第六話 確証
第六話 確証 OK
「あなたたち、何者?」
エリシアが一歩前に出て、鋭く問いかけた。
白装束の男は答えず、薄く笑う。
「異界事象統制機関。理解していただけるでしょう」
嫌な予感は、最悪の形で的中した。追われている自覚はあった。だが、ここまで早いとは思っていなかった。
「やっぱり断界派か……目的は何?」
「不要な魔力と、過剰な存在の回収です」
声に抑揚はなく、僕たちを「数」としか見ていないことが伝わってきた。
「一応聞くけど」
エリシアが冷たく言う。
「あたしたちの護衛を殺した自覚はある?」
「犠牲は誤差の範囲内です。世界の安定には必要な対応ですよ」
男は終始、笑みを崩さない。
「……そう」
エリシアの声は低く沈み、微かに笑った。
「なら、その誤差に、あんたたちを含めても問題ないわね」
その直後、アリシアが僕にだけ聞こえる声で囁いた。
「エイト。あなた、その純白で何ができますか?」
「即死技なら一回。撃ったら一週間、純白は使えません」
純白を初めて使ったときにわかったこと
――クールタイムが非常に長いのだ。
アリシアは少し黙り込み、小悪魔的に笑った。
「それを、あの無礼な人たちに撃てます?」
人を殺せ、と言っている。無意識に殺したことはある。だが、選んで殺すのは初めてだった。
「瀕死にするところまでなら……」
否定はしなかった。
僕は一歩前に出て、純白の魔方陣を展開する。
「ほう……ようやく実力行使ですか、純白の魔道師」
「すぐに終わりますよ」
次の瞬間、世界が白く歪んだ。
悲鳴も、衝撃音もない。ただ、白装束の男たちのいた空間だけが、不自然に空白になっていた。
血も、焦げ跡も、魔力の残滓すら残らない。そこにいたという事実が、最初から存在しなかったかのように削り取られている。
「……消えた?」
アリシアが迷うことなく駆け寄ってくる。
呼吸がわずかに乱れ、声も普段より強く震えているのがわかる。だが、目は僕から離れず、倒れゆく僕の身体を注視し、手を伸ばすタイミングを冷静に計っていた。行動の一つひとつに、計算だけではない何かが滲む。守るべき相手としての注意――いや、それだけじゃない。個人としての関心が、無意識のうちに混ざっているのが伝わる。
その横で、エリシアは微動だにせず立ち尽くす。
指先が微かに揺れ、視線は僕の輪郭から一瞬たりとも離れない。周囲の空気の変化も、魔力の流れも、すべて頭の中で整理しているかのようだ。表情は動かない。けれど、その沈黙と硬直の中に、誰よりも早く現実を切り取り、理解している者の気配があった。
――力の過剰は、計算ではなく予想外の反応――
身体から魔力が剥がれ、輪郭がぼやけていく感覚。
アリシアの手の冷たさが伝わり、耳に届く震える声。計算だけでは到達しない、感情の混ざった行為――それが僕に、何より確実に伝わった。
一方でエリシアは淡々と現状を解析する。
震える指先も、視線も、判断のための微細な反応に過ぎない。感情は表に出ず、現実を俯瞰している。
視線を上げると、目の前に広がる二人の距離と仕草が、言葉以上に立場を物語っていた。
僕に寄り添うアリシア――そして、観測者として全てを見据えるエリシア。仕草と呼吸の合間に、二人の真意が確かに映し出されている。
―――――――――――――――――――――――
異変に最初に気づいたのは、異界事象統制機関の観測魔術師だった。
常時展開される観測魔法。その一角の反応が、唐突に欠けた。
「……消失?」
死んだのでも、遮断されたのでも、隠蔽されたのでもない。
観測対象そのものが存在しなくなった反応だった。
「再接続を」
「不可能です。座標が……ありません」
魔術師の声に、室内は静まり返った。
異界事象統制機関は構成員全員に微弱な魔力標を刻んでいる。距離、状態、生死のすべてを把握可能なはずだった。それが、複数同時に痕跡すら残さず消えた。
「……純白だな」
説明できる現象は他に存在しなかった。
「実在、確定」
「だが観測不能」
「形状、原理、射程、すべて不明」
沈黙が続く。
「……厄介ですね」
「ええ。――本人なら、なおさら」
純白の魔道師。敵として「存在している」という事実だけが、ここで初めて確定した。
―――――――――――――――――――――――
次に意識がはっきりした時、馬車の揺れを感じた。
「……あれ?」
天井は布張りの内装。微かに聞こえる馬の足音。
見覚えのある光景だった。
「エイト……起きましたか」
アリシアの声がすぐ近くから聞こえる。
「気分はどうですか?」
「……頭が、少し重い」
身体を起こそうとすると、肩を押さえられた。
「無理しないで下さい。丸一日、ずっと寝てたのですから」
「……え?」
エリシアが窓の外を見たまま、淡々と告げる。
「到着したわ。マリダロフィン皇国よ」
意味が追いつかない。
「……もう?」
「ええ。途中で馬車を買ったの。定価の倍でね。安全を買えるなら、むしろ安いくらいよ」
意識が落ちている間に何が起き、何が起きなかったのか。わからないまま、馬車はゆっくり止まった。門の取り調べを無事に終え、マリダロフィン皇国に到着する。
石畳を踏む音が、帝都より軽く響く。人の多さは変わらないのに、どこか息がしやすかった。
「この皇国にはありとあらゆる魔法が集まる、いわば一国が魔法を収める大きな図書館のような存在なの」
エリシアは歩きながら、街について教えてくれた。
「それはそうと、あの馬車はもう売ってよかったの?」
「ええ」
エリシアが即答する。
「せっかく定価以上で買ったのに」
「この国は歩きが主要な移動手段よ。あんなのあったって邪魔なだけよ」
「……そっか」
申し訳なさよりも、エリシアの迅速で的確な判断に関心がいった。
「ひとまず、あたしの寮に向かうわよ。大学側に連絡と、兄様への手紙も出さないと」
エリシアは誰よりも早く切り替えると、その足で大学まで歩いた。都市の中心に到着すると、石造の塔がずらりと並んでいた。
「ここが大学か……」
「初めて見ました……」
首が痛くなるほど見上げても、塔の数の終わりは分からない。建物というより、思想が並んでいるようだった。
「マリダロフィン皇国魔法協会魔法大学、東側の大学なら、ここが一番ね」
「その言い方だと、他の大学もあるの?」
「そうよ。魔法学校には、東の魔術大学と西の魔道大学がある。ここは前者ね」
半分も理解できていなかった。
けれど、理解できないまま進めばいい場所だということだけは分かった。
「エリシアは魔法が使えないのに、どうして入れたの?」
「え?まあ……」
エリシアの口が急に閉じる。
「王女の特権と、目のおかげ」
含みのある言い方に含みがあると思ったが、気にしないことにした。
寮の入り口に着くと、エリシアが立ち止まった。
「ここから先は男子禁制。英斗はアリシアと待ってて」
「え……」
「それじゃよろしく」
そう言うと、エリシアはそそくさと寮の中に入った。
「……」
「……」
言葉が途切れた瞬間、空白だけが妙に大きく感じられた。
「ここから離れることもできませんし、あそこのベンチで休みませんか?」
「そうですね、そうしましょう」
沈黙が落ちた。雑踏の音は確かに聞こえている。
それなのに、アリシアとの距離だけが、数歩分――いや、もっと遠く感じられた。
「短期間であなたの能力をわかった気になっていました。申し訳ありません」
アリシアがいきなり、深々と頭を下げる。
「え、ちょっと謝らないで下さい」
僕は慌ててアリシアの肩に手を置き、力を緩くかけて頭を上げさせた。
「……もしかしたら僕は純白に適性がないのかもしれません」
「え?」
突拍子のない発言にアリシアが驚く。
「純白が消費する魔力量が莫大なのはわかっていた。ただ、それを扱えるのは僕しかないと、慢心していました」
「エイト……」
「だから、アリシアは悪くないです」
アリシアは驚きに一瞬、息を止めたかのように固まった。理知の鎧で常に覆われているはずの顔に、わずかに不意を突かれた感情が浮かぶ。その瞳の奥で、普段は隠される小さな動揺が、ほんの一瞬だけ露わになった。
「ど、どうしました?」
「あ、いえ、なんでもないです……」
アリシアはいきなり立ち、深呼吸をした。
「そういえば、前に同い年だって分かった時がありましたね」
「それがどうしたんですか?」
「エリシアと同様、私にも敬語を使わず、気軽に話して下さい」
どういう風の吹き回しか、少し警戒してしまう。
「……察しが悪いですね」
「ごめんなさい……」
「謝らないで下さい。つまり、管理対象でも協力者でもなく、友人として関係を築こうという提案です」
「……え?」
軽い言葉だった。
けれど、アリシアが視線を逸らすまでにわずかな間があった。その沈黙の方が、言葉より重かった。
「利害関係とかは……?」
「ないですよ。良くも悪くも、あなたから純白をなくせば、ただの魔力量が多い一般人です。危険視する必要はないと判断しました」
「じゃあ、いきなり『管理対象外!』とか言って対応しようとはしませんか?」
「まだ覚えてたんですか……」
アリシアは恥ずかしそうに他所を見る。
「こう見えて、結構温情深い淑女なんです」
これを聞いて、ようやくアリシアに対する引っ掛かりが解けた。
僕が思うアリシアと、帝都の人々が思うアリシアへの眼差しは、明らかに異なっていた。
でも、今、そこが一致した。アリシアも人だった。
この世界は、もう「物語」ではない。逃げ場のない現実として、僕の足元に広がっていた。




