辰雄のこと
バブル景気の頃の思い出
辰雄の話をしようと思う。
辰雄と初めて会ったのは成田空港の到着ロビーであった。
当時の私は、ある旅行代理店に籍を置く新米添乗員で、それでも年間に自宅で寝る日は百日もなかった。バブル景気の最盛期で、旅行業界も人手が足りず、景気が良いのに売上の芳しくない損保セールスマンだった私も、ある中堅どころの旅行代理店の中途採用に引っかかり、運よく俄か添乗員になりすましたのである。
学生のころにアメリカにいたことがある私は、英会話の点で他の俄かたちよりも有利だったようで、採用から半年ほどで海外ツアーをひとりで任されるようになり、日当も一万八千円に上がった。
あるとき、私はホノルルから成田へ向うノースウエスト航空の機内で思案にくれていた。ハイシーズンのホノルル発便は、定刻通りに離陸することなど極めて稀で、旅程を組む者は「遅延」を考慮に入れる。だがそのツアーは違った。
それはトヨタ自動車のセールスマンの研修旅行だった。しかし研修とは名ばかりで、つまりはメーカーが販売代理店の成績優秀者を招待した慰安旅行だった。前身が売れない損保セールスマンだった私は、売れているセールスマンのことを熟知していた。一言でいえば、彼らの愛想がよいのは自分たちの顧客と応対するときのみである。売れなかった私の僻み、それはもちろんあるだろう。しかし彼らが涼しげな外見とは裏腹に、その心根にアクの強さを持つのは確かなことで、旅行という日常から離れたところで、そのアクが表面化することが多いのである。私は男芸者を決めこみ、愛想をふりまきながらなんとかこの兵たちを復路の機内にまで連れてきた。通常ならこのボーイング747が成田に着けば、彼らとはよほどのことがない限り再会することはない。それがこの仕事の良いところである。私は「一期一会」などという言葉にありがたみを感じる類いの人間ではなかった。どんなに面倒なお客とも、例えば夏季ホームステイの学生の付き添い等の例外を除けば、二、三週間後に飛行機が成田に戻り、そこで別れるのである。そう思えば、男芸者に徹することもそれほど苦にはならなかった。しかし今回は、彼等のうちの半分を成田から大阪へ飛ぶ最終便に搭乗させるまでが私の仕事であった。
時間は微妙だった。このまま順調にフライトがつづけば、大阪行きが発つ一時間前には成田に着く。それでもパスポート審査や税関に並ぶ時間を考えると心許なかった。
日付変更線を超えたあたりで、案の定気流が乱れた。これで成田-大阪間のチケットは紙屑と化した。私は旅程を組んだ無能者を恨んだ。しかし大阪に帰れなくなった客たちは私を恨んだ。おまえの会社は何故こんな旅程を組んだのか。揺れる機体のなかで客たちから関西弁で詰め寄られた私は、奥の手を使うことにした。上司からは、金はいくら使ってもよいからとにかくまるく収めて帰って来い、といわれていた。タクシーがあるではないか。大阪に帰るのは七人である。二台のタクシーで羽田まで行けばよい。羽田から大阪に飛ぶ最終便に彼らを乗せる。チケットも羽田のカウンターで裏書きすればそのまま使える。夜間だから首都高速湾岸線の渋滞はないだろう。私は時刻表を睨み、羽田-大阪の最終便から逆算して、行ける、と確信し客たちにもそう告げた。
しかし、私はやはり俄か添乗員であった。到着ロビーを出た私は絶句した。タクシー乗り場には長蛇の列が出来ていた。あの機内の数百人のなかに、私たちの他にも羽田から国内線に乗る人たちがいるであろうこと、同時刻に成田に着陸する飛行機が他にもあることをすっかり忘れていたのである。
「なんや添乗員さん、話がちがうやないか」
長蛇の列に並ぶ気が失せた私は到着ロビーに戻り、平謝りを繰り返し、なんとか空港付近のホテルに泊まってもらうよう客に頼みこんでいた。もちろん宿泊代や翌日の大阪までフライト代も負担させるつもりはない。しぶしぶ了承する客たち。だが何人かは執拗に繰り返す。
「なああんた、トヨタのトップセールスを舐めたらあかんよ。明日は大事なお客さんと会う約束があるんや」
途方にくれながらも私は公衆電話からホリデーインのフロントと交渉し、ツインルームを二部屋予約した。
そんな私に近づいてくる者があった。
「添乗員さん、おこまりですね。私、白ナンバーのタクシーやってますけど、使ってもらえませんんか?」
こざっぱりした身なりの端正な顔立ちの男だった。歳は私よりもいくぶん下だろうか。
「いや、間に合えば頼みたいけど、羽田まで五十分では行けないでしょう」
「ああ、大阪行きの最終便ですね。大丈夫です。間に合います。もしも間に合わなければお代はいただきません」
「いくらで行ってくれるの?」
「十万です。高速代はこっち持ちで」
「すげー値段だな。でも間に合わなければ払わないよ」
「かまいません」
私はねちねち嫌味を言いつづける三人に訊ねた。
「みなさん、どうします? とりあえず羽田まで向ってみますか?」
クルマは白のクラウンで、V8エンジンを積んだ最高級グレードであった。
「ほう、ええクルマやないか。センチュリーはショーファードリブンやから、実質これがトヨタの最高級車やな」
「おたくの店、センチュリーなんて売れますの?」
「売れまへん。年に二、三台やな」
「あんなん、いまどき皇室とかベンツ買えないヤーさんしか乗らんですわ」
白いクラウンは東関東自動車道を矢のように走っていた。後席の客たちはくつろいだ様子である。私は助手席に座り、デジタル式のスピードメーターが時速150キロを示すのを見て一安心した。これならなんとか間に合うだろう。問題は葛西ジャンクションのあたりである。あそこはたまに夜遅くでも渋滞することがある。
しかしほっとしたのもつかの間だった。江戸川を渡って首都高速に入ると、シフトノブの横に設置された車内電話が鳴り、運転手が受話器を取った。しばらく話すうちに運転手の語気が荒々しくなってきた。
「連勝の2-6を外しただと? なぜいう通りに流さなかったんだ? でかい穴をあけてくれたもんだな!」
運転手は叩きつけるように受話器を戻した。私はギャンブルをしないが、運転手の応対からそれが公営ギャンブルのノミ行為であるらしいことは察しがついた。この端正な顔立ちの男はヤクザ者なのか。後席の客たちも黙りこみ、車内には一気に緊張した空気がながれだした。
葛西ジャンクション付近は渋滞していた。ところが運転手は路肩にはみだしてクラウンを飛ばしつづける。前方に左寄りのクルマがあると、ぎりぎりまで近づき、サイドウインドウを下げ「どけどけ!」と怒鳴りちらした。それでもゆずらないクルマには運転席の下から大型犬の散歩に使うような鎖を取りだし、それを輪にして振り回した。右前方のクルマのバンパーに鎖が打ちすえられる。バコンと音がする。運転手はそうして進路を確保したのである。
とんでもないことになった。しかし後席で硬直しているに違いない客たちを思うと、なんだか可笑しかった。私は平静をよそおい後席に向って言った。
「問題ありませんよ。こうなったらこの運転手さんにまかせましょうよ」
「いや、この近くのビジネスホテルにでも…」
消え入るような声である。私も怖かったが運転手に訊いてみる。
「間に合います?」
「絶対に間に合わせます。この十万は逃すわけにはいきません」
運転手は不敵に笑いながら再びサイドウィンドウを下ろし鎖を振り回す。
白いクラウンは大阪行き最終便の発つ十分まえに羽田空港の出発ロビー沿いに停車した。運転手は大手タクシー会社の未記入領収証と名刺をくれた。名刺には江口辰雄という名前と電話番号以外は何も記されていなかった。
「ありがとう。ちょっと怖かったけど助かったよ」
「いえ、また使ってやってください」
これが辰雄と私との出会いであった。以来私は度々辰雄のタクシーを使った。私は経験を積むうちに、あのツアーの旅程を組んだ者が無能ではなかったことを知った。当時は膨らみつづける需要に航空会社の供給が追いつかず、無理な旅程は半ば確信的に組まれていたのである。
辰雄は二度目からは五万で引き受けてくれた。その度に違うタクシー会社の領収証をくれた。
「なあ辰雄ちゃん。最初のときのノミ行為の電話。あれはやらせだったんだろう?」
「そうですよ。約束通りに払ってくれない人もいますからね。ちなみにナンバープレートも定期的に替えてます。そういうルートがあるんです。おれ高校の演劇部の助っ人で文化祭の芝居にでたこともあるんですよ」
「なるほど。あんた男前だもんな。まあ、おれもあれがなけりゃ羽田に着いたら値切ってたと思うよ」
かつては江戸前の漁師町だった羽田付近には、いまでも旨い魚を食わせる居酒屋が何件かある。客の搭乗手続きを済ませてから、私と辰雄はそういう店で酒を酌み交わすようになっていた。
私はすっかり業界の色に染まっていた。それも良くない方の色に。
空前の旅行ブームは衰える兆しが見えなかった。様々な業種が研修旅行を謳い顧客を海外で遊ばせた。そのころの私は主に建築業界を担当していた。
ある大手建材メーカーは、定期的に顧客の代理店を台湾で遊ばせていた。中小の代理店はたいてい施工業を兼ねていて、私が台湾に連れてゆく客は社長であり建築現場の職人の親方でもあることが多かった。私は彼らが好きだった。手配したはずのホテルが、着いてみるとオーバーブッキングで、他のホテルと分宿になったりすれば怒鳴られるが、いつまでもねちねちと嫌味をいうような者は少なかった。
中正国際空港の到着ロビーでは、現地ツアーガイドが我々を出迎えてくれた。彼等はたいてい老人で、かつてこの地が日本の占領下にあった時代に日本語の教育を受けた者たちである。今回我々に付いてくれるのは高さんで、彼は文芸春秋を愛読する元教員である。
「高さん、今回もよろしくたのみます」
私は成田の売店で買った文芸春秋を手渡していった。
「はい、どうもありがとう。このままお店に直行でいいの?」
「それでかまわないです。ゴルフの手配は問題ないよね?」
「大丈夫」
「ホテルは全室ツインでとれてる?」
「それも問題ないです。このまえは分宿になっちゃってすいませんでした」
「いや、高さんのせいじゃないさ。あれはホテルが欲をかいてキャンセルの見込みを甘く見積もったんだよ」
チャーターバスは空港から台北市街に向けて走っている。道の両側には畑が広がり、所々に屋根の四隅にRがかかった中華式の家々が点在している。畑の土の色は日本では見られない赤茶色であった。
バスが市街地に入ると、私はマイクを手にして立った。ホテルの部屋割りを客たちに伝え、ルームナンバーが記されたカードを客のひとり々に手渡した。
バスがお店に横付けされ、我々は既に扉を開けて待っていたママに迎えられた。夕方といってよい時刻だが日はまだ高い位置にある。ママは明るいところでは随分と老けてみえる。そういえばママも日本語が達者だった。
店内は薄暗い。日本のカラオケスナックを広くしたような造りで、北京語の流行歌が流れている。客たちがワインレッドのソファーに落ち着いてしばらくすると、若い女たちが盆にビール瓶と乾き物のつまみを乗せて現れ、各々が客たちの横にすわる。彼女たちはあらかじめ卓に用意されていたコップにビールをつぎ、片言の日本語で客に気に入られようとする。
私と高さんは、客たちとは離れた位置にあるソファーにすわり、打ち合わせの振りをして客たちに神経を傾ける。
合図は軽く手を上げるだけ。するとママがやってきて客はママに日本円で三万円を支払い、女は客のルームナンバーを知る。成立である。横に座った女が気に食わなければ指を耳たぶに。するとママが代わりの女を連れてくる。小一時間が経って私は客たちの卓をまわり、あと二十分で夕食の予約を入れてあるレストランに向かうことを告げる。
福建料理のレストランからチャーターバスがホテルに向かう。ネオンが煌く台北市街は新宿歌舞伎町とよく似ていた。ホテルに到着し、私はロビーで客たちにルームキーを手渡しながら明日の朝食や集合時間を案内する。客たちが部屋に上がると、私はポーターがバスの横腹のカーゴルームから運んできたスーツケースにルームナンバーを記したタグをつけた。これできょうの仕事は終わったようなものである。
「ごくろうさん。明日は十時にバスを配車してね。日本人は時間にうるさいから遅刻はなしで」
私と高さんはロビーのソファーでコーヒーを飲んでいた。
「わかりました。私は帰るけど、添乗員さんは女の子、呼ばないでいいの?」
「おれはいいや」
「そう。ではおやすみなさい」
私は部屋に上がった。高さんは気を遣ったらしく、私の部屋は客たちの階とは違っていた。女がきて部屋に入るところを客に見られたら困るだろうと配慮したのだ。しかし私は最近、女を部屋に呼ぶことはなかった。
シャワーを浴びて冷蔵庫から缶ビールをだして飲んでいる。TV画面では料理番組が放映されている。臓物を抜いた鶏の腹にもち米や香辛料を詰めて蒸したものが出来上がった。美味そうだ。福建料理のレストランではろくに食わなかったから空腹である。ベッド脇のデジタル時計が二十三時を示すと、私はスーツケースから綿パンとTシャツを出して着た。フロントに鍵を預け、入り口で客待ちしていたタクシーに乗り「ルーサンスゥ(龍山寺)」と運転手に告げた。
龍山寺は台北の旧市街にある。その辺りは新宿のようなネオンはなく、中華下町の風情を残していた。タクシーを降り、赤い寺の門前に向って歩く。道沿いには様々な屋台が軒を連ねている。八角やら山椒やら、香辛料の匂いが辺りに充満している。
「やあ、辰雄ちゃん。久しぶり」
「そうでもないでしょう。先月も来たじゃない」
「いや、ただの慣用句。これは添乗員の職業病だよ」
「魚を食いませんか?」
「食う食う。もう腹へって我慢できない」
「この店の水槽にいいハタが泳いでますよ」
「おお、いいね。揚げてもらう? 蒸してもらう?」
「蒸しでいきましょうよ。屋台は油がいまいちだから」
私と辰雄は海鮮料理の屋台の卓にすわった。
「もうすっかり慣れたみたいだな」
「はい、言葉が心配でしたけど、みんな日本語を話すし」
「だから言っただろ? 日本人相手の業者だって」
私は辰雄を日本人専門の擬似恋愛業者に紹介した。あのお店のママもその組織に属している。夜、日本人の部屋をノックする女と客と間に些細な揉め事が起きることがある。冷蔵庫の酒を勝手に飲まれただの、そのときになったらメンスだっただの、朝まで居ると約束したのに目覚めたら居なかっただの。私は業者の長からコーディネーターとして日本人を雇いたいと相談をうけていた。現状のスタッフは被占領当時に日本語教育を受けた者がほとんどで、一番若い者でも初老といってよい年齢なのだという。緊急時にフットワークが軽い日本人がいれば助かる。だれかいい人がいたら紹介してほしい。私は辰雄ならうってつけだと思った。辰雄にその話を持ちかけると、おもしろそうだ、と興味をしめした。来日した組織の長と面会させると、辰雄はその数ヵ月後には台湾に発った。
蒸しあがったハタが楕円の皿に盛られて運ばれてきた。紹興酒を注いだグラスが湯気でくもり、氷が溶けてカランと鳴った。
「にいさん、飯食ったら四発屋に行きませんか?」
「にいさんはよしてくれ。おれは堅気なんだから。で、その四発屋ってなんだい?」
「擬似恋愛の上前をはねてるくせによくいうよ。散髪のあとにもう一発。それで四発屋。日本でいう床屋なんだけど、風俗的な床屋なの」
「ああ、それは聞いたことがある。危ないから近づくなと高さんからいわれている」
「高さんはにいさんの会社と取引している会社の人。堅気じゃないか」
「だけど、辰雄ちゃんのところともどっかで繋がってるんだろ? おまえがこっちにくる前は、高さんがキックバック(上前)を持ってきてたんだぜ?」
「まあ、高さんは日本でいうにいさんみたいな立場かな」
「つまりおれは堅気ってことじゃないか」
「どっちでもいいや。一瓶空いたら行こうよ」
私は辰雄に連れられて四発屋なるものを経験した。簡易な顔剃りのあとで別室に通された。その部屋のベッドには、まごうことなき美女が横たわっていた。
「どうだった?」
「すげーいい女だったよ。ママのところの女とは違うな」
「でしょ? おれは最近あっち専門」
「でもな。おまえが金払ったあの男。あれはおまえんとこの社長とはわけが違うぞ。部屋に案内してくれたボーイ。あれもやばそうな顔つきしてたよ」
私と辰雄はホテルの近くまで戻り、辰雄の行き着けのバーのカウンター席に座っている。
「そういうことはにいさんよりおれの方が詳しいし、嗅覚もあるさ」
「それはそうだが、しかしおまえ、こっちの水が合ってるようで良かったじゃないか」
「まあね。あのときはちょっと嫌なことがあってさ。思い切ってにいさんの持ってきた話に乗ったの」
辰雄はそれほど酒に強くない。しかしいま手にしているグラスはスコッチのロックで三杯目である。私はウオッカをロックでなみなみ注いで貰う。
「にいさん。おれ、弟がいるんだけどさ。やつがもうすぐ結婚するの。おれがこんなでしょ? 相手方の親に心証が悪いわけよ。そのことで弟と言い争いになってさ」
「それで姿をくらませたってわけか。弟想いなんだな」
「にいさんは解ってないなあ」
「なにがよ?」
「同和地区って知ってる?」
「ああ、被差別部落っていうんだろ?」
「おれ、そういうところの出なの。にいさんは東京生まれだから、あんまり知らないでしょ?」
「いや、そんなこともないよ。西日本には多いらしいね」
「関東にだってあるさ。あっちみたいに大きなのは少ないけど。それでさ、弟は工業高校をでて地元の小さな工場勤務なんだけど、左翼系の人権運動もやってるの」
「おお、水平社ってやつか?」
「あれはもうないよ。その流れをくんではいるけど。じつはさ、おれも十代のころはその活動に参加してたことがあるんだよ」
「なに? おまえが左翼活動? それは信じがたい」
「だよね。でもおれの地元ってそういうパターンの家が多いんだ」
「そういうパターンってどういうパターンよ?」
「だからさ、おれと弟みたいに片方は不合法、もう一方は左翼系人権運動。親父が共産党員で倅が暴力団ってケースもあるんだよ」
「それはまたややこしい話だな。おまえ、実際に差別された経験あるのか?」
「どうなんだろうね。物心ついたときから親父もお袋も活動には積極的に参加してたからね。被差別者だという前提はあったろうね」
「おまえ、おれにそういうこといわれても困るよ」
「ハハハ、自分で訊いたくせに。にいさんは鈍くていいなあ。だからおれは好きなんだけど」
「鈍いのか? おれ」
「鈍い鈍い。いくら酒飲んでも笊みたいだし。違法タクシー使うのも売春の上前はねるのもにいさんの立場だとかなりやばいよ」
「そうなのか? でもそういう付き合いはおまえとだけだぞ?」
「だめだこりゃ。にいさん、好景気なんていつまでもつづかないよ。景気がわるくなればにいさんみたいなのは困るんだろうなあ」
「景気、悪くなるのか? おれ日当制だから、ツアーが減るのは困る」
「景気なんていいときがあれば必ず悪くなるものだよ」
辰雄は氷だけになったグラスを振ってバーテンに代わりを要求した。
「にいさん。地球上に人間がどれくらいいるか知ってる?」
「知ってるさ。六十億だろ?」
「そのうちの八億は飢えてるんだってさ」
「そうなのか? 八億に入ってないおれもおまえもラッキーじゃないか」
「活動に参加してたときにさ。集会があって委員長っていうのが演説するんだ。世界の全人口の13%が飢えているのは絶対におかしいっていつも言うの」
「そう言われればおかしいかもな」
「おかしいよね」
「しかし、おまえもいろいろ背景がある男なんだな。おまえ色っぽいもんな。陰影ってやつがあるよ」
「アハハ、それ、にいさんには全然ないね」
「ああ、ないな。鈍いとか言われてるし。おまえ、こっちでヤクザになっちゃうの?」
「おれは不合法に生きるけど、徒党を組んだりするのは性に合わないんだ」
「そうか、なんだかかっこいいな」
私は相変らず成田から方々の国へ飛びまわっていた。成田に戻ってきても帰宅せずに空港付近のホテルに泊まることもあった。それは渡航先にビザが必要ない場合に限ってだが、日付が変わるころに事務職がエアチケットや旅程表をホテルに届けにきた。そして私は何故か、あるキリスト教系の新興宗教団体の幹部から受けが良かった。その宗派は日本においては少数派だが、世界中にネットワークを持ち、総信徒数は一億八千万人にのぼるという。彼等のツアーに私が指名されることが多くなり、台湾へ発ったのは四発屋から一年以上空いていた。
久しぶりに降り立った台北は様子が違っていた。辰雄の姿が見えないのである。
私は腹のつきでた眼鏡の中年男とホテルのラウンジで向き合っていた。
「初めまして。福田と申します」
私はその男から茶封筒を受け取った。
「どうも。辰雄さんはどうしました?」
「ああ、私の来るまえにいた方ですね? お辞めになったようです」
「いま、何処にいるか分かりますか?」
「いえ、私は知りません」
「社長と話したいんだけど」
「社長は出張で、明日高雄から戻ります。それより添乗員さん、これからご接待させていただけませんか? 私もつい最近まで添乗員だったんです」
「ほう、そうでしたか。せっかくですが辞退します。今夜は疲れてますんで」
「そうですか。では次回にぜひ」
翌日、社長から聞いた話は、私の心を重くした。辰雄は四発屋系の業者に移籍したという。
「引き止めたんだけどね。あっちに行っちゃったら、もうあれね」
辰雄の代わりは本人がいう通り、添乗員をしていたという。おそらく精算を間引きして首になった類いであろう。
「これからは福田と付き合ってやってよ」
「はい、そうします」
だが私はあの肥満した男に馴染めそうにはなかった。あの男はおそらく私よりも鈍い。
以来、私は辰雄と会っていない。
不況と湾岸戦争の影響でツアーが激減した。日当制の雇用だった私はたちまち経済が成り立たなくなってしまい、父親の縁故である中小の建築請負の会社にもぐりこんだ。
そこでは俄かが利かなかった。いつまで経っても建築図面が読めない私は、社内でも客先でも、下請けにでさえ男芸者で接した。だがたまにやけを起こし、経営者の倅である同僚の胸倉を掴んでしまう。
数年後にはその会社も辞めた。実質はリストラであった。零落した私は神経を病み、いまは福祉に頼って生きている。抗鬱剤と眠剤が手放せないが毎晩安酒を呷る。
最近、近所に酒奉行という屋号の酒屋がオープンした。安酒を買うつもりで入ったが、高い酒が並んでいる棚で「一期一会」という銘柄を見つけた。いまの私にはとても高価な酒だったが、私はどうしてもその酒が欲しかった。
〈了〉