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コンビニ脇に伸びる階段(2)

「な、お前、今度、なんていう苗字になるの」

不意に、菊池が聞いてきた。

「・・・佐藤」

「権藤から佐藤か・・・・。お、藤つながりじゃん」

「な~に、のんきな事、言ってんの。他人事だと思って・・・」

思わず噴出しながら、千紗はあきれた。


 でも、今のはいいな、と思った。今のとぼけ方は。そういう風に考えられたら、物事はずっと受け止めやすくなるのかもしれない。


 それでもやっぱり、新学期のことを思うと、気が重くなった。クラス全員の前で、ハンガーマンが、千紗の親が離婚し、ゆえに苗字が変わる話を、噛んで含めるような調子で話す場面を思い浮かべると、どうしたって憂鬱な気分になってくる。


 できれば、教室に人がまばらな今日のうちに、その嫌な儀式をすませてしまい、新学期は、そ知らぬ顔して学校へ行けたらよかったのに。


「あ~あ、つくづく失敗したよな」

千紗は、思わず愚痴をこぼした。

「今日に限って、学校に行き忘れるなんてさ」


「どっちだって、同じだったんじゃねえの」

少し間があって、菊池が言った。


「同じ?」

「だって、今日学校へ行ったからって、何がどう変わるわけ」

「変わるよ。今日ちょろっと発表しちゃえば、夏休みが終わるまでに、なんとなーくみんなに伝わってさ、新学期が楽じゃない」

「そうかぁ。こそこそ伝わる方が嫌だけどな、俺なら」

「えーっ、そおお」

「そうだよ。それよりさ、朝の学活でお前が自分で言ったら。私は今日から佐藤になるんだ、誰か文句あるかって」


「そんなの・・・、他人事だと思って、簡単に言うなって・・・」

「絶対いいよ。その方がお前らしいじゃん」

「あんた、あたしのこと、どんな人間だと思ってるわけ」

「ゴリラ!」

「なにぃ!」

 千紗が殴りかかると、菊池は、すばやい身のこなしで体を捩じらせ、階段の一番下に音もなく飛び降りた。まるで野生のヒョウみたいな身のこなしだった。


「な、絶対そうしろって」

菊池は、階段の下から笑顔で千紗を見上げた。


 からかっているわけでも、ふざけているわけでもなく、千紗を励ますために向けられた菊池の力強い笑顔は、なんだか・・・なんだかひどく眩しくて、千紗は慌てて視線を階段に落とした。


「でもなぁ・・・」

千紗は、足元の小石を転がしながらぐずぐず言った。


 まだ、とまどいがあった。

 菊池の提案は、なかなか魅力的だったし、千紗らしいといわれれば、まあそうかなとも思った。でも、それを堂々と、いつもの千紗のままでやり遂げるには、それなりの気力というか、勇気が必要だった。いざ発表という瞬間に、そういうパワーを全開にできるか、今ひとつ自信が持てなかった。


「だったらこうしようぜ」

煮え切らない千紗を見て、菊池がひとつ提案をした。


「そんとき、俺がお前に気を送ってやる」

「き?」

「気って気だよ。気功とかの気」

「ああ、あれか。でも、本当に? あたし、守れない約束なら、しない方がましなんだよね」


 千紗の頭には、いくつかの約束を守れなかった、父親の姿が浮かんでいた。あんな思いは、本当にもう、ごめんだった。それも、相手が菊池だったら、なおさら嫌だった。


「何だ、お前。そういうところ、ムカつくんだよな。でも、言ったからには、絶対送ってやる。その代わり、お前こそ、約束通りみんなの前で宣言しろよな」

「よおし、わかった。そういう事なら、立派にやってやる」

「約束だからな」

「そっちこそ、ほんとに、約束だからね」

「おお」


 じゃあな、というと、菊池は千紗に背を向け、さっさと歩き出した。そのあっさりとした別れ方に、ふと、千紗は寂しさを感じた。

「菊池」

思わず、後ろ姿に声をかけた。


 ん?という顔で菊池が振り向き、真っ直ぐに千紗を見上げたその瞬間、なぜだか千紗は、口を途中まであけた状態で、全身が石像のように固まってしまった。


 あれ、あたし、急にどうしちゃったんだろう。

 千紗は、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。あたし、今、菊池になんて言おうとしてたんだろう。どうするつもりだったんだろう。全然、思い出せなかった。汗が、全身に吹き出すように流れ出す。あれ、まずいぞ。何も思いつかない。こんな時に、中二女子が中二男子にかける自然な言葉ってなんだ。誰か、急いで教えてくれ。


 何の解決策も見いだせないまま、千紗は、目をむいて菊池を睨みつけ、手のひらだけをばたばたさせながら、口をパクパクさせた。そこだけは動いたのだ。

 その、よく言ってペンギンさながらのしぐさが、中二女子としてかなり残念であることは、自分でもよくわかった。控えめに言って、最悪だ。


「あの、あの」

それでも千紗は、真っ白になってしまった頭で、なんとか言葉をひねり出した。

「アイス、ご馳走さま」

 まあまあ時間を使って、これが精一杯だった。それも顔を赤くして、震える声で、だ。最悪の二段重ねだ。


「おお」

けれども、千紗の言葉に、菊池の顔が柔らかくほころんだ。多分、今日見た中でも最高の笑顔だった。

「じゃあ、またな」

菊池は、笑顔のまま言うと、ちょっと顎をあげて見せた。


 どんどん遠くなる菊池の背中を、見送った。が、菊池が見えなくなる寸前に、千紗も菊池に背を向けて、階段を登り始めた。

 妙にそわそわして、落ち着かない気分だった。大声で笑いたいような、泣きたいような、そんな感じ。千紗は、その思いを何とかこらえてしばらく歩いていたが、階段を登りきったところで、麦藁帽子をぱっと脱ぐと、全速力で走り出した。

 この胸のざわめきが収まるまで、どこまでもどこまでも走り続けるつもりで。



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