第三話 特殊個体
「……え?」
アリシアは今、亡くなったと言ったのか。だが、先ほどの話とは明らかに矛盾している。
考える間を与えず、アリシアは続けた。
「召喚魔法で、エリシアを生き返らせたんです」
異世界に来たという事実よりも、はるかに衝撃的だった。この世界では死者を蘇らせることができるのか?
「まあ、失敗したのですけどね」
「失敗?さっきの話だとまるで生きてるように聞こえましたが」
そう問うと、アリシアは冷たい目で微笑んだ。
「呼び戻す魂を間違えた……正確には、全く別の魂を召喚してしまったんです」
「召喚……」
胸の奥がざわつく。もしかしたら僕は、転移や召喚に近い方法でこの世界にやって来たのかもしれない。
「妹は意識が戻った時、自分の名前を『シラユリマイ』だと言いました」
その名前を聞いた瞬間、肺の空気が一気に抜けた。僕の動揺など意に介さず、アリシアは問いを重ねる。
「あなたも、異世界からやってきたのですよね?」
逃げ場が狭まっていく感覚だけが、はっきりした。アリシアは敵なのか味方なのか。
警戒心から咄嗟にアリシアから魔道書を取り返す。
自然と魔法をいつでも撃てる体制を整えた。
「……図星ですか」
不気味な笑みを浮かべ、アリシアは言った。
「私に戦う意思はありません。どうか、少しだけ話を聞いて下さい」
「......なら答えて下さい」
抑えていた声が、わずかに強くなる。
「あなたの目的は何ですか。なぜ、異世界のことを知っているんですか」
アリシアはすぐには答えなかった。
足を組み替え、その動きに一切の焦りがない。
まるで問いそのものから、一歩距離を取るように。
「……随分と切羽詰まっていますね」
楽しげな声音だった。
だが、その視線は英斗の表情ではなく、言葉の裏側をなぞっている。
「答える前に、私からも一つだけ……」
そう前置きし、一呼吸置く。
その短い沈黙のあいだに、場の主導が静かに移った。
「異世界から転移で来た者は魔法が使えません。それなのに、あなたはなぜ魔力を持っているのですか?」
声が詰まる。一度も考えたことがなかったからだ。
確かに、僕はなぜ魔法が使える?
アリシアは答えを待たなかった。
「なるほど。やはり、あなたは召喚者というより転移者ですね」
僕が答える必要はなかった。彼女は、すでに結論に辿り着いている。
「そうなんですか?」
「一見矛盾していますが、結論は明白です。あなたは転移者です」
理屈だけが先に進み、感情が取り残されたままだった。アリシアが、僕が異世界から来た人か真偽を問いたかったのは明らかだ。しかし問題はこれからだ。アリシアは僕をどうしたいのだろうか。答え次第ではここから即刻逃げる必要が浮上する。
「アリシアは僕をどうしたいんだ?」
「そうですね……」
そう言うと、アリシアはゆっくりと立ち上がった。
警戒する僕を意に介する様子もなく、歩み寄り――耳元まで距離を詰める。
「あなたは、極めて例外的です」
低く、落ち着いた声だった。
甘さはない。ただ事実を切り出す調子。
「理論に合わない魔力の挙動。記録に存在しない構造の魔道書。それらを使えているという点も含めて」
「なっ……!」
突拍子のない言葉に頬が熱を持ち、思わず後退る。
だが、アリシアは歩調を緩めることなく距離を保ったまま続けた。
「恐れる必要はありません。私は感情で近づいているわけではない」
視線が、僕自身ではなく、
僕という存在の性質を測っている。
「未知が、ここまで明確な形で現れることは稀です。
確認せずにいられるほど、私は鈍感ではないので」
その言葉は、刃の裏でなぞるようだった。
向けられているのは人ではなく、形を持った現象。
だが、アリシアは一度、瞬きをした。
その小さな動きだけで、視線の焦点が変わる。
床に落としていた重心を、ゆっくりと引き上げる。
距離は同じなのに、彼女は遠くなった。
さきほどまで部屋を満たしていた私的な静けさが、
幕を引かれるように後退していく。
「あなたは、この国にとって非常に危険であると同時に、非常に価値がある存在……ですから、提案があります」
「な、なんですか……?」
変な緊張のせいで声が裏返る。アリシアはそんな僕に優しい目で含み笑いをすると、人差し指を立てて話を続けた。
「ぜひ帝都に滞在してください。私の監視付きで」
「……はい?」
一瞬だけ、妥当な選択だと感じた。信用など存在しない。客観的に見れば、僕は国王殺しの嫌疑をかけられた存在だ。王女が直々に監視するというのも、知らない誰かに預けられるよりは安全だろう。
それでも――話の流れも立場も、すべてアリシアに掌握されているのが癪だった。
「……拒否したら?」
その言葉に、アリシアは一瞬だけ目を細めた。
「その場合、あなたを管理対象外として対応します」
対応――そう言い換えても、本質は同じだ。人を物として扱う、現実的すぎる表現だった。
「安心してください。命までは奪いません。……今のところは」
今のところ、という言葉に背筋が冷える。
「この世界は転移者、召喚者、転生者の存在を許容していません。ただし……」
アリシアは一歩下がり、改めてこちらを見据えた。
「研究対象として、管理下に置くなら話は別です」
……なるほど。選択肢は最初からアリシアによって一つに限定されていた。
「……選ばせる気は?」
「ありません」
即答だった。
「ですが、条件は提示できます」
条件……その言葉に、わずかに希望を見出す。
「第一に、あなたの安全は保証します。第二に、妹のエリシアには干渉しない」
その名を出された瞬間、胸が強く締め付けられた。
「そして第三に……」
アリシアは微かに声を落とす。
「あなた自身の正体について、私と共に調べましょう。あなたが、なぜ魔力を持っているのか」
逃げ道はない。だが、何も知らないままでいるよりは——。
「……分かりました」
そう答えた瞬間、アリシアの口元がわずかに緩んだ。
事が予定通り進んでいる、とでも言いたげな、余裕のある笑みだった。
「では決まりですね。改めて歓迎します」
「……いや」
遮るように言うと、アリシアは一瞬だけ言葉を失った。
次いで、その表情に微かな困惑が浮かぶ。
「どういう意味ですか?」
「……僕は、自分のことを何も知らなすぎる」
返答を待たず、言葉を重ねる。
「監視されて生きる方が安全なのは分かってる。でもアリシア、拘束されたまま生き延びるくらいなら……命を狙われても、自由を選びたい」
その瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの柔らかさは消え、アリシアの視線は冷静に、鋭く僕を捉える。
「交渉決裂……ということでよろしいですね?」
「そう受け取って貰って構わないよ」
次の瞬間、アリシアは自身の魔道書を引き寄せた。
慣れた様子で魔道書を開くと、魔方陣の上に手を置き、魔法を発動させた。魔方陣が白く光る。
しかし、魔法が放たれる事はなかった。
「撃てない……」
アリシアの動揺した声から瞬時に理解した。目線が魔道書から僕の方に向いた時、状況を説明した。
「この距離、この空間なら……他人の魔力に干渉できる」
理由は説明できない。
魔道書がどう作用しているのかも分からない。だが、確かに“触れる感覚”だけはあった。
それで十分だった。今は正解を知る必要はない。必要なのは、アリシアに対抗し得る一手だけだ。
僕は半ば確信とも直感ともつかない感覚に身を委ね、魔力を叩きつける。
理論ではなく、感触に従った行動だった。
一瞬、アリシアの目がわずかに見開かれる。
次いで、警戒を含んだ吐息が零れた。
「……なるほど」
アリシアが魔道書から手を離した。
「……想定以上ですね。しかも、自覚すらない」
声音は淡々としていた。
そこに驚きはない。戸惑いもない。
あるのは、予測値を上方修正するような――冷え切った判断だけだった。
その視線はもはや対話者に向けられていない。
未整理の力を宿した存在を、どう扱うかを測るためのものだった。
「理解しました。力で拘束するのは得策ではないですね」
「じゃあ……」
「条件を変更します」
遮るように言われ、言葉を飲み込む。
「あなたを管理対象ではなく、協力者として扱いましょう」
協力者。その言葉に、わずかに眉をひそめる。
「監視は最低限。行動の自由も保証します。ただし……」
アリシアは微笑んだ。
「帝都から出る際は、必ず私の許可を得ること」
……首輪は残す、というわけか。
「それと」
一拍置き、声を落とす。
「あなたがこの国にとって要注意人物である事実は変わりません。逃亡すれば……次は交渉ではなく、排除です」
断定だった。
脅迫の形を取っているが、そこに誇張はない。ただの事実整理だ。
「……わかった。ただ一つだけ、忠告したい」
アリシアの次の言葉を遮り、静かに続ける。
「僕の魔道書は、あなたの想定の外にある。もし排除に移行した場合、不安要素を抱えるのはアリシアだよ」
声は低く、抑えられている。
脅しと受け取られても不思議ではないが、感情は混じっていなかった。
提示しているのは、力関係の再計算だけだ。
完全な自由ではない。
だが檻の中で従うより、刃を持ったまま縛られる方がまだましだった。
アリシアは一瞬だけ黙し、不服そうに頷く。
それでも拒絶はしない。その選択自体が、彼女の評価を物語っていた。
やがて、彼女はわずかに目を細める。
「……交渉材料としては、十分ですね」
冷酷な声だった。
だがそこには、もはや一方的に踏み潰す余地は残っていなかった。
「ところで、エイト」
不意に、名前を呼ばれた。
「……あなた、その名前に違和感を覚えたことは?」
心臓が、跳ねる。
「どういう意味ですか」
「字面でも、音でもありません」
彼女は淡々と続けた。
「それが自分の名前だと、確信できますか?」
頭の奥が鈍く疼いた。
名前は合っている。呼ばれれば反応もする。
だが――自分のものだという実感だけが、欠けている。
言葉にできずにいると、彼女は小さく頷いた。
「……やはり」
確認が取れた、という調子だった。
「あなたは、ここに来るべくして来た存在ですね」
アリシアは視線を外し、窓の外へ向ける。
「転移者でありながら魔力を持っている」
独白のように言葉を並べる。
「本来、転移者に魔力はありません。魂に受け皿が存在しないからです。召喚者には仮の受け皿が与えられますが、容量は限定的」
一切の感情を挟まず、結論だけを告げる。
「それなのに、あなたは例外です」
胸の奥が、冷えていく。
「……つまり?」
「あなたは、通常の異世界人の枠から外れている」
逃げ場のない断定だった。
「まるで……」
言いかけて、彼女は言葉を切る。
「……いえ。まだ言及すべき段階ではありません」
わずかにためらいを見せる。
それが、逆に不安を煽った。
「何ですか」
促すと、アリシアは短く息を吐いた。
「あなたの魔力は、外部から与えられたものではない」
否定が、重く響く。
「では……どこから?」
「最初からです」
即答だった。
「私たちと同様、魂そのものが、魔力の源になっている」
理解が、一拍遅れる。
「そんなこと……」
「通常は、あり得ません」
きっぱりと言い切る。
「だからこそ、問題なのです」
「……それって」
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
「あなたは転移者でも、召喚者でもない」
言葉を選びながら、続ける。
「少なくとも……過去に、この世界に存在していた」
背筋を冷たいものが走った。
「元の世界の記憶はありますか?」
「あります」
「それが、本物だと断言できますか?」
「できます」
今まで生きてきた十八年間を、否定できるはずがなかった。
「そうですか……」
そこで、彼女の言葉が止まる。
「……やっぱり、僕は危険なんですか」
「分かりません」
即答だった。
躊躇も、情もない。
「ですが」
視線を逸らさず、続ける。
「現時点では、私の専門領域です」
そう言って――ほんの一瞬だけ、表情が緩んだ。
「選択肢は二つ」
声は再び静かになる。
「私と共に、あなたが何者かを知るか。あるいは、何も知らないまま一生を終えるか」
少し考える。だが答えは決まっていた。
「途中でやめるのは、なしですよ」
やがて、彼女は小さく笑った。
「……本当に、厄介ですね」
その声には、ただの感情が混じっていた。
「わかりました。その条件、受け入れます」
その一言が、妙に胸に残った。
冷酷で、理知的で、危険な女性だ。
それでも――
今の笑みだけは、計算ではないと、なぜか思えた。




