第一話 濡れ衣
金属がぶつかり合う音が四方から降り注いでいた。
前かと思えば背後、次の瞬間には耳元で鳴る。鼻に入り込む鉄の臭いで、ようやく理解する。ここは戦場だ。
恐る恐る目を開くと、辺り一帯の地獄を真上から太陽が照らしていた。映像でしか見たことのない、泥沼のような白兵戦。その渦中に現実感のないまま立たされていた。逃げ出したいと思ったが、先にこみ上げてきたのは恐怖と吐き気だった。
膝から崩れ、地面に胃の中をぶちまけた。
「っ……」
絶えず変な汗が全身からあふれる。心拍数が高まる。耳鳴りがするほど心臓が騒がしかった。深呼吸をしようにも、うまく呼吸ができない。
「だ……誰か助けて……」
目の前を走り過ぎていく甲冑を着た兵士たちに助けを求める。ただでさえ声が出ないというのに戦場においては言うまでもなく誰も気付いてくれない。
地面を見渡す。手の届くところに鮮血によっていっそう目立つ純白の本があった。その本に手をかける。なぜか僕はこの本の使い方を知っていた。
次の瞬間、戦場が白い光に包まれた。気を失っていたらしく、目が覚めた時には空は赤く染まっていた。
「生存者か!」
声がする方向に体を向けると、甲冑の擦過音を立て、一人の青年がこちらに向かって小走りでやって来た。
「君、名前は?」
「須藤英斗です……」
「スドウエイト?珍しい名前だな。敵の地域にもそんな名前は聞いたことがない……」
青年は少しの間首を傾げて、僕の顔をじっと見ていた。
「まあいい。この戦争をよく生き延びた。国に帰ろう」
そう言って青年は手を差しのべて来た。僕はその手をしっかりと握った。僕たちは戦場を後にした。
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あれから二週間が経過した。僕は戦場の唯一の生存者ということで調査対象となり、僕の断片的な証言を基に戦局を逆転させ、勝利に貢献した人物として国を挙げて英雄と賞された。
僕が今いるサマルレンツ王国はいわゆる弱小国家で、大国相手に戦争をしていたのにも関わらず、僕はこの国を戦勝国にしたらしい。
嬉しい、というより怖い。ここまで期待される理由が僕には分からなかった。
先日には国王から直々に純白の本の所有権が認められた。この時初めて知ったのは、僕が使った純白の本は魔道書だったということだ。剣と魔法の世界に来たことを知ったことも、この時だ。
僕を助けてくれた青年「ベレント・ラグラー」はこの国の次男にあたる人物で、僕の友人になった。
「体調は大丈夫か?」
「ああ、問題ないよ」
僕に外傷はなかったが、大事をとって休ませてくれた。病室のベッドで休んでいる時、ベレントは訓練の合間を縫って会いに来てくれた。
「明日で、とりあえず退院か」
「そうだね。面倒をかけてごめん」
「いいんだ。お前はこの国の英雄だからな」
ベレントは微笑みながら返事をした。
国の英雄になった一方、僕を一方的に知る人が急増した。まるで芸能人が常にカメラに追われているような感覚。その疲労もあったのかもしれない。
なにより、あの戦場が僕にトラウマを植えた。
「外は怖いか?」
「……怖いよ」
「怖いなら、強くなるしかない」
ベレントは窓から見える街を眺めながらそう言った。
「そうだね」
と感情の抜けた返事をする。
翌朝、退院すると外でベレントが待っていた。
「どうしてこんな所に?訓練は?」
「今日はお前の退院祝いだろ?それにお前の家まで案内しないとな」
「……家?」
ベレントに導かれるまま歩いた先は、彼が住む城のすぐ傍だった。
「ここが?」
そこには、一人で暮らすには十分そうな、素朴な木造の家が建っていた。
「そうだ。元は物置小屋だったんだが、清掃して綺麗にしておいた。ここなら人もあまり来ないし、俺もすぐに駆けつけられる」
「……ありがとう」
僕は、この家で暮らすことになった。
それからの生活は、ほとんどをベレントに教わりながら過ごした。この国での常識、金の扱い方。無知をからかわれることも多かったが、不思議と不快に思ったことは一度もない。
やがて、ベレントの紹介で魔道師の先生がつくことになった。一般的な魔道書の扱い方、魔法の基礎、そして実戦を想定した戦闘術。純白の魔道書も一般的な魔道書の扱い方と変わらないと教えてくれた。修練の日々の合間には、ベレントが顔を出しては他愛のない話をしたり、自慢の剣技を披露してくれたりもした。どうやら僕は、剣よりも魔法のほうが性に合っているらしい。
三ヶ月ほどが過ぎた頃、飲み込みの早さを評価され、五段階ある魔道師の等級のうち、最上位である一級に認定された。
この世界で暮らすうちに、魔法を扱う職業には大きく二つの系統があることも知った。
魔道師は魔道書を媒介に魔法を使い、魔術師は杖を用いる。だが現在では、魔術師はすでに少数派となっているらしい。
「一級になったのか!すごいな」
一級魔道師になったことを伝えるため、僕は城へ向かった。
ベレントは称賛の言葉をくれたが、その表情はすぐに引き締まった。
――魔法を嫌う連中がいる――
前置きの末に語られたのは、
異界事象統制機関――そう名乗る集団の話だった。
彼らは魔術師や魔道師を「管理すべき異常」と定義し、迫害という形で排除を進めている。
しかも最近、その活動はこの地域に集中しつつあるという。
「……本当に、気にするほどじゃないんだよね?」
探るように尋ねると、ベレントは一瞬だけ言葉を選んだ。
「今のところはな。そこまでの勢力があるとも思えない」
「……今のところ?」
「気にするな」
そう言って笑ったが、その声には僅かな硬さが残っていた。考え込むベレントの様子に、胸の奥がわずかにざわついた。
気に留めるべきなのかもしれない――そう思いながらも、今は深く踏み込まないことにした。
彼の言う通り、まだ大事と呼ぶほどの話ではないのだろう。
「それと……以前、隣国のヴァルシュタイン帝国から皇太子が来ただろう。あの国はここよりも、魔術師にも魔道師にも寛容だ。万が一の時は、あそこへ身を寄せればいい」
ヴァルシュタイン帝国は、サマルレンツ王国の北東に位置する大国だ。
この国とは友好関係にあり、皇太子が来訪した際には、僕も言葉を交わしたことがある。
誠実で、どこか融通の利く人物――そんな印象が強く残っていた。
「亡命、ってこと? そうならないといいけど」 「だな……だが備えは無駄にはならん」
ベレントは一息置いて、話題を切り替える。
「それより、明日は独立記念日だ。父様も出席するらしい。お前も英雄だ。無理強いはしないが、少しでも国民の前に顔を出してくれ」
「分かった。短時間なら」
その後は他愛のない話をいくつか交わし、僕たちはそれぞれの家へ戻った。
翌日、僕はこの国の独立記念式典に出席していた。
ベレントの父である国王は、民衆が集まる広場を見下ろす高台に立ち、穏やかに手を振っている。
「ん……?」
そのとき、ふと視界の端に違和感が引っかかった。
人波の中に、黒いマントを纏った人物がいる。
男だと分かるのに、なぜか顔だけが判然としない。
マントの隙間から見える体つきは、男にしては華奢だった。肩幅は狭く、剣士特有の重心の低さもない。
それでも――歩き方だけが異様だった。
人混みを縫う動きに一切の淀みがなく、まるでこの光景に慣れきっているかのようだ。
周囲の時間とは、半拍だけずれて存在している。そんな錯覚を覚えた。
男が立ち止まった、次の瞬間。
空気が、沈んだ。
黒い光が放たれ、それは一直線に国王の肩へと突き刺さる。
肉が不自然に膨れ上がり――破裂した。
血と肉片が宙を舞い、国王の身体が力なく崩れ落ちる。
「……え?」
声にならない息が、喉から零れた。
慌てて男のいた位置を探す。だが、そこにはもう影すら残っていない。
視線を正面に戻した、その瞬間――男は、こちらを捉えていた。
背筋を冷たいものが駆け上がる。
「……冗談だろ」
次の瞬間、男の影は掻き消えていた。
気づいたときには、あの男が纏っていたはずの黒いマントが、なぜか僕の肩に掛かっていた。
――まずい。
ざわめきが、一気に広がる。
「こいつだ!」
「国王を殺したのは、こいつだ!」
向けられた指先は、間違いなく僕を指していた。
弁明しようと口を開きかけて、すぐに悟る。
――無駄だ。
魔法が使える人間は少ない。その場にいた魔道師は、僕しかいない。
考えるより先に、体が動いた。
僕は人混みを掻き分け、その場から逃げ出していた。
背後から、複数の足音が迫る。振り返らず、ただ走る。
そのとき、横合いから聞き慣れた声が飛んできた。
「エイト!何があったんだ!?」
「ベレント!」
護衛の配置についていたはずの彼が、僕を追ってきていた。
「黒いマントの男が、魔法を使って国王を……!」
言い終わる前に、ベレントは即座に言い切った。
「異界事象統制機関の仕業だな。いいか、この国から逃げろ」
冗談交じりに聞いていた話が、現実になった瞬間だった。
「右だ。厩舎に馬がある。ヴァルシュタイン帝国まで行け!」
「待って!乗り方も、道も分からない!」
「知るか!死ぬよりマシだろ!」
怒鳴られて、言葉を失う。
そのまま厩舎へ駆け込み、ベレントは迷いなく一頭の馬を引き出した。
「何かあったら、こいつを売れ。あとは……こいつが勝手に連れていく」
半ば押し込まれるように、馬に跨がされる。
「俺のことは気にするな。また、生きて会おう」
次の瞬間、馬は勢いよく駆け出した。
振り返る余裕はなかった。
馬はまるで行き先を知っているかのように、ヴァルシュタイン帝国の方角へと走り続けていた。




