恋心を向けられるわけでもなく、
相変わらず雨男としてちょっと迷惑な存在だった。
今日も雨夫は他の生徒が雨に降られないように、
遅くまで学校の教室で勉強していた。
気が付くと窓の外は真っ黒で、日はとっぷりと暮れていた。
「もう遅いから帰りなさい。」
用務員さんに言われて、雨夫は帰り支度を始めた。
玄関で上履きを履き替えて玄関に出る。
しかし今日は何の都合か、雨は降ってこなかった。
雨男とは言っても、確実に雨を降らせるなんてことはない。
むしろ雨が降らない日の方が多いくらいだ。
要は雨夫や周りの人が気を使いすぎているだけなのだ。
雨夫は開きかけた雨を閉じると、一人でとぼとぼと帰り始めた。
他にはもう生徒は誰もいない。雨夫が最後だ。
真っ暗な夜の闇の下、雨夫は下校していった。
すると、静かな夜にウーウーと騒がしい音が。
雨夫の横を、真っ赤なランプとサイレンを鳴らした消防車が走っていった。
「どこかで火事なのかな?」
見ると、夜空の先にもくもくと黒い煙が上がっているのが見えた。
「結構近いぞ。行ってみよう。」
何を思うか、雨夫は消防車のサイレンの音を頼りに、
火事の現場の方へと進んでいった。
火事は5階建てほどのビルで起こっていた。
火の回りが早かったのか、ビルはもう火達磨になっている。
消防士たちが懸命に放水しているが、素人目にも焼け石に水だった。
すると、一人の若い女が泣き叫んでいる。
「助けて!あのビルの中にうちの子が残ってるの!
あの子、逃げ遅れてまだ部屋に・・・!」
「何階の部屋ですか!?」
「3階です!3階の一番奥!」
「なんてこった。それじゃこの火の真っ只中じゃないか。」
消防士は火のついたビルの中に入ることもできず、
奥の部屋にははしご車も届かず、途方に暮れていた。
このままでは建物はおろか、火事場に取り残された子供の運命は。
誰もが天を仰いだ時、その天から恵みがもたらされた。
ぽつり、ぽつり。
空から雨が降り出していた。
雨夫が火事現場にやってきたのはそれと同時だったのは、偶然かそれとも。
始めはポツポツ雨だったのが、すぐに土砂降りの雨になっていった。
「雨だ!雨が火を消してくれるぞ!」
火事と戦っていた消防士たちは、恵みの雨に歓喜した。
ビルを包む火の勢いは、土砂降りの雨で見る見る衰えていった。
そこで消防士が果敢にもビルの中に突入。
しばらくの後。
煤だらけになった子供を抱えてビルから出てきたのだった。
「助かった!子供は無事だ!」
「すごいな!これ、お前の雨のおかげじゃないか?」
そう言って近寄ってきたのは、火事を見物していた、
雨夫と同じ学校の生徒たち。
夜遅くまで学校に残っていて、火事現場に出くわした生徒たちだった。
「この豪雨が無かったら、あの子供は助かってなかったかもね。」
どこからも感謝状など受け取れない。そんな根拠もない。
しかしこの火事を鎮火した雨は、雨夫のご利益をますます大きなものにした。
こうして雨夫は、学校など限られた場所では、
まさしく雨の神様、恋の神様として崇め奉られるようになった。
「雨夫様!お願いがあるんだけど、いい?」
「いいけど、その雨夫様ってのは止めてよ。」
雨夫自身は自分の雨男っぷりを迷惑に感じていたので、
ありがたれることには違和感を感じていた。
雨は農作物を実らせる。
雨は火事を鎮火する。
ついでに雨は恋を実らせたりもする。
雨を司る雨夫は神。
学校などでの雨夫の扱いは人間を超えていた。
やがて季節は6月、梅雨に入った。
今年の梅雨は例年になく雨が降り続く、梅雨らしい梅雨だった。
天気予報を見ても、雨か曇りのマークばかり。
「なあ、雨夫様、たまには雨を止ませてくれないか?
母ちゃんが洗濯物が干せないって言ってるんだ。」
「そんなことを言われても、僕には無理だよ。」
雨夫は自分が雨男だと自覚しているだけ。
雨を操作できるわけではない。
そもそも雨男自体、民間伝承みたいなものだ。
雨夫も皆と同じように、梅雨の雨に降られるしかなかった。
しとしと、しとしと。時にはザーザーと雨は降り続く。
雨は梅雨の範囲を超えて降り続けた。
今年の梅雨は雨が降り続き、土砂災害の危険がある。
そんな事が囁かれるようになった頃。
雨夫を見る目は以前とは違い、冷めたものになっていった。
梅雨の雨は雨夫の評判を悪くするに留まらなかった。
雨夫の学校がある地区は、近くに大きな川が流れている。
その川が増水して、危険な状態になっていた。
雨で濁った川の水は、もう堤防の限界寸前まで来ている。
「みなさん!川の氾濫や土砂災害の可能性が非常に高まっています!
貴重品の持ち出し、非難の準備をしてください!」
役所の車がスピーカーで緊張した声をあげている。
学校では臨時集会が開かれ、しばらく休校することが決まった。
しかし、一歩遅かった。
その日も朝から雨が降り続き、帰る頃には豪雨となり、
生徒たちは下校することも困難になっていた。
ウーウー!
どこかからサイレンが聞こえる。
先生が血相を変えて生徒たちに言った。
「川の堤防が決壊しました!みんな早く屋上へ逃げて!」
この辺りでは学校の屋上は比較的高い場所に位置している。
生徒たちが学校の屋上に脱出した時、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
おもちゃのように崩れる堤防、溢れ出る濁流。
民家や商店などの街並みは、あっという間に洪水に飲み込まれていった。
水は学校も飲み込んだが、屋上までは届かない。
生徒たちや先生たちは、学校という小舟で洪水を漂流していた。
誰からとも無く声が飛ぶ。
「雨夫、もういいよ!雨を止めてくれ!」
「この洪水、雨夫のせいなんだろう?どうしてくれるんだ!」
「雨夫君、最低!」
生徒たちの洪水への恐怖と憎しみは、
そのまま雨の神として祀られていた雨夫へ向けられた。
「ぼ、僕にそんなの無理だよ。」
「それでもなんとかして!」
しかたがなく雨夫は、少しでも雨男の力を弱めようと、
水浸しの校舎内へと入っていった。
制服のズボンが水浸しになっていく。
元々屋上で濡れていた上着と共に、上下が水浸しになった。
「ハックション!」
雨夫は鼻をすすった。
雨夫が校舎内に入っても、雨が収まる気配はない。
いや、起こってしまった洪水にもう雨は関係ない。
雨夫への批判は、ただの八つ当たりなのだ。
結局、消防隊の救助が来るまで、雨夫は増水する校舎内に留まっていた。
消防隊のボートやヘリに乗る生徒たちは皆、雨夫に不信の眼差しを向けていた。
こうして洪水で水没した街が復興するのには、何年もかかりそうだ。
学校も再開するだけで数ヶ月を要した。
まだあちこちに洪水の跡が残る学校に登校した時、
雨夫への皆の視線に敬意はもう感じられなかった。
それはかつての迷惑な雨男への侮蔑の視線。
しかし雨夫はそんな冷たい視線にも動じなかった。
疎まれているのは慣れている。
それに、今回の洪水で、死者が一人も出なかったことを、
雨夫は誇りに思っていた。雨男の能力の真偽はともかく。
自分が降らせたかも知れない雨が人を傷つけなかったのが誇らしかった。
今回の洪水の原因は、豪雨自体ではなく、
大型施設を建設するために堤防の一部を削ったせいだという声もある。
でも雨夫にはどちらでもよかった。
自分への扱いに影響など無いのだから。
雨男は都会では疎まれるもの。
最初は疎み、持ち上げ、最後には叩き落とす。
雨雲と人の心と、どちらが迷惑な存在なのか。
雨夫にはそれがもうわかっているのだから。
終わり。
私は雨男という物言いが嫌いです。
もちろん、そんなものが存在するわけがないからです。
それなのに、雨男だの何だの言うのは、占いよりも無意味です。
だけどもし、雨男のようなものが存在してたら、
雨男はどんな生活を送ることになるのか、考えてみました。
結果は、場所や条件によって待遇は変わるだろう。
一番良い効果は、火事を消してくれること。
最も悪い効果は、洪水を引き起こしてしまうこと。
そんな結論になりました。
そう言えば私は肝心な時に限って雨に降られてる気がします。
まさかそんなことはないとは思いますが。まさかね。
お読み頂きありがとうございました。




