第八話 沈黙の正体
空気が重さを持ったかのように、胸の内側を圧迫していた。――それは、間違いなく僕自身の感覚だった。
トビアスの言葉は、それ以上の説明を必要としなかった。異世界転生者――その一言が持つ意味を、僕は嫌というほど理解していたからだ。
問い返すには重すぎ、否定するには現実的すぎる。
言葉は、喉の奥で完全に固まっていた。
その静けさを破ったのは、廊下から聞こえてきた慌ただしい足音だった。
「……この辺りのはずなんだけど」
「指導室って名前が付いてる部屋が多すぎるわよ……」
聞き覚えのある声に、思わず顔を上げる。
次の瞬間、扉が勢いよく開いた。
「エイト!」
息を切らしたアリシアと、その後ろに立つエリシアの姿が視界に飛び込んできた。張り詰めていた空気が、ようやく現実に引き戻される。
「無事でよかった……」
アリシアが心配そうに静かに呟く。
「心配かけてごめん」
二人はトビアスを無視して僕に近づいた。短いやり取りの中で、ようやく自分が連行されていた側だったことを思い出す。視線を横に向けると、トビアスは一歩下がり、静かに状況を見守っていた。
「……彼女たちが、君の仲間かい?」
「……はい」
トビアスは小さく頷くと、改めてこちらを見据えた。
「では、話の続きは落ち着ける場所でしよう。転生者の話は、聞かれて困る類のものだろう?」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
どうやら、これは偶然の巡り合わせでは終わらないらしい。大学の一室で起きた小さな話し合いの場は、気づかぬうちに、僕たちを次の局面へ押し出していた。
「転生者ですって?」
トビアスの言葉にアリシアも反応を示す。
「……お二人もご存知で?」
二人の反応にトビアスが目を見開いて固まる。
―――――――――――――――――――――――――
僕たちはトビアスに連れられて生徒会室に通された。
「ここなら誰も来ない。じっくりと話ができるよ」
僕とアリシア、エリシアがトビアスに促されて椅子に腰をかけると、手際よく紅茶を用意してくれた。トビアスも座ると、ようやく話が始まった。
「まず、この世界の住民。次に、魂のみ移された召喚者。最後に、魔法を使える転移者ってことか」
トビアスが紅茶に口をつける。
その仕草は落ち着いて見えたが、視線は一瞬も逸れていなかった。こちらの反応を、慎重に測っている。
「君たち全員、変じゃないか」
冗談めいた口調とは裏腹に、その言葉は的確すぎた。言い逃れの余地がないほど、僕たちは綺麗に例外だった。
「やはり異常ですよね」
アリシアがトビアスに冷静に便乗する。
「そういう君も、なぜ異世界の概念を知っているんだい?それこそおかしいだろう」
トビアスが砕けた口調で話す。
確かにそれは前々から気になっていた。たまたま聞くタイミングがなかっただけで、実際はかなり気になっていた話題だった。
「私……ですか?」
視線が一瞬だけ伏せられる。答えを探しているというより、出すかどうかを量っているように見えた。
「別に言ってもいいんじゃない?」
とエリシアが口を挟む。
「そうですね……」
すると、アリシアが重い口をようやく開く。
「私はまず、過去の文献から異世界の存在に気付きました」
「過去の文献?」
「はい。千年前、現在のサマルレンツ王国にあたる地域に、今以上の知識と技術で支えられていた法治国家がありました。こちらも神話に登場するので、信じなくても結構です」
改めて感じた。アリシアは神話を別格な物として扱ってはいない。まるで自分をつくるための一つのパーツとして扱っているようだった。信じるか疑うかではない。知っている、という距離感だった。
「その国では異世界の研究が活発だったそうで、今となっては文献がそこまで多くないものの、少なからず現存しているものがあります」
頭の中で、ばらばらだった情報がゆっくりと並び始める。無関係だと思っていたものが、一本の線で繋がっていく感覚だった。しかし、理解した瞬間、逆に分からなくなる。これほど複雑な事情を、彼女たちは当たり前のものとして生きてきたのだ。
「それだけで確証は得られないのでは?」
トビアスが疑問を投げ掛ける。
「そうですね。ある時期、エリシアが魔石病で倒れました。死期が近いのを幼心に理解しました。私はお父様から了承を得て、魂の研究に勤しみました。」
「そもそも魔石病って?」
僕は初めて聞いた単語に疑問を投げかけた。
「魔石病とは魔法の適性がないのに使い続けることで、内臓の空間に魔力由来の結晶ができる不治の病です」
この世界には、この世界の別の病があると分かった時、どの状況でも決して楽なことはないのだと再確認した。理解はできる。だが、受け入れるには、まだ時間が足りなかった。
「幸いなことに魔石病が治る瞬間があります。それは患っている病人が亡くなった後です。そこに賭けました」
命を落としてから、ようやく治るかもしれない。
その一点に、全てを賭ける発想だった。死を一度、選択肢に含める。その覚悟がアリシアにはあった。
「結果として、新しい妹がやってきました。しかも異世界人です。それだけならよかったのですが、双子のせいか、エリシアの肉体に、マイの魂が拒絶反応を示していたからなのか、今となっては分かりませんが、マイがきた当初、私とマイの間で記憶の共鳴が頻繁に起きていました。それで私はマイのいた世界を知ることができました。以上です」
「そんなことが……」
驚きというより凄すぎて、次の言葉が出てこない。
話が終わったからといって、重さが消えるわけではない。ただ、それを抱えたままでも、日常は続くらしい。
「初めての時は驚きましたが、今となっては可愛い妹です」
その言葉の裏に、妹を失った喪失と、見ず知らずの存在を妹として受け入れるまでの葛藤が滲んでいた。
やはり、アリシアにも、今のエリシアを素直に受け入れられなかった時期があったのだろう。
いつもと様子の違った僕を察してか、アリシアはいきなり、エリシアの髪をわしゃわしゃした。
「やめてアリシア」
「無理です。こういう時、言うことがあるでしょう」
「わーお姉ちゃん、やめてー」
死んだ魚の目でエリシアが言うと、ついにアリシアは手を離した。
「ごめんなさい」と微笑むアリシアと「ほんとだよ」と嫌な顔して言うが、ついには笑みが溢れてしまったエリシアを見て、二人の関係の良さに、理由のはっきりしない羨ましさを覚えた。
「聞きたいことは他にありますか?トビアス様」
「私は大丈夫だよ」
アリシアがトビアスに聞くと、問題がなさそうに即答した。僕にはまだ、聞きたいことが山ほど残っている。でも、今日は聞くのをやめた。
「エイトも大丈夫ですか?」
「僕もないよ。ありがとう、アリシア」
「……どういたしまして」
僕から感謝を伝えた。アリシアは呟く様に言うと、静かに俯いた。僕はふと窓に目を向けると、外はすっかり黄昏時だった。
僕の視線に釣られて、トビアスも窓の外に目を向けた。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ寮に戻らないと」
「確かにそうね。あ、アリシアと英斗はどうする?近くに宿はあるけど」
アリシアが僕の方を見る。
「……外は少し心配ですね」
既に皇国内に異界事象統制機関が潜んでいるかもしれない。寝込みを襲われた場合、アリシアでも万全とは言えない。僕が考えて黙り込んでいると、トビアスが口を開いた。
「それなら、この隣の仮眠室はどうだい?元は教員が使っていたのだが、クリーニングをして綺麗にしたんだ」
「ほんとですか?」
アリシアがトビアスに問う。その様子から少し安心したように見えた。
「ただ……」
トビアスが口を濁らせる。アリシアが何も言わずに首を傾げる。
「えーっとね、見ればわかるよ」
するとトビアスは僕たちを連れて生徒会室の隣にある、仮眠室に案内した。扉が開くまでの数歩が、やけに長く感じられた。嫌な予感というものは、大抵当たる。
「ええ……」
僕は困惑した。
「がちか……」
エリシアは少し引き気味に言葉を発した。
「ほう……」
アリシアは初めて会った時のように冷静に答えた。
「……セミダブル一つしかないんだよね」
トビアスは申し訳なさそうに僕たちを見た。
狭い部屋の中央に置かれたベッドは、妙に存在感があった。選択肢は他にないと無言で主張している。この夜が、何も起きずに終わるとは思えなかった。




